C.R.A.Z.Y.のレビュー・感想・評価
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ヴァレ監督の遺した愛情と破天候さに満ちたファミリードラマ
2010年代を代表する映画監督ヴァレの遺した、破天荒さと温もりと音楽に満ちたファミリードラマ。ケベック生まれの彼だけあって、60年代から80年代にかけてのケベックにおける中流家庭の家族のクロニクルをおかしく、騒々しく、実直に刻んでいる点で、文化的にとても興味深い。いつしか同性に惹かれていく主人公。対する父親は子供らに「男らしくあれ」とさとし、そこにはピリピリとした緊張感が生まれる。しかしこの家庭には揺らぎはしても決して断ち切られることのない絆があり、価値観の違いを凌駕する愛情でいつも覆われているかのよう。どれだけ崩れそうになっても、また誰かが遠くへ飛び出したとしても、常にこの家庭が「帰り着く場所」としてあり続ける安心感はこの上ない。主人公ザックがクリスマス生まれなのに対し、ヴァレ監督は12月26日(2021)に亡くなった。彼もまた紛れもない「特別な子」であったことを、今いちど噛みしめたい。
2005年製作のカナダ映画。当時の日本未公開が惜しまれる
カナダ・ケベック州出身のジャン=マルク・バレ監督は、「ヴィクトリア女王 世紀の愛」(2009)、「ダラス・バイヤーズクラブ」(2013)などで知られ、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(2015)を発表したのを最後に、2021年12月25日に58歳で亡くなった(自殺説もあったが、心臓発作による自然死だったとされる)。“12月25日”で事後的に奇縁ができてしまった本作は、バレ監督が2005年に手がけ、トロント国際映画祭で上映されるなど国際的に高く評価されるきっかけになった青春ドラマだ。
主人公は、ケベックで暮らすボーリュー家の4男として1959年のクリスマスの日に誕生したザック。ちなみに全員男の兄弟5人(クリスチャン、レイモン、アントワーヌ、ザック、イヴァン)の頭文字を並べると「C.R.A.Z.Y.」になる。映画はザックの成長を追いつつ、性的アイデンティティに揺れる思春期の悩みと、男らしさを強いる父親との確執を中心に綴っていく。時期としては1960年代後半、70年代半ば、80年代前半が主なパートになっていて、ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」、デヴィッド・ボウイの「スペイス・オディティ」、ピンク・フロイドの「虚空のスキャット」といった往年の名曲が時代の雰囲気を醸し出す。
バレ監督の死を惜しみ、追悼の意を込めての日本劇場公開となったのかどうか定かではないが、17年前であればLGBTQの要素は今以上にインパクトを持ちえただろうし、2001年の米国同時多発テロから4年後のタイミングで、古き良き時代を懐かしむ要素も歓迎されたのだろう。だが2022年の今、長引くコロナ禍に疲弊し、ロシア・ウクライナ戦争などの影響で経済的にも心理的にも落ち込みを増している日本で、果たして多くの観客に受け入れられるのかどうか。若干の間の悪さを感じないわけにはいかない。
"PATSY CLINE"
主人公であるザックは年代毎にスタイルが変化する流行に敏感なある意味で拘りがあるようで無いような、そんなフラつき加減にゲイであるか彷徨う気持ちが表れているようで、他の兄弟は皆、大人になっても変わらない、特に長男は変わらないどころか酷くなる一方で。
互いに関心の無い仲も最悪に思える兄弟が年を重ねる毎に大人として関係も良好にザックにとっては父親同様、長男の存在は大きくも争いは絶えず起こり、感動を煽るような描写は抑えながら一定の距離感で接する兄弟の関係性がリアルにも、どれだけ愛されて日々を過ごしたのか、そんな両親の愛情がテーマにあるようで父親と母親の見捨てずに葛藤しながら子を育てる姿に感動したり、親は偉大だ!!
こんなにもキャラが違う5人兄弟。
1960年代の保守的な家庭の男ばかり5人兄弟の話。
特に破天荒で荒くれものの次男と接することが多かった4男との関係性で話が進んでいく。
セクシュアリティのことや薬物のこと、それを受け入れることができない父親と甲斐甲斐しく面倒をみる母親が次男とも4男ともうまくいかない。
大きい出来事がある訳でもなく、どこの家庭でも起こり得るちょっとしたいざこざを丁寧に取りあげているような作品。でも、それが平坦でつまらないともいえる。
コレ、今観れて良かった〜
根本的に、お父さんとお母さんが
子供たちの事大好きなのが良い
子供たちも、
なんだかんだありつつもちゃんと家族想いで、
毎年クリスマスに(誕生日会も兼ねて)みんなで集まって、喧嘩もするけど、結局仲良し!
ザックの
年齢に応じて趣味や考え方や興味の対象の変化が面白い。
服装やヘアスタイルも時代に合わせて変えてて
なんか懐かしいし、
どれも似合っててカッコよかったー!
レイモンだけは残念だったな〜
是非もう一度観たい、と思う作品でした
結局は「家族」
1960~70年代、まだまだ「保守的」な考え方が大多数で真っ当であると考えられるこの時代、父親はザックが自我を目覚めさせる前の幼いころから彼の「クィア」な言動を修正しようとします。しかし、あるきっかけで父親を怒らせ、また自身の思春期も始まりいよいよ拗らせ始めるザック。そこに母親、曲者揃いの3人の兄(後に弟も)、更には兄達のパートナーや、ちょっと気のある従姉とそのパートナーなど「家族」の関係性が、時にモラルの欠片もなかったり、距離を置かざるを得ないほど難しいものになっても、結局は「家族」。決して切れることのない絆を感じる終盤の展開はエモーションが高まります。
「家族という呪縛」を描く意味では、監督の後年の作品である『わたしに会うまでの1600キロ(15)』『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う(17)』などにもつながる印象のあるこの作品が、監督が亡くなって「日本初公開」のきっかけとなり複雑な思いもありますが、監督が亡くなった(自然死)21年の「クリスマス」がこの作品と偶然にもリンクしていることなど、この作品を観られたことに素直に喜び、また噛みしめる一本でした。
神は彼を背負って歩いた
1960年生まれ 5人兄弟の4番目ザックは
クリスマスの日生まれ、一時呼吸が止まるが蘇生し
信教深い母に『特別な子』と言われ育つ。
7歳の頃に父にLGBTを疑われ自分でも
葛藤しながら普通になりたいと強く願いながら成長する
年の離れた兄弟達とは特に仲良くもなく
特に次男のレイモンには薄い憧れを抱きつつも
何度も衝突を繰り返す
『男らしさ』を求める父ともたびたびぶつかるが
この父が、パーティーのたびに同じ歌を唄ったり
子供をバレバレなのにコッソリ贔屓したり
なんか憎めない父にきちんと描かれている。
男性に惹かれてながらも嫌悪したり
複雑な感情がとてもうまく描かれていると思った。
このストーリーに
60〜80年代のファッション、音楽、インテリアが
ザックの成長とともに絡み合っていくのが
観客を飽きさせることなく
楽しめました。
カタチあるモノは、壊れる。そして…
形あるモノは、壊れる。そして、大切にしてるモノほど、壊れ易い。
大好きなジャン=マルク・バレ監督。ホント、お亡くなりになったのは、残念です。しかし映画は存在し続けるので、ありがたい事です。
1週間限定の上映なので、最優先して鑑賞。入場特典で扇げそうにない、ヘラヘラのうちわを貰ったf(^_^;片面はお父さんが大切にしていたレコード。片面は家族の写真…でもお母さんは写ってなかった。この映画は、ある意味お母さんの物語だと思ったんだけれどね。
このお父さん、かなり変人、頑固親父とまではいかないけれど。レコードと車をこよなく愛し、パーティーで変な歌を歌う…ちょっとケビン・スペイシーに似てる。この父親と5人兄弟の4男坊・ザックの確執を主に描いています。
クリスマスに生まれ、病院で父親に抱っこされている時に、ちょっとした事故で、落とされます。新生児があの高さから落ちて、無事だとは思えないけど、ここは目をつむりましょう。特殊な能力があると云われ、遠隔でやけどやケガを治したり出来る。実は母親もちょっと特殊能力の持主なんです。
7人も家族がいると、色々な理由で仲の良し悪しが出てきます。
ザックは、父親に7歳まで特別に可愛がられ、ある事件をきっかけに険悪なムードになります。可愛がられていた時の幸せな気分を取り戻したくて、元の父親に戻って欲しいと願うのですが、思い通りにはいきません。思春期にゲイの方向にまっしぐらかと思ったが、そうではなく、自分探しの旅に出て、旅先でかつて壊してしまった父親の大切なレコード(輸入盤の方)を見つけます。父親を喜ばせようと持ち帰り、そこで五男坊が。レコードってあんな簡単には割れないと思うけどね。
お母さんが素晴らしくキチンと老けていてびっくりした。アイロントーストはどんなお味(食感)なのだろうか?
12月25日に生まれて
2005年の作とは知らずに見てました。
父と母と5人の兄弟、彼らのなんて愛おしいことか。(弟とかは存在感が薄いけど)。
好きな監督だったし亡くなって残念です。
あれは割れる運命にあったのね。
トースト、試してみようかな?
足跡についての話もいいなと思いました。
マイノリティ映画と余裕
2005年。ジャン=マルク・ヴァレ監督。なくなった監督の初期のヒット作(日本未公開)。カナダ・ケベック州で育ったザックの主に少年期から青年期(70年代)を描く。すでに公開当時でも目新しさはなかった同性愛者としての自覚と周囲(特に父親)との葛藤を描いているが、そこだけに焦点が当たっているわけではなく、カトリックとの関係、兄弟との関係、友人との関係、世界への開かれとアイデンティティの模索、などが奇妙に配合されて独特の「プライベート感」を醸し出している。ただのLGBT啓蒙映画ではない。
不思議なプライベート感は時間経過を示すカットつなぎにも表れていて、このカットの次のシーンでは時間が経過していると思わせるのだが、なかなか時間が進まない。それが停滞感を生み出すわけではなく、描かなければならない別の側面があるのだということが事後的にわかる。あまりにサクサクと展開していく最近の映画にはない余裕のある展開。それが全体的にマイノリティの苦しみではくくれないゆえんなのかもしれない。マイノリティであるという「プライベート感」=苦しみや葛藤=ではない余裕。この余裕が、その後、監督が世に送り出した情感あふれる映画の数々にも通じていたのかもしれない。監督のご冥福をお祈りします。
制作当時の感覚で鑑賞したかった
デヴィッド・ボウイというアーティストを知ったのはレッツ・ダンスのとき。80年代の流れに合わせたポップなアルバムだった。その時点ですでにボウイのアルバムはかなり出ていたので昔の作品を追い切れる感じではなかった。でも音楽雑誌に書いてあった「時代がデヴィッド・ボウイに追いついた」みたいなコピーが印象的だった。昔のボウイはメイクしていてサイケで時代の先端を先取りしていたんだろうなと。
本作に登場するデヴィッド・ボウイの曲はスペース・オディティ。いろんな映画に使われていて個人的には大好きな曲だ。でも顔にペイントをして部屋で1人歌う主人公をホモ呼ばわりする奴らがいることに驚いた。時代的にはホモと呼ばれてしまう感じだったんだな。映画「エルヴィス」ではプレスリーもホモ呼ばわりされていたくらいだし時代感がなせることなのかもしれない。
かかる音楽も時代感の演出も悪くない。後半明らかになるタイトルの意味も面白い。でも、あまり心には響かなかった。この手の映画が増えてしまったせいなのかもしれない。制作された当時の感覚で鑑賞してみたかった。
"ホモ" 60s70sと駆け抜けるC.R.A.Z.Y.と名付けられた5人兄弟を描いたこのカミングオブエイジ青春映画に夢中(クレイジー)だ!
クリスマスに生まれて、襟足に金髪が入っていて、出血と火傷を治す特別な力があると信じられている主人公。自分らしく生きるべきか、変わるべきか?"普通になりたい"と願ってしまう。愛憎渦巻くクソ兄貴3人は活字オタクに、不良パンク問題児に、ゴリゴリの体育会系運動オタク。
60年から始まり劇中の時代ごと(主に70s)に真夜中のミサでのストーンズ、部屋でのボウイなどズルい選曲、最高のサントラが寄り添う記憶と密接に結びついた音楽の役割。例えばSpace Oddityが象徴する孤独や自分だけ別の世界に生きているという感覚、あるいはそれをポジティブに捉えるなら劇中のような現実逃避や没入感。特定の楽曲やアーティストが自分の気持ちを言い得ているという感覚。グラムロック --- というより性をも超える唯一無二の存在としてのアイコン=デヴィッド・ボウイ --- からパンクへ、部屋に飾られたポスターはブルース・リーとボウイからジョン・ライドンへと。それでも、どれだけ変わってもパッツィ・クラインは永遠/普遍的で、いつでも心の拠り所/帰る場所みたいに響く。レコードという印象的な小物使い。それは本作が2005年の作品であることを考えてもまだレコードブーム再燃前なので、本作で描かれる時代以降、CDの時代になっていくことを考えると消滅していくメディア/過去の遺物 = (いいことばかりではなかったけど今の自分を形作る)過ぎ去りし思い出の日々として余計に沁み入るものがあった…。
愛ゆえに要した戸惑いと赦し、(たとえ理解できなくとも)和解の歳月。始終疎まれて憎まれて仕方ないって感じでもなかったのがリアルで良かった、良いときもあれば悪いときもあるし家族だって一緒。色々あったけど結局は親に感謝したくなるようなノスタルジックな作品。手前に男女カップルがいて、カメラが引くと男性カップルが映るラストカットも良かった。
P.S. 青年期になってからの俳優がジョナサン・リース・マイヤーズにも見えてくる。
勝手に関連作品『Boyhood/6才のボクが大人になるまで』
途中から興味無くなった
ザックは、1960年のクリスマスに、ボーリュー家の5人兄弟の4男として生まれた。音楽好きの父親とみんなを愛する母親、読書好きの長男、ザックと合わない問題児の次男、スポーツマンの3男を見て育ち、その後弟も出来、5兄弟の名前を繋ぐとC.R.A.Z.Y.となる家族となった。ザックはキリストと同じ誕生日で、特別な子、と言われて育ったが、保守的な父親の価値観の押し付けに反発しながら20歳になり、彼女も出来、てな話。
観てて最初はどんなすごい子に成長するのかと期待してたが、途中からどうでも良くなってきた。
おねしょがなかなか治らなかったり、喘息持ちだったり、何が特別なんだろうと、気になってたが、母親とテレパシーのようなので離れてても状況がわかるというくらいか?
途中からどうでもよくなった。
アイロントースト
1960年のクリスマスに産まれた5人兄弟の4男坊と家族達の話。
平凡で退屈な世間の父親とは違う、子供達に「男らしさ」を求める父親と少し歳の離れた3人の兄達、そして少し歳の離れた弟に聖地巡礼を夢にみる母親を持つ主人公ザック。
7歳の時に父親を敵に回す出来事が起き、以降自身に悩み葛藤し…。
母親は結構普通だけど、個性的な父親と、随分タイプが違う兄弟の中でも特に個性的な次男と四男。
なるほどCRAZYではなくC.R.A.Z.Y.なんですね。
主に6~7歳、15~16歳、そして20歳の主人公を中心にみせていくけれど、言っていることはやみせていることに大きな波はなく、案外一本調子。
話し自体は嫌いじゃないしつまらなくはなかったけれど、内容の割に長いし、それでいて少し味がボケでいる感じもして物足りなかった。
音楽に彩られた青春映画
主人公が、シド・ヴィシャスみたいで、
デビッド・ボウイ、ローリング・ストーンズ、ジェファーソン・エアプレイン、などなど、の音楽が流れ、
『イージー・ライダー』、ジャニス・ジョプリン、ブルース・リー、などなど、のポスターが部屋に貼られてたり、
60年代70年代の文化が楽しめます。
ただ、アメリカじゃなくカナダが舞台です。
主人公の成長と、彼の少し変わった家族を描く、青春映画です。
60年代70年代の、音楽やファッションや車など、それだけでも、とても楽しめました。
こういう映画、見たかった
パパは音楽大好きで人前で歌う唄が決まっている「マイ・ウェイ」おじさん。でもこれほど家族と向かい合い笑い喜び怒り心配する父親は居ない。ママは子ども皆を愛して聖地エルサレムに憧れている。ザックとは心が通じているからどんなに離れていてもザックの苦しみがわかってしまう。そして遠くからザックを救う。神からギフトを与えられたのはザックだけでなくママもだと思う。
ザックは喘息治したい。吸入器から解放されたい。その治したい喘息にザックの葛藤や父への憧れや自分のアイデンティティの不確かさへの苛立ち全部が込められているように思った。子ども(すごく可愛い。監督の次男!)のザックが青年になるのが水の中!「いだてん」の河童のまあちゃん(阿部サダヲ)同様。
実際と想像が混ざり合う映像、その映像と登場人物に伴走する音楽の数々、編集がとても素晴らしいと思った。当時のファッション、キッチュな小道具、タバコ、ブルース・リーやデビッド・ボウイの真似、部屋に貼られたポスター、車、個性が際だって皆がいい顔してるファミリー。特に心優しくハンサムなザック、髪型変えたりメイクしたりどんな服装もとても似合ってた。悩みや葛藤はまだまだ続くけれど、ぶつかって愛し合ってハグして心配しあってる家族は、どこにでもありそうで、もしかしたらどこにもない夢の家族なのかも知れない。
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