エゴイストのレビュー・感想・評価
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観終わった後、暖かい気持ちになっていった…
巻頭からハードなシーンが続いて、観る映画を間違えたかと思って後悔したが、観る価値があった。いろいろな映画の賞で、主演と助演の男優賞を獲っていたので、どんな映画なんだろうという興味があった。最初は、画面から目を背けたくなるシーンも多かった。途中までは想像がついた展開で、まぁそうなるよなと思っていたけど、そこから思いもよらぬ展開に変わり、映画の印象が大きく変わっていった。タイトルの意味もわからなかったが、最後まで観て納得した。龍太はそれまでの生活を続けていった方がよかったのか、それともその後の生活の方が幸せだったのか、私には答えが出てこない。また、浩輔の行為は、自己満足でしかないのか私にはわからない。鈴木亮平は体格が良くて、演じる役はみんなを引っ張るような人が多かったので、こんな繊細な役も演じられるのかと見直した。目つきや指使いまで気を配った意外な役だった。宮沢氷魚は、テレビドラマ「偽装不倫」の頃は佇まいはピュアな感じですてきだけど、演技の方は、セリフは棒読みだし、大根だと思っていた。いろいろ経験を積んで、いい役者になってきたね。たぶん、そういう話題にならなければ、観なかった作品だと思うので、二人の名演のおかげで感動的な作品に出会えて幸せだった。
愛の形と承認欲求を知る
2023年劇場鑑賞14本目 優秀作 72点
昨今邦画でトレンドでもある同性愛がテーマでありつつ差別化も測れている作品
今作は考察し甲斐があって、まずわかりやすいのだと”色”についてで、物語中盤まで随所で青色が使われていて、これは人生のマジックアワーであり、遅咲きの青春の暗示だと思われる。他にも赤色の車と赤のストライプのシャツのコーディネートは青の対照的な色でもあり、生命の赤、青春の終わり、転換期の暗示だと感じた。
物語中盤から終盤に特に全体的に黄色の入った服が多くなった印象で、これは黄色は太陽の色で、自己の放出を意味していて、また解放的や独立したいなども意味する。要は鈴木亮平の役柄を示していて職場やゲイ友達の前で己を解放的で、独りも長く自己管理ができ独立しているという意味だと捉えました
また、タイトルがエゴイストということで、認められたい、承認欲求が付き纏うのですが、これは何個か名シーンがあって、一つは葬式後母が息子に大事な人と聞いた事を言うシーンで、亮平も氷魚も同じように”ごめん”を繰り返すだけで、お互い実母に孫を見せてあげるこ様な親孝行の仕方ができなく、不甲斐なくどうしようもない気持ちを描いていたり。
月20万(10万という諸説もあり)で雇い始め、定職に就いた氷魚が母にやっと言える様な仕事に就いたよと言えたことが、安心させたい、認められたい、愛情を受けたいにつながる
幼くして父無しで母と二人三脚で生きてきたので十分な愛を受けて育っていない、”母の為に”の善意で動く氷魚のエゴだが動機の中心は承認欲求だなと。
亮平の父が過去に実母に出て行かれた事があると告白、氷魚父とは違い家事等する様になるが先立つ、亮平の父も更生したもののやるせない日々が続き亮平と手分けして家事をする様になる、母なしで自立した息子が結婚し孫を残す事で亡き母に対して親孝行を計る、こんな息子を手掛けた父が亡き母に”認められたい”につながると考察。
主演の鈴木亮平についても考察してみると、一見器用で会話上手そうですが、本当は不器用で、自我を押し潰している役柄。
”聞く会話”と”話す会話”それぞれアプローチの仕方や段取りの踏み方は上手。思春期から学生、20代半ばくらいまで心をすり減らしながら苦労して生きてきたのがわかる。
これについて一番象徴的であり印象的なシーンが物語終盤の病院の鏡越しに眉毛を描くのが表している。やっぱり僕はこっち側なんだ、与えたものに対して自分が欲しい対価は得られないことを痛感。最後のシーンで氷魚母から”まだ行かないで”と止められ”母”を感じるのと同時に与えていた側から必要とされる側になり”一縷の光”が差し込んだこの上なく妥当な終わり方であった。
総評としては、
・当作品は”与えたい”や”認められたい”が蠢く作品
・物語で重要視されていないが、氷魚の死因は過労死か自殺
・過労死の場合はお金も工面してもらったり、自立している亮平にコンプレックスを抱き、自身の人生を通してやるせなさからきたか
・どちらの死因でも直前のシーンで退勤直後エプロンを取り、頭を下げて何かを抱えて進んでいるシーンが入っているから心に決めている気もする
・鈴木亮平は分かり易くこれからも仕事に生きる人間で、その都度独りを感じながらも近い将来父のために生きる様になると考察
・宮沢氷魚はもう少し自分を生きるべき。苦労して育ったにしろせめて学生が終わったら親からの愛で生きるのは苦しい
・氷魚母は旦那に不倫の愚痴を亮平に垂れ込んでいたが、被害者ズラが目立つ。結婚相手を見定める目を持っていなかった自分にも落ち度があるし、不倫される様な間柄や夫婦の充実感、随所に人間としての甘さや弱さが目立つ
こんな感じだろうか
珍しく長文で考察してきたが、だから言って個人的評価が比例してすごく高いかと言われたらそうでないから、映画って芸術って面白い
是非
本当の自分を見せられる相手と、共に過ごせる時間は奇跡
本当に美しい良い映画でした。
鈴木亮平の演技も素晴らしかったですが、なんと言っても特筆すべきは宮沢氷魚。
間違いなく日本アカデミー賞の助演男優賞の一人にノミネートされると思います(少なくとも私は投票します)。
さもすると男性同士のセックスシーンに注目が集まってしまうかもしれませんが、そういうシーンでさえふたりの純愛を感じられる感動的なシーンでした。
母親の前の二人の笑顔がたまらなく幸せそうだったのが印象的で、思い出しても胸が苦しくなります。
二人が出会ったあと、ゲイ仲間の新宿2〜3丁目で素の自分で酔っ払って楽しんでいる鈴木亮平の演技がとても印象的(よく行くお店が使われていてそれも嬉しかったり)。
本当の自分で生きることって難しいことだけど、本当の自分を見せられる相手と時間を過ごすことは奇跡であるということを噛み締めました。
ちなみにファッション雑誌の編集者は、実家が太くなければ、あんなにリッチな生活はできません…笑
複雑
「僕が買ってあげる。」
もう何回観たかなと。
観る度に込み上げてくる感情があって、それを確かめたいがために何度も、何度でも観たいと思う。
昔、個人的に好きなアーティストが楽曲の中でこんな主張をしていた。
「行き着く所は 学ぶべき事とは
見返りを求めずに与える事だ
つまり受け取ってもらったこっちの方が
感謝するという心の状態」
この映画を観て覚える感覚にこれに近いものがある。気がする。
これを学びたい。観たい。触れたい。
そう思って映画館に何度も足を運んで、結果何度も涙した。
普通映画ってセリフとか言い回しで感動したりってことが多いって思ってたけど、この映画で涙するシーンは主人公のセリフのない無言の激情シーンだったりする。
凄い演技と表現だと本当に思う。
やっぱりいい映画を観る度に、映画が好きでよかったと心から思う。
そして自分自身もこうでありたいというある種の憧れのようなものをスクリーンの中に確かめることができる。
表情やセリフの言葉使い、リアルな雰囲気、ピシャリとしたような無音の中に放たれる感覚や伝わってくるメッセージ。
被写体との距離が近いこの映画は時にドキュメンタリーそのもの。
誤解を恐れずに言うなら純粋にLGBTQ +をどうのと言っている映画ではもはやないと思う。
映画を通して「エゴイスト」の言葉の持つ意味が変わるのが分かる。
浩輔の人生のエゴに祝福をしたい。
お金で支配する関係は愛では無い
ヒューマンドラマとあったが、蓋を開けてみるとゲイの身勝手映画だった。
いい部分が一つもない邦画を初めて観た。
ものすごい鬱映画だった。二度と見たくない。多分この監督の内面が作品全篇を覆ってるのだろう。暗すぎる。
リュウタが宮沢和史に似てると思ってたら、やはり彼の息子だった。キメ顔がなんだか女性みたいでどうも受け付けない。常に他人の目を意識している。
彼がピュア?……ほど遠い。
鈴木亮平も途中から役を作りすぎて不自然。
売春シーン、必要か?
お金でしか繋がれない二人。
鈴木亮平がもし貧乏な男でもリュウタは好きになったか?計算が全くないといえるか?
また、鈴木もお金を渡していたから自分の元は去らないと思っていたんじゃないか?
どちらかがどちらかをお金で支配する関係は無償どころか、もはや“愛”ではないと思う。
専属の売春でしかない。
一番の黒幕(まああえてエゴイストと云わせてもらおう)はあの母親だと思う。
息子のお金や存在を当てにせず、働けないならば福祉に頼るべき。少なくとも親のせいで子供が過労死するだとか、今の世の中ではあり得ない。これが50年前の話しならばまだ理解出来るが…。
母親は鈴木に『あなたは悪くない』。その通り。悪いのはお母さん、あなただよ。
お金がないなら息子と一緒に住んで節約するとか出来ないのか?また、あの年齢だとリュウタを何歳で産んだのだろう?母親というより、リュウタの祖母。
またはリュウタと鈴木亮平が一緒に住めばいいのでは。
鈴木亮平もリュウタが好きというよりただ寂しいだけじゃないか。
お金を堂々と渡すのも、そして受け取るのもすごく下品に見える。
果たして、この映画から“お金”を取ると何も残らない(!)。
『一緒に住みませんか?』
母親も母親で、
『あたしの白髪染めしてくれる?』
血の繋がった親子の台詞ならアリ。
この二人の歪(イビツ)な関係だと違和感しかない。
リュウタが何故亡くなったのか。
誰一人話題にしない。
リュウタの母親や鈴木亮平が本気で悲しみ涙を流すシーンが観たかった。
リアルさがなく、フワフワしてる人しか出てこない。
1ミリも、誰にも共感出来ない作品だった。
(辛口失礼しました。)
鈴木亮平スゴイ!!!
「田端のChupki(チュプキ) TABATAで」
社会的に強いゲイの目線から見ることでぼやけてしまう切実さ
ゲイである自分からすると、製作陣側が用意周到に批判される芽を潰していった感動ポルノというのが率直な感想です。
ゲイの中でも社会的な立場がかなり強い人を物語の主軸に置いたことで、役者のファンやこういった関係性が好きなヘテロ側の人達がこの切実な問題を孕んだ物語をただの「悲しい物語」として消費しやすくしてしまっていると感じました。もちろん、当事者を演じた役者さんが役作りを徹底しているのは理解しています。しかし、当事者の自伝が原作ということを免罪符にこれ以上ヘテロ側の社会システムに対してなんの批評性も生み出さず、ただただ社会的な立場が弱いゲイが死ぬ物語やほっこり日常系BLドラマを生み出し続ける意味とはなんなのでしょうか。
今、沢山存在している中流かそれ以下の生活を送っている中年以上のセクシャルマイノリティの人は今どんな状況に立たされているのか、どんな不安を抱えながら毎日生きているのか、現状の社会システムそのものになにか批評的なスタンスを示さない作品ならばせめてまず龍太みたいな立場の人にフォーカスを当てた物語を作ってほしかった。
涙がとまりませんでした
鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんの大ファンで期待大で映画を観ました。
どちらもイケメンさんですね。
私も昔お付き合いした、年下の彼氏との恋愛と少し重なるところがあって途中から涙がとまりませんでした🥲
お互い恋愛が辛くなるくらい好きになることや、お互い好きでも会えなくなることの辛さ、好きな人をずっと好きでい続ける主人公の気持ちとか、切なさがとても伝わってきて素晴らしい演技だったと思います。
最初はちょっと高飛車で自意識高い系のオネエ役とかも大袈裟過ぎるくらい鈴木亮平さんの演技が素敵でした。
宮沢氷魚さんも普通にいそうなイケメンな若いゲイ役、エッチの演技、売り専の演技もリアルで素晴らかったです。
阿川さんや柄本さんやゲイの友達役の方達も自然体の演技で最後までハマってしまいました。
皆さんの演技、人を好きになることの素晴らしさ、切なさとか伝わってくる素晴らしい内容だったと思います。
当事者の感想
単なる同性愛の作品ではなく、愛をテーマにした良い作品でした。与える...
わがままな人
"気持ち悪い"
鑑賞中に抱いていたのはこの感情だった。
でもこれは決してネガティブな感想ではない。
どうして"気持ち悪い"のか?
それはおそらく、あの空気全てが"本物"だったからだ。
セックスシーンが多く生々しいラブストーリーを描く癖に、一丁前に人の死や愛について涙する登場人物たち。
居酒屋では、ゲイたちの飲み会でカメラを回しているような、ドキュメンタリーチックな会話シーン。
少しずつ年老い、少しずつやつれる二人。
悪者はおらず、悲しみや怒りの矛先を誰に向けることもできないまま終わっていく展開。
役者の演技も、カット割も、それを取り巻く美術も、全てが本物だから、ただただその現実を見ているのが、もどかしく、気持ち悪い。
優しさなのか、愛なのか、はたまた執着なのか。
与えても与えても溢れていく大切な者。そこに生まれているのは紛れもなく愛のように思えるが、
あのラストによって、タイトルの意味がようやくわかったような気がした。確かに誰も悪くないし、誰も謝る必要はない。けれどみんなエゴイストなんだ。
エゴ
愛あるところに優しさは生まれる
暖かい気持ちに
LGBTQ映画ではない。
たまたま出会った人と恋に落ちるなんて、よくある話で、でもだんだんと主人公の薄ら暗さが見えてくる。
彼の愛は他人から見たら歪んでいて、エゴで、真っ当に見えないでしょう。
でも真っ当なんて誰が決めたわけでもない。
彼が大切に思う人達にして来たことが、彼の、そしてそれを受け取った2人の何よりも愛だと思った。
主演の鈴木亮平と宮沢氷魚をはじめとする全ての演者さんの演技の細やかさ、口調から仕草や表情の細部までとても丁寧で原作者や彼に関わってきた人たちへの礼儀を感じるところも大変素晴らしかった。
濡れ場の描写も大変丁寧に描かれており驚いたが、この驚いた自分こそ一種の偏見で、解ってる当事者になってるつもりでわかってなかったと気付かされた。
そこが当たり前なのは前提で、その先の人の付き合い方や、人生の向き合い方などを難しく懸命に生きるヒューマンドラマであった。
だからLGBTQなどと括りにとらわれた作品ではない。
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