恋人はアンバーのレビュー・感想・評価
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コートの色もアンバー
舞台は1995年ながら、セクシャリティという近代的なテーマの偽装カップルもの。
彼の国では同年までは離婚もできず、2年前まで同性愛が違法であったことを知ると土壌が理解しやすい。
エディとアンバーの距離感が日本人的にはとても偽装に感じないほど親密に見えたりはする。
まぁこのへんは文化的な違いと、互いに下心がない前提からきているものだと納得。
周りの下品さや貞操観念の低さはドン引きものではあるが、上記の納得感にも繋がっていた。
恋人としての立ち振る舞いなど、ぎこちない2人がかわいい。
頭に花を乗っけてくるアンバーなど笑えるシーンも多く、信頼関係を築いていく様子は非常に爽やか。
この雰囲気で進んでくれたらよかったのだが…
クラブでの出来事により、アンバーは肯定的に、エディはより否定的に自身の性指向を捉えるようになる。
恋人ができ、母にも認められたアンバーが、「卒業まで」の条件を自ら反故にする身勝手。
それに対するエディの対応も目に余るし、再びトレーシーに言い寄るなど、まるで成長が見られず。
(彼女が劇中で一番かわいそう)
アンバーは神父づたいに広まり、エディはアンバーのみへのカミングアウトというのも物足りない。
せめてどちらかは自ら告白し、前向きに向き合うようになってほしかった。
「ふたりだから、自分に出会えた」と言うからにはもう少し自らを認める結末であってほしい。
アンバーがとてもキュートで魅力的だっただけに、締め方が少し残念だった。
どこかもどかしいハッピーエンド
従来のような男性主人公と女性ヒロインという位置付けであれば、一般的なハッピーエンドは両者が結ばれることにある。実際、エディとアンバーはぎこちないながらも、途中までは共依存の関係である。しかし、同性愛者である2人が作品の最後に結ばれることは、同性愛の否定を意味する。それが例え友情という形であっても、作品上では同性愛者から異性愛者への転換を意味する。
また、アンバーは自身が同性愛者であることを受け入れ精神的に自立している一方、エディは同性愛者であることを自覚しながらも、受け入れられず自立できていない描写は、男性(的)だから女性(的)だからでは片付けられない描写である。あくまでも、エディとアンバーの個性であり、2人だからこその関係性である。
さらに、2人を取り巻く環境が同性愛に対して否定的であるということを最大限に描写する(例えば、協会による性活指導や離婚法の可否など)ことで、2人の孤立感を強調し、より観客が2人に共感し応援できるような作りとなっている。
「そばかす」と合わせて観たい
「そばかす」と近い時期に観たので、恋愛至上主義の社会において生きづらい人々がいるのは時代や国が変わっても同じだと思った。
日本だって顔も知らない相手と見合い結婚するのが当たり前だった時代もあり、世の男女のすべてが恋愛を経て結婚に至るとは限らないのだから、いっそアンバーとエディのようなカップルがいてもいいと思ってしまうのだが、アンバーは恋愛や性的接触をしたくないわけではないのだ。男性相手が無理なだけで。
エディもアンバーも互いに対して傲慢な態度をとる部分もあるのだが、まだ10代なのだ。若さゆえまあ仕方ない…とはいえ、それを差し引いてもトレイシーに対するエディの態度はなかなかにひどいと思う。
トレイシー視点だと、「キスしようとエディにいわれてキス→気が付いたらアンバーと付き合っていた→アンバーがレズだったらしく別れた→再度エディと付き合う→エディが軍隊に入るので待つつもり→軍隊に入らず失踪」おいおい…。蓮っ葉に見えるがトレイシーは彼女なりにエディを好きだったかもしれないのに。手紙の一つでも書いてやれと思った。
鑑賞動機:あらすじ5割、ポスタービジュアル/宣材写真のアンバー5割
途中で「もう、お前ら付き合っちゃえよ」と思ってしまうようでは、まだまだ理解しているとは言いがたいのだろうね。でもダブリンでの二人は本当に楽しそうで、観ててほほえましかったのだけれど。
後半の中々シビアな展開からの友情エンドには、じんわり温かい気持ちになる。かっこいいよ、アンバー。
自分を肯定してからが本当の人生のはじまり
ゲイのエディとレズビアンのアンバーが差別を避けるために一時的に恋人のふりをするという話。
この映画を観て思ったのが、なんだかこの話ってエディの私小説みたいだなあ、ということ。
エディとアンバーは一見同じような立場に見えるけど、実は全然違う。
エディは自分自身がゲイであることを恥じており、おかしいと思っており、同性愛が不道徳でおかしいという社会の方が正しいと思っている。どうしても自分自身で自分を肯定することができない。
一方、アンバーはおかしいのはこの町であり、自分はおかしくないんだ、ということにはじめから確信を持っている。
自分自身をどうしても受け入れられず、同性愛を恥ずかしいことだと思っているエディの行動はみっともなく、情けなく、悲しく、混乱していて、人間的な弱さのかたまりのよう。一方、アンバーはたくましく、立派で、頼りがいがある。
この話はエディの成長物語であり、エディの成長にどうアンバーが関わったか、という話になっている。
この話の全体が、まるで大人になったエディが、アンバーとの思い出を回想しているように見える。タイトル(Dating Amber)もそれを思わせる。
原作があるのかと思って調べてみたけど、監督のオリジナル脚本みたいだ。
同性愛者にとって(セクシュアリティ以外でも、出身、宗教、身体的特徴、病気、あらゆる被差別的な存在にとって)、世間に自分自身の正体をカミングアウトすることは重要なことだが、それ以前に、「自分自身で自分自身を受け入れること」はその何倍も難しく、また重要なことだ。
自分で自分を強く肯定することができれば、カミングアウトは必ずしも必要ないのでは、と思う。
映画のクライマックスで、エディが「ぼくはゲイだ」とアンバーに語るシーンがこれほどに泣けるのは、ついにエディが自分自身を肯定できた瞬間だったからだと思う。
映画の舞台である1990年代のアイルランドの田舎がこれほどに同性愛への偏見がひどいかどうか、どこまで映画的な誇張が入っているのかわからないが、なかでも教会の対応については考えさせられた。
アンバーからカミングアウトされたアンバーの母親が神父にそのことを相談したところ、神父が町中の人間にいいふらしてしまった、というシーン。
フィクションではあるが、こうした問題に対して少なくとも教会は助けにならなかった、という一面を表しているのではないか。キリスト教的な道徳観が同性愛差別のそもそもの原因であるので当然といえば当然と思うが、宗教の役割りが国家の秩序維持から個々人の魂の救済に軸足をうつしていく現代において、旧来の道徳観をただ守ることしか考えていない(ようにみえる)既成宗教は怠慢ではないかなあ、などと考えさせられた。
エディとアンバーの関係の描き方が良い!
関係性オタクとしてはエディとアンバーの関係がめちゃくちゃ良かった…。
精神的には最初から既存の男女観の型にはまろうとしないレズビアンのアンバーと、ゲイであることは自覚しつつも、ゲイであることを隠して生きようとする思いと本来の自分との間で揺れ動くエディ。
男女の恋人にはならない2人が友情を育んで、ラスト、アンバーがエディの背中を押すところがとても良かった。なんと尊く美しい関係だろう…。
特にアンバーがエディの心の繊細で柔らかい部分を守ろうとしているところに、ひとり泣きそうになってた。
ラスト、アンバーが貯めたお金をエディに渡すシーン、そしてずっと言葉にするのを避けてきたエディが「僕はゲイだ」とアンバーに話すシーン、見ていて涙が出た。
互いの心の柔らかい部分を預かり、守り合う関係(私は「ソウルメイト」と名付けている)が大好きなのだけど、エディとアンバーはそういう関係だったのだと思う。これ以上ない愛だよ…。
セクシャリティへの価値観が古い街からずっと出たかったアンバーはエディや母親、恋人という自分をそのまま受け入れてくれる理解者を得られたからこそ、エディの背中を押せたんだよな。
「恋人になろう。セックス抜きで」と言うものの、男女の恋人には決してなれない2人の様々な葛藤や、心の揺れ動きがとても丁寧に描写され、画面から伝わってくる良い作品だった。
そして本作はアンバーやエディをはじめ登場人物がみんなキュートで憎めないのが良い。
エディの友人の男の子(名前忘れた)も色々男女のこと口出す割に彼女の尻に敷かれてたり、卒業時にはアンバーにサイン書いてもらったり憎めないやつだったよね。
ちなみにエディたちが見せられてた地獄のような性教育ビデオはちょっと笑ってしまった。
日本とキリスト教圏とではまた性に関する意識も違うんだよなあと改めて思った。
あ、パルプ
懐かしい・・
観終えて、リアルを感じました。カトリックが根強いアイルランド、軍隊が身近で平穏でないアイルランド、目を背けたいあけすけな性。
最後の旅立ちはファンタジーだったのかもしれませんが、苦さも含んでいて、良かった。
人生を左右する葛藤
たぶんならば、この作品は誰かを救うに値するのだと思う。
10代の多感な時期が舞台。
自分が大多数とは違うと感じた時の恐怖がふんだんに描かれる。そのものに対する引力と反発が痛々しい。
本作の時代より、今は幾らかはマシなのだろうと思うのだけれど、それでも境界線を踏み越えるのは容易な事ではないのだろうと、この作品を見て思う。
自分を偽る彼と
自分のままで、生きようとする彼女。
どちらも容易な事ではなかった。
ただ、受けとめてくれる誰かを得た時の彼女はとても幸せそうで、可愛いらしかった。
彼女が彼との契約を解消した理由は、愛を交わし合える相手を得たからだった。
彼女はSEXが出来ない相手と、これ以上付き合えないと言う。10代の偽りの無い言葉なのだけれど、大胆だ。
愛を語るのにSEXはなくてはならないのだ。
本作では、物凄く極端にその対比が描かれる。
性欲が根源のSEXと愛情が根源のSEX。
前者はとても下品に映る。いっその事名称を変えればいいのにと思うくらい中身が違う。
日本のSEXの位置付けは、前者がベースだからいただけない。
ジェンダーレスって言葉と、この性的嗜好は似て非なるモノなのかもしれないけれど、愛情が根源にあるSEXを取り上げられている人達は、やはり可哀想だと思える。
生産性が無いと誰かが言った。
少子化に拍車がかかると誰かが言った。
そういう側面もあるのかもしれないけれど、歪な精神状態で社会と関わるよりは、充実したプライベートから生まれるエネルギーを社会に還元してもらった方が長期的にはいいような気がする。
アンダーグラウンドにしか受皿がないってのも変えていくべきなのだろう。
そんな事を、この作品を見て考えた。
主演の2人は見事だった。
エディとアンバーの友情を描いた青春映画だった。
エディとアンバーは同性愛であるが、自分の性的指向に対する考え方は異なる。アンバーは自分がレズであることを当然のこととして生きるつもりだ。一方エディは自分がゲイであることを受け入れられず、ゲイであることから目をそらし否定して生きていくことを選ぶ。
後半、アンバーがレズであることをみんなが知ったとき、エディはアンバーに「レズはあっちいけ」みたいな罵声を浴びせ傷つけてしまう。自分はレズやゲイなんて認めない「フツー」の考えの持ち主であるかのようにふるまう。私は、まったくもうアンバーのこと傷つけてエディ最低ェ~ ( `Д´)/ と怒っていた。
しかし、ここでオヤっと思ったのは、いじめっ子だと思っていた男の子がエディの態度をとがめたことだ。イイやつじゃないか。エディのパパも途中からマッチョを無理強いしないし、エディがゲイであることに気づいたママも何かあったらいつでも言って と優しい。 とくに弟くんがイイ味出してた。
終盤、エディが自分がゲイであることを否定し軍に入隊する日、アンバーが町から出るために貯めたお金をエディにあげてこの町から出るように言う場面がいい。アンバーがエディに自分の思うままに生きるように訴えるところは感涙ものだ。このラストを描くために今までイロイロ描いてきたのだと思った。
最近、人物設定が同性愛であることもよくあるし、同性愛であることの苦しみや葛藤を描いた映画も多い。 だから見慣れてしまったせいか、中盤までは 「最近こういうの多いから特に衝撃的でもないな」 とか思って見てたのでラストでやられたと感じた。\(^-^)/
ここで終わると思っていたらもう1つ感動がある。エディが町から出て電車の中でアンバーにもらった缶を開けると写真が出てくる。2人で撮ったプリクラの半分がちぎって入ってる。エディがほほ笑む。この写真が今後エディが苦しいとき、悲しいとき、悩んだときの支えになる宝物になるのは間違いない。御守りみたいなものだ。アンバーと離れていてもこの写真がエディに勇気をくれるのだ。この時この映画が同性愛のことを描いたのではなく、むしろ2人の友情を描いた青春映画だったのだと気付いた。気付くの遅せー (^^) 。2人は親友というより戦友といったところか。
切ない
1995年、まだLGBTへの理解が足りていなかった時代に、本当の自分との葛藤が切ない。特に、エディがアンバーに正式に付き合っちゃおうとつげるシーンは、それが自分にとってもアンバーにとっても偽りでしかないことを分かった上で、それでもアンバーなら、同じ苦しみを知っているアンバーなら受け入れてくれるかもしれないと、振り絞ったセリフだったろう。
絶望の中で手を伸ばした彼の気持ちを思うと、切なくて涙が止まらない。
2度目の観賞
TOHOシネマズシャンテで観ました。冒頭から最後まで既視感バッチリ。どうやら2年前にどっかで観たんだと思います。よほど好きなジャンルなんですね。自分でも呆れました。それと、認知症にも。
1990年代のアイルランドの高校。アンバーは母親のみの片親で、トレーラーハウスを改造したモーテルの娘。父親は理由はよくわからなかったが最近自殺したらしい。エディの父親は職業軍人で、痩せっぽちのエディは一人前の男として父親の期待に応えることができるかどうかビクビクしながら毎日を送っている。同級生からゲイ(ホモ、レズ)の疑いをかけられ、いじめられたり、気持ち悪がられている二人。アンバーは同級生からの嫌がらせ対策のために、卒業するまで付き合っているふりをして、からかわれないようにしょうとエディに持ちかける。同級生同士で付き合っているバカップルたちはアンバーのうちのトレーラーハウスでよろしくやっており、アンバーは放課後彼らから集金して、自分の将来のために貯金している。エディには彼をとてもよく理解しているとてもお利口な弟がいる。アンバーは自分がレスビアンであることを確信しているが、エディの方はハッキリとゲイだとハッキリと自覚しているわけではなく、のらりくらりとごまかしながらやって、徴兵されたら軍隊の中でなんとかやっていけるのではと思う気持ちとの間でフラフラしている。アンバーよりシャイです。
姉さん女房的なアンバーと頼りない弟みたいなエディがちょっと甘酸っぱくて微笑ましい。親友というよりもアンバーの母性愛をむしろ感じてしまいました。ちょっとアンバーは老け顔なので。
難しい
性に関して、壁が無くなって来ている現代ですが、やはりそれには問題があり、それを認めたくない自分との戦いも含めて越えるハードルが多いのですね。この二人はお互いにその状況を隠すため一緒に乗り越える手段を選択しますが…。
CUTE
尺が92分。丁度いい!と思って急遽鑑賞。
前半はとても好きなんですが、後半は前半の良さが保ちきれず乗れなかったなと思った惜しい作品でした。
ゲイである事を隠しているエディとレズである事を隠しているアンバーが恋人のフリをしてクラスメイトや親の目から掻い潜るというのが本筋です。
クラスメイトが茶化してエディにキスやそれ以上のことをさせようとしますが、エディは自身がゲイである事を自覚しているのでキス以上のことには手が出なくて(日本人にとってはそれでも中々のスキンシップだなということは置いておいて)、いじめられる日々が続く中でアンバーと出会い、偽とはいえど関係性を深めていくので、互いが惹かれあっていくのかと思いきや、そうではなく友情ものとしての側面が強くなってきたのが今作の不思議な所です。
前半はコミカルな感じでもう付き合っちゃえよっていうくらい可愛らしい2人の様子を眺めることができます。ここまで人前でいちゃついていると多少ムカついたりするもんですが、当人たちの事情が分かっている上で見ているとクスッと笑える仕掛けになっているのも良かったです。
後半に差し掛かると、自身の持つゲイ/レズの気持ちが強くなっていき、我を見失っていく展開になり、ヘビーというか身勝手な感じになっていき少し疲れてしまいました。前半のゆるゆるっとした空気が好きだっただけに、キャラにヘイトを集めてしまう様な演出には少し首を傾げました。エディがアンバーに暴言を吐くシーンが必要だったのか…。
入隊直前にアンバーがありったけのお金を渡して、この街から出て行って!という展開に持ち込まれますが、これまた唐突かつぶつ切りな終わり方だったのもモヤモヤっとしました。雰囲気映画に持っていかないでーと更にモヤモヤ。
良いところが光りまくった前半、ちょっとずつ思ってたのとは違う方向へ向かった後半、評価に難しい映画でした。主演2人は魅力的だったので、ぜひ今後も追いかけてみたいなと思いました。
鑑賞日 11/4
鑑賞時間 18:50〜20:35
座席 D-2
Love & Friendship!
カップルというよりも仲の良い友達という雰囲気で、遊んでいる2人が楽しそうでした♪✨
お互いの学校生活や家庭のシーンのバランスが良かったです!
音楽も適度にあり心地の良い映画でした☺️✨
ラストは非現実的ですが、映画らしい切ない終わり方で、まとまっていました。
他人からの偏見や周囲の目が気になることでも、自分の意思や価値観を尊重することは大切だと思いました。
予告編の印象よりもふざけている映画でした笑😂
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