「2020年に渋谷区幡ヶ谷のバス停で起きた女性ホームレス襲撃死亡事件...」夜明けまでバス停で りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
2020年に渋谷区幡ヶ谷のバス停で起きた女性ホームレス襲撃死亡事件...
2020年に渋谷区幡ヶ谷のバス停で起きた女性ホームレス襲撃死亡事件をモチーフにしているということで、かなりツラい映画だろうとの予測での鑑賞です。
居酒屋の住み込みパート従業員として働く40歳前後の北林三知子(板谷由夏)。
実家との折り合いは悪い上に、別れた夫の借金を払いつつの生活はキツキツ。
本職の自作アクセサリーを知り合いのアトリエ兼カフェで売ってもらっているが、まぁ金にはならない。
そんな中、コロナ禍となり、セクハラ・パワハラの居酒屋チェーンマネージャ(三浦貴大)は、三知子たちパート従業員のシフト勤務を大幅に削減し、最終的には休業、そして、予告もなく解雇されてしまう。
住み込み従業員であるから解雇されたので住居となっているアパートは出なければならない。
幸い次の仕事、住み込み介護士の職が見つかったので、助かったと思った矢先、介護施設にコロナ患者が出、施設は閉鎖、新規採用は中止、と通告される・・・
といったところからはじまる物語で、三知子はホームレスとなってしまいます。
そうだよね、ちょっとしたきっかけで転落するなんてザラ。
だけれど、転落するのは、社会的立場の弱い者だ。
三知子が働くチェーン居酒屋では、正社員は先述のマネージャのほかは、年若い女性店長(大西礼芳)のふたり。
社員の順列は、マネージャ、店長の順で、店長もマネージャの不正には目をつぶっている。
男性料理人たちと、パート女性の間にも溝はあり、せめてもの救いはパート女性たちの関係が良好なこと。
男性陣から最も格下の扱いを受けているのは、初老のフィリピン女性のマリア(ルビーモレノ)。
彼女が憤りをぶつけるシーンは生々しく、ルビーモレノの好演が光ります。
ホームレスにしばらくはどうにか食いつないでいた三知子だったが、ついには手持ち金は底をついてしまう。
1か月相当額の退職金の不払いがあり、その原因がマネージャの横領着服にあるあたりは、さすがにタチが悪い、と思う。
(このエピソードは、映画後半、暗喩・メタファーとして効いてきます)
欠食により昏倒した三知子を助けたのが、バクダンと呼ばれる左翼崩れの老ホームレス(柄本明)。
彼が三知子に対して、いまの政治状況への憤りをぶつけるあたりは少々説教くさいのだけれど、三知子が度々口にする「自己責任」という言葉が社会を悪化させている原因のひとつ。
ホームレスになったのは自己責任、悪いのは自分・・・・と、自縄自縛になって身動きが取れない。
「自己責任」と上の人々、周囲の人々、関係のない人々まで口にして、まるで自己責任で洗脳しているかのよう。
「自己責任」と政治家も口にするが、ならば政治家本人の「自己責任」はどうなのよ、「政治責任」という責任はどうなのよ、と憤ってしまう。
劇中、映像で流れる実際の映像で、ときの首相が口にする「自助、共助、公助。そして絆」という言葉がなんとも空々しく、先の首相とあわせて、彼らのメタファーが先述のマネージャだとわかる。
バクダンの手を借りて、権力に反旗を振りかざす三知子だが、それはある種、拍子抜けに終わるが、ホームレスになってから、あれほどハラハラしたこともなければ、腹の底から笑ったこともない。
そんな中、いつものように三知子がバス停で眠っていると、ネットでの無責任放言の感化された輩が「正義」の名のもとに三知子を襲撃する・・・
この後の展開は書かないが、ツラく陰鬱にならない結末がよろしい。
そう簡単ではないが、共に生きる、協して生き抜く、なんなら世間を変えてやる、といった感があります。