「御願不足」遠いところ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
御願不足
章立てになっている本作の一つの章名である うちなーぐち(沖縄の方言)で、「ウガンブスク(拝み足りない)」ということらしい ネットで調べたので正しいかどうかは不明である
色々と考察についてはネタバレサイトで書き散らされているので参照肢体人はどうぞ
この作品を観賞するにあたって、イントロ部分の紹介文、キャッチフレーズ等々から察するにとてつもなく嫌な予感がした 沖縄、貧困、若年親、DV、風俗、搾取、そして自殺、心中・・・ この"人生ゲーム"のマスのような語彙で、最後は貧乏農場ではなく、この世から一番遠いところへ旅立つ構図は、多分耐えきれない地獄のような観賞かなと恐れ戦いた次第だ なので、観賞スルーしようと思ったのだが、主演の俳優が、アニメ映画『すずめの戸締まり』にて、主人公が最初に出会う民宿の女の子のCVを当てていた情報を知り、興味が湧いての観賞である
然るに、結局、やっぱり思った通りのストーリーテリングであり、やっぱり悲惨で悲しく、惨たらしいシーンのサイクルであった 勿論、主演の女性は本当に頑張っていたし、演技も素晴らしい そしてキチンと役柄のキャラクター性を充分把握しての、濡れ場や際どいシーン、そして被虐も加虐も大胆にチャレンジしていたその冒険心、俳優業の性根の座り方も手放しで評価したい
只、この現代の"残酷物語"の結末をいつものように"自死"に貶めていくサイクルを映像化することに意味があるのか?アップデートが出来ないのか?と願う程の辛さを感じずにはいられない ラストは100%親子共々海に沈む迄は描いていないので、もしかしたらあの無邪気な子供の笑いでノイローゼが解ける可能性もあるが、まぁ、どうみても逃げ場所がないリアルに対しての選択はそこしか考えられないだろう どうしようもない男と別れても、児相に子供を預けて経済的に立ち直ってから迎えに行こうと思っても、多分、彼女の将来は自分の母親と同じ道を歩む事が、容易に想像出来る
彼女や夫に"学"があろうがなかろうが同じだ 周りは揃いも揃って受動でしか行動しない 自分の可能性など一切信用しない 自分が何をしたいのかも分らない
そう、この作品を観たくなかった一番の理由は、自分を描いている作品だからだ そして、アップデートして欲しい一番の理由は、そこから抜け出す基軸を観たいからだ・・・
それは、"メンター"の存在を登場させることかもしれないし、宗教でもいいと思う "レジリエンス"という言葉をどう具現化できるのか、多分、そのステージに映画はその責務を担わなければならないと思うのだ
いつまでも、リアルの負のループを、寓話的に演出して「さぁ、この現状を皆さんで考えて下さいね」と提示されても、こんな作品観るまでもなく、出来る人は動いている これを観たところで諦めている人は主人公と同じ行動をするだけだ
親友は元々希死念慮を抱いていたから、物語最初の方で主人公に話しかける「何処か行きたい、遠いところへ・・・」 でも、親友に躰を売るような仕事の片棒を意図せずとも担いでしまったことに良心の呵責に苛み、自らの死で購う その贖罪の重さは決して主人公が望んだ事ではなく、却ってその死は伝播されてしまう まだまだ大人の狡賢さを体得できぬ少女達は、存在そのものを大人に掠め取られ、お互い共食いをし、そして生きる事の意味自体を忘却する
「生きる」って一体なんだろう? せめて中学校にいる間に、子供達にその答えを真剣に導いてあげて欲しい、誰が?それは、教師でなくても良いし、親で無くても良い それは誰なのかを明示すること、それが新しいバージョンの映画であり、待ったなしでそのシフトを促したい
名匠ケン・ローチの次を待っているのだ・・・
コメントあざーす
自分は沖縄に毎年行っていて
色々知ってるからこその見え方があって実際に沖縄におばあがいるので実際会話しても この映画レベルで理解できませんよ!
それも含めてリアルなんですよ!
メジャー作品では絶対に作れない凄い作品です!
そのまま亡くなったとはまったく考えず、このレビューを見てビックリしたところでした。
なるほど、亡くなったと考えれば、この作品の評価を厳しくされたのもよくわかります。
私は逆に亡くなったなどとは全く考えなかったので、高評価になりました。
今は見る機会が持てませんが、もし見る機会を得たら、またよく見てみますね。
たまたま、監督が舞台挨拶をされた時だったのですが、話の内容が生き残った前提の話のように聞こえた(そう思いこんでいたから?)ので、その考え(生き残った)が強化されていたのかもしれません。
私のレビューまで丁寧なコメントをありがとうございました。