「目に見えるお金を与え、支えている生き甲斐を貰う」エゴイスト movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
目に見えるお金を与え、支えている生き甲斐を貰う
大切な人が男でも女でも良いじゃない、大切な人ができたということが良いじゃない
そう言ってくれた亡き恋人の母の元に、身銭を惜しまず毎月金銭支援と身の回りのお世話に行く浩輔。
実家は千葉の房総。
ゲイであると周りに知られている14歳で母を病で亡くした。それからブランド服を鎧としてファッション編集の仕事に就いた。
都会ではゲイの友達にも囲まれて楽しく過ごせていたが、そこで紹介されたプライベートトレーナー24歳の龍太と出会い恋仲になる。
早くに母を亡くした浩輔にとって、母と2人暮らしで母を支えるために仕事を頑張る龍太は応援したい存在でもあり、稼ぐために夜身体を売っていた龍太に浩輔は毎月の手当を渡す事にして、龍太が売春をやめて普通の仕事の掛け持ちをしながら、いつかトレーナーの仕事で食べていけるように支える事にした。
しかし、身体が弱かった龍太にとって、ハードワークの掛け持ちはきつく、疲弊していたのかある日寝たまま息を引き取ってしまった。
悲しみを紛らわすかのように、龍太にではなく、龍太の母親にお金を渡しに行くようになった浩輔だったが、その母親も膵臓癌ステージ4だったと判明する。
刻々と近付く別れへの悲しみを抱えながら、本当の息子のように接してもらいそう思えるようにもなった浩輔だった。
浩輔役の鈴木亮平と、龍太役の宮沢氷魚。
2人は袖の長さも同じらしい。
がっしり長身とモデル体型長身が、仲睦まじく過ごしている。
お金目的で近付いているような悪意が最後まで見当たらず良かった。
男性同士で、初めて見る映像の時間が何箇所も長くあり驚いたが、2人の俳優が体当たりで挑んでいるのに、男性同士だから何かということなく、人間同士の愛情が育まれているんだということが自然に伝わってきて、性別で何も変わらないんだと伝わってきた。
ただ、宮沢氷魚は売春の設定なので、鈴木亮平とだけてはなく、何人もの別の男性とも撮影しており、すごい役を受けたなと思った。
鈴木亮平は、ピコ太郎と佐賀のはなわを綺麗に整えた感じの顔立ちで、がたいは良いが、幼さが残る。短髪から飛び出している耳をぴょこっとしたくなる。
宮沢氷魚はICU、鈴木亮平は外語大。友達でもその組み合わせがいるが2人はとても仲が良いので、宮沢氷魚と鈴木亮平もこんなに距離の近い役をするにあたりきっと仲良くなったんだろうなと思った。
でも、応援するってなんだろう。
そこを考えさせられた。
浩輔は、龍太には「目に見える物しか信じない」龍太の母には「愛がなにかわかりません」と答える超現実主義者だから、助ける形としてお金を渡していたのかもしれない。
でも実際は、龍太のことも龍太の母のこともよく気にかけ、お金だけでなく愛情を注いでいることを龍太の母に指摘される。
母を亡くしてから、身の回りは父とこなしてきてひと通りのことはできるが、ゲイでもあり、どこか人と一線を引いて傷つけられないように、目に見える物を信じたり、愛情を感じ取ったり注いだりしないようにしてきたのかもしれない。
ところが龍太を通して、どっぷりと大好きな気持ちに浸かり、素直に表現するようになったが、お金ではなく、龍太がパーソナルトレーナーとして食べて行かれる人生のやり甲斐を与えるまでで充分だったのかもしれない。
実際には、龍太ほど困っていないだけで、浩輔も湯水のようにお金を渡せるほどの裕福ではない。
龍太の母にもお金を渡し続け時には治療費も出し、出費が嵩んでいる。
龍太や龍太母を助けているようで、実際に助けないと綺麗に生きられないほど困っているのだが、放っておけずお金を渡し彼らを生かすことが浩輔の生き甲斐にもなってしまっている様子が伺えた。
その意味でのエゴイストなのだろうか。
お金を渡すのは自分の勝手とわかっているようで、
養うことで自分も英気を養っている。
だからエゴイストなのかもしれない。
でも、浩輔は、多くの男性が家庭を築いて家族のために働くくらいの年齢である。恋愛対象が男性でも、男性に産まれた生命体として、誰かを社会的にも守る頼られ甲斐のある存在でありたいというの、あるのではないかな。同様に龍太もまた、母を経済的に支えていた。
浩輔の人生は、直前までとても親しく近しい関係性の、大切な人との死別が3回。
実家に帰れば1人で暮らす父が出迎えてくれるが、たまに帰るその拠り所も、いつかは父が要介護になるだろう。浩輔本人が、誰かに甘やかして貰える、そんな日は来るのだろうか。
龍太母は、龍太は天国で浩輔の母にきっと御世話して貰っているのねと言うが、浩輔親子はいつ誰にお世話して貰うのかと。不思議と生まれ持った役回りで、与えられる事が多い人と与える事が多い人がいるものだが、浩輔は与えているようで、ちょこちょこと貰う、手料理やお金で買えない安心感、「大丈夫」と言って貰える有り難みなど、目に見えない物を実は沢山与えられている。そういうことなのだろう。
自分の気持ちを曝け出すにはまだ、夜にこっそり女性になりきり歌ったり、こっそり泣いたり、こっそり眉毛を描いたり、難しそうな浩輔だが、こらえずに自分の気持ちを大切にする。人の面倒を見て満たす前に、自分を満たし時には満たしてもらう、そんなことも知れた龍太親子との出会いだったのではないか。
障害者の介護を通して自分の存在意義を感じられるという人がたまにいるが、浩輔と似た感覚ではないかと思った。
今どきゲイも恥ずかしくないし、浩輔のその後の人生が服の鎧なくても思いっきり楽しめるものであるよう、龍太母は天国から守っていてほしいなと思った。