エゴイストのレビュー・感想・評価
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誰がエゴイストなのか
普通に考えれば主人公で、ほぼ彼の目線で物語が進む浩輔。経済的な理由で離れていく恋人・龍太を経済的援助で引き留める。が、その援助では足りない事は承知で、結果龍太は無理をして死亡。
でも、他の登場人物の浩輔の父、龍太と母もそれぞれにエゴが有ったのではないか。浩輔の父は本当に息子がゲイなのを気がついてないのか?中学の同級生にオカマ扱いされていたのに、親が気付かない?結婚や孫の話をする。
龍太も母も、拒否しながらも結局は経済的援助を受け入れる。龍太の死後、母と浩輔は疑似親子関係で空白を埋める。
みんな、エゴイスト。でも、人間なんてみんなエゴイスト。
アップの多用、公開時のレビューでカラミのシーンでアップが多く酔いそうになったと言うのを見たが、うん、確かに酔いそうになった。自分は80インチプロジェクターで観たけど、映画館のスクリーンだともっとかも。他のシーンでもそういう撮り方が多い。
序盤、頻繁に入るオネエ女子会って必要だったんかなぁ。
映像化とかされるゲイの同性愛ってオネエ表現が多いけど、性自認は男で、恋愛対象が男と言う人も当然居るだろうけども。描写しやすいんだろうなぁ。
愛の本質とは。行き場を失った愛を埋めようと奔走する姿。
観終えて最初に感じたことは「こういう愛の形もあるんだな」ということです。
恋人を金銭面で援助することや、愛した恋人が亡くなっても金銭面や身の回りの世話という形でその家族の面倒を見ている。
これは果たして「愛」なのだろうかと考えさせられました。
なぜならばもう愛した人は存在しないからです。
最初に生まれた愛が突如として行き場を失い、その悲しみや心の隙間を埋めようと亡くなった恋人の母親に向けられるエゴ。
主人公はこの作品で「わがまま」という言葉を何度も口にします。
自分のしていることへの葛藤と闘いながら自分の気持ちの整理をつけるために起こしていた行動だと思います。
愛に正解がないからこそ主人公のしている行動に違和感を感じつつも否定することはありません。
現実にもきっと様々な愛の形があるように、これもまたひとつの愛の形なんだと思います。
愛はたぶん身勝手…
ドキュメンタリーを見てるのかな…て、錯覚するくらい、全てのシーンがリアルで、台本がある物語だと言うこと忘れてしまいそうだった。
それだけ役者さんたちの演技力がもの凄かった。
この愛は身勝手ですか…
て、考え出したら、
はい、身勝手です。
にしか辿り着かない気がする…
愛は身勝手なんです、エゴなんです、と認めてしまっていいんじゃないかな。
「受け取る側が愛だと感じたら、それは愛なんです。」
て、龍太のお母さん言うてたし、それでいいと思う。
先に原作を読みました。
原作も映画もどっちも胸に刺さりました。
浩輔と中村親子がもっとたくさんの時間、幸せに過ごせたらよかったのに…
大きな愛(男でも女でも、親でも、関係なく)
ゲイカップルの愛を描いているようで、本当は人間の大きな愛を
描いた映画でした。
鈴木亮平の芯の強さ、ふところの深さを思い知らされた。
そして宮沢氷魚のピュアな透明感と優しさにも感動した。
手持ちカメラの映像がとても多くて、接写すると心の奥底まで、
掬い取るようなレンズでした。
ちょっと酔いそうだったけれど・・・そこがまた夢見心地を誘う。
2人の濡れ場はかなり情熱的で、激しかった。
愛し合って、龍太(宮沢氷魚)が帰った後で、浩輔(鈴木亮平)が歌う、
メロディと歌詞がすっごい沁みた!!
(ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」って歌だそうなのですが、)
(浩輔のそれまでの夜の孤独と闇と傷を、
(癒す時間が、龍太・・なんだなと、)
浩輔と龍太が、愛し合う2人がもし日本で法律的に結婚出来ていたら、
龍太の命も救えたかも知れない。
法律の傘の下、法的に守られていたら、龍太は浩輔のお金を
当然の権利として受け取れた。
一緒に暮らして栄養ある食事も清潔な住まいもそして十分な
睡眠も取れたと思う。
そして日本がもっともっと福祉の厚い国なら、
龍太は高校を中退せずに通えたし、
母親も早期治療が受けられた筈です。
だから浩輔はエゴイストなんかではない。
心底優しい人です。
母親に対する心遣い・・・常に龍太の後ろにいる母親を思い遣る。
この映画で驚いたのは終盤は龍太の母・妙子(阿川佐和子)の比重が
とても重いこと。
病の重い母親の世話をして浩輔は献身的に支える。
実の母親を12歳で亡くした浩輔には妙子は母親の分身・身代わりです。
ここでも龍太と浩輔が結婚していたら?!
と、強く感じました。
そうしたら何の気兼ねもなく妙子は浩輔と同居したと思います。
原作では妙子と龍太とは健康保険にも入っていないと記述があるのです。
(保険料が払えなかったのです)
結婚して家族になれれば、癌の治療費も浩輔の健康保険を使えます。
浩輔はエゴイストではない。
法の整備が、同性婚を認めるのが、遅過ぎるのです。
宮沢氷魚の初々しさと可愛らしさ瑞々しさに見惚れて、
鈴木亮平のゲイの男らしさに惚れ惚れして、
(亮平のゲイバーでの仕草や語り口、上手い!!)
ゲイカップルの法整備・・・
訴える意図はなかったかも知れないのに、
結果的にその問題点を提起する映画になっている。
優しさの原点。
人を愛することの深さを教えてくれる
「ゲイ映画」の枠を
軽々と飛び越えた傑作でした。
タイトルなし(ネタバレ)
東京でファッション誌の編集者として働く浩輔(鈴木亮平)。
ブランドファッションを身にまとい、さながらそれは甲冑、戦闘服のようでもある。
そんな浩輔も、同じゲイ仲間の前では優男になる。
ある日、仲間から紹介されたパーソナルトレーナーの龍太(宮沢氷魚)と出逢った浩輔は、ひとめで彼に惚れてしまい、すぐに肉体関係を持つことになる。
龍太が母親のために働いていることを知り、さらに入れあげるのだが、龍太の仕事はウリであった。
浩輔の思いは冷めることはなかったが、浩輔の思いを知った龍太はウリの仕事ができなくなり、浩輔に別れを切り出す・・・
といった物語で、ここまでが前半3分の1。
ここまでで、幾度となく浩輔と龍太の生々しい肉体シーンが登場し、息が詰まってしまう。
さらに、別れた後、ウリの仕事に戻った龍太の生々しいシーンも続き・・・
いやぁ、こんなにこの手のシーンが続く映画、日本映画の一般映画でははじめてではありますまいか。
かつてはそれ系の映画館もあったりしたが、観たことがなかったからねぇ。
と、そんな肉体シーンに息もつけない状態のなか、映画は突然の変転を迎える。
龍太が急死してしまうのだ。
えええ、そんな・・・
で、タイトルにもなっている「エゴイスト」が描かれるのは、この中盤以降。
龍太の代わりに、面倒をみようと浩輔が龍太の母親(阿川佐和子)に申し出、母親も仕方がなく受け入れる。
その浩輔は、ただの自己満足なのか、それとも無償の愛のようなものなのか。
映画の面白さは、この中盤以降に屹立して来、特に、実家との折り合いが悪い浩輔のハナシが加わるにあたって、代償的な愛にもみえるのだけれど、それを受け入れる龍太の母親がいいのである。
エゴも愛も紙一重。
いや、紙の両面、表と裏。
前半の肉体の葛藤が、後半は精神の葛藤へと昇華していく。
日本映画では、いろいろな意味で、近年稀にみる映画だったように感じました。
愛とは何か考えさせられた
同性愛について少しでも理解を深めたいため映画を見に行ったが、終盤で泣いてしまった。
愛情は相手のことを思うのであれば、なんでもやって良いのか、それをやっているのはただの寂しさの穴埋めじゃないのか、それとも社会が世間が、追いついていないせいなのか、そんな愛情表現は本当に相手にとって嬉しいと思って受け取ってもらえているのか、色々考えさせられた。
同性愛の人はもしかすると幼少期に辛い思いをした経験や、今も社会としてはマイノリティの立場に立っていると思う。
その中で、愛を模索している様が描かれており、非常に同性愛について理解が深まった。これがただの男女の恋愛だと薄っぺらい恋愛映画になるが、キャストのおかげもあってか非常によかった。
真面目そうな映画に見えて、鈴木亮平の歌のシーンや、少しクスッと笑えるような飲み会のシーンなどがあり、最初の方はあまり飽きずに観れた。ただ濡れ場シーンは過激。
そして、映画を見終わった後どうしても不明点が多かったため、原作を購入し分かった部分がいくつもあり、映画内での伝え方が少しだけ残念だった。
リアリティーと想像力
ゲイ界隈からの鳴り物入りのサポートにより、人物の所作や仲間との交流やセックスシーンのリアリティーは、従前のレベルをはるかに超えている。でもそれが本作のテーマである愛と献身を描くこととは少し平行線だったようにも感じた。
映画ならではのインテリアや肉体の表現は原作に比べると少し過剰。浩輔のメゾネット型ペントハウスは盛り過ぎだし、登場するゲイは所謂プロの人達。それらのリアリティーも厳しく言えば若干オールドファッション。だけど大画面で白昼堂々と一流の俳優によるゲイの日常を垣間見れるようになったことは成果の一つ。前半部の盛り気味で華やかな構成は後半との対比で十分効果的だった。音楽のセレクションと、盛り上がり部での無音の効果、そして勿論、俳優陣の演技が素晴らしかった。
賛否の分かれる後半部について、これが男女の夫婦の親ならあまり違和感は無いのだろう。この物語の面白いところは、LGBTなんて今や当たり前ですよというリベラル派の人々や当事者に対してすら、相方肉親の看護や看取りという題材の呈示により、制度と因習の思わぬ呪縛に気付かせる点にある。お金も絡む浩輔の一方的な、ある面で見返りを求めない愛はエゴイスティックかもしれないがまごうこと無き愛であり、それによって救われる他者との関係を示していた。様々な愛と献身の形があり、その尊い情景の一端を見せてくれたことも本作の成果。
時節柄LGBTの議論が喧しいが、少し身近なところから各人が想像力を働かせることによって見出せる糸口もあるのではと思う。病院で患者との関係を問われた際の「世話をしている者です」という浩輔の返答は、従来の紋切り型の拒絶をかわしていた。お互いが少し踏み留まって多様性に対する想像力を働かせることができたら、もう少し風通しの良い世界が広がるのではないかとも思う。
エゴイストの意味
私は境遇が似ているもので、非常に心に響く良い作品でした。
最初は主人公のオネエの演技に非常に違和感を感じましたが、他の作品よりはリアリティがあるかと思います。
中盤の山場、阿川さんとのやりとりは人事では無い共感を覚え、涙が止まりませんでした。
後半〜最後のシーンでタイトルの主題の意味が自分なりに理解でき、そういう事か。と。
エゴイストという武装をしていた主人公が最後に人から求められる事で心境に変化が起きる…
それを描写する鈴木亮平さんの演技、素晴らしかったです。
愛なのか
トイレのピエタが(昔すぎてほぼ記憶ないけど)よかった印象の松永大司監督作品。今作は鈴木亮平と宮沢氷魚のゲイカップル役が話題なのか、TOHOシネマズ日比谷は女性観客8割。
関係継続のため鈴木が宮沢へ生活費を渡すことが単なる援交に見えなくもなく、宮沢の死後も母の面倒をみつづけることで、愛の証として成り立たせているように思え、阿川佐和子が死んだら戒名つけて墓も立てるの?とか、どこまでエゴイズムを貫くのか気になった。
話は淡々と進行し、人物に寄った手持ちのカメラもあってドキュメンタリーっぽいのだが、宮沢と一緒の時とは違って鈴木が飲み仲間とはオネエっぽくしゃべるのが違和感。リアルにこういう感じってあるのか?ノンケの自分にはよくわからず、もやもやした。
タイトルの意味を今でも考えています。
鈴木亮平さんが主演の時点で、BLでキャスティングされるタイプでないと感じた。
BLではくくれない、家族の物語。
この前に「ちひろさん」を観て、この後「美しい彼 スペシャルエディットバージョン」を観るチョイス、どうなの自分と突っ込んだ。
浩輔と龍太の恋愛関係は、かなりがっつりなベッドシーンも含めてきれいだなと感じた。
若いサラリーマンが毎月20万渡すって大変なこと、お互いに真摯に想いあっていて、このまま幸せになって欲しいなと願った。
龍太の家族の状況は、なんらかのサポートが必要なレベル。
最初の分岐点は龍太の母親が離婚する時、次は龍太が高校を中退する時。
どちらも、公のサポートを受けるように動けば、違う結末もあったはず。
しんどい時は、助けを求めていい。
そして、元気になったら、今度は困っている人を助けてあげればいいのだ。
エゴイストってタイトルが、内容にそぐわなくて考え込んだ。
浩輔が自分の生活スタイルそのまま、無理せずできる範囲のサポートしかしなくて、龍太を喪ってしまったことを言っているのかな。
例えば、浩輔が40代後半で、愛する人を喪失する体験をしていたら、龍太へのサポートの仕方は変わっただろう。
問題ありありの龍太の環境を放置せず、様々なサポートを利用して、一から構築しなおしていたかもしれない。
もともと、龍太が病弱で、早逝した可能性は否定できないけれど、できることをすべてしていたら、後悔はしなかっただろう。
でも、人間、その時考えられる範囲で最善の選択をして、失敗して初めて学ぶ。
それは、エゴイストとは呼ばない気がするんだよなあ。
こんなふうに観た後も色々考えるのは、楽しいものです。
形
ソフトなBLよりかは規制の入るくらいの描写を携えたBLの方が好きなので、しかも主演2人の掛け合いが予告の時点でとても良さそうだったので公開から1ヶ月ほど経ってから鑑賞。
前半と後半で物語の根幹こそ変わらないものの、全く違う物語へと変わっていく不思議な作品でした。
まず前半は浩輔と龍太のフレンチキスからのハードなベッドシーン。「窮鼠はチーズの夢を見る」ほど激しくはないですが、とても美しいベッドシーンでした。2人の手つきや仕草がとても綺麗で、見てはいけないものを見ているはずなのに、見入ってしまう、そんな迫力がありました。
龍太が一度は浩輔を突き放しますが、それでも龍太が必要だった浩輔が支えるという名目で龍太に付きっきりの生活を送ることになります。生活費を渡す、お客以上恋人未満といったところでしょうか。でも2人は幸せそうで、母親とも一緒にご飯を食べたりと、平穏な生活が続くと思われたのですが…。そこで龍太の死はかなり驚かされました。
龍太が過労で亡くなってしまった後、龍太のために尽くしていた浩輔が今度は龍太の母の生活費、そして生活の面倒も見始め、実の息子の様な感じになっていくのは依存では無く、まさしくエゴもといワガママなんだなと思いました。タイトルの意味が一貫していて、物語の終わりにエゴイストのタイトルが出て来た瞬間は唸るものがありました。
部屋の装飾や衣装なども凝っていて、浩輔の部屋はとても綺麗に纏められており、こういう部屋に住んでみたいな思えるものになっていました。
ちょっと残念だったのはゲイという設定がオカマに近い造形で作られていたことです。結構違うと思うんですが、全体的に女性っぽい仕草をする男という感じで進められていたので、もっと普通の男で進んだら良かったのになとは思いました。あと物語が思った以上に長く感じてしまい、浩輔と龍太のシーンを気持ち長くしていても良かったのではないかなと素人ながら思いました。
とても純で、エゴイストというタイトルの意味を深く考えさせられる作品でした。公開から1ヶ月経っても興行は上向きです。今がちょうど見頃ではないでしょうか。
鑑賞日 3/13
鑑賞時間 11:55〜14:00
座席 E-1
優れた表現スタイルと、1点の疑問
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
私は異性愛者であるのでこのような題材の映画を見るのはどうなんだろうとの躊躇もあったのですが、おそらく2023年の代表する邦画の1つになる予感もあり鑑賞しました。
結果、やはり優れた映画で、見ておいて良かったと思われました。
この映画の特に優れている点は、主人公の斉藤浩輔(鈴木亮平さん)と恋人の中村龍太(宮沢氷魚さん)の2人の世界を、ほとんど寄りのサイズでしかも手持ちカメラで表現しているところだと思われました。
その理由は、現在の日本において、本当の意味でのゲイ(あるいはLGBTQ)の世界は、その小さな世界にフォーカスしないと生き抜くことは出来ない難しい現実であることを、2人の世界のクローズアップの画角で表現していたと思われたからです。
この2人の世界にフォーカスするカメラ表現は、一般の日本の現実が本当の意味では彼らの世界に無理解だということを、非常に正確に、今の世界を捉え表現していると私には思われました。
それは、特に彼らの世界の外にいる私のような人間には深く突き刺さる表現だったと思われます。
ところで、1点だけ個人的には疑問の個所をこの映画に感じました。
それは、中村龍太の母親である、中村妙子(阿川佐和子さん)の言動です。
主人公の斉藤浩輔は恋人の中村龍太の死後に、中村龍太の母親である中村妙子に対して、自分のエゴで中村龍太に無理をさせてしまった、中村龍太の死は自分が追い込んで招いてしまったとの趣旨の思い切った告白と謝罪をします。
その時に中村妙子は、斉藤浩輔に対して「謝らないで」との慰めの言葉を掛けるのです。
もちろん、この中村妙子の斉藤浩輔に対する、あなたに責任はないのよ、との思いは、正しい感情だとも言えます。
しかし私は、この場面で中村妙子は<いや、龍太の死は私に責任がある>と伝える必要があったのではないかと思われました。
中村妙子は斉藤浩輔が初めて自分の家に訪ねて来た時に、斉藤浩輔に彼女はいるの?との質問をしています。
またその時、中村妙子は息子の中村龍太に、斉藤浩輔はあなたにとって大切な人なのかと聞いて、それに対して龍太は(私の記憶違いでなければ)明確に答えていないことが後に明かされます。
つまり、中村妙子は息子がゲイであることを薄々感じていながら、そのことについて互いに深く話をしていなかったことが分かるのです。
このことは、母親の中村妙子が息子の龍太がゲイであることを、潜在的には認められていなかったのが理由だと思われます。
(彼女が潜在的にゲイを認めていなかったからこそ、中村妙子と息子の中村龍太の間には率直にそのことを話せない見えない壁があったと思われます。)
ただ私はそのことについて中村妙子を責めるのは一方で間違っていると思われます。
なぜなら私自身もそして一般の多くも、(残念ながら)潜在的には彼らに対する潜在的な拒否感は厳然と存在していると思われるからです。
しかし中村龍太が身体を売ることになったのも、中村龍太が母親の中村妙子に自身がゲイであることを率直に打ち明けられなかったのが遠因となっていると一方では思われるのです。
斉藤浩輔は中村龍太の死に際して、彼の母親の中村妙子に、自分が中村龍太に無理をさせてしまったとの勇気を持った告白と謝罪を行います。
なのでそれに対して中村妙子の方も、潜在的には息子の中村龍太のゲイを否定していたとの勇気を持った告白を斉藤浩輔に対してする必要があったと思われるのです。
主人公の斉藤浩輔は、彼の母親(斉藤しず子(中村優子さん))を若くして亡くしています。
最後の方で映る回想の斉藤浩輔の母親(斉藤しず子)の横顔は、寂しそうで、私の解釈では、斉藤浩輔の母親(斉藤しず子)もまた息子の斉藤浩輔がゲイであることを薄々感じながら潜在的に拒否していたようにこちらには伝わりました。
この映画は、斉藤浩輔と、中村龍太の母親の中村妙子の病室のシーンで終わります。
そしてこのラストカットのメタファーとしては、斉藤浩輔と彼自身の母親(斉藤しず子)との、あるいは中村龍太と彼の母親の中村妙子との、息子がゲイであることに関して母親が本心から認め、2人の息子が世界と和解するラストにする必要があったと思われました。
そのためには、母親の中村妙子が、息子である中村龍太がゲイであることを潜在的には拒否していたとの告白を、斉藤浩輔に対して必ずする必要があったと思われました。
なので個人的には、特に前半は優れた作品だと思われながら、後半にそれぞれの母親に関して曖昧になってしまったのが惜しい作品になっていると、僭越ながら思われました。
点数はその評価となりました。
虚無・退屈
鈴木亮平の演技力はかなり研究されていて流石だった。
が、それ以外が近年稀に見るほどの低評価。
全体を通してテンポが非常に悪く、
ストーリー的な波もないので
非常に退屈なシーンが続いた末に
急いでタイトル回収がされ、
突然タイトルコールで終わる。
思わず、は?って言ってしまった。
テンポが悪い割に、
重要な部分はハショられていて、
それぞれの心情や状況の変化の描写が荒く、
展開がいきなりなことが多い。
例えば、彼が働き詰めで過労死するシーンも、
疲労が蓄積していってフラフラしたり倒れるシーンもなく、急に電話で朝死んでましたって連絡だけくる。
と言った感じで、
置いてけぼりにされたと思えば
突然、お涙頂戴でサクッと登場人物を殺したり、
病院送りにし、納得がいかずモヤモヤする。
じゃあ時間が足らなかったのか?
というとそうでもなく、
無駄な描写の時間は異様に長く、
前半はベッドシーン、
後半は父との食事シーンに無言で手元と皿が映り続けたり(気まずい感じ出すにしても長い)、
お母さんとのやり取りが極端に遅く、
引き延ばした感じがある。
また、個人的に詳細にツッコむとすれば、
お母さんにお金を渡すシーンが頭悪くて笑いそうになった。
「息子さんにもこうしてお金を渡していたんです。」
え?それ言うの?お金渡すことで贖罪するエゴイストはわかったけど、恩着せがましいにも程があって台無し。
あの歳で「あなたは魅力的です。」って言い方しないし、
月20万もらって更にあんだけバイトしてたら
かなり余裕あるはずだし、
詰め込みたいもの詰め込んでチグハグ感。
LGBTQ当事者としても共感出来ず、
主人公が現実離れし過ぎて感情移入もしにくい。
ストーリー、映像において虚無。
いっそ潔く1時間程度にして欲しかったところ。
LGBTQに媚びつつ、
監督のこだわりだけが強く残った作品。
ぶっちゃけ高評価の意味がわからない。
阿川さんに泣かされるとは。。。
鈴木亮平と宮沢氷魚の完全憑依型の演技には圧巻です。
あそこまで、ガッツリディープキスしたり、男同士の濡場を演じれのはこの二人だけでしょう。
鈴木亮平が少しオネエなのが気になったが、あれもやりすぎない程度に幾度となく勉強を重ねた結果なのだと後から知りました。
二丁目仲間達とのおふざけなアドリブ?トークはまさに完璧でした!
中盤早々に氷魚くんが死んだのは、悲しいというかかなり突拍子もなくな感じだったので、涙は出ず。。。できれば二人のハッピーエンドが観たかったというのが本音。
意外たったのが、いつもたけしさんの横でワイワイ楽しそうにしてた阿川さんの演技。
全てがナチュラル過ぎませんか?マジで普通のおばさんというか。。。
途中から、これドキュメンタリー!?って錯角するほど。
カメラワークとか部屋の暗さとか、セリフのボリュームがまさにそれなんですよ。ノンフィクション観てるのかと錯角した人も多いはず?
だからこそ、後半からラストにかけて号泣の連続なんですよ(,, ඉ﹏ඉ ,,)
演技してるとか、作られたものという感覚が無くなって、完全にリアルなモノの映像として捉えてしまって、変な感情になって終演後もずっと泣き崩れていました。
大好きだったパートナーを失っても、その家族まで責任を持って愛するのって、とても大事なことだなって実感した。
エゴイストかどうかは、受け取る側の気持ち次第
ゲイカップルの絡み合いの作品としては、『窮鼠はチーズの夢を見る』が刺戟的だった。宮沢氷魚氏がゲイ役を演じる作品の"his"では、過疎地における居場所発見が主題となっていた。本作では、パートナーの遺族への扶養関係づくりということになるのではないかと思った。義母とは少し違い、どちらかというと、自分の責任で命を落とした息子の身代わりに親孝行を果たそうとしているようにも感じた。母親は最初抵抗があったものの、だんだん息子と同じように受入れることができるようになったようだ。押しつけがましい「エゴイスト」だと自分を恥じるような意識もあったのかもしれないが、やはり受け取る側の気持ちが変われば、必ずしもそうではないのであろう。
終始もやもや
事前にたまたま見た鈴木亮平のインタビュー内容があまりに素晴らしく感動し、映画を検索。
読むレビューはどれも絶賛の嵐。。
これは久々に間違いなさそうな映画に出会えたかも♪という喜びで劇場に足を運んだが、
終始もやもや。
鈴木亮平のインタビュー内容からも、かなり丁寧に作られたということは理解していたが、
本題以外のことについて、「なんで?」&「なんそれ?」とZAZZYばりに何度も声を出しそうになることが多すぎて私的には大事なところまで心が掴まれない残念な流れに。
最近何見ても泣けてくる位、涙腺ゆるゆるのハードル激低い私にもかかわらず、1滴の涙も出てくれず・・。期待が大き過ぎた??
恋人の売りを止めさせたいのは勿論当たり前、生活苦の恋人に資金援助も理解できる。
でも月20万?も援助してもらっても、朝晩休む間もなく肉体労働しなきゃ生活できないて
どーゆーこと?売りでも大人気な彼のビジュを生かす高額な仕事が山ほどあるでしょうに。
高校中退で仕事が選べないらしいが、わざわざ廃品の回収やら深夜の皿洗いをチョイス?
しかもあんな働き詰めでボロボロになっている恋人について「売りじゃないから安心~仕事頑張ってね」的に自分は高級ブランドに高級マンションで何も変わらず生活する浩輔、あまりに鈍感過ぎないか?ともやもや。。過酷な労働ではなく、浩輔の人脈生かして何かモデル的な仕事紹介できなかったんかなぁ。現ナマ渡して、売り止めてくれたし解決♪て感じが安易で愛感じられなかったわぁ。ハンドクリーム塗ってあげて満足してる場合違うや~~ん!過労死しますやん?するけど・・。
息子が男性を愛していることも認める理解&愛あるオカンぽい演出なのに売りしてる息子に気づかない所や、やばいほど働き過ぎな息子の姿になんか疎い感覚ももやもや。
同性愛云々の前にあの3人が健康に普通に生活できるように、家計の見直しがいる問題~~。
それぞれが相手に対して愛あるようで結果なんか薄い、て感じてしまったのはまさにそれぞれが「エゴイスト」?てことでゴール!!ならあっぱれ!ですが。
鈴木亮平の役者愛と氷魚くんの子犬感のまぶしさに星2!(笑)
タイトルなし(ネタバレ)
今でこそ性的マイノリティにフィーチャーされる事が多いが、一昔前は(もちろん今日でも)ゲイという愛の形に偏見を持つ人、色眼鏡(サングラス)で見る人も多かっただろう。
「愛の形は色々存在する」という言説があるが、色眼鏡さえ取っ払うことができさえすれば愛の形はその本質は同じだということに終盤の龍太母の言葉で気づかされる。
映画の序盤中盤では夫婦の愛、親子の愛という擦り続けられたステレオタイプ的な愛が自然な流れで描かれていた為、ゲイ同士の愛、擬似親子の愛という一見歪な形の愛も本質は同じなのだと気づかせる構成がとても秀逸だった。
自分自身、全く体験したことのない愛を見せつけられても、鈴木亮平の行動原理が理解できてしまう。それは上記の構成によるところが大きいだろう。
氷魚が美しい
予告を見て、てっきり氷魚に裏切られてエゴが出始めて破滅していく、、みたいなストーリーかなーと思ってたけど、全然違った。
のっけからゲイの世間話に笑かせられたと思ったら、婚姻届を二人で書いて壁に貼って幸せを噛み締めるとか、笑えない現実にふぅ〜ってなったり、現実のLGBTQの切なさを痛感。
亮平の部屋が、また人間味のない部屋で。
コンクリート打ちっぱなしの壁、コーヒーしか淹れないキッチン、リビングにドーンっと大きいヴィンテージソファと全身鏡。
亮平らしさはどこにもない。センスがいいだけの部屋。
これがまた孤独さを感じさせるのよ。
前半は鈴木亮平と氷魚のラブラブイチャイチャを延々を楽しむ作品で、シングルマザーを助けるために高校中退して売春をしてると告白する氷魚、氷魚を独占するために愛人契約をする亮平。
月20万円で足りない分は昼夜働く、という生活に。
(184cmあってあの美貌で亮平が雑誌の編集者だったら、氷魚をモデルとか編集部で働かせればよかったのにー。なぜあんな昼夜働かせるの??いや、働くところまで甘えられないってことなんだろうけど)
これが男女だったら、結婚して扶養に入れて、ってできるのにね。むむむむむむむ。
男女の愛は世の中的に決めたルールで繋ぎ止められるのに、お金で繋ぎ止めるって方法になってしまうのね。
それも愛なんだけどな。
車も亮平に買ってもらって納車、初めてのドライブって日の朝、過労か寿命か氷魚がひっそり死ぬ。
氷魚のお母さんの阿川さんが、まぁ自然な演技で。
ここからは自分の亡くなった母と阿川さんを重ね合わせて氷魚の分まで息子のように。ゲイなだけに、息子でもあり親友でもあるような不思議な関係に。
そんな唯一の心の安息場の阿川さんも最後膵臓がんのステージⅣで入院。
氷魚の死後、お金も渡してなにかと面倒みていた阿川さんに同棲を持ち掛けたらやんわり断られ「まぁ、そうだよね…」って納得するも、いやここも男女ならさ、結婚して義母と住むって普通のことになるわけよ。むむむむむぅ。
後半、阿川さんの病室でボケちゃった同室のおばあちゃんに毎回「息子さん?」って質問されて、亮平はいつものとおり「違います」って言うところを食い気味で阿川さんが「そうです、自慢の息子なんです」って言い切るの、泣けちゃうな。んもう。阿川さんったら。
で、〆のシーン、酸素マスクつけてる阿川さんの手を握りながら、そろそろ帰ろうかな、ってしたら「もうちょっといて?」って甘えてくれた阿川さん、ここここここここ、嬉しいよね。
仲良くなっても、ずっとどこか遠慮してた阿川さんが、甘えてきてくれたんよ。ほんとの息子みたいに。
ここで終わらせるの、好きよ。
最初は氷魚、次は阿川さん、孤独だった亮平がこの親子に出会って感じたものは、愛だったんだなぁ。
亮平は、お金で繋ぎ止めてるのはのエゴだと思っていたけど、この親子には、ちゃんと愛が伝わってたんだよね。LGBTQ、って言葉さえなくなる日がくるといいな。愛は自由なんだよ。
あ、途中のゲイ友とVOGUE WALKを真似しながら歩くところ、アメリカドラマのPOSEを思い出した。POSEの頃から少しは良くなってると思うけど、まだまだだよね。
テレビでクチコミは全部見る、って言ってたのでこれも見られるかもしれないので謝っておきます。呼び捨てにしてごめんなさい。愛の表れです!
エゴという愛のかたち
これはゲイの物語ではなく、ただの恋愛映画だと思いました(いい意味で)。
愛し合った2人の人間の物語が、たまたま男同士だったわけです。
こういう物語にありがちな、当事者があからさまな差別を受けるシーンが無いのはとても良かった。
今どき日本でそんな差別受けるわけないやろ。みたいなつっこみが入ることはありません。
この映画に付くこの高評価からして、本当に日本は差別の少ない良い国だと感じさせられました。
そして、鈴木亮平の、そこまで成り切るかと思わせる演技は本当に素晴らしかったです。
他の俳優さんの演技も素晴らしかったですし、セリフや間の取り方がリアルさを追求した感じでした。
振られても自らのエゴで龍太を愛し続け、その結果、龍太を死なせる結果になる。
それでも、龍太が愛していた母を自分の母と重ね愛し続けたのも浩輔のエゴであり、浩輔の愛のかたちだったのでしょう。
終盤に浩輔が突然帰省したのは、父にカミングアウトしたかったからという解釈でいいのでしょうか?
また、カメラマンに浩輔が撮影してもらうシーンは、どういう意味があったのか、分かりませんでした。
中盤、若干単調といか、だれた感じがしましたが、素晴らしい恋愛映画でした。
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