MEN 同じ顔の男たちのレビュー・感想・評価
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男性性の暴力と連鎖
期待したよりずっと面白く見ました。
奇抜ともいえる表現に戸惑われている方も多いようですが、私にはこの上なくストレートな表現に見えましたし、そう解釈していいと思います。
死後に至るまで女性に暴力を振るい続ける男性と出会ってしまった主人公が、さまざまな形の男性の暴力に苛まれつつける。
それは(最初で人間の始祖とされている)アダムからすでに始まっている。裸の男はアダム。
(もちろん、暗にキリスト教の家父長主義が批判されている。教会の石の浮き彫りで女性は性と繁殖の道具として描かれている点)
アダムから延々と男性原理が再生産されて、主人公の死んだ夫にまで連鎖している。
(過去の男たちは具体的な顔を持たないのでとりあえず村で最初に会った男の顔になっている。顔が同じという点にあまりとらわれると話が見えなくなると思われる)
そうやって連鎖していく男性原理を前に主人公がうんざりした表情を浮かべるのが印象的。
※ただし、男性原理の連鎖があのような形で描かれることには、男性性は男性自身のことも苦しめているという含意がある。
男が自分への(相手へのではなく)「愛」(客観的に言えば甘やかし)ばかり求めているところでこの「うんざり」は最高潮に達しているのだけど、そこで出るタイトル。
「もう愛は捧げられないわ」という歌が流れて……
そんなにわかりにくい映画ではないですね。
しかしこれをそんなふうに描くのかという面白さがありました。
※ドアと部屋の使い方が上手ですね。
※トンネルの使い方も工夫されていて、通常は非日常への入口のはすが……
禁断の果実
目の前で夫の最悪な最期を目撃してしまったハーパーは、心の療養のためにイギリス田舎町の館にやって来る。
そこの管理人ジェフリーは親切だが少しクセの強い人物だった。
森林浴に出かけるハーパー、森の中のトンネルで声の共鳴を楽しんでいたら……
“なにかがおかしい”
その不可解さは次第に巨大な恐怖となりハーパーを襲い始める。
はじめに弁解。
実は今作、2022年の映画締めでした。
ただ忙しくて放っておいたらあっという間に1ヶ月が……
これ以上レビューしないといつまで経っても映画初め出来ないので気ままにレビューします。
観賞後1ヶ月の解凍レビューなので、色々とご了承ください。
2021年、最狂の激キモ映画『ライトハウス』に出会って以来、A24ホラーやキモそうな作品の公開が決まるたびにウキウキしてきた私。
しかし2022年。
『TITANE』や『LAMB』や『ザ・メニュー』など、キモさ期待値が高かった作品は悉く何かが違う(作品としてはどれも好きだけど、私のキモさの琴線に触れなかった)。
今年はキモい作品ないのか……と落ち込んでいた私の元に舞い降りた救世主、それこそが『MEN』なのでした(何言ってんだろ)。
まず、あのトンネルのシーン。個人的にはあそこが1番好き。
後半の怒涛の展開に目が行きがちだが、前半のこのシーンからの一連の描写は神がかっていると言っても過言ではない。
トンネルという闇、その奥に見える光、そして共鳴する声。
森の中のトンネルという、いかにも恐怖の寝床のような場所へ、主人公が呼びかけたことで目覚める恐怖。
追いかけてくる声、謎の人影、たんぽぽの綿毛、逃げ切ったと思い写真を撮ると後ろに映り込んでいる全裸の男性。
言語化しただけでも恐ろしいこれらの要素を、ここまで自然に入れ込んでくる巧さには感心するしかない。
その後も意味が有りそうだが分からない不気味なモチーフが多く登場する。
仮面、陰部を広げた女性の彫刻(シーラ・ナ・ギグ)、カラス……etc
確かにビジュアル的な部分での恐怖が多いのも事実だが、考え始めたら何かが物凄く恐ろしいという感覚は『ヘレディタリー』や『イット・フォローズ』、『ラストナイト・イン・ソーホー』なんかに似ている。
この4作品なんか共通点が……あ、全裸男。
全裸男のビジュアルはどんなお化けやクリーチャーよりも恐ろしい。
そして、その衝撃ゆえ頭から離れない。
性被害だったり男の怖さだったりを描いた作品の後味が悪いのはそういう理由もあるのかもしれない。
こういった映画でのトラウマ体験は、女性にとってどれだけ男が怖いのかを知る上で良いかもしれない。
それはともかくやはり怖い。
少し脱線したが、やはり後半の怒涛の展開には言葉を失った。
今目の前で行われている一連のアレを一体どんな感情で見ればいいのだろう笑
一歩間違えれば滑稽になるところだが、しっかりホラーの体裁を守りながら展開している。
解釈の分かれそうなオチもまた良い。
こういう作品は綺麗に片付けば片付くほど胸糞悪い。
夫の死という呪縛、そして男性に対する恐怖、ハーパーの思考が表象化された幻覚もしくは現実なのか。
1年の終わりに良いものを観れた。
愛を乞う男。
転生してまでも女に愛を乞う男、その姿は実に哀れだ。だがその気持ちは痛いほどわかる。この世で最も愛する女に愛されないことがどれほどつらいことかを。
恥も外聞もなく、ただただ愛を乞うしかない男。その男の思いに翻弄され苦しめられる女。
女が男を惑わすのか、それとも男が女を惑わすのか。
妻ハーパーから離婚を切り出され、自殺をほのめかせるジェームズ。それは誰が見ても無様な行為だった。だが、彼はそうまでしても彼女をつなぎとめておきたかった。
恋愛においては時に人はその本性をさらけ出す。どんなに体裁を取り繕っても自身の感情の発露を抑えることなど出来ない。ジェームズは子供のように妻の愛を欲する。
エデンの園の禁断の果実をモチーフにしたところからも、女が男を惑わしたかのように見える。その仕返しに女をとことん苦しめようとする男。しかし、結局は女に愛を乞う。その様を女は半ばあきれ顔で見つめながらも受けとめる。どうしようもない男だと。
ダークファンタジーのようで、その実、男と女の永遠のテーマを描いた作品。
時間が経つといろいろ考えました。
観終わった時は、元旦からえげつない映画を観てしまったなぁ、と思いましたが、まぁこういうことも想定内でしたし、しばらくの間いろいろ考えられたので星一つ増やしました。
公式サイトのコメントでは、女性目線のものが多く、男性による女性への日常的な被害みたいなことを暗示させるコメントが目立ちましたが、自分が男性だからという訳ではなく、ちょっと違うだろうなと思うに至りました。女性はこうで、男性はこうだ、というふうな考え方は、決定的なことではないでしょう。世の中、うまくいってる夫婦もたくさんいるし、男でも女でも他者を尊重する人もたくさんいるわけで。この映画の場合は、非常に極端な場合であり、関係が最悪までこじれた結果、こんな妄想や夢が出てきた、というふうに受け止めた方が良いのではないでしょうか。夫婦げんかがここまでに至るところは描かれていないので、きっかけやどちらがどういけなかったかは不明でした。やはり事が小さいうちにお互い修復しておかないと!
ただ、男女とも完全な人はいないし、生物学的にも社会的にも「らしさ」とか「傾向」はあって、その部分が様々表現されていた所は「そうそう、そういうとこある」とうなづいたり、笑えたり。例えば、男性の子供っぽい所、女性の醒めた所など。
伏線らしいことがいくつかあって一つも回収されなかったけど、顔が同じなのは、誰でも良くてひとりが演じれば済む、くらいのことであり、実際起きたことは、車で逃げようとしてぶっつけた、浮浪者が再びやってきてナイフで応戦した、くらいで、後は妄想なのかなと。まぁあまり深く考えても仕方ないような。邦題の付け方、プロモーションの仕方がどうかなとも思います。
翌1月2日に、IMAX HFR 3Dでアバター ウェイオブウォーターを観て、口直しができたので良かった(笑)。
何が起きたんだ?
タイトルにある「同じ顔の男達」を見て、Aの人、Bの人が居るけど、実はときどき入れ替わって居て、Aしか知り得ない事をBが知っていて、小さな不信感に。
そんな小さな不信感がどんどん貯まってクライマックスには大きなトラブルに…
って感じの妄想していたけど、同じ顔の男って居たかな?
単に、自分は字幕を追うのが忙しくて、顔まではしっかり見ていないだけかもしれないけど、もしかしたら、欧米人にアジアの人の顔の見分けがつきにくい様に、自分には欧米人の顔の見分けがつかなかっただけ?
教会に有った石像?台座?が、ときどき出てくる。ならば、何か意味があるはずだけど、どういう意味?
最初は全裸の男に対して、すぐに通報しているのに、二度目は通報よりもナイフで立ち向かうのは?
古い殻を脱ぎ捨てる様に脱皮?出産?を繰り返す所は予想外で気持ち悪いけど、以前の身体に有ったダメージを引き継いでるのなら、脱皮の意味がないのでは?
そのダメージ、自殺した旦那の損傷に酷似しているのは?
自分の弱い頭では
「主人公がアルコール中毒」か「何かヤバめなお薬をキメてる」その結果、幻影を見ている
程度の理由しか出てこない。
理由を求めてはいけない映画?
「こういう原因が有ったから、この結果に至る」という映画では無い?
色んな意味で気持ち悪さが残る
夫婦喧嘩の後に夫が亡くなってしまい、“あの時、私が…”という思いが頭の片隅にずっと引っかかっている…
そんなモヤモヤした気持ちを晴らすために、田舎の家を2週間ほど借りて滞在することにしたのだが…
序盤は音や(歌)声が印象的で、怖さよりも不思議な雰囲気。あと、田舎の土地で遭遇する男性陣に妙に不快感と違和感を覚える。
主人公は立ち直ろうとしているけど、思いのほか心にダメージがあって妄想で恐怖体験をしている?…と、途中で思ったのですが、妄想ではない模様。
終盤にむかうにつれて、男性陣の気持ち悪さが増し、目を覆いたくなるようなグロテスクなシーンも…。
徐々に追い詰められていく主人公と、フラッシュバックする亡くなった夫の姿…。ここまでくると、“まだ描かれていないだけで、主人公が何か恨まれることがあったのか?(因果応報的な)”とも思ったのですが、そうでもなさそう…。
“俺は君のことを愛しているのに、君はなぜ俺から離れようとするの?”…姿形をかえて、死んだはずの夫が主人公にまとわりつく…
という、どうやら“離婚したくなかった夫の執念”が起こしたことだったようなのですが、個人的には結末がしっくりきませんでした^^;
“妄想”でもなく、“幽霊”でもない。
どちらかというと“クリーチャー”扱い?
車に追われたのも事実、玄関に血痕があって這ったような跡があったのも事実。
…じゃあ、街の男達が体内から他の男性を産み、急激な輪廻転生で最終的に亡くなった夫(生き返った)になったのは……?
オチが“夢だった”とか“幽霊の仕業だった”というのは好きではなくて、そういう内容だと思っていなかったので残念な気持ちがある一方で、“幽霊の執着が見せた妄想だった”と言われた方が納得できるな…と、思いました。
タイトルでネタバレ許すまじ
久々にすさまじくすばらしい胸クソの映画を観れた。傑作。ただ、これは絶対にカップルで観に行ってはいけない映画だろう。
これをどう鑑賞するのかはけっこう解釈の余地があると思うのだけど、僕は、「女性の男性に対する生理的な嫌悪」の物語だと感じた。
男性に対するキモイキモイキモイキモイキモイキモイ…の叫びが聞こえてくるよう。
これを男性の監督が作った(作れた)ということが信じられないくらい。
大家、少年、牧師、警官は、各年代、各立場での「キモい男性」の振る舞いを体現したかのような人物像。
女性に対するデリカシーの無さ、傲慢さ、無礼さ、配慮の無さ、礼儀の無さ…。
特に牧師は、紳士的で諭すような態度の反面、身体に触れてきたり、無自覚に男性擁護的な価値観をもっていたり、陰湿な「キモさ」が際立っている。
そして、この映画のキーは全裸の浮浪者だと思うのだが、彼は女性がもつ男性への「性的嫌悪」の象徴であり、半分神話的な存在であるように思う。
不潔で臭くてうす汚れていて、湿っていて得体が知れなくて、何か危害を加えてきそうな怖さがあって、急に家の中に侵入してきたりする唐突さがあって…。
この映画にはたくさんの謎があって、それらの解釈は観る人にゆだねられている。人によって全然違う解釈になりそうなところが面白い。
舞台となる田舎町で出会う男たちはなぜ全員同じ顔だったのか? これは、この物語が主人公(ハーパー)の夢、もしくは白昼夢のようなものだと示唆するためではないか。
というのは、この男の顔が、僕には「夢男(THIS MAN)」としか思えなかったからだ。それに、ハーパーが男たちが同じ顔であることを疑問に思うような描写がない。
これは、ハーパーにとってはすべての男が潜在的に嫌悪の対象になっている、ということも示唆していると思う。
教会で見た、「真実の口」のような彫刻は何なのか? あの彫刻は、片面に男性、反対側に女性が彫られているように見えた。
これは「男性への嫌悪」というものが、深い部分では「男性からの性欲」を向けられることへの嫌悪、そのような性的な存在である自分自身への嫌悪、そして、「生命を産む女性性」そのものへの嫌悪に根源的につながっていることを示唆しているのではないか? これはラストにつながってくる。
「リンゴ」は何を意味しているのか? 聖書では、イブがまず禁断の果実を食べ、次にイブがアダムにも食べるように勧めたことになっている。これが人類が初めて犯した罪(原罪)であり、これ以後、すべての人類は生まれながらに罪を背負う宿命となってしまった。要するにキリスト教では、リンゴは原罪の象徴であり、原罪を背負うことになったきっかけは女性であるので、女性の方が罪深い存在である、ということになる。
この映画でも、リンゴを食べたハーパーに対して、大家は「それは泥棒ですよ」とドキっとする言葉をかけている。リンゴは、ハーパーの罪悪感の象徴として出てきているのだろう。ただし、ハーパー個人の罪というよりは、女性であることそのものへの罪(を押し付ける宗教的価値観の象徴)として…。
「切り裂かれた腕」は何を意味しているのか? 郵便受けから出された腕は男根を思わせる。要するに男性性そのものの象徴だということになる。それをハーパーは切り裂いた。これは、ハーパーが(夫の)男性のプライドを切り裂いてしまったことを意味するのだろう。
「タンポポの綿毛」は何を意味しているのか? 言うまでもなく、これは男性の精子を意味しているのだろう。綿毛の1つを口から吸いこんだハーパーがこのあと見るビジョンからも、そうだといえる。
「男性が生まれ続けるビジョン」は何だったのか? これは、「生命を産む女性性」そのものへの嫌悪と、グロテスクさを表現したものだと思う。「生命の誕生」というと神聖な讃えるべきものだという感じがするけど、反面、非常に恐ろしい、グロテスクなものでもある。
最後の謎、ハーパーの死んだ夫の言葉、「僕を愛してほしい」という言葉と、それに対するハーパーの反応は何だったのか?
結局、男性の女性に対する望みというのは「愛してほしい」というただそれだけのシンプルなものだということか? しかしそれに対してハーパーは、冷たい表情をする。「愛している」ではなく、「愛してほしい」というのは、子供が親に要求するようなことであって、結局男性が女性に望むのは、そのような幼稚な関係性なのかもしれない。
それを見抜いたハーパーは、恐怖するでもなく、憐れむでもなく、諦めとも軽蔑ともとれる反応をした。「それがあなたの本心だとしたら、そんなあなたを愛せるわけないじゃん」って。
そういえば、「エクス・マキナ」では、男性が女性を勝手に理想的な存在に見てしまうことがテーマだった気がする。この映画のテーマはそのちょうど対の関係になるんじゃないか。
ちょっと惜しいな、と思ったのが、本来ならクライマックスで一番感情のピークが来るように鑑賞できたら良かったのだけど、クライマックスの展開が僕にはファンタジーすぎて、逆に冷めてしまって、ひいて見てしまっていた。
全裸の浮浪者が窓ガラスだらけの家の周囲を歩き回ってるあたりが、リアリティがあって一番怖かった。
あと、邦画タイトル「MEN 同じ顔の男たち」、これマジ最悪。「同じ顔の男たち」ってネタばれしてるじゃん!
「あれ? もしかしてこの町の人たちって全員同じ顔じゃね?」と自分で気づきたかった。その瞬間、絶対「ぞくっ」ってなったはずなのに…。
身勝手な男
全体を通す静謐さが時おり不安な音楽を伴って不吉な雰囲気に落ち込み、悪夢的な状況が滑り込む。イギリスの田舎の美しさ、森の美しさ、調和のとれた静謐さの中にある自然美に入り込む不協和音。この監督は音楽の使い方が絶妙だ。エンディングに向かって寓話的なストーリーがグロテスクな演出と共に主人公に無理矢理の意味を押し付ける。イカれた男の情念が怨念に変わり、彼女の悪夢につけ込む。最悪の男がこの作品で見事に生み出されている。女は諦め半分で全ての醜悪を受け止めさせられる。納得はいかないが狂った男の怨念は計り知れない。よくぞここまでの醜悪な男を描いたものだ。その点だけでも、興味深く新しさを感じる。女に全面的に甘える嫌な男の怨念ほど、厄介なものはない。
男なんて皆同じよ! と言う怒り
前半からずっとヨーロッパの童話や寓話を読んでいるような気がしていました。男は傲慢で身勝手である。暮らしの中では女を必要としているし、生理的に女を求めるが、深く尊敬はしていない……
◉美しい風景の中に現れる同じ顔
暗いトンネルの向こう側にもこちら側にも、褐色と緑色を基調にした景色が広がっていた。迷路のような道が抜けて行く森や、柔らかい風と光が溢れる草原がとても美しかった。ただ、長閑な牧歌的景観とは違う。人からは遠い所にある田園であり、館だと感じました。その中で男と女の対決が繰り広げられる。しかし、どちらも決して悪くない。
傷心を癒しに館に訪れた妻ハーパー(ジェシー・バックリー)の心にサワサワと忍び込む男たち。妻は改めて男への不信感に晒される。妻にはタンポポの綿毛が吹きかけられ、裸体の不審者は顔や身体から綿毛を生やす。綿毛はつまり、どこへでも飛んで行く「精子」ですね。
◉男を生むのは男
妻は夫ジェームズ(パーパ・エッシードゥ)と諍いの挙句、離婚話になってしまうのだが、まさか夫が飛び降りるとは予想外の展開。更に冷静さを失わない男の代表みたいな顔をしたジェームズが、妻をグーで殴ったのには驚いた。ここから、妻の不思議の旅が始まった。と言うか、夢の旅。あるいは神に憑かれた旅。
無表情もしくは薄ら笑いを浮かべた、同じような顔の男たちに弄ばれた妻は逃げ回るが、その果てに一つの無理矢理な答えに辿り着く。男を生むのは女じゃない。ぶちのめしたい男を生み出すのは、ぶちのめされて当然の男たちだ‼︎ 執拗に出産シーンが繰り返される。
分かった、もう分かったと観る者が辟易した頃に、夫が産み落とされる。このオチは読めましたが、ジェームズの何ともしみじみした顔。だから男は何にも理解していないのよ……と言うパーパーの心の叫びが響きました。この後、妻は夫の正体を葬ることになる。
ただし、「男」へのあからさまな嫌悪を感じ取ることはできたのですが、前段階と言うべき夫婦の亀裂、男女の断絶をもう少し観る者に突きつけて欲しかったと感じました。ハーパーの女の炎がメラメラ燃えてから童話が始まれば、そこにはきっと女性の「独善」もほの見えたのではないかと思うのです。
セクシズム、マチズモがどのように生まれてくるか
女性として生きていると、少なくともあの男たちの1人に、同じようなことをされたことがあるのでは。
彼らを産み出すのは彼ら。マチズモが引き継がれる様がグロい。彼女もラストに元夫もその構造により生み出された男であったことに気づく。
「出来損ないでも人の役に立つ水兵になれ、父に言われた」(うろ覚えでスミマセン)男らしさの押し付けで彼らも傷だらけになっている。
ドキュメンタリー「男らしさという名の仮面」を見ると彼らがどのように生み出されるのかが分かる。オススメです。
最後に笑うのは誰か
赤い色彩な映像夕焼けかな
音楽がかかり陽気な雰囲気
突如の地獄絵
彼女は緑豊かな田舎へと
車を走らせる
トンネルで響く声
そして街の男たちは
皆同じ顔
🍎が落ち始めたら
畳み掛ける
予測不可能な展開の畳みかけ
産みの連続
え悪夢
これは夢?
でもエンドロールで
友だちが駆け付けると
これは夢ではないと感じる
パッシブアグレッシブな夫に
暴力を振るわれたら
とりま、遮断でしょ
あの行動は間違えではない
しかし結果
夫は高所から落ち、死んでしまう
「愛が欲しかった」
もし彼の思いがこのような
現象を引き起こしたのなら
私は思う
生きている時に
素直に言える事が大事だと思う
死んでから言われても
もう愛せないじゃない、
あなたはもう死んだのよ
A24は最近この手が多い気がする
この作品のぶん投げ方はすごい!もしかしたら妄想だったのかも?と思ってもラストでちゃんと血がついた服を着てるから妄想説は無い。なんで皆んな大家の顔なのか?なんで主人公は気がつかないのか?なんでグリーンマン?なんでモンローのお面?いやぁサッパリわかりません。映像が綺麗でしたで、満足していいものなのか?つまらなくはないけど、答えがない謎解きは考えない方がいいような気がする。
因みに今回の役者陣、個人的に誰も好きになれなかったなあ。
ホラーなのかな?異様な村での出来事
ホラーだと思うけど、かなり異質な雰囲気を漂わせる。
ひとりの女性が気分転換のためある村の屋敷で過ごすのだが、そこで起こる奇怪な惨劇。
異様さはすごく感じるのだが怒涛の様に巻き起こる後半の奇怪な行動に恐怖心というより呆気に取られた感じでした。
もう一つ彼女が宿泊するためにやって来た屋敷の林檎を勝手に取って食べたことにも導入として違和感をすごく感じた。オチとして彼女自身が異様な存在だったということであれば別なのだが。
人間マトリョーシカ
兎に角、奇妙奇天烈が弾け飛ぶ問題作には間違いない テーマはミソジニーなのであろうが、日本のホラーなのではと
見間違う程、そのテーマ選択は馴染みやすい題材である 同人誌などで過去にこんな類材あったのではないだろうか
顔が全て同じという設定は余り感じなかったが、とにかく後半のドライブ感、そして反比例するかのように主人公のダダ下がりっぷりが興味深い 本当に下等動物を見るかのような目つきでうんざりしていく姿が手に取るように判る 映像の綺麗さ、ヨーロッパの田舎の自然溢れる豊かさも充分表現されていて観光映画でもあるかもしれない
ラストの元夫を手に掛けたのかどうかは観客の手に委ねているが、呆れてモノも言えないといった佇まいで座っている主人公は世界中の女性の代表そのものであろう
"言わぬが華" 男はこの言葉を胸に刻み、努々軽口を叩かないようにw
結局なんなのか分からない映画
トンネルのシーンまでは美しい映像と忍び寄ってくる不気味さみたいなものを感じられ、面白くなりそうだなと期待していたのですが・・・
そこから先のストーリーは無いに等しく、結局よく分からないまま映画が終わり、「・・・で?」という感想しか出てこない(笑)。
結局全て主人公の幻覚(妄想)だったのか、でも事故車と血の痕は?
まあ多分作り手が伝えたいのはそこじゃなくて、「男は皆同じ、クソみたい」というメッセージの方だと思うので、単なる演出で整合性とかはどうでもいいんでしょう。
クライマックスのシーンは不快感を催す人も多そうですね。R15+なのはこのシーンの為かな。
そこに至るころには「これはホラー映画ではない、観に来る映画を間違えた」という心中になっていたので、今更グロ要素出されてもね・・・と冷めた顔で見ていましたが。
この作品はかなり人を選ぶ映画のような気がします。私には合いませんでした。
観に行くならひとりで行くことをお勧めします。
誰かと観ると上映後に大変後味悪い空間が出来上がると思います(笑)。
ある意味ステレオタイプの男性像を描いているだけなのかもしれない
見終わったばかりなので殴り書きです。
終映後はえ?これで終わり?と思って呆然としたまま劇場を去ったが、電車の中で正気に戻ってみると、案外これはステレオタイプな男女という種を描いたものかもしれないと思った。
映画「マザー!」の後もしばし放心したが、本質的には両者似ているのでは。
極端にいうと、男は女に無償の愛を求めるが、女は男に安心安全を求める。女性がずっと私の側にいてね、というのは生活の安定や安心を得たいからで、男性が俺だけを愛してくれ、っていうのは、外でやんちゃしても多少怒りっぽくて暴力ふるっても、何もいわず許してねっていう母なる愛的なものに偏る(古典的には)。
少年サミュエルが求めたように、自分の気が向いたときに嫌な顔せず相手してくれて、神父が求めたような肉欲にも応えてくれる存在。なにをしてもしょうがないわね、と許してくれる存在。(ちなみにサミュエルはヘブライ語で「彼の名は神」という意味だが、関係あるのだろうか)
突然田舎に現れた女性にあれこれとちょっかいを出す男たち。冴えない田舎の中年男。高圧的な変態神父とただの変態。鈍感な警官。ハーパーの目に映る村の全ての男性は同じ顔だけど、それは女性に敬意を払わない象徴というだけで、そこに謎解き要素はない(副題にあまり気を取られてはいけない)。
最後、すんごい生々しいものを見させられたが、これからも½の確率でエンドレスに産まれる男たちという暗喩ではなかろうか、と。
そしてたくさんの失礼なかまってちゃんたちに、これからも共存しなければならない女性たち、大変だね!っていうメッセージを、ホラー仕立てにして、聖書のスパイスを振りかけて、もしかしたらケルト神話まで挿入しちゃった、ひねくれた女性賛美の映画なのかもしれない…。
ハーパーが切り裂いたサミュエルの右手は、鉄格子に裂かれていたジェームズと共通する気もするので、男たちの所行はジェームスの怨念の権化?とも受けとれるが…。
冒頭の美しい森や自然が、閉鎖的で恐ろしい場所に代わっていくのも、ハーパーの結婚に似ているのかも。最初は居心地がいいが逃げ出したくなる。
「かもしれない」多めの自信なし見解になったが、無垢な凶暴さで戦慄させてくれた「エクス・マキナ」のように楽しませてくれたかというと、期待外れだったといわざるを得ない。ホラーにはホラーなりの見た後のすっきりさはないし、サスペンスならサスペンスなりのすっきりさもない。グロい寓話をみましたね、というただそれだけ。
ホラーとコメディは紙一重
お屋敷、原っぱ、森、トンネル、廃村、ハーパーの服装、お屋敷の小物、どれも雰囲気や色合いが素晴らしく見惚れる程。
そこに突如現れる全裸おっさん。
村でのシーンは、音楽を入れ替えただけでシュールなコメディになりそう。
堪えきれず笑ってしまっている観客もいた。
でもそれでいいのだと思う。
ラストはちょっとグロさに頼ってしまった感じもするけれど。
そしてテーマがありきたりなのが残念。
サイコにならないよう調整した結果なのかな。
グロマトリョーシカ
難解すぎ。
アート性が高すぎて
絵画観に美術館行ったかと思たわ。
なぜ男たちが皆んな同じ顔をしているのか?
なぜ彼らは主人公ハーパーを襲ってくるのか?
劇中での説明はまったく無いし、ハーパー自身も疑問に思う素振りもない。
ハーパーの内面で起こっている(らしい)ことなので、どこからが空想でどこまでが現実か?なんてのは愚問。
リンゴは「アダムとイブ」の聖書から、
教会にあった表裏一体の彫刻は、女性みたいなのは「シーラ・ナ・ギグ」といい、顔の方は全裸男の「グリーンマン」で共にケルト神話から、
牧師が自らを「白鳥だ」と言う場面は、ギリシャ神話の「レダと白鳥」における、白鳥の姿をした神ゼウスが、レダを誘惑して犯してしまうというエピソードからの引用らしい。(わかるかそんなもん)
アレックス監督曰く、「明確な答えがないことで観客の頭に疑問が残り、自分でなんらかの答えを探してもらえたらいい」
…確信犯やな(-_-メ)
同監督の「エクス・マキナ」は面白かったのに…
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