そばかすのレビュー・感想・評価
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AV女優のマエアツ
30歳の蘇畑佳純(そばた・かすみ)は、チェリストになる夢を諦めて実家にもどり、コールセンターで働きながら単調な毎日を過ごしていた。
妹は結婚して妊娠中、 父は鬱で休職中、バツ3の祖母は思ったことをなんでも口にし、母は、佳純に恋人がいないことを嘆きいていた。
恋愛したいと言う気持ちが湧かない佳純は、恋人が居なくても寂しくないし、十分幸せだが、周りは信じてくれなかった。
ある日、海辺で同級生の真帆と出会い、彼女のストレートな生き方に共感し、一緒に暮らそうとするが・・・というような話。
多様性の世の中だから、LGBTQや恋愛感情の湧かない人も居るだろう。そんな女性を演じた三浦透子が素晴らしかった。
伊藤万理華、坂井真紀、も良かったが、前田敦子が本作でもなかなかの女優ぶりを見せてくれた。
三浦透子と並ぶと前田敦子が可愛く見えるのは不思議だが、服のセンスも役に合ってて素敵だった。元AV女優役なら濡れ場も見たかったかな。
今年の映画初め
恋愛感情ってそんなに大事ですか?
22年公開の日本映画、12月に良作が続々と封切られて嬉しい悲鳴でした。ラーゲリ、ケイコ等々。
今作はもう見終わった途端に「ブラボー!」って叫びたくなった程に素晴らしかったです。
主人公のように恋愛感情が起こらない人のことを“無性愛者”とか“アセクシュアル”って呼ぶらしいですけど、それも少し違うような?そもそもそれって異常なことなんですかねぇ?
まっすぐに自分の人生を生きる主人公(そばたかすみ=そばかす)を三浦透子さんが演じていて、「ドライブ・マイ・カー」のときは寡黙でしたが今作では台詞も多く等身大の30歳をナチュラルに体現。
元AV女優役に前田敦子さん。最近のあっちゃん、驚くほどいい女優さんになりましたねー。作品選びも素晴らしいです。
主人公の家族に坂井真紀さん伊藤万理華さん三宅弘城さん。お見合い話をもってくるお母さんも結婚して妊娠している妹も良かったですが、ちょっと心の病で休職中のお父さん役の三宅さんがすごく良い味になっていました。
マイノリティを受け入れましょう、って上段に構えて言ってくるのではなく、あくまでもフラットにそして誠実に描いています。シンデレラのビデオ紙芝居、もっと見たかったな。
多様性の時代と言われていますが、そろそろ自分と違う価値観を「おかしい」「異常」と捉えるのをやめませんか?
映画ネタとして「宇宙戦争」をもってくるセンスもいいし、誰もが共感できるような爽やかさ軽やかさもまとっていて秀逸の一本になっています。
或三十路女の恋愛観の、いっときの心のスケッチ
異性に対する恋愛感情や性的な欲求を、全く持ち合わせていない或三十路女が、母親から強制的にお見合いさせられたり、元セクシー女優の女友達との交流、日常の保育士としての仕事ぶりを描いた作品です。
この映画のテーマは、「『女性は結婚して家庭を築くのが幸福である』という価値観を、主人公を通じて否定することによって、女性の真の幸せとは何か?」と、社会に問いかけをしている所にあるように思いました。
少子化が深刻な問題になり、社会保障制度の維持が危うくなりつつある現代の日本において、この映画は「害虫」のような立ち位置に有ると思わざるを得ませんが、結婚してもシングル・マザーになる女性(中には、経済苦に陥り自死する人もいます)が後を絶たない現状を考えると、「結婚の価値」について真剣に考えさせる、問題提起の作品のようにも思えました。
この主人公の女性の生き方に共感する方も多いと思いますが、ただし、なにぶん職業が保育士であり、このまま先、経済的な自立は難しいと思われ、この主人公も「将来は価値観を変えて婚活に一生懸命になるのでは?」という含みを、この作品は暗に持たせているような気もしました。
この作品を選び観た人の喜び
なぜ蘇畑さんは皆んなに話しかけられるのか
恋愛感情を持たない蘇畑さんの話
逃げ腰の彼女は常に“ステイ”の姿勢でいる。
だから、周囲の人物が声をかけることでしか
話が進まない。
だから、保育士でゲイの友人や
元AV女優の同級生に唐突に声をかけられ、
保育園で働いたり、アクティビティに行くなどして
話が展開していくのだ。
それが何とも不自然だったが、仕方ないのだろうか。
また、作中でシンデレラは男性視点の話だと言及されるが
本作での前田敦子の存在は男性視点になっていないと
言い切れるのだろうか。
都合よく出てきて都合よく仲良くなって
都合よく女性視点を持ったまるでミューズのような
優しき存在。
何より、父に向かって感情を爆発させるシーンの最後、
何も言葉が浮かばなくなった彼女が「…ばか!」と
まるで学が無いように描かれているのが若干気になった。
ただ、本作は人を変える力を持つと思う。
登場する人物の至る所に腹が立っていたが、
もうああいう態度を取ったり偏った認識を持つことは
なくなる可能性が見える。
最後には、彼女の創作を通して
この世のどこかに同じ考えを持った人がいて、
その人を救っていたことが明かされる。
この映画がまさにそうである、というように。
三浦透子が演じると、本当にそういう人に見えるから凄い。伊藤万理華の妹も、姉妹感があって良かった。
ただやっぱり前田あっちゃんとの関係だけがなんだか不思議。もっと生々しい話とかしないのかな。職業がそうだからとかじゃなくて、同じ生物学的女性として。
多様性はなにもLGBTだけじゃない
2023年劇場鑑賞18本目。
そばかすって三浦透子にあるか?と思っていたら そばた かすみさん、略してそばかす。劇中一人もそんな呼び方してません。
ポスターでタバコを吸っていますが、序盤に吸うシーンがあるだけで、後は喫煙シーンは出てきません。正直タバコ吸うのかと思って今週観たいのたくさんあるし、観るのやめてもいいかなと思ったくらいなので、このポスター失敗だと思います。湯切りのザル持ってる写真とかにした方が動員数上がるのでは。
同性愛とかそういうのでなくて、恋愛感情もいうものが欠落しているというそばたさん。どういう風に結末を持っていくのか最後まで引き込まれました。あれ?前田敦子二番目にクレジットされてたよな?あれ?友情出演の北村匠海、一瞬うとうとした時に出番終わったか?と思った頃にどちらも出てきました。
自分も彼女欲しいなとは思っていますけど、そこまで本気で恋愛しているわけでもないし、今の生活を変えるのも面倒だなと思っているので、もしかしたら自分もそこまで恋愛感情というものを持っていないのかもしれないと思いました。
男と女の到達点は恋愛感情。それは刹那でナンセンスだと優しく教えてくれる。
多種多様なマイノリティについて表現される作品が多い昨今。
少し大袈裟だったり、誇張的だったり、わざとらしかったりするなか、
自然でフラットな表現が
とてもリアルで、とても好感的で
なんだか泣けた。
だって日常ってそんなにドラマチックじゃないもの。
だからこそ小さなズレが気になったり、イライラしたりするものだ。
三浦透子 さんの心の動きに正直な細かな表情がとても繊細で、
前原滉 さん、前田敦子 さんも魅力的で
北村匠海 さんの存在感が素敵な余韻を見事に残してくれた
恋愛感情は“本能”ではなく“文化”
だからこそ、その感情理論が理解できないことは、不理解なことでは無い。
だって
決して愛そのものが欠けている訳ではないのだから。
新時代のシンデレラは馬車には乗らない。
これは想像以上でした。私はめっちゃめちゃ好きです。30才のソバタカスミはアセクシャルで他者に恋愛感情を抱かない。でもそれは特別なことでは決してない。そもそも何が正しい、間違いという問題ではない。人付き合いがうまい訳ではないけど、気が合えば誰とでも仲良しになれる。
心に傷を持ちながら日々進んだり戻ったりの父。性的マイノリティを隠して生きる仕事仲間。そしてどこかで今日を生きている自分と同じ価値観の誰か。優しい人達が作る世界の中で、カスミが生き方を身に付けてゆく。
シンデレラは王子と結婚しなくてもいい。あの家を出てひとりで逞しく生きてゆくのもいい。大切なのは自分の価値観を受け入れてあげること。自分に優しくしたっていい。
チェロの音色に乗って多様性という名の様々な生き方が彩られてゆく。カスミが今日も笑って過ごせていますように。素敵な1本でした。
女性の経済的な自立
今でも男女別で平均的な賃金を統計的に計算すると、男性のそれよりも女性のそれは低めに出るようです。
これだけ、雇用の分野における男女の平等ということが言われていても。
それは、あからさまに男女別で賃金格差を設けている企業が多いということではなく、今でも女性は補助的・臨時的な仕事で働く人が多いことによるものでしょう。
しかし、結果として手取り金額の結果だけからいえば、女性の賃金が男性のそれよりも低いことには間違いがなさそうです。
『甘いお酒でうがい』を観たときにも思いましたが、それでも、こういう映画が作られて、彼女のようなライフスタイルを選ぶことができるようになってきたということは、それなりに女性の経済的な自立も進んで来ているのかなぁ…という思いはあります。評論子には。
もっともっと、いろいろな映画を観たいという想いを掻き立ててもらえた一本にもなりました。評論子には。
ラストがぬるい
序盤は会話劇でもってくんだよね。そこで出てくる台詞の自然さが、現代口語演劇っぽかったから、玉田真也監督が手を入れてるんだと思う。観てると青年団の俳優がたくさん出てきて楽しい。
その面白い展開の間は「蘇畑さんにモテ期が来たって話かな」と思って観てるんだけど違うんだよね。蘇畑さん、アセクシャルだった。そこをそんなに声高に主張しないで、淡々ともっていくのいいね。
恋愛映画だったら、誰かと結ばれそうになって終わりでいいんだけど、アセクシャルの場合は、どうなったらいいんだろう。そこは、難しそうだったな。
この映画も「ここでエンドロールで良いのでは」というタイミングがいっぱいあるんだけど、続いてくんだよね。そして最後に「北村匠海が出てくれるんならシーン足そうかな」ぐらいの感じのシーンでラストにしちゃう。ぬるかったな。
シーンは舞台っぽくて面白いんだよね。前原瑞樹が浮気を問い詰められるシーケンスとか、舞台で観たら絶対楽しい。
他にも舞台みたいな会話劇のシーンが多いんだけど、良く分からないカメラのアングルがあるのね。なんか「映画はカメラ動かせるから、動かしてみました」みたいな。
引きの画のワンカット長回しで、ワンシーン、ワンシーンが舞台のようにみえるつくりの方がいいんじゃないかな。玉田企画・主宰、玉田真也監督の力も活きそうだしね。
ソバタだからソバカス?
逆に普通じゃないって何?
ほのぼのとした雰囲気の中から
世界に溶け込んでいると思いきや
他の植物よりも下に見られてしまう(軽蔑されている)ように感じられる
まるで雑草のような主人公
出る杭は1本だから打たれる訳で
他にも同じような出方をしている杭があれば
そこまで気にせずに生活をすることができる
多少雑でも杭が上手く刺さっていなくたっていいじゃないか。
まほちゃんが父親に歯向かうシーンは感動しました
父親ってムカつくわあ
自分らしく生きることの息苦しさと葛藤
恐らくこの映画は賛否が分かれるだろう。
「自分らしく生きることを真に訴える素晴らしさ」か、「終始単調な展開でつまらなかった」か。
僕は前者のタイプ。
僕自身、中学生からゲイだと自覚しカミングアウトもする人にはしている。
大半は「自分らしく生きていい」といってくれるが、それが一番生きづらいことは多分…中々理解されない。
幾らマイノリティを受け入れようとしてくれても、まるで「仕方なく」といった負の感情を如何しても感じて仕舞う。
今日の教育、テレビ、音楽。
理解してくれる人が増えるのは嬉しいが、何故か…こう葛藤が生まれる。
この映画はアセクシュアルをテーマに、淡々と過ぎる日常を丁寧に描いている。
全てすべてが理解出来る。
皆が普通に語る「結婚」、「好きな人」というものをカミングアウトしていない人達の前で隠さなければならない。
わからないわけではないが、「人と違う」というその苦しさを代弁してくれた。
結婚を迫る母と妊娠する妹。
でも主人公はそんな恋愛感情も性的感情もない。
普通に生きるだけで苦しめられる。
それでも彼女は自分らしく生きている。
ゲイとアセクシャルは違うものだが、同じようにマイノリティを抱える人だけでなく、今を悩む人全てに見てほしい。
疾走感というものを常に感じるものではないが、こういう「当たり前を当たり前に生きる」ことが「自分らしく」ということだとわかるだろう。
この映画の中で好きな言葉があった。
「髪は自分の体の一部だから、あんたには関係ない」。
主人公を叱る教師へ向けた友達の台詞。
…一番グサって来たね。
僕も必ず結婚の話が出てくる。向き合わなければならない。
逃げてばかりでも付き纏う「恋愛」の話。
僕も迷ったときはこの映画を思い出し、自分らしく生きたい。
自分の感性に見事突き刺さりました
タイトルが?
同じ人いるんですか?同じ人がいて、どこかで生きているんなら、それでいいやって。
そうなんだよなあ、人に理解されないことの寂しさ。それなら、ひとりで生きていった方がいいやっていう潔さ。それでも、どこかで孤独感に苛まされて、そんな時に、自分のことを分かってくれる人(それが全肯定ではなくても)がいてくれることの心強さ。それだけで随分と救われるのだ。
少し前のNHKドラマ「恋せぬ二人」でも、高橋一生と岸井ゆきのが、恋愛感情がわかない役を演じていた。蘇畑佳純はこの二人と同じだ。自分の正直な心情を訴えても全然理解してもらえない苦しみ。変だよ、と言われて片づけられる疎外感。下手すりゃどこか精神に異常があるのではと奇異の目で見られる屈辱。あのドラマとこの映画はとても共通していた。佳純を見ていると、多様性の時代と言われる昨今、たとえ自分には理解できないことであっても、それが事実であれば、その存在を認める柔軟性は必要だと感じるのだよな。
最後に佳純が走りだした意味を考えている。フラグはあった。走りながら笑顔(と見えた)であることに、とても心惹かれた。
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