「映画を見て、他者への思いやりを考えて欲しい」夜明けまでバス停で mayuoct14さんの映画レビュー(感想・評価)
映画を見て、他者への思いやりを考えて欲しい
社会派と言われる作品、社会問題を切り口として取り上げた映画が自分の好みです。
それは映画を見た後、いろいろと考えることが好きだから。
娯楽性よりもドラマ性、社会性を映画に求めていると自覚しています。
そんな私に、この作品は「今見る作品」として心にぴったりとはまってくれました。
映画の元になった、幡ヶ谷バス停での事件があまりに悲しく、心に何か尖った破片が刺さったように感じていたので、これを映画でどう描くのかを非常に興味深く見ました。
結果、映画から、高橋伴明監督の世代(70年代の学生運動世代)ならではの、力強い、拳を振り上げるようなメッセージの打ち出しやそれを伝える勇気を受け止めました。
「映画的クライマックス」とそこからつながるラストの流れが本当にすごいと思いました。
自助という考え方が真っ先に来る今の不寛容な社会、そして、今回の題材のような事件が起きる元になる今の世間に対して「全て自分のせいだと思うのでなく、ちゃんと怒っていいんだ」と言われている気がしたのです。
その怒り方として、監督から最高の映画的決着の付け方が提示され「そう来るか」と思い知らされたのです。
その昔、学生たちが「政治」や「社会」に対して同志の集団と全力で戦ったように。
私の目から見ると、今の若い世代はこの先に希望を見いだすことなく、それを受け入れて「自分たちで変える、良くする」ことを諦めてしまっているように見えます。この先、事によっては不幸を感じたり悲しい気持ちになるのは彼らなのに。
若い人たちに、映画を見て、かつて70年代若者だった人たちが「世の中を変えたい」ため何を考えてどう生きていたか少し興味を持って欲しい、そこから調べたり何か知ることをして欲しい…と強く思ってしまいます。
この「若者の諦観」に関する問題は、現代の日本の教育やスマホやSNS中心のネット社会など、複数の要素が構造的に絡み合っているため、単純にこうすれば解決できる…という糸口はそう簡単にはないと思っています。
ですが、少なくとも「人はみなすべからく平和や幸せを感じて生きる権利がある」(憲法が定める基本的人権)という事に基づいて「今の自分は良くても、いつ健康や経済的自立を失うことになりかねない」
…といった想像力をつけるため、周りの大人や社会が彼らに何か示すことはできる気がするのです。
事件で報道された「邪魔だから痛い目に合わせれば居なくなると思った」という容疑者の供述。
こんな身勝手な理由で、住む場所もない弱者の命が奪われる。
少しでも想像力や思いやる気持ちがあれば、こんな事件は起きなかったのでは、と思います。
難しいとは思いますが、この映画の言わんとすることを届けたい、特に若い世代に…と心から思いました。
(6月に見た『PLAN75』のテーマに少し通じるものもあると思います)
でも、そのために私たちが出来ることは何でしょう。考え続けたいと思います。