「イーサンは電気羊の夢を見るか?」ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE Immanuelさんの映画レビュー(感想・評価)
イーサンは電気羊の夢を見るか?
「人工知能(AI)が、あるいは「機械的なもの」が自我を持つようになり、それが人間の脅威となる」というストーリーはすでに手垢がついた印象があります。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というフィリップ・K・ディックのSF小説を引き合いに出すまでもなく、「ブレードランナー」や「攻殻機動隊」など枚挙にいとまがありません。
もちろん「だからダメだ」というわけではありません。時代に合わせていろいろなモノと対決してきたイーサンも、時代の流れによって対決する相手は変わってくるのです。今どきの旬な相手と戦うのがヒーローというものだからです。それで、「今どき」の旬な脅威は「AI」なわけです。
それに対して、若干歳をとった感のあるイーサンは「AI」と戦うというのに、未だ悲しいほどアナログです。デジタルの戦いなのに、物語のキーとなるのは文字通りの「鍵(KEY)」ですし。イーサンは愚直に体を張って戦います(もちろん、IT技術はそれなりに使いますけどね)。
イーサンを演じるところのトム・クルーズは、体をバリバリに張ってますが、若干歳をとった感は否めません。それでも、もはやCG全盛の映画界で、今だ生のアクションに拘り続けるトム・クルーズは立派ではありますが、映画全体に漂う時代錯誤感とデジタルとアナログの相性の悪さに、ちょっと違和感は感じるところではあります。もはや「007」も然りですが、昔ながらの伝統のスパイ映画は、時代に合わなくなって来ているのかもしれません。
とはいえ、イーサンが後頭部にプラグを刺して電脳世界に侵入して電脳世界で戦う…というのは、絵になりませんからね。イーサンに似合うのは、どこかで見たような錯覚に陥るオリエント急行でのアクションであるとか、フィアット500でのカーアクションといった、もはや「リスペクト」を超えて「ノスタルジー」の世界に入りつつある所が、ギリギリの着地点であるのでしょう(着地点がものすごく高くて感心しますが)。
このような昔ながらの大型のスパイ映画が成り立つのは、これで最後のような気がします。言わば今までのスタイルのスパイ映画の到達点であり、終着点である。その意味で今、スクリーンで見ておいた方が良い映画だと思います。映画の時代が変わる転換点であり記念碑的な作品を、スクリーンでリアルタイムで立ち会うことのできた私たちは幸福なのかもしれません。