「息つく暇もない徹底した娯楽作。後編が楽しみ。」ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
息つく暇もない徹底した娯楽作。後編が楽しみ。
字幕版を鑑賞。字幕が戸田奈津子だったのでゲンナリした。字幕誤訳業から引退したと聞いた気がするのだが、まだやってるのか。スッパリと潔く引退して欲しいものである。今作も字幕の出来が悪く、話の流れを分かりにくくしていた上にいつものおかしな日本語が頻出して嫌になったので、全く見ないことにした。
ミッション・インポッシブル・シリーズの第7作で、初の二部作になっており、今作はその前編である。それなのに3時間近いというのは、途方もない展開がこの先もあることを予感させる。第1作で 33 歳だったトムも 61 歳である。相変わらずスタントマンを使わずに自分で全てのアクションをこなしているというのには敬服の念を禁じ得ないが、体型やフェイスラインなどには確実に年齢を感じさせるものがあった。
007 シリーズが既に原作切れを起こして先行きが不安なのに対し、こちらはトムさえ元気であればいくらでも新規の物語が作り出せるのが強みである。このシリーズは監督が目まぐるしく交代してきたが、第5作以降は同じ監督と脚本家が採用されており、このため、前後作のストーリー上の結び付きが強くなっていて、各キャストの役割も引き継がれている。本作を見る前に、第5作の「ローグ・ネイション」と第6作の「フォールアウト」は最低限見ておいた方がいい。
本作の副題の「デッド・レコニング」といいうのは、制御工学での用語で「推測航法」という意味である。これは、車両がトンネルなどに入って GPS 情報が得られなくなった場合に、車載のジャイロセンサや加速度計などを元に、これまでの経路の経過に基づいて先の経路を外挿的に推測するもので、現在の車には多く搭載されているので、以前はトンネルに入ると自分の車の位置が止まってしまっていたが、現在は何事もなくトンネル内を移動して見えるのはこの制御のお陰である。この用語がこの映画の何を意味しているのかは、現時点では不明である。
感心するのは物語の練り上げ方と見せ場の作り方が見事なことで、おそらくはトムのアクションを最初に決めて、それらを繋ぐように物語を展開しているのであろうが、緊張感が途切れることなく持続しているのが物凄い。トムは映画の面白さというものを熟知し尽くしていると思わされる。その要求に応え続けて脚本家と監督を兼業しているクリストファー・マッカリーの手腕には脱帽のほかはない。
ただ、アメリカ人らしい大雑把さも目についた。潜水艦の中で出した音は海中を伝わって敵艦に傍受されてしまうので、大声で喋ったり、ドアを勢いよく開け閉めするなどは御法度なのであるが、全くそういった気遣いが感じられないのには苦笑を禁じ得なかった。また、列車の屋根から一旦側面に降りて再度登る時、ナイフなどを突き立てなければ登れないはずであるが、手ぶらのトムは一体どうやって登ったのであろうか?といったことなどが気になった。
物語のコアになっているのが AI で、自己学習によって自分自身を書き換えて進化するという設定はありがちであるが、実際に現在のコンピュータを使って実現可能であることは、ChatGPT などを見れば明らかである。ただ、短波のアナログ無線なら AI には傍受されないという話には頭を抱えた。短波は電離層で反射して遠隔地まで到達してしまうので、近距離だけの通信がしたければ極超短波を使わなければならない。また、アナログなら安心というのもおかしな話で、復調したものを A/D 変換してしまえば AI は易々と内容を聞いてしまえるはずである。
AI による画像や映像の創出や加工は、既にアマチュアレベルでも十分に鑑賞に耐えるものができる時代になっており、「インディ・ジョーンズ」最新作の若返ったハリソン・フォードの映像を見れば、やがてどんなアクションシーンでも AI で可能になるに違いなく、そうした流れに体を張って抵抗しているのがトム・クルーズの本シリーズであるということができる。
音楽はラロ・シフリンの有名なテーマ曲を見事に取り込んだ重厚なオーケストラサウンドが非常に魅力的で、作風からてっきりハンス・ジマーかと思ったら、よくジマーと共同制作しているローン・バルフェの単独での仕事だった。作風がソックリで頼もしい出来であった。脚本も兼ねている監督の仕事っぷりも見事なもので、後編が今から楽しみである。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。