プアン 友だちと呼ばせてのレビュー・感想・評価
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誰も知らない、生きていられる時間の長さを
キーアイテムとしてカセットテープが印象的に使われる本作。主人公ウードの亡くなった父親の声が納められたテープだけではない。
主役二人の名前の頭文字がA(ウード)とB(ボス)、ウードが訪ね歩く3人の元カノのエピソードタイトルがカセットラベル、カセットテープの回るリールにフェードインするラウンドアバウト(環状交差点)の映像。そして何より、物語の構造にA面(ウード中心の話)・B面(ボス中心の話)があり、B面の回想の終わりがA面の最初の回想に繋がって、リバースするような作りになっている。
A面はありきたりな、限られた余生でやりたいことをやる難病もののようで、ウードの元カノとの邂逅もぱっとしないし、正直ちょっと眠くなった。ダンサー元カノはやさしかったからいいが、基本別れた元彼が自分の都合で訪ねてくるなんて受け入れられなくても仕方ない。女優元カノは撮影の邪魔までされたが、女優魂に火がついたのでオーライ(ジョン・ウー作品みたいになってたのは笑った)として、フォトグラファー元カノは会ってももらえなかった(会って団欒したという幻想がリアル寄りな感じで、しばらく混乱した)。
B面が物語の肝で、話が少しどろどろしてくる。
ボスが未成年だった頃、富豪と再婚する彼の母(「姉が母になった」みたいなくだりがよくわからなかった。後で調べたら富豪と結婚するために息子を弟と偽ったとのこと)、親の金でプリムとアメリカ同棲生活を始めるボス、更に息子を心配するボスの母から彼に内緒でお金をもらっていたプリム。プリムの職場の同僚だったウードはまだボスと面識がなかったが、彼と険悪になったプリムを自宅に住まわせ、ボスに対してはプリムに白人彼氏が出来たと嘘をつく。結局ウードはプリムに受け入れられないが、その後ボスの命を助けたことがきっかけで嘘を隠したままボスと友人になる。金持ちの生活を覗いてみたくて誘われるままボスの部屋に住み、ふたりで始めようとしたマンハッタンのバーが稼働する直前に、ダンサーの恋人のためにウードはボスを裏切ってタイに帰国する。
そして数年後、彼は元カノ巡礼にボスを付き合わせた後に、その嘘を打ち明ける。
A面のロードムービー的な道行きを見ているとふたりは親友そのものに見えたが、こうして振り返ると、患う前のウードはそういう自覚があったのだろうかという疑問が湧く。命の終わりが見えて初めて、ボスの気持ちや、自分の中での彼の存在の大きさに気付いたようにも思える。
彼は、ボスがプリムの不在により心に空いた穴をいまだに埋められずにいることを見抜いたのだろう。元カノに会いに行ったのは自分のためだが、ボスを付き合わせることで最後に彼との交流を復活させたかった。そして、プリムと再会させる意味を確信したからこそ、ボスの幸せを願って告白したのではないだろうか。
ウードは、残りの命を使って友情の帳尻を合わせた。
病気や人間関係のもつれが出てくるわりには、音楽と主演の二人の爽やかさ、タイ各地をめぐる映像の楽しさで、全体的には軽やかな雰囲気になっている。
ウード役のアイス・ナッタラットは17kg減量、ボス役のトー・タナポップはウードが痩せて見えるよう15kg増量したそうだ。二人ともモデル出身だけあってスクリーン映えするし、演技が自然だった。
エンドロールに流れるSTAMPの「Nobody Knows」の歌詞が物語にシンクロして、いい余韻が残る。
どこの国でも深夜ラジオには変わらぬ愛が詰まっている
疎遠だった親友と車で旅に出る。カーステレオからはひと昔前に流行った音楽と、初老DJのちょっと気恥ずかしくなるくらい真っ直ぐなメッセージーー。このシチュエーションを創り出した時点で、本作が世界中のあらゆる観客にとってノスタルジーをもたらす名作になるのは保証されたようなもの。「昔の恋人に会いにいく」という旅の目的からは、つい軽くて甘い映画を想像してしまうが、本作は早々にその域を飛び越え、重厚さ、そして人生のほろ苦さをあらわにする。一つ特徴的なのは、全てにおいてまず行動が描かれ、その後、経緯や心境が明かされるということ。一本調子、一直線ではなく、どこか展開図を開くような構造を持っているというべきか。過去と現在とで印象を変え、人間の美しい部分だけでなく負の部分をも覗かせる主演二人の存在感は見応えあり。彼らの人間としての変移や成長が、やがて美しい風景と深く相まって、本作を実に忘れ難い映画にしている。
ウォン・カーウァイ製作による影響が感じられる分、プーンピリヤ監督の持ち味が控えめに
バズ・プーンピリヤ監督の前作、2018年日本公開の「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」は、当サイトの新作評論に寄稿したこともあってかなり思い入れのある映画だった。最新作を楽しみにまっていたのだが、ウォン・カーウァイがプロデュースを担ったとのことで、恋愛要素、感傷ムードが増した一方、監督の持ち味であるスタイリッシュなサスペンス演出や一風変わった映像手法が控えめになってしまったか。
NYで暮らす主人公ボスが、余命宣告を受けた旧友ウードのためにタイに帰国し、ウードが元恋人たちを訪ねる旅の運転手を務めることになる。元カノを歴訪?する話といえばまずジョン・キューザック主演の「ハイ・フィデリティ」が思い出されるし、若干状況は違えど今カノ5人(5股の相手)と今生の別れを告げる伊坂幸太郎原作の「バイバイ、ブラックバード」(映画ではなく連続ドラマだが)にも感傷的な雰囲気が近い。
ウードが最後に会いに行く女性が、実はボスの過去とも関わっていて、というところから、尺としてはかなりアンバランスな約30分もの回想パートになるわけだが、このあたりはプーンピリヤ監督らしい意外な展開で楽しませてくれる。それなりに雰囲気のあるバディもののロードムービーに仕上がってはいるものの、この監督はもっとクセの強いサスペンスが得意な気がするのだが……次回作にまた期待しよう。
正直、タイの若者の青春群像劇すぎてダル・・・イのだが・・・
人生のA面とB面
非常に興味深い映画でした。
2時間の上映時間の前半1時間は、ボスとウードの友情物語。
そこまでがA面です。
後半は金持ちのボンボンで苦労知らずのバーの経営者ボスへの、
ウードの屈折した思いそして結果としての【裏切り】
そのB面で真逆の2人の関係性や内面が描かれるのです。
A面では白血病で余命僅かのウードからNY住むボスに、
数年ぶりの電話が来る。
自分は死ぬ前に元カノに会って大事な物を渡したい、
だから、ボスにバンコックまで来てくれ!
元カノの所へ連れてってくれ!!
とのお願いでした。
ボスは経営するバーを休んで、わざわざNYからバンコックまで、
飛行機に乗り、着いたら車を調達して元カノの住む街に
ウードを送る、運転手役です。
するとウードの元カノはなんと3人も居て、
ボスは3都市へ送るハメになるのです。
まぁ、ボスさんてなんて優しく思いやりのある好青年でしょう。
おまけに韓国人にしか見えないイケ面でスマート。
頭髪が抜けて、眉もない痩せこけたウード。
B面にカセットテープをひっくり返すと、
(ウードの父親は人気DJだった男で、旅のBGMは父親の放送を
ラジカセで録音したカセットテープなのです。
きっちり1時間でテープを裏のB面にひっくり返す念の入れ用です。
後半で分かるのはボスの彼女のプリムの恋路を邪魔して
《裏切り工作》を、
していたのはウードだったと分かる。
「プリムは白人の新しい彼氏とカリフォルニアに行った」
なんて嘘をつく、
(実はウードもプリムを好きになり告白したのに振られた、)
プリムの心代わりにショックを受けたボスが、チンピラに殴られて、
その反動で線路に落ちる。
それを助けたのがウード。
恩に来たボスは、“命の恩人とウードの仕事を与えたり”
2人は親友になる。
プリムとの仲を引き裂いたウードは、最後に仲を取り持とうとするのだが、
ボスはもう聞く耳を持たなかった。
ともかく凝りに凝った映画です。
ウードが元カノと会う場面も、その前に、
ウードが夢見る・・こうだったら良いなあ・・・や、
過去にはこういうエプソードがありましたよ・・
が挟まります。
ボスの母親の再婚話や、連れ子のボスは体よくニューヨークに、
追い払うためにバーを持たせて更に仕送りする、などなど。
そしてバー経営より女遊びに明け暮れるボス。
ウードでなくても、嫉妬や、やっかみますよね。
「恋する惑星」や「天使の涙」などの恋愛映画の名手、
ウォン・カーワァイ監督が製作で手助けしたそうですので、
カメラワークもインテリアなどの美術も
とても美しいし、お父さんが有名DJだったので、
挿入される音楽もなかなかです。
しかしこれだけ複雑なSTORYですが、
それほど感動したかと聞かれると、
うーん、感心はしたのですけど、感動した、
とまでは言えない。
自分がシンプルな人間関係を築くタイプなので、裏切りとか、
隠し事とか、と縁遠いから、
紆余曲折のない平凡な人生なので、
イマイチ乗れませんでした。
ウードを演じた俳優さんは、本当に上手くて病人に見えたし、
ボス役の彼も美しいし15年位の外見の変遷を、上手く演じてました。
失礼かもしれませんが、タイ映画らしくない、
都会的なお洒落な映画でしたね。
タイもいろいろ
金持ちお坊っちゃんで生活に困ったことはないが愛に飢えているvs気のいいやつだが人生ずっとサブキャラ、な二人の友情と嫉妬の物語、というとありがちな話のようだが、最初からそのような話とは分からせない構成がうまかった。/タイの各地を巡るので、光景が楽しい。
ワン・フォー・ザ・ロード
ワン・フォー・ザ・ロード
「プアン/友だちと呼ばせて 」を観た。
Awood(ウード)が友達のBoss(ボス)と、元カノ行脚にでる前半のロードムービーがA面。
B面はBoss(ボス)が旅の打上げでウードの3人の元彼女達のカクテルを造るが、ウードがボスにとって大切な女性の為の4杯目をリクエストする。
「本当の目的は違うんだ。お前に会いたかったのには、訳がある」と語り始める事からもう一つのストーリーがスタートする。
またワン・フォー・ザ・ロードのタイトルが洒落ている。
邦題は分かりやすくする為にタイトルが違うプアンになってしまったのが残念だ。
シナトラが唄うこの歌の一節から映画のタイトルが出来ていて、この歌が挿入されたオリジナル映画(the sky is the limit)の内容(ダブルミーニング)に絡めて仕掛けが出来ている。
タイトルになるこの歌「One for my baby(and One more for the road)」がオリジナルで歌われているのは第二次世界大戦中のフレッド・アステアの映画(青空に踊るSky is the limit )。
因みにブレードランナー2049ではリメイクのシナトラで歌われている。
バーテンダーJoeがいる前でアステアのこの歌が歌われる。
BARでJoeと呑んでいる主人公アステアは戦争に行って死ぬ事を意味してる。
因みにJoeはユダJudasのもじり。
プリムがJoeのBARに習いに行くのもウードの気持ちを裏切ってしまう伏線(ユダの手先?)が張られている。
殆どの人は気がついてい無いけど、ウォン・カーウァイ とバズ・プーンピリヤ二人の仕掛けが流石!
ウードはホテルから父のBMWに乗って幸せそうな二人の居るBARを横目に輪廻転生の旅へ、ボスとプリムは二人の一度止まってしまった未来(ワン・フォー・ザ・ロード)へ時計の針を進めていくのだろう。
脚本が良く出来て無いとこういう映画は成立しない。
この作品はウォン・カーウァイ 製作とバズ・プーンピリヤ監督と言う二つの素材が素晴らしいオリジナル・カクテルを創り出した。
レシピは無いが深みの有るとても素敵な味わいの有る一杯。
カセットテープの様にA面とB面があるストーリー
キャラクターに寄り添える隙間がなかった
本作と同じ監督が務める「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」は、スタイリッシュな映像やトリックじみた狙いすました演出で、スリリングさの創出に大いに貢献し、作品を面白くしている。
「バッド・ジーニアス」はサスペンス系の作品なので、それがどハマリした。
では本作はどうだろう。どちらかといえばしっとり系の作品で、バズ・プーンピリヤ監督が「バッド・ジーニアス」で施した演出は相性が悪いように思える。しかし、やった。
いくつかのミスリードを誘う仕掛けや、ショットの良さはあったけれど、それが作品を面白くしたかというと、そこまで効いてないように感じる。
どちらかといえばキャラクターの掘り下げを阻害したようにすら感じてしまった。
死期が近いとしても暗くなりすぎず、そこそこ笑えるし、いい感じにしっとりもしている。明白に「ここがダメ」というところはなかったものの、脚本か演出で、もう一押しなんとかならんかったのかと思ってしまうのだ。
物語がしんみりしてくると演出も大人しくなっていく。それは間違ってないだろうが、スタイリッシュだったときとのギャップで、つまらない演出に見えてしまうんだな。
結果、得られるべきエモーションを得られず、フラットな気持ちのまま終わってしまったように感じた。
前半の設定は面白かったけど
真の友人であることを信じて
もちろん、今回の旅行のウードの本当の目的は、ボスに対する告解であることには疑いがありません。
(たから、まずはどうでも良い元カノから会い始めた。)
もちろん、墓場まで持っていくという選択肢もあったのでしょうけれども、それではボスの真意を知ることはできない。
ウードとしては、相当な覚悟を決めての行動だったのでしょう。
ボスに対する告解を終えて、「これでやっと化学療法を受ける決心がついた」「次の旅行では僕が運転手を務める」という意味のセリフがウードにあったと思いますが…。
しかし、毛髪がすっかりなくなってしまい、いつもキャップを被っていたのですから、ウードはすでに化学療法を受けていること、そしてそれが利いていないことは、明らかです。
「次」がないことは、ウード自身がよく知っていたことと思います。
そんな中での告解は、ボスを真の友人と信じてのことだったのでしょう。
本作の邦題は、万一の場合にもボスを真の友人と呼ばせてほしいという、ウードの切ない心中だったのだと受け止めました。評論子は。
なんだか、ハマらず
あえて辛口に言うと、、、
ひとつだけあるしたい事
監督さんバーテンダー上がりなんですねー。自分も30年近く生業としていたので何よりもソコのリアリティに親近感が湧きました。だからなのか、人生に潜む後悔を掘り出された気がしてノックアウト。ウォン・カーウァイ風味の映像にノスタルジックな雰囲気がビタッと嵌っていたのではないでしょうか。ジョン・ウーのオマケもついてたしね笑
物語と鑑賞側の感情のシンクロさせる手腕も見事で、後半「こいつクソやな」って思ってたけども、よくよく考えたら普通に有り得るよね?他人やし。って納得。実に丁寧で上手い作りでございました。終わった瞬間にもう一度観たくなる、タイ映画の勢いを纏った素敵な作品なので、チャンスがあれば飛び込んで頂きたい所です。ラジオ放送とカセットテープという取り合わせも今ならむしろ新鮮だし、我々世代なら実家に眠ってる「恥ずかしい編集テープ」を引っ張り出したくなっちゃうかもですね♪
それでも友達
白血病で余命宣告を受けたウードとかつてNYで共に過したボスがウードの元カノに会いに行くロードムービー。
この映画、前半ウードの元カノに会いにいくという表向きの目的(A面)と、後半2人の出会いとウードがボスを誘った本当の目的(B面)に分かれる。死ぬ前にわざわざ誘うぐらいだからそれはもう特別な友達なんだろうと思いきや2人はウードの酷い"ある行為"から始まった関係。
とはいえウードもボスも未熟だったが故のこと。ウードはプリムにこっぴどく振られた時のウードの振る舞いは最悪だし、自分の夢に向かって進む女性について行くことも出来なければ応援することも出来ない。アリスとの関係が比較的今でも良好だったことを思うと少しずつでも成長してたかもしれないけど結局何者にもなれなかった。
ボスもプリムと別れた時の対応は最悪(2人とも違う方向で典型的なダメなやつの例で面白かった)だったし、その後自分の置かれた立場を理由に成長しようとしなかった。ウードの償いは自分のためでもあるだろうけど、プリムの気持ちを伝えることで結果的にボスの背中も押すことになる。
最終的に前にも後ろにも進めなかった2人が、ウードは前にプリムは後ろに進んだんだなと思った。ウードは過去にケリをつけて前に進み(化学療法を受ける)、ボスは過去へと戻る(プリムに会いにいく)。映画で左か右に進むと過去と未来を示してるっていうけど、ラスト見ればそういうことかなと思った。
ここまで酷い始まりでないとしても、自分にも仲の良い友達の中にウードとボスのような友達は必ずいて、ずっと一緒に過ごしていてもどこかでずっと軽蔑してたり、好きになれないところがあったり、1度は傷つけたりしたことがあったり。これは女友達特有かと思ってたけど男も一緒で安心した。
それにしても余命を知った時に知り合い全員に謝りボスへの償いをしに来たウードは、「恥の多い生涯を送ってきました」という太宰の言葉が聞こえてきそうなぐらい自分の人生を振り返った時に楽しかったことよりも後悔に目がいってしまうタイプだったんだろうな(笑)
人生のB面を巡るお話
カクテル、深夜ラジオ、車での旅!雰囲気は良い。
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