「「私小説家」の行き着く先は、身の破滅かそれとも・・・・。」窓辺にて ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
「私小説家」の行き着く先は、身の破滅かそれとも・・・・。
愛しているハズの妻の浮気を知っても、
怒りや嫉妬の感情が湧いて来ない自分に戸惑う男は
〔ドライブ・マイ・カー〕でも描かれたコトの発端。
かと言って、意趣返しに自身も浮気に走るでもなく、
恬淡とした心の内にただ戸惑うばかり。
今時らしいモチーフではあるものの、
実際には昔からある出来事なのかもしれない。
本作では、三組のカップルの関係性が描かれ、
それは蜘蛛の巣に張り巡らされた糸の様に
粘っこく各々を捉え離さない。
静かな筆致の中に男女の愛情の本質と
共に暮らすことの意味を軟らかく語りきる。
『市川茂巳(稲垣吾郎)』は新人賞を獲り、
将来を嘱望された作家ながらも
何故か突然に筆を折ってしまった過去が。
にもかかわらず、今でも「書くこと」を生業にすることからは逃れられず。
小説を書けなくなったのではなく、
自身が望んで書かなくなった理由は判然とはしないものの、
他の人の口を介して語られたそれは
「私小説」を書く者にとって本来ならば苦渋の決断。
にもかかわらず、生来の性格の為か、
傍目にはそうとは見えぬのは、
身を削るように書くことで表現をする「私小説家」の行き着く先は
『太宰治』が体現したような破綻と本能的に分かっており、
恐れているのかもしれない。
三組の男女は、何れも女性の方の惚れ度合いが強いかのように
ちょっと見には思え。
が、実際は男性の思いがより強固なのに、
要はその表出のさせ方が下手なため、
要らぬ混乱を招いてしまう。
過去をぐっと吞み込んで元の鞘に納まる者、
或いは昔に囚われずに新たな関係性を築く者と結末は様々。
40代・30代・10代の夫々の男女の形が
世代を交差した隙の無い表現で綴れられる。
キャスティングの妙が、本作には著しく奏功。
『玉城ティナ』の小悪魔的なコケティッシュさが効果的で、
〔惡の華(2019年)〕に匹敵する出来。
そんな高校生(役)の彼女を前にして、
理性を失わずに正面から向き合う『茂巳』を演じた『稲垣吾郎』は
情感が薄いイメージがぴったり。
〔十三人の刺客(2010年)〕の酷薄さも良かったが、
本作はそれ以上の嵌り具合。