「これぞインディ・ジョーンズ! 余計なことをしない、ファンのためのまっすぐな冒険活劇!」インディ・ジョーンズと運命のダイヤル じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
これぞインディ・ジョーンズ! 余計なことをしない、ファンのためのまっすぐな冒険活劇!
おおおお、何年経ってようがこのマーチかかると、アガるわ、タカブるわ!!
いやあ、大満足。
そうそう、インディ・ジョーンズはやっぱこうじゃなくっちゃね!!
金曜はテレワークなのをいいことに、8時20分からのIMAX回で視聴。
こういうとき、3割くらいの入りでのんびり観られる調布は最高だ。
もちろん予備知識ゼロ。なんの話かも知らずに、ただわくわくしながら観た。
ハリソン・フォードの80歳という年齢を考えると、さすがにアクション映画は厳しいのではとか、がっかりするような老人愛護映画だったらどうしようとか、観る前はいろいろ気をもんだが、そんな心配はご無用。
ハリソン・フォード、超ちゃんと動けてたよ!!
数年前に観たクリント・イーストウッド(当時91歳)の『クライ・マッチョ』なんかは、すでに半分「生き神様」と化したご老体の「年齢からするとかなり頑張ってる」挑戦を、ただありがたく拝みながらみんなで生暖かく見守る、ある種の究極のファン・ムーヴィーと化していた。
でもハリソン・フォードは、イーストウッドと較べればまだ13歳も若い。
今の80歳は、本当に元気だ。
多少、走り方がドタってるし、身のこなしも緩慢っちゃあ緩慢だけど、しょうじき全然気にならないレヴェル。
ぶっちゃけリーアム・ニーソン(70歳)くらいは、動けてる。
少なくともジェームズ・ボンド引退間近のロジャー・ムーアの50倍は、動けてる。
作中のインディ・ジョーンズの年齢が70歳で、冒頭で大学を退官するくらいなので、ちょうどよい頃合いで「めちゃ動ける老人」として動けている感じだ。
やっぱ、今でも飛行機飛ばしまくってて、ときどきガチで人命救助とかして、毎日自転車で50キロも走ってるような人間は違うね!
ちなみにアバンでは、大戦末期、ナチスが支配する城に囚われたインディ・ジョーンズが脱出し、疾駆する軍用列車の上で仲間の大学教授とともに、ナチスの軍人&学者と「聖槍」をめぐって大立ち回りする息をもつかせぬ大活劇が展開される。
このインディが、なんと壮年期のままの姿で登場し、軽やかにアクションを披露するのだ。
えええ? なんで???
観ているあいだは、昔『バットマン』とかでやっていた、フルCGもしくはスタンドのダブルに、顔だけCGではりつけるやつかと思って、ここまで出来るようになるともう俳優なんか要らねえな、みたいな微妙な気分でいたのだが、後でパンフを観てびっくり。
これ、昔撮ったインディ・ジョーンズの映像を(大量の未使用のフッテージもふくめて)再利用しているんだってね。
ちょうど、アニメで前の作品で使った動画を再利用するみたいなことを実写でやっているわけだ。
これだけ自然で流れるようなアクション・シークエンスを、ハリソン・フォードの「ありもの素材」だけで構成できちゃうのか……それはそれで、すげえな。
でも、それだけが延々続くとなると、なんで今「インディ・ジョーンズ」を銀幕に呼び戻したか、まるでわからなくなる。
基本の部分ではやはり、ハリソン・フォード「自身」がきちんとリアルタイムで演じるからこそ「映画の真実味」が生まれるわけで、ちゃんとこの映画はそこを怠っていない。
「壮年期のハリソン・フォード復活」の「お遊び」は冒頭数十分にとどめて、基本は今のハリー本人に結構負荷の高そうなアクションをしっかりやらせている。
だからこそ、冒頭の「復活ご褒美映像」の興奮を、観客は最良の形で「気持ちよく」ポジティヴに受け止められるわけだ。
― — — —
で、全体としての出来は、実際どうだったか。
映画としては、言いようによっては、普通っちゃ普通かもしれない。
てんこ盛りの超楽しいアクションと、秘宝をめぐっての悪漢とのデッド・ヒート。
愉快な仲間たち(勝気な美女と頼りになる子供)との丁々発止の掛け合い。
話の規模自体はかなり大がかりになっているし、あとから大風呂敷のSF要素も絡んでくるが、基本はただそれだけである。
でも、この映画はそれだけでもう十分なのだ。
ただただ楽しく、ヒーローの活躍に酔いしれる「大冒険活劇」。
それ以上でも、以下でもない。
でも、それでいい。それがいいのだ。
話としては結構取っ散らかってる気もしないでもないし、
話の枠組みを広げ過ぎて若干散漫になってる部分もあるし、
ヒロインに120%共感できるかというとそうでもない感じだし、
善玉側がこの「秘宝」に拘泥する理由が今一つわかりにくいのもある。
アクション要素もちょっと盛りすぎたせいで逆に感覚がマヒしてくるし、
カーチェイスは複雑なことをやりすぎて、イマイチ現象がつかみにくい。
潜水シーンはインディ・ジョーンズというよりはクライブ・カッスラーみたい。
(ちなみに「ウナギ」襲撃シーン観て、星野之宣の漫画『妖女伝説』の「メドゥサの首」をめっちゃ思い出しました!)
いろいろあげつらいだしたら、気になる点はいくらでもある。
でも、そういう細かいことはあんまりどうでもいいかもしれない。
この映画は、『インディ・ジョーンズ』や『ロマンシング・ストーン』や『グーニーズ』が撮られていた頃の「昔懐かしい冒険活劇」のテイストを現代に再現することを第一義につくられており、それ以上の変な野望や政治的意図をかませていない「ゆるくて、適当な、大風呂敷の映画」であるからこそ楽しいのであって、べつに「たいした映画」である必要はさらさらないのだ。
この第五弾の「特段要らないことをやらずに」ただひたすらB級活劇に徹している姿は、むしろいっそすがすがしいし、たいした度量を示していると思う。
実写版の『アラジン』みたいに、ヒロインの「女性としての自由」を強調したいがために「貧者は支配者の法に従う必要はない」みたいな極端な危険思想に陥ったりもしないし、
『スター・ウォーズ』エピソード7~9のように、昔馴染のキャラを殺したり絶対やらないようなことをさせたり特攻させたり過去の設定を台無しにしたりもしないし、
『リトル・マーメイド』のように人種とポリコレへの配慮であちこちいじくりまわしたりもしない。
インディは、年老いて偏屈にはなっているが、そもそも彼は出てきたころからけっこう偏屈だったし、昔どおりのキャラのまま齢を寄せて我々の前に姿を現す。
現地での昔馴染との共闘という繰り返される定番ネタ。
おきゃんな美しき相棒に、才気煥発な子供という、最高傑作『魔宮の伝説』そのまんまのキャラ配置。
「ナチス」という敵キャラのわかりやすさ(今回は少し『ダイ・ハード』っぽい「ひねり」がきいているが)。
『インディ・ジョーンズ』なら許される程度の枠内にぎりぎりとどめた形でのSF要素。
旧作を容易に想起させる小ネタの数々(鞭振り上げたら銃をみんなに突き付けられるのって、アレのセルフパロディだよねw)
すべてが『観客が期待するインディ・ジョーンズ』の範囲内にうまく収まっている。
それは裏を返して言えば、「期待していた想像の範疇にとどまる程度の映画」ということであるかもしれない。
実際、地下迷宮のシーンとか、あまりに『魔宮の伝説』のまんまで、ここまでリメイク感覚であちこちから元ネタ拾ってきてて、それで本当にいいのかな、と若干思ったりしたくらいでして。
でも「期待を裏切ってインディ・ジョーンズじゃないような映画になる」よりは、1億倍マシというものだ。
いっぽうで、「余計なことをしない」。その姿勢は徹底されている。
『クレオパトラ危機突破』みたいな「いかにも70年前後に居たっぽい黒人女スパイ」や、「ノルマンディー上陸作戦には参加してたけど今はホテルのしがないボーイの黒人男性」といった感じで黒人は出てくるけど、「まったく違和感のない」形でしか人種の多様性は追求されていない。
敵はほぼ白人ばっかりだし(その理由もあとではっきりと分かる)、女性も(ほぼ)ヒロインのヘレナしか登場しない。ヘレナは『魔宮の伝説』のウィリーよりはずいぶん能動的で今風だけど、このキャラクターを用いて何か政治的な主張をしようといった「いやらしい何か」は全く感じさせない。ピカレスクな部分はあっても、あくまでさっそうとした魅力的な女丈夫である(フィービー・ウォーラー=ブリッジは脚本家のイメージが先にあって、ちゃんと女優として観たのは初めてだったんだけど、この人、こめかみに結構大きなしみというかあざがあるのに、まったく気にする感じがないのね。すげえかっこいい!!)。
あとこの映画、別に殺しの許可証を持っているわけでもないインディ・ジョーンズとヒロインと子供の手にかかって、結構な数の悪党が命を落とすし、周りにもかなり甚大な被害が出まくっているが、作り手にそれを気にしている気配が全くない(笑)。
ヒーローが活劇やったら、周囲の有象無象は死んで当たり前という「チャンバラ」精神をしれっと踏襲&発揮している。先にこの映画のスタッフは「肝が据わっている」と言ったのは、まさにそういう部分だ。
作り手は「面白くて、昔のファンがみんな喜んでくれるようなインディ・ジョーンズ」を製作することにとにかく全力を投じていて、それ以外のいやらしい「現代的な付け加え」や「政治的配慮」や「リメイクだからこそのチャレンジ」を見せつけようという「心底くだらないポジション取り」に(少なくとも表面的には)色気を見せない。
いやー、それでいいんじゃないすか? 個人的にはたいへん好感がもてるよね。
少なくとも、俺はスタッフの「旧作愛」をひしひしと感じたし、演じているハリソン・フォードも実に楽しそうだ。
仲間として出てくるアントニオ・バンデラス(俺、エンドクレジットまで気づかず。こんなにおじいちゃんになって……w かつてはアンディ・ガルシアと並び称されるセクシーガイだったのに)や、マッツ・ミケルセン(ヴェルナー・フォン・ブラウンが元ネタだよね。44年も69年もあんまり変わらない風体で出てきたが、この人自体四半世紀くらいで風貌に変化がなさそうな印象なので違和感なし。悪役やるときのマッツさんはホント生き生きしているw)も、本当にエンジョイしているのが伝わってくる。
それでもう、自分としてはじゅうぶん大満足なのだ。
当然ながら、本作は70歳のインディ・ジョーンズの活躍を描くことで、「老いらくのヒーロー」「ヒーローの終幕」をテーマにせざるを得ない。
いかにヒーローに齢をとらせるか。
ヒーローの最後(最期)にどのような華を添えるか。
悪役たちとインディたちが飛行機に乗ってから後の展開と、最後に訪れるエピローグは、未見の人に話す内容ではないから、ここでは敢えて触れない。
でも、個人的には、現地でインディが口にした「願い」にはちょっとほろっとしてしまった。このヒーローならではの「特性」がちゃんと反映された本当に心からの願いであり、一瞬「そう終わってもいいのかも」とか思っちゃった。
ラストも、微妙に狙いすぎの気もするけど、こうきたか、という感じ。
なお、こういう「懐古的」な冒険活劇の舞台を、よりによって1969年に設定する感覚は結構面白いかも。碩学マーク・カーランスキーに『1968 世界が揺れた年』という著書があるが、この時期はまさに政治の季節のなかで世界が揺れに揺れた頃であり、ベトナム戦争からキング牧師とケネディの暗殺、プラハの春、五月革命、アポロの月到達といった前年の激動を受けて、学生運動やフラワーチルドレンが活発化し、初めて人類が月に降り立ち、ウッドストックが開かれた。フランスではちょうど、ゴダールが毛沢東に接近して政治化していた頃だ。
そんな先鋭化したヒッピーカルチャー花盛りの時代を背景に、鞭を振り回す老考古学者の冒険家が、モロッコやシチリアといった「古都」をめぐって、馬やらボロ車やらを乗り回し、よりによってナチスの残党たちと戦っている「由緒正しい旧態依然の活劇感」が、なんとなくミスマッチすぎて、逆にオフビートな得も言われぬ味わいを生んでいるような。
個人的には、おすすめです。
あまり期待しすぎずに、インディ・ジョーンズ最後の冒険をぜひお楽しみに!!