エゴイストのレビュー・感想・評価
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母がふたり。そして息子がふたり。
大切なひとの大切なひとは 大切なひとになるんだよね。
そのことを教えてくれる映画でした。
「エゴイスト」という言葉には実はトラウマがあって、
「エゴイスト」という邦題が、いったいどのような話の流れを総括するものなのか、
僕は少し身構えて、斜に構えて、この映画を観始めたのだけれど、
こうすけは自嘲気味に、自分の行いは「自己満足のエゴイスト」だと、自身思ったりもしていたのだろう。
母子家庭を支えるりゅうたに金を渡し、りゅうた亡きあとにはその母親の面倒を見、
自分の善行に酔っている、有ってはいけない、これはもう非常識で踏み外した行為なのだと。自分で自分にそう問いながら。
でもわかるよ、こうすけ。
僕も「きみって『ヒューマニスト』だ」と一生立ち上がれないほど傷付けられる「なじり」と「非難」を受けたことがあるんだ。
僕もきみと同じに、毎月他人にお金を渡していたからね。
だからこのレビューも、そんなきみに向けて書く「手紙」のようになってしまうんだな。
こうすけと りゅうたという、母想いのこの二人の男の子の出会いが、
「義理の息子と新しい母親の関係」をギフトとしてもたらせてくれた。
足りなかった“何か"を、埋めてなお余りある幸せを、
二つの家庭は与えられることが出来たのだ。
この世では認知されないLGBTとか、その家族同士の関係とか、
まるで天国の先駆けの姿が、あの貧しいアパートの一室に花ひらいたように思えた。
玄関の枯れたプランター。
切れた電球。
精進落としには箸がつけられなかったよね。
みんながいなくなったあとにタッパーで持たせてくれたおかずを取り出して温めて大切に味わう。
ブランドをまとい、スタイリッシュなこうすけだが、彼の心の家は、房総の田舎の和室の仏間。
実はお金の余裕がないから中古の軽しか買えない。
ナースステーションでは面会が許可されないかもしれなかった緊張の一瞬。
りゅうたの部屋を掃除する日曜日。
そして
泣き顔に眉を引いて、自分に気合を入れ直して病室に戻るこうすけよ。
小道具も、演出も一級品。
こうすけが我慢するぶん僕は泣いてしまった。
若い二人も素晴らしいアクターぶりだったが、遺された母親役の阿川佐和子が、こんなにも見事にこうすけと りゅうたの引き合わせ役を演じてくれていて、
言葉を失うほど感動した。
エゴイストが咽を詰まらせて絞り出すのだ ―
「愛するってどういうことかわからないんです」。
こうすけの新しい母はそれを受け取ってこうすけに答える
「受け取るほうがそう感じるならそれは愛なのよ」。
「嬉しいわ」。
「私はあなたが好きよ」。
エゴイストでもいいんだ、ってこうすけは言ってもらえたんだね。
肯定してもらえたんだ。
前半のハッピー、からの
こってり系メインのあとにもう一品あっさり系
監督と脚本は『ハナレイ・ベイ』の松永大司
脚本は他に『風の電話』の狗飼恭子
U-NEXTで観れなかったので地元でTSUTAYAレンタルしたが期間中にU-NEXTでも配信が始まった
TSUTAYAなら準新作の時期だがいきなり異例の見放題
ゲイの映画である
ゴリラとしてならイケメンの鈴木亮平とでいごの花が咲きの息子による官能ラブストーリー
レズに比べゲイの方が圧倒的に映画になりやすい
そういう面でも男性中心社会なのかもしれない
ゲイはレズに比べビジュアル的にわかりやすい
ゲイの方にしたって仲間やノンケや女性に対してわかりやすいに越したことはない
LGBTのデモだって報道する側からすればゲイを中心に撮影するだろう
天才たけしの元気が出るテレビだって取り上げたのはレズではなくてオカマの競歩(日出郎懐かしいなあ)
レズは閉鎖的でゲイは開放的
ゲイは言葉遣いが柔らかく器が大きい印象
ゲイバーはあってもレズバーはあまり聞いたことがない
ゲイが太陽ならレズは月なんだな
ゲイの映画がここ数年増加傾向だがSEX抜きのソフトな感じの作品があってもいいかな
ゲイを自覚し始めた中学生同志の淡い恋物語あってもいいんじゃないかな
ハードなやつばっかりで食傷気味
それにしても片方が亡くなる展開にしても1時間15分は早すぎた感
エンドロールを除けばまだ40分くらいあるのにどうなっちゃうのと不安感
恋人に先立たれた男と息子に先立たれた母親の奇妙な交流がこの作品のもう一つのメインなのかもしれない
タイトルの『エゴイスト』もこのあたりでしっくりときた
おそらく星2以下の評価の人はおそらく1時間くらいで観るのをやめたのだろう
もったいない
ちょい役で森田が出てるし
呉城久美を見つけるのは比較的容易じゃない
『マイ・バック・ページ』の岸井ゆきのほどじゃないかもしれないが
阿川佐和子はわりと良かった
俳優のイメージは全くないがテレビドラマや映画には一応ちゃんとした役をもらいそこそこ出演している
しかし今回も俳優でなくあくまでもそこは阿川佐和子
身なりこそ違えど納っているのはエッセイストでありテレビ番組司会者の阿川佐和子そのまま
本来俳優でないタレントをキャスティングするのはそれなりの意図があるんだろう
その人が持っている雰囲気が作品のピースに必要だと判断したに違いない
黒沢映画の所ジョージみたいなものか
そういえば長らく壇ふみとのレズ疑惑があったがそれも含めての抜擢だったのだろうか
LGBTをテーマにするなら能町みねことサムソン高橋のドキュメント映画とかそういうのが観たいな
そこそこ若いイケメンの2人がゲイを演じて絡み合う作品なんてもううんざりだよ
配役
ファッション誌の編集者の斉藤浩輔に鈴木亮平
中学時代の浩輔に和田庵
浩輔を担当するパーソナルトレーナーの中村龍太に宮沢氷魚
龍太の母の中村妙子に阿川佐和子
浩輔の友人にドリアン・ロロブリジーダ
浩輔の父の斉藤義夫に柄本明
浩輔が14歳の時に他界した母の斉藤しず子に中村優子
看護師に森田望智
飲食店の店員に呉城久美
妙子の入院先の同室患者に阿部百合子
龍太の相手に河野達郎
龍太の相手に高野春樹
妙子の隣人に山村崇子
雑誌のモデルに楓
やわらかい風が頬を伝うかのよう
タイトルが何度も心を抉ってくる、画面酔いには注意
先に観ていた人の感想で流れていたから覚悟していたものの、まさか自分が画面酔いするとは…。それも1つの見せ方だけど、自分には観ていてしんどかった。
確かに、凄く作品のタイトルが何度も何度も頭を過ぎって、自問自答を繰り返す。単純な愛の物語かと思わせておいて、それを飄々と裏切った所に本質が落ちているという…。不自由だったからこそ、そこから脱皮するような成功を手に入れた浩輔と、未だ抜け出せない龍太。荒々しくも衝動的な濡れ場もありつつ、凄いものを魅せられている感覚。配慮出来るような有資格者も携わったと聞いたので安心感はあったが、それでもなかなか凄い。まだ知らなかったリアルが転がっていた。そこからの転調、より深い所に落とし込む作品の痛み。
ただ、どこか軽薄になってしまって見えるのは、集中力を削ぐカメラワーク。密着しているかのような雰囲気と疾走感。これは確かに、固定カメラでは成し得ない雰囲気と距離を生み出している。ただ、あの時ばかりは酔ってしまって…。受け止めるテーマがあまりに大きいこともあり、咀嚼をせき止められる形となった。
主演は鈴木亮平さんと宮沢氷魚さん。長身のスラッとした姿に宿るのは、真っ直ぐな愛とゲイであることへの悩み。そこに寄り添うことは出来なくとも、そのエゴに触れることで分かる痛みがある。そして、このタイトルの秀逸さに呑まれた。
今後語り継がれるであろう名作。邦画としても大きな1歩を感じる。だからこそ、この作品に相応の評価ができなかったことが悔やまれる。
好意を受け取る側が、それを「愛」と呼んでくれるのなら
ゲイ役の二人(鈴木亮平さん・宮沢氷魚さん)の演技が特に素晴らしく、そしてエロかった。流石。
他の方のレビュー見てても後半のストーリーは賛否両論なんだね。まぁ「エゴイスト」というタイトルを前提に描いた作品だけど、それはやり過ぎでは・・と確実に思う。
この主人公はそうではなかったが、自分でエゴだとわかってやっているのではなく、自分から無償の愛だとか言い押し付け出したら、もう違う。
愛に正解ってないな
「恋愛の相手は異性で当たり前」という考えが通じなくなりつつある今の時代、こうした映画に触れておくのって大事なことだと思うんです。性別なんて関係なく、誰かを好きでいるってすごく素敵です。主演の鈴木亮平と宮沢氷魚、そして周りの俳優陣たちも全員が見事に愛しさや儚さ、切なさ、いろんな愛の形を表現していました。愛の形、幸せの形に正解なんてないんだよって教えてくれています。
今年3月の日本アカデミー賞でも紹介されていましたが、独特なカメラワークが印象的です。単なる撮影ではなく、カメラが被写体を固定することなく動き、ドキュメンタリーを思わせるような演出でした。一風変わった演出ですが、普通の映画とはまた違った味があります。個人的な感覚としては、言葉にするのが少々難しいですが「映画の中のキャラクター」というよりかは「映画ではなく本当に存在している現実世界の人」というような感じです。これによって、主人公たちが紡いでいく愛の物語がよりリアルに映っていました。表情だけでなく見えにくい心の中まで繊細に描かれていて、切ないけどどこか温かさも感じました。たとえ分断されてしまっても、遠く離れてしまっても、2人は繋がり続けることができるという、愛の強さも巧みに表現されていて、悲しくても最後は笑顔になれるのが愛なのかなと思います。
BL作品って、情があるというか、奥深い感じがして僕は好きです。「窮鼠はチーズの夢を見る」もそうですが、切なくも心温まる雰囲気があって素敵だと思います。
鈴木亮平
カメレオン俳優
鈴木亮平ってやはり凄いなあ。今作、ゲイ(?)仲間が集まって飲んでいる場面、話し方仕草、目線指先の動きまで、全てなりきっている。仕事中でも。狐狼の血での殺人鬼からこんなに色っぽい役までなんでも出来てしまう。まさにカメレオン俳優。次はどんな彼が観れるか楽しみ。
龍太は何故死んでしまったのか?病気なのか、自殺?ではないだろうけど。
龍太の母親が凄い。息子に打ち明けられて、受け入れて応援出来るなんて。自分ならどうだろう?好きなものはどうしようもない、だから認めるだろうが、しばらく動揺しちゃうだろうな。龍太亡き後、自分の母親のように面倒をみる浩輔の優しさも凄い。
原作者の実話ベースらしいが、こんなにキレイに描かれていたら嬉しいでしょうね。
距離感の難しさ
今後
観終わった後、暖かい気持ちになっていった…
巻頭からハードなシーンが続いて、観る映画を間違えたかと思って後悔したが、観る価値があった。いろいろな映画の賞で、主演と助演の男優賞を獲っていたので、どんな映画なんだろうという興味があった。最初は、画面から目を背けたくなるシーンも多かった。途中までは想像がついた展開で、まぁそうなるよなと思っていたけど、そこから思いもよらぬ展開に変わり、映画の印象が大きく変わっていった。タイトルの意味もわからなかったが、最後まで観て納得した。龍太はそれまでの生活を続けていった方がよかったのか、それともその後の生活の方が幸せだったのか、私には答えが出てこない。また、浩輔の行為は、自己満足でしかないのか私にはわからない。鈴木亮平は体格が良くて、演じる役はみんなを引っ張るような人が多かったので、こんな繊細な役も演じられるのかと見直した。目つきや指使いまで気を配った意外な役だった。宮沢氷魚は、テレビドラマ「偽装不倫」の頃は佇まいはピュアな感じですてきだけど、演技の方は、セリフは棒読みだし、大根だと思っていた。いろいろ経験を積んで、いい役者になってきたね。たぶん、そういう話題にならなければ、観なかった作品だと思うので、二人の名演のおかげで感動的な作品に出会えて幸せだった。
愛の形と承認欲求を知る
2023年劇場鑑賞14本目 優秀作 72点
昨今邦画でトレンドでもある同性愛がテーマでありつつ差別化も測れている作品
今作は考察し甲斐があって、まずわかりやすいのだと”色”についてで、物語中盤まで随所で青色が使われていて、これは人生のマジックアワーであり、遅咲きの青春の暗示だと思われる。他にも赤色の車と赤のストライプのシャツのコーディネートは青の対照的な色でもあり、生命の赤、青春の終わり、転換期の暗示だと感じた。
物語中盤から終盤に特に全体的に黄色の入った服が多くなった印象で、これは黄色は太陽の色で、自己の放出を意味していて、また解放的や独立したいなども意味する。要は鈴木亮平の役柄を示していて職場やゲイ友達の前で己を解放的で、独りも長く自己管理ができ独立しているという意味だと捉えました
また、タイトルがエゴイストということで、認められたい、承認欲求が付き纏うのですが、これは何個か名シーンがあって、一つは葬式後母が息子に大事な人と聞いた事を言うシーンで、亮平も氷魚も同じように”ごめん”を繰り返すだけで、お互い実母に孫を見せてあげるこ様な親孝行の仕方ができなく、不甲斐なくどうしようもない気持ちを描いていたり。
月20万(10万という諸説もあり)で雇い始め、定職に就いた氷魚が母にやっと言える様な仕事に就いたよと言えたことが、安心させたい、認められたい、愛情を受けたいにつながる
幼くして父無しで母と二人三脚で生きてきたので十分な愛を受けて育っていない、”母の為に”の善意で動く氷魚のエゴだが動機の中心は承認欲求だなと。
亮平の父が過去に実母に出て行かれた事があると告白、氷魚父とは違い家事等する様になるが先立つ、亮平の父も更生したもののやるせない日々が続き亮平と手分けして家事をする様になる、母なしで自立した息子が結婚し孫を残す事で亡き母に対して親孝行を計る、こんな息子を手掛けた父が亡き母に”認められたい”につながると考察。
主演の鈴木亮平についても考察してみると、一見器用で会話上手そうですが、本当は不器用で、自我を押し潰している役柄。
”聞く会話”と”話す会話”それぞれアプローチの仕方や段取りの踏み方は上手。思春期から学生、20代半ばくらいまで心をすり減らしながら苦労して生きてきたのがわかる。
これについて一番象徴的であり印象的なシーンが物語終盤の病院の鏡越しに眉毛を描くのが表している。やっぱり僕はこっち側なんだ、与えたものに対して自分が欲しい対価は得られないことを痛感。最後のシーンで氷魚母から”まだ行かないで”と止められ”母”を感じるのと同時に与えていた側から必要とされる側になり”一縷の光”が差し込んだこの上なく妥当な終わり方であった。
総評としては、
・当作品は”与えたい”や”認められたい”が蠢く作品
・物語で重要視されていないが、氷魚の死因は過労死か自殺
・過労死の場合はお金も工面してもらったり、自立している亮平にコンプレックスを抱き、自身の人生を通してやるせなさからきたか
・どちらの死因でも直前のシーンで退勤直後エプロンを取り、頭を下げて何かを抱えて進んでいるシーンが入っているから心に決めている気もする
・鈴木亮平は分かり易くこれからも仕事に生きる人間で、その都度独りを感じながらも近い将来父のために生きる様になると考察
・宮沢氷魚はもう少し自分を生きるべき。苦労して育ったにしろせめて学生が終わったら親からの愛で生きるのは苦しい
・氷魚母は旦那に不倫の愚痴を亮平に垂れ込んでいたが、被害者ズラが目立つ。結婚相手を見定める目を持っていなかった自分にも落ち度があるし、不倫される様な間柄や夫婦の充実感、随所に人間としての甘さや弱さが目立つ
こんな感じだろうか
珍しく長文で考察してきたが、だから言って個人的評価が比例してすごく高いかと言われたらそうでないから、映画って芸術って面白い
是非
本当の自分を見せられる相手と、共に過ごせる時間は奇跡
本当に美しい良い映画でした。
鈴木亮平の演技も素晴らしかったですが、なんと言っても特筆すべきは宮沢氷魚。
間違いなく日本アカデミー賞の助演男優賞の一人にノミネートされると思います(少なくとも私は投票します)。
さもすると男性同士のセックスシーンに注目が集まってしまうかもしれませんが、そういうシーンでさえふたりの純愛を感じられる感動的なシーンでした。
母親の前の二人の笑顔がたまらなく幸せそうだったのが印象的で、思い出しても胸が苦しくなります。
二人が出会ったあと、ゲイ仲間の新宿2〜3丁目で素の自分で酔っ払って楽しんでいる鈴木亮平の演技がとても印象的(よく行くお店が使われていてそれも嬉しかったり)。
本当の自分で生きることって難しいことだけど、本当の自分を見せられる相手と時間を過ごすことは奇跡であるということを噛み締めました。
ちなみにファッション雑誌の編集者は、実家が太くなければ、あんなにリッチな生活はできません…笑
複雑
「僕が買ってあげる。」
もう何回観たかなと。
観る度に込み上げてくる感情があって、それを確かめたいがために何度も、何度でも観たいと思う。
昔、個人的に好きなアーティストが楽曲の中でこんな主張をしていた。
「行き着く所は 学ぶべき事とは
見返りを求めずに与える事だ
つまり受け取ってもらったこっちの方が
感謝するという心の状態」
この映画を観て覚える感覚にこれに近いものがある。気がする。
これを学びたい。観たい。触れたい。
そう思って映画館に何度も足を運んで、結果何度も涙した。
普通映画ってセリフとか言い回しで感動したりってことが多いって思ってたけど、この映画で涙するシーンは主人公のセリフのない無言の激情シーンだったりする。
凄い演技と表現だと本当に思う。
やっぱりいい映画を観る度に、映画が好きでよかったと心から思う。
そして自分自身もこうでありたいというある種の憧れのようなものをスクリーンの中に確かめることができる。
表情やセリフの言葉使い、リアルな雰囲気、ピシャリとしたような無音の中に放たれる感覚や伝わってくるメッセージ。
被写体との距離が近いこの映画は時にドキュメンタリーそのもの。
誤解を恐れずに言うなら純粋にLGBTQ +をどうのと言っている映画ではもはやないと思う。
映画を通して「エゴイスト」の言葉の持つ意味が変わるのが分かる。
浩輔の人生のエゴに祝福をしたい。
お金で支配する関係は愛では無い
ヒューマンドラマとあったが、蓋を開けてみるとゲイの身勝手映画だった。
いい部分が一つもない邦画を初めて観た。
ものすごい鬱映画だった。二度と見たくない。多分この監督の内面が作品全篇を覆ってるのだろう。暗すぎる。
リュウタが宮沢和史に似てると思ってたら、やはり彼の息子だった。キメ顔がなんだか女性みたいでどうも受け付けない。常に他人の目を意識している。
彼がピュア?……ほど遠い。
鈴木亮平も途中から役を作りすぎて不自然。
売春シーン、必要か?
お金でしか繋がれない二人。
鈴木亮平がもし貧乏な男でもリュウタは好きになったか?計算が全くないといえるか?
また、鈴木もお金を渡していたから自分の元は去らないと思っていたんじゃないか?
どちらかがどちらかをお金で支配する関係は無償どころか、もはや“愛”ではないと思う。
専属の売春でしかない。
一番の黒幕(まああえてエゴイストと云わせてもらおう)はあの母親だと思う。
息子のお金や存在を当てにせず、働けないならば福祉に頼るべき。少なくとも親のせいで子供が過労死するだとか、今の世の中ではあり得ない。これが50年前の話しならばまだ理解出来るが…。
母親は鈴木に『あなたは悪くない』。その通り。悪いのはお母さん、あなただよ。
お金がないなら息子と一緒に住んで節約するとか出来ないのか?また、あの年齢だとリュウタを何歳で産んだのだろう?母親というより、リュウタの祖母。
またはリュウタと鈴木亮平が一緒に住めばいいのでは。
鈴木亮平もリュウタが好きというよりただ寂しいだけじゃないか。
お金を堂々と渡すのも、そして受け取るのもすごく下品に見える。
果たして、この映画から“お金”を取ると何も残らない(!)。
『一緒に住みませんか?』
母親も母親で、
『あたしの白髪染めしてくれる?』
血の繋がった親子の台詞ならアリ。
この二人の歪(イビツ)な関係だと違和感しかない。
リュウタが何故亡くなったのか。
誰一人話題にしない。
リュウタの母親や鈴木亮平が本気で悲しみ涙を流すシーンが観たかった。
リアルさがなく、フワフワしてる人しか出てこない。
1ミリも、誰にも共感出来ない作品だった。
(辛口失礼しました。)
鈴木亮平スゴイ!!!
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