「〝大作〟などと構えずに、安土城見学にでもいくつもりで…」レジェンド&バタフライ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
〝大作〟などと構えずに、安土城見学にでもいくつもりで…
1600年といえば、日本では何と言っても関ヶ原❗️
その前後、世界では、イギリスがスペインの無敵艦隊を破ったり、東インド会社を設立したり、シェークスピアがベニスの商人やマクベスを出版したり…。
もしかして、あのご夫婦もあのあと、世界史的な有名人になっちゃったりして、義経=チンギス・ハン説みたいなことになるのかと思って、はてさて一体どうなることやら、と心配してたら、さすがに落としどころを弁えていただけたのでホッと胸を撫でおろしました。あー、良かった。
まったくもう、心臓に悪いことはやめてください😆
(でも、ラ・ラ・ランドのように、もしあそこでこうなっていたら…バージョンをやりたかったのですよね、きっと)
シン・カイシャク(庵野秀明監督風)という意味では、アレに関する明智光秀の動機がなかなか興味深いものでした。
魔王、覇王と憧れていた人が、〝つまらない〟真人間に堕してしまったことへの失望が、強烈な〝梯子を外されたことへの逆恨み感〟に変わったわけなんですね。
たとえば、寅さんが風来坊をやめて、タコ社長のもとで文句も言わず、真面目に働くようになったら、満男だってきっとガッカリするんだろうなぁ。
あれ?そういうこととは違う???
それにしても、信長の人物造形が、表面的なうつけの部分しか描かれていないので(演出も演技も深味が感じられなかったのは、そのせいだと思います)、濃姫の刺激によって覚醒していく秘めたる器の大きさや暴走しかねない激しさ、固定観念に囚われない発想の自由さ柔軟さという最重要な資質がまったく伝わってこなかったのですが、この映画にとって、それは致命的だと思います。
妙に強調された名古屋弁や岐阜弁(時代考証的に正しいものなのだとしても)、中途半端な駄洒落(尾張の終わり)などに注力せず、新たな視点での人間・信長の複雑な内面をもっと多角的に浮かび上がらせて欲しかった。建設的な意見などは出なかった軍議でも、さすがお館さまと唸らせる場面は作ることができたはずなのですが、敢えてそうしなかったのだとしたら、legendのタイトルが安っぽくなります。
柴田勝家のヒゲへのコメントの後、丹羽長秀の個性についてもチョコっと褒めたりするシーンがあれば、さすがによく見ていらっしゃる、この方についていこうと自然な流れで思わせ、信長の人物的魅力も表せるはずでした。それがないから、信長の人間性は軽いだけ、ただのコメディで終わってしまうわけです(終わりの始まり、なんて洒落にもならない)。
余計なお世話だとは思いますが。
なまじ、大作だと思って期待してしまうと、安土城以外のほとんどがなんだか空回りしてるようにしか見えないので、気軽にご覧になることをお勧めします。
コメントありがとうございます。
そうなんですよ、信長の発想の自由さ柔軟さ、そういった才覚がひらめく場面がないと信長というキャラの魅力が半減するんですよね。
恋愛話中心なのはわかるんですが、信長を輝かせないと恋愛話もいまいちな感じになってしまう気がしました。
グレシャムの法則様、たった今、「ののはな通信」読み終わりました。
なんでレジェバタがきっかけになったのか?!最早、意味不明ですが( ^)o(^ )
私にとって、運命の一冊となりそうな作品でした。
映画.comがなければ知る由もない、
見向きもしなかった作品でした。
教えて下さって、ありがとうございます。
ワタクシ、ユリ族は全く理解出来ないのですが、
「日出処の天子」は好きだったし、
BL好きの腐女子といえるかも・・・・(-_-;)。
男女の恋愛はどうしても
(お互い、無いモノを補い合うという前提の人間関係なので)
その下心は何ぞや?になりがちですし、
究極の愛を描こうと思うと
どうしてもBLとか、ユリ族形式になるのでしょうか。
このベースを持ってこないと、濃い人間関係を表現しにくいのかな?
登場人物が若いので、性欲とか強いだろうし、
サラッとつきあえないんだろうなあとは思いますが、
私は「セックスしてるけど、友達じゃん」でいいような気がしますけどもね。
本当に、魂が震えるような、揺さぶられるような、
毎日見ている空とか夕日やそこらの木の葉っぱでさえも、
美しく感じられるような出会いとか、人間関係って、
そうそうあるものじゃないし、
出会おうと思って出会えるものでもない。
素敵な作品でした。
取り急ぎ、お礼まで。
(なので、お返事のお手数は無しで大丈夫デス)
こんばんはグレシャムの法則さん
コメントありがとうございました。
「安土桃山・戦国時代」は他ならぬ自分の国の歴史ですし、勉強もしてきた思い入れのある信長のこと。地元日本での上映には首をひねる御仁が多数声を挙げるのは仕方ないですね、
(これがよく知らない外国のものからであれば突っ込み所を知らない我々はもうちょっとすなおに感動とかしていたかもしれませんが)。
あれは「時代劇風ラブ・ストーリー」だったのかなーと、鑑賞後一日経ち、興奮もやや落ちついて思ってみている私です。
大人向けの“大河”ではなく、韓流ドラマかミュージカルの寸前まで行った作りだったかもしれません。
だ·か·ら·こ·そ面白かったということでご勘弁下さい。
「言うな!」「いや、言うなや!」と北大路欣也は畳み掛けるように説いていたではありませんか(笑)
グレシャムの法則様、何度も失礼致しマス。
たった今、「ののはな通信」ポチりました。
(孵化した蝶はサナギには戻れない。という案内文が妙に気になって。)
私も”ずる天”(日出処の天子)ファンでした(^^ゞ。
ユリ族に興味あるというより、
「レジェンド&バタフライ」をもっと味わうために。
今、映画の余韻を味わい中。
濃姫(帰蝶)に、思いを巡らせ中。
個人的に、「ののはな通信」が、凄いヒントになりそうな気がして(●^o^●)
興味深い、コメントありがとうございました。
グレシャムの法則様、共感、ありがとうございました。
私、映画は観て終わりじゃなくて、余韻にひたりながら、
他の方のレビューを見たり、自分のレビューに追記したりしています。
また、お時間のある時にでも、私のページも反芻して頂けましたら嬉しいです。
映画に限らず、本でも、
ああ、この本は、作品はこうゆうことを描いていたのか、
こうゆうことを書きたかったのか、
あの時の私は分からなかったなぁということが
後からふりかえるものには、よくあります。
作り手だけの問題じゃなくて(そういう場合もありますが)
受け手の感性、理解、その時の状態によって、
印象や解釈がゴロっと変わってくることがあります。
新しい気付きに触れたときは、嬉しいです。
イチケイのカラスのように、私の評価とは真逆ですが、
グレシャムの法則さんのレビューには説得力がありましたので、
共感ポイントを付けさせて頂きました。
いままで、織田信長は強烈なトップダウン型のリーダとして描かれてきました。そういう視点で観ると本作の信長はあれって感じです。
グレシャムの法則さんの御指摘通りだと思います。
私は、
桶狭間の戦いでの濃姫助言、
信長の目標である天下布武という言葉を信長自身は一度も言わず、家臣が言ったこと、
徳川家康接待時の家臣助言
などから、本作での信長はボトムアップ型リーダとして描かれていると解釈して、作品評価した次第です。
では、また共感作で。
ー以上ー
そうでしたか⁈
私自身も不勉強で知らないことばかりなのですが、もしかしたら、そもそも時代考証の専門家によるチェックという作業工程は始めからないのかもしれないですね。文献や学説ではこうなっているけれど、脚本家に聞いたら、この映画では、◯◯◯がメインなので、◇◇◇を表現するために、こういう風にした。
そうか、ならばそれでいこう。というような確認や検証のやりとりはないままに進んだのかもしれないですね。
正に、仰るとおりです。
我々は事実は知っているが、真実は知らないですから。
やり過ぎ感は否めません。
しつこいですが、当時は犬千代とは呼んでないかと。又左の筈なのですが。
物議を醸すかもしれないけど、全部〝俺流〟でいきます❗️
という作品だと思います。
だから、東映さんの中にも、本当にこの脚本でいくの?と内心複雑な思いの人もいるのだと想像します。
ibtさん、ありがとうございます。
犬千代も単なる〝うつけ仲間〟としてしか描かれていませんでしたね。
〝新解釈〟前提なので、信長の人物造形も濃姫ありきでいいや、その他大勢の武将についても、適当でいいかな。ただ、光秀だけは俺の新解釈だと強調したいので、少し丁寧に描くことにしよう。後世の作り話と言われてる頭蓋骨の盃のエピソードも俺の作り話として、逆にした。
(信長が嫌がる光秀に飲ませたという説もあるけど、逆にすれば光秀こそが〝狂気〟の男として、印象付けられる)
素晴らしいレビューです。
私は、序盤の桶狭間で、なぜ犬千代が傍に居るのか、理解できず、見方を修正しました。
前田利家という武将が好きなもので
つまらないコメント失礼しました