「真実を描くことがリアリティとなる」翼の生えた虎 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
真実を描くことがリアリティとなる
割と単純な構造ではあるが、その中に人間のリアリティを追及している。
物語の着地点は、このひと夏の出来事を作文にしたツヨシ少年がコンクールで佳作を取り、クラスで朗読するシーンで締められる。
家庭の事情もありその雰囲気を学校でも醸し出すツヨシは、いじめの手前である無視という扱いを受けている。
家でもほぼ一人でいるツヨシの好きなことが読書。
新しい本はなかなか買ってもらえないので、本屋で本を「借り」読んだら返すという行為を繰り返しているが、本屋はそれを許容している。
家の事情とは母の事情 祖母の治療費 ギリギリの生活 風俗の仕事
この橋爪家が大きなパズルのピースとなる。
主人公タケル(虎)
小説家への憧れ 冒険小説というジャンルに拘る。 とくに「表現」については妥協できない。
自分の表現を絶対曲げたくないことで、出版が破棄され彼女とも別れることになる。
行き場をなくしたタケルは東京から故郷へ帰省し、父の仕事である伝統工芸を訪ねるが追い出されてしまう。
15年に及んだ作家活動と食べるための派遣労働。
まさに、「夢破れて山河あり」
タケルはあてにしていた実家を追われたことでさらに行き場を失ったまま、昔通っていた
本屋でツヨシと出会う。
店主は許したが、タケルにはそれが万引きにしか見えなかった。
子供を追いかけ、そうして子供の自宅で一晩過ごし、ツヨシがBBQしたいと言ったことで何日かのキャンプ生活をすることになる。
さて、
体裁のいい嘘は大人の常套手段だろう。
それは確かにその場限りだが、その場にとって最善だと思うことは、実は最低となってしまうことはよくある。
特に男はそうしがちなところがある。
ツヨシの夢は小説家であり、彼の好きな作家が目の前にいるという現実は夢のようであり、その人と何日もテントで過ごす体験は何物にも代えがたい思い出となるだろう。
しかし、それが嘘だったら…
タケルは大人の視点で全体を見渡しながらケースバイケースで動いている。
タケルにとってツヨシは過去の自分と重なるからだろう。
ツヨシにもっと強くなってほしい。
同時にどうにもできない家庭の問題がある。
しかしもし自分の母がお金のために風俗嬢をしていると知ったなら、自分はどう思うだろう?
この問いかけがタケルをある意味無責任な行動へと誘った。
タケルがホテル?に押し掛ける行為は、確実にその後の橋爪家に対する責任を伴う行為だ。
当然タケルにはその覚悟があったはずだった。
タケルにとってすべてをいい具合に収める方法は、父の陶房で働き生計を立て、橋爪親子を引き取ることだった。
しかしそれは、タケルがしたかったことと全くかけ離れてしまっていた。
その事に気づきもせずタケルは彼らに自分勝手な提案を持ち掛けた。
このとき「あの作家は俺じゃない」とツヨシにとって許しがたい嘘を告白したことで、タケルの計画のすべては虚構となってしまう。
ただ、
父に謝罪し、作家になる才能がないことを告白したことで、父も長年の心の澱が取り払われたのだろう。
たった2か月半の間に、タケルの心がどこにあるのかを悟ってしまう。
タケルは「死ぬ気で心を込めて作れ」という父の言葉を胸に、橋爪家に謝罪に行く。
この時のツヨシの子供らしい屈託のない様子がいい。
好きになったおじちゃんの嘘の根拠を、子供ながらに理解している。
ツヨシ少年にとって、大人にの体裁のいい嘘など日常茶飯事なのだろう。
それは決してスレているわけではなく、とっくに許していたのだ。
リンも長年使っていなかったハサミを持ち出すと、タケルの髪を切る。
これもまた許しの表現だ。
これがきっかけで彼女はもう一度美容師の仕事を始めることができた。
ただ、「わたしは『あんた』じゃない」というリンのセリフには、これで最後ではないというニュアンスが込められている。
タケルが気の入らない陶房での仕事をしているとき、リンの母が死去したことも彼女のその後の生き方に大きな影響を与えたのだろう。
彼女が編んでいた青い編み物は、おそらく娘の凛のために編んでいた青い花の座布団だろうか?
したいわけではなかった工場勤務と風俗嬢の仕事。
リンはようやく元夫のDVによってハサミで背中を刺された恐怖を克服できた。
リンが最後に見せた背中の青い花のタトゥを元夫による傷の上に入れたのは、過去の恐怖に対する克服の意味があるのだろう。
同時にそれは母に対する愛の返答とも考えられる。
すべてが今まで通りで、特段大きな変化はない。
しかし、
リンは自分自身を取り戻すことができ、
ツヨシは作文コンクールで佳作という名誉を頂き、
タケルの父は息子との確執が清算され、
主人公タケルは、無心に戻って冒険小説に向き合うことができた。
最初から何も変わったわけではないようだが、それぞれは大きく変わった。
これこそがこの作品の新しさであり普遍的なことを伝えている。
ここに人生というリアリティを感じることができる。
中々すばらしい作品だった。