「ほぼジェシー・バックリーの一人芝居で彼女の演技力で持っているようなもの。シンボリズムが多すぎるが話の顛末は中盤位で見通せる。“幽霊見たり枯れ尾花”ではなく“幽霊見たけりゃ林檎を齧ろう”」MEN 同じ顔の男たち もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
ほぼジェシー・バックリーの一人芝居で彼女の演技力で持っているようなもの。シンボリズムが多すぎるが話の顛末は中盤位で見通せる。“幽霊見たり枯れ尾花”ではなく“幽霊見たけりゃ林檎を齧ろう”
①MEN(男たち)が女に求めているものは“愛”、という事を言いたいがためにこれだけの御膳立てをするとはお疲れさん。
②
・林檎を齧るハーパーはイヴと同じく女性。
(聖書にはハッキリ林檎と書いてなくて、林檎説は後世に出てきた諸説の一つだと言うこと。因みにイングランドの林檎は小さいけれどジューシーで酸味が強くアップルパイに丁度良いらしい。尚、ケネス・ブラナーの次のアガサ・クリスティの映画化3弾目は『ハロウィーン・パーティー』を原作にしたもので何とヴェニスが舞台とのことで、また大分改作するんだろうなあ。『ハロウィーン・パーティー』では林檎が大事な小道具として出てくるんだけど、どうすんのかな?と、林檎だけでこれだけ引っ張ってしまった。
・「裸の男」は林檎を齧ってないからか、チンチンを葉っぱで隠さず、葉っぱは額に刺している。
・ジェフリーが“~夫人”に何故か拘るのは、“夫人”が男に所属する、男の所有物であることを暗に示しているからか?
・ジェームズの死に様はちょっとイエス・キリストのよう。
・タンポポの種は精子のメタファー?
・出てくる男の顔がみんな同じなのや、男が女無しで妊娠して産まれてくるのが同じ顔の男ばかりなのは、男(の欲望)が結局みんな同じということの皮肉なメタファー?※男としては反意を唱えたいが…
・(追記)劇中でハーパーからそれらしい反応が無かったのを見ると、彼女にはみんな違う男に見えていたのだろう。映画を観ている我々には同じ男に見えるように一人で演じ分けさせたのは、女と男(MEN)とを決定的に対峙させる為?
・男が男を産む度にいつジェームズが出てくるのか待っていたが、なかなか産まれてこないのでイラッとしたけど、やっと最後に出てきてくれた。
あそこまでグロな映像にするのなら口から一人の人間が出てくるシーンも見たかったけれど、最後がジェームズだったということで驚かしたかったんだろうね。
③“ハーパーに謝って欲しかった、言い訳を聞いて欲しかった”というジェフリーの怨念が同じ思いを共有する男たちに伝染して生じた怪奇現象か、ハーパーの悔いや罪の意識が決着を付けたい為に無意識に引き起こした怪奇現象か、まあどちらとも取れますな。
④最後に現れたライリーが妊娠していた(それまではスマホで顔だけしか見えなかったし)のも何か意味深。もしかしてジェームズの種でそれが離婚の原因だったりして。
⑤或いは、ハーパーとライリーとはレズビアンで(そんな雰囲気もあった)、そうなると男はいらない(精子だけあれば良い―ここでタンポポのメタファーが出てくるか?)。そこに危機感を感じた男たちのマチズモが起こした怪奇現象という見方はどうだろ?
⑥昔ながらのホラーのヒロインなら男から男が産まれるのを目の当たりにしたら悲鳴を上げるだろうけれど、ハーパーはそのうち冷めた目で見るようになり最後は斧を手にする。そこが現代的とも言えるし、結局男は勝てないのかね。
⑦最後にまたアガサ・クリスティに戻るけど、ミス・マープルの住んでいた(開発前の)セント・メアリー・ミード村もあのように綺麗な田園地帯だったのかしらん。
あのように綺麗なイングランドの田舎の風景が観られたことがこの映画を観た一番の収穫かな。
そう、タンポポの種は間違いなく、どこにでも飛んで行く精子ですよね。
そして、ハーパーの目には男たちは違って見えて、彼女の意識では男たちは同一に捉えられていたと言うことだったのかも知れませんね。