キングメーカー 大統領を作った男のレビュー・感想・評価
全4件を表示
光輝く者と影にしかなれない者
鶏の卵を隣人に盗まれたらどうするか、という最初と最後に出てくる問答と、それぞれの答えが、表舞台で光輝く人間と、影にしかなれない人間との違いを単的に表している。
光を演じたソル・ギョングが素晴らしいのは分かっていたが、影を演じたイ・ソンギュンがそれ以上に魅力的だった。「パラサイト」の時よりもずっと渋くなって、この人が出ているなら観に行こうと思える俳優がまた一人増えた。
見応えのある政治ドラマ。
実話ベースの物語なのに、ぐいぐいと引き込まれてしまう演出に感服。
韓国ではこういった良質な大人の映画が作り続けられ、それがヒットするという、実に羨ましい限りである。
作り手だけでなく、観る方も、ずっと成熟しているんだろう。
日本にもこういった作品を撮れる才能がある人はたくさんいるはずなのに、需要がないと決めてしまっているんだろうな。
良い作品を作る、それを観せる、観に行く、という努力を怠ってきた結果だとしたら残念だ。
騙し、裏切り、嘘をつき・・・
韓国の江原道で薬局を経営してたソ・チャンデは、世の中を変えたいと野党・新民党のキム・ウンボムを応援し、61年にウンボムの選挙事務所を訪れ、選挙に勝つための戦略を提案した。その結果、ウンボムは補欠選挙で初当選を果たし、63年の国会議員選挙では地元で対立候補を破り、若手議員として注目を集めるようになった。その後もチャンデは影で活躍したが、選挙に勝つためには手段を選ばないチャンデに、理想主義者のウンボムは方向性の違いを感じるようになりチャンデを首にしてしまった。そして、チャンデは大統領選でキム・ウンボムの対立候補の選挙参謀となり、当選させた。
第15代韓国大統領・金大中(キム・デジュン)と彼の選挙参謀だった厳昌録(オム・チャンノク)の実話をベースにした話。
チャンデの頭の良さと民衆の操り方の巧みさが凄かった。
韓国の苛烈な大統領選の候補者になるところが最大の見所かな。
反共産主義、独裁主義、自由主義、など良い悪いは別にして、こんな状態で日本と国交正常化しておいて、今さらあれは間違いだった、徴用工は未解決だ、などと言ってるお隣さんのバカバカしさを堪能できる。
中国より長い5000年の歴史を持つなんて言ってるのもさすが歴史を都合良く変える国だと呆れた。
滑稽で面白かった。
【韓国で大統領を目指す”光”と”彼を献身的に支える”影”との間に、徐々に齟齬が生じていく姿を描くほろ苦きポリティカルムービー。】
ー 1961年、野党から立候補したキム・ウンボム(ソル・ギョング)。
資金力の差で、苦戦が伝えられる中、ソ・チャンデ(イ・ソンギュン)という男が選挙事務所を訪れる。彼は北朝鮮出身者だったが、現政権打倒を願い民主主義を謳う高潔なウンボムに入れ込む。
選挙戦術の弱点を指摘し、選挙スタッフに志願する。
半信半疑のウンボム陣営だったが、彼のゲリラ戦略は高い効果を上げ、念願の初当選を果たす。
これを機にウンボムは連戦連勝、その裏側で辣腕を振るうチャンデの存在は、いつしか「闇」と呼ばれ政界でも注目を集めていく。ー
◆感想
・前半を見ると、1960年代の韓国の選挙が、バラまき選挙だったことが良く分かる。日本もそうであったように。
ー そんな中、金大中がモデルと思われるキム・ウンボムの高潔高邁な民主主義を唱える、政治姿勢は稀有なモノであり、ソ・チャンデはそこに惹かれたのであろう。-
・だが、ソの選挙手法は公職選挙法違反スレスレというか、違反だろう!というモノであるが、故にキム・ウンボムは地元で、初当選を果たす。
ー だが、この選挙手法の違いが、キム・ウンボムとソ・チャンデとの間に齟齬を生んでいく・・。-
<ラスト、訣別したソ・チャンデと、キム・ウンボムが再会するシーン。その後に流れるキム・ウンボムが大統領になったというテロップも皮肉である。
金大中の選挙アドバイザー厳昌録の存在は今作で初めて知ったが、金大中も大統領就任後、晩節を汚した事実を考えても、鑑賞後のほろ苦さは、拭えない作品である。>
「光」と「影」の生き様が、深い問いを投げかける
60年前の韓国が舞台だが、選挙戦におけるネガティブ・キャンペーンの展開や、キャスティング・ボードを握る者に対する駆け引き、あるいは選挙を巡る国民の分断等の描写は、今の時代の、どこの国にも通じるような生々しい面白さがある。
それと同時に、表舞台で光を浴びる者と、影となって彼を支える者との生き様の対比も見応えがある。
そうした権謀術数や人間模様からは、「正しい目的のためには、汚い手段を用いてもいいのか?」とか、「正義が勝つのではなく、勝ったから正義なのか?」といった深い問いかけを感じることができる。
いずれにしても、権力を手に入れるためには、裏で汚れ役に徹してくれる者の存在が極めて重要だということがよく分かる。逆に、権力者には、「この人のためなら自分は影でいい」と思わせるような「人としての器の大きさ」が必要になるのではないか?そんなことまで考えさせられた。
ところで、終盤、「影」は、自ら身を引いたということが分かるが、それが「光」を大統領にするためだったのなら、なぜ、敵陣営に寝返ったのだろうか?それとも、単に、自分が切り捨てられることを悟り、先手を打っただけなのだろうか?あるいは、目的と手段をはき違えて、自らの力を誇示したかったのだろうか?もしかしたら、自分が「光」になることがふさわしいかどうかを、確認したかったのだろうか?
と、最後の最後まで、考えさせられた映画だった。
全4件を表示