「佐渡へ佐渡へと草木もなびく。佐渡は来よいか住み良いか」千夜、一夜 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
佐渡へ佐渡へと草木もなびく。佐渡は来よいか住み良いか
その島を初めて訪れた作家が、
その大きさに驚き、小説に書き残している。
作家の名前は『太宰治』、
小説のタイトルは〔佐渡〕。
まぁ無理もない。
東京23区よりもなお大きい面積の島が
日本海にぽっかりと浮いているのだから。
古くは『順徳天皇』や『世阿弥』『日蓮』が流され、
江戸時代は幕府の屋台骨を支える黄金の産出地として栄え、
最近では天然記念物である朱鷺の最後の生息地となり、
今では世界遺産への登録を目指す。
が、一方で、『曽我ひとみ』さんの北朝鮮への拉致で知れ渡った通り、
浜辺で遅くまで独りで遊んでいると攫われるぞ、と
親から戒められたとの話を、島の出身者からは聞く。
拉致問題が耳目を集める以前から、
実は島民にとっては、人が居なくなってしまう事件は身近にあったのだ。
ただ、これは〔砂の女(1964年)〕でもいみじくも語られている通り、
今でも年間に八万人ほどの人が全国で行方不明者として警察に届けられと言う。
申請があるだけでもこの数なのだから、実体は更に多いことは論を待たず。
姿を消す理由は様々だろう。
先に挙げた映画のように、囚われ、しかし魅入られてしまうこともあるのかもしれない。
『登美子(田中裕子)』の夫が忽然と姿を消してから、もう三十年も経つ。
最初の二十年はチラシを配り周囲に協力も呼びかけたが、
今ではそれも沙汰止み。
彼は拉致に遭ったのか、それとも、元々遠洋漁業の船員だった気風が蘇えり、
世界の港を風来坊のように旅しているのか、
それとも不慮の事故で既に鬼籍に入っているのか。
何れも定かではないものの、
歳を経るにつれ、夫の顔や声の記憶も朧げになりつつあるのは確か。
しかし思い起こされるのは「ちょっと出かけて来る」との最後の言葉。
再婚の話も持ち込まれはするものの、
頑として独り身を貫き、
何かが起こるのを、ただ漫然と待ち続けている。
一方で、やはり二年前に夫の『洋司(安藤政信)』が失踪した
『奈美(尾野真千子)』が現れ協力を依頼する。
それが『登美子』の日常に変化を及ぼすものの、
凝り固まった心は、なかなかに解れることはない。
しかし、所用で出かけた新潟市内で、ある事件が起き、
それは彼女の気持ちを大きく揺さぶる。
コトの是非を論じるのであれば、
明らかにふぃと姿を消した方に非があり、責め立てされるのは当然。
のっぴきならない理由があったとしても、
何らかのサインは示すべきだろう、
勿論、突然に攫われてしまうとの緊急時は別として。
残された側の不安は如何ばかりか。
劇中でもそれは、幾度となく触れられる。
他人は確かに心底気遣っているのだろうが、
心細さは当人にしか判らぬもの。
たまさか同じ立場になってしまい、
気持ちが通じ合う場面もありするのだが、
それとて完全に一つになったとは言えず。
『登美子』の複雑な家庭事情や、
そのために男性不信になってしまった過去は語られるものの、
夫の『諭』についてはぼうとして、
キャラクターを構成できる情報すら見る側に与えられないのは特徴的。
我々は、彼女の心中のやり場の無い気持ちだけを
ただひたすらに共有させられる。
エンドロールが流れる段になっても、
事態は蝸牛の歩みほどにも進展しない。
更に孤独を託ち、理不尽さに戸惑う
主人公だけがぽつねんと取り残される。