エゴイスト

劇場公開日:2023年2月10日

エゴイスト

解説・あらすじ

エッセイスト・高山真の自伝的小説「エゴイスト」を、「トイレのピエタ」の松永大司監督が映画化。

14歳の時に母を亡くした浩輔は、田舎町でゲイである本当の自分を押し殺して思春期を過ごし、現在は東京でファッション誌の編集者として働きつつ自由気ままな生活を送っている。そんなある日、浩輔は母を支えながら暮らすパーソナルトレーナーの龍太と出会う。浩輔と龍太はひかれ合い、時には龍太の母も交えて満ち足りた時間を過ごしていく。母に寄り添う龍太の姿に、自身の亡き母への思いを重ねる浩輔。しかし2人でドライブの約束をしていた日、龍太はなぜか現れず……。

主人公・浩輔を鈴木亮平、龍太を宮沢氷魚、龍太の母を阿川佐和子が演じる。

2023年製作/120分/R15+/日本
配給:東京テアトル
劇場公開日:2023年2月10日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第47回 日本アカデミー賞(2024年)

ノミネート

最優秀主演男優賞 鈴木亮平
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(C)2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会

映画レビュー

4.5 人と出会うことの豊かさ

2023年2月12日
iPhoneアプリから投稿

 一面の青いシーツと白い背中のビジュアルが印象的な本作。全く身構えていなかったというと嘘になる。けれども、実際に観てみると、セクシャルな話というよりも、大切な人と出会うことがもたらすもの、がじっくりと描かれている物語、という印象が強く残った。
 華やかなマスコミ業界で働く浩輔は、ファッショナブルな服を鎧にして淡々と生きてきた。そんな彼が駆け出しパーソナルトレーナーの龍太と出会い、強く惹かれていく。
 クールに仕事をこなし、夜はオネエ言葉で賑やかに仲間と過ごす。それなりに満たされていたはずが、龍太との出会いで、やり過ごしていた日常がみるみる彩られていく。大切な人に会って、共に過ごす喜び。見送る寂しさと、別れてからの余韻。一人のときは相手を想い、冷静さのみじんもなく心を浮き立たせる。しかし、そんな日々が、突然断ち切られてしまう。
 龍太を核として、龍太の母と浩輔が、心を通わせていくくだりに、しみじみと胸を打たれた。共通の大切な人を持つ同士が、ためらいながらも少しずつ距離を縮めていく。喪失は埋められないが、全くの他人だったはずのふたりの間に、恋人同士とはまた違う、陽だまりのようなあたたかさが生まれたのだ。
 日々のありふれた時間を、誰かとささやかに営む喜びに気づいていく浩輔。寄り付かずにいた故郷に、鎧なしで帰るという変化ももたらされる。やっとたどり着いた、父と息子の穏やかな時間も忘れ難い。
 浩輔は、龍太親子に金銭を交わすことを提案する。それが「エゴイスト」の由来なのかもしれない。けれどもそれは、関係を繋ぎ止めるためのものではなく、望むならば去ることもできるという、対等な関係を保証するものと思われた。家族であれば、金銭的な支えも特別なことではない。法的に家族となれない彼らの、悲痛な思いも垣間見えた。
 高価な贈りものといった特別な理由なしで、ごく当たり前に誰かと時を過ごせる豊かさ。新たな喪失が予感されるが、彼の心は、揺らぎながらもきっと穏やかだ。窓辺に繰り返し飾られる、小さな花束のように。

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cma

5.0 お金を渡す主人公

2023年5月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

今年(2023年)屈指の邦画だと思う。そこにあると感じられるリアリティが全編に渡って息づいていて、主題にとってそのリアルさは絶対に欠かせないものだった。そこに「この程度の描写でいいだろう」というような妥協がない。鈴木亮平がこれまでも素晴らしい芝居を披露してきたが、本作は今までのどの作品よりも素晴らしいパフォーマンスだった。驚くべき達成だ。
主人公は、対人関係の維持のためにお金を渡す。宮沢氷魚演じる龍太との関係を作る時も、龍太の母と関係を作る時も。人は金で買えるなどと思っているわけではないだろうが、お金を挟まないと人との関係を進めることができないとどこかで感じてるのかもしれない。そのアンビバレントな感情が僕にはとても共感できた。この映画は、性愛とお金をきれいごとで切り離していなかった。
性愛描写のリアルさもこれまで見てきた映画を超えていた。役者はだれもが素晴らしかった。感動した。

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杉本穂高

3.0 原作を読んでから映画を観た感想

2025年11月5日
スマートフォンから投稿

主演の鈴木亮平もスタッフも原作と題材に「酔っているな」と感じた。
脚本家も原作から映画に起こす事での再構築をして欲しかった。そうでないと原作を薄めた再現VTRになってしまい、映画という表現手法を使う意味がない。

圧巻だったのは阿川佐和子。
多くの登場人物がドキュメンタリー風に薄められていく中で彼女だけが圧倒的な映画の中における実存感とリアリズムを感じた。

原作にあって映画に欠けていたのはまさに
タイトルにもある「エゴイストのエゴ」である。
原作者の業や想い、慚愧に堪えない沸るような怨念にも近い後悔の念という原作から感じ取れた
「エゴ」がこの映画からはスッポリと抜け落ちている。なぜそこまで原作との乖離が起きてしまったのか?を考えて辿り着いた答えが「恥」の感覚だった。原作者の持っていた「恥」の感覚がエゴに繋がりストーリーが発展していく肝になるのだが、恐らく制作者側にその肝心要の感覚が理解できていないから大事な部分が抜け落ちているんだろうなと思った。

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ペーニャ

4.0 捧げるもの。

2025年11月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

驚く

※ここで語っていることはあくまで自分の体験をベースとした個別のお話です。決して一般化して語っているわけではありません。

映画を見て、ふとかつてゲイの友人と話した時にポロッとこぼしていた話が記憶に蘇りました。

「俺は結婚もできないし、子供もできるわけじゃない。だから何か残せるものがないかと思って、20代で家を買ったんだ」

私はゲイというわけではないのですが、自分の、40代で独身の暮らし向きをふと振り返る際に、この言葉は時折、奇妙な共感性を持って思い出されます。

「捧げるものがない」とでも言うのでしょうか。別に何か後ろめたいことをしているわけではありません。仕事はしっかりやってますし、生活がままならないと言う稼ぎでもありません。仲のいい飲み友達もいる。趣味もあり、楽しいことはたくさんあります。

しかし、周囲の、たとえば家族を持っている方との会話の内容差は歴然としています。子供かわいくて羨ましいな、と言う話だけではありません。家族にかかるお金の問題、保活や受験教育のリアルな大変さ、行政の支援に対する知識や意見の解像度。みんなそれぞれ、生活の当事者意識を持って暮らしています。

私はこの間、大学にかかる学費はこれくらい、という金額のデータを見て「えっ、これ出すの親(=私)なの?マジで?奢るの?その上、生活費も出すの?ハァ?」くらいの気持ちを(大袈裟に言ってはいますが…)思ってしまいました。当たり前のように子供の頃親にお金せびってたなぁとも思い自省のきっかけにもなりましたが…笑

みんな、当たり前に他者に自分の一部を「捧げて」生きているんだなぁと思います。自分にはそれがなく、自分のための事しかしていない、という穴の空いたような感情は、私にとってはそれなりに強い共感として感じられます。(繰り返しますが、あくまで私にとっての話です。世の中一般の話ではありません)

この映画で描かれていた浩輔の孤独がそれに該当するかは分かりません。ただ、浩輔の一連の行動は外発的ではなく、浩輔自身に強く去来する内発的な動機により行われていた事は一定の明白性があると思います。そしてそれは、自分のわがままで、とは言いながらも、実行の過程においてはとても細やかな気遣いを伴っており、言葉にも繊細さがあった。だからこそ、お母さんは、赤の他人からお金を受け取る、生活の世話をしてもらう、なんてとてもとても、と言う社会常識をしっかり持ち合わせている人であるにも関わらず、最終的には浩輔の「厚意」を受け止めた。結果その行動は、少なくとも言葉の上では、最後の母の受け入れを表す言葉に表れ、受容はされていたように思えます。

付け焼き刃の知識ですが、フロイト心理学における「エゴ」は、一般的な意味とは少し違い、欲望のままに動こうとする自分と、欲望を抑えようとする自分との調整役を行う意識の中の機能だそうです(くれぐれもザックリした把握なので悪しからず!)。つまり、一般的に言われる「欲望のままに動く人」=「エゴイスト」という定義とは少しズレ、むしろ欲望と自律との間を葛藤しながら調整する、ある種いちばん人間的な機能と言えるかもしれません。もちろん、フロイト的な定義はあくまで数ある定義のうちの一つであり、この映画で言う「エゴイスト」がそうなのかは不明です。しかし、私はこの映画を見てそちらの「エゴ」を思い起こしました。

母の死以来自らの欲望を抑え、世間で求められた「役割」を演じることに特化した、機能的な存在としての浩輔の硬い殻。しかし龍太との出会い以来、否が応でもそれを突き破って出てきてしまった「欲望」。自分を律する気持ちがありながらも、それを抑えられない浩輔が、自分なりに、ほんとうに真摯に、自己の欲望が他者の役にも立つように、なんとかして調整をして「欲望」=「何かに自分の一部を捧げること」の具現化を行った。その過程を指して「エゴ」としているのではないのだろうか?と、私は感じました。こんな事は本当は考えられない事だと思うけれども、分かってくれませんか?このニュアンスと繊細な葛藤をとても細やかに伝えていたと言う点で、この映画はとても芸術的であり、ザラザラした読後感のある映画だったと思います。

役者の力量も本当に見事で、鈴木亮平の憑依感はもう今更言うに及びませんが、宮沢氷魚との恋に落ちていく瞬間のお互いの距離感と間合い。まぁ男性同士が実際にどうなるかは私の性的指向からはそれこそ想像できませんが、ああこんな感じなんですね、と言う気持ちになってしまう異常なリアルと実在感。描写、演じ、あらゆるニュアンスの表現力に本当に感服。いい映画だったな、という感触がずっと残っています。

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