帰れない山のレビュー・感想・評価
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雄大なアルプス山脈
優しい表情を見せる時もあれば
荒々しく厳しい表情を見せる山々に「自然」の
厳しさと豊かさを「都会」に住む者は憧れる。
しかし、そこに住む人にとっては、山も森も川も
当たり前のもので「自然」とは言わない。
ブルーノ(アレッサンドロ・ボルギ)のセリフが
とても印象的でした。
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世界39か国で翻訳され世界的な
ベストセラー小説を映画化とのことですが
もちろん←原作は未読です📖
モンテ・ローザ・・・⛰
イタリア・スイス国境にあるアルプス山脈
2番目に高い山でありスイスの最高峰
美しく荘厳な山々をスクリーンでみれるのは
とてもよかったのですが、物語としては少々
観る者を選ぶ感じがします。
これは、静かな湖畔で行間を楽しみながら
原作を読んだほうが大人の青春を感じ取れそう⛰
自ら選択したのか、選択肢を知らなかったのか
裕福な都会の子と貧乏な田舎の子(無学)の典型のふたり。
あまりにも親密そうなので「怪物」のふたりみたいな関係かと思ってしまった。
親ガチャは絶対的にある、ブルーノーは親のせいで教育の機会すら奪われた。これが彼のその後に人生をほぼ決めていないだろうか。
ブルーノーは自ら進んで山で生きることにこだわったようだが、彼は広い世界を知らないまま成人したのだ。視野が狭いがゆえの選択の幅の狭さだったと言えないか。それに、教育があれば、もう少し上手く経営を考えることができたのではないか、もともと頭の良い子供だったのだ。
31歳まで定職もなく反抗期が継続していたピエトロは、自分の父親とブルーノーが実の親子みたいな親密な関係で、しかも自分はそれを知らなかった、というところで目が覚めたらしい。彼が、長いモラトリアムを経て自分の向いている職業を選ぶだけの選択肢を持っていたのは、彼が親から恵まれた生活環境を与えられていたからだと思う。
ブルーノーは自ら望んだ通り鳥葬にされたようで、わかりやすい描写でした。
人間には「帰れない山」=乗り越えられないこと、もある。
それは人生の真実で、とてもわかり易い。
自然の景観が素晴らしく、ハナシも良くできていると思うのに、流れがゆったりしすぎて何度も知らないうちに眠ってしまいました。いびきをかいていなかったのが幸い。(同行者談)よだれはちょっとすすったようです。
失われた「何か」を求めて
その「何か」は時であり父であり友であり居場所である。友のブルーノは山の民でいようとするために試行錯誤し、結局山のなかに骨を埋めてしまった。鳥葬の話が見事に回収されていた。高山病によって山の民への道を閉ざされたピエトロはドレッシングにならず、外の世界を求め8つの山をぐるぐる回る。お父さんの日記回収ツアーはちょっと泣けたな。
山の営み。人の営み。
四季を通した景色や降り注ぐ自然光が美しい、イタリアはアオスタ渓谷。4:3のスクリーンサイズが山岳映画ならではの垂直方向の表現が、そこで営む人々が主役として描かれる。
山を舞台に、共に生き生きと幼少時代を過ごす子供たち。だが、父親との関係はそれぞれ(都会と自然との対比と労働者)で、その後の2人の人生や生き方に大きく影響を与える。その二人の葛藤と成長を山は静かに見守る。
最後に、お父さんが若い頃に乗って車がアルファロメオは(多分)Alfasud。ついエンジンオンに耳を澄ませてしまった。次にお父さんがアルファに乗ってるいるのが路駐後に息を引き取ったシーン。ここでは164。お父さんが出世していることを車から窺い知れた。
生きることの根源的な意味
イタリアの作家の世界的ベストセラー小説を映画化した作品だが、イタリアらしい映画というよりはむしろ普遍的なテーマを扱っている重厚な人間ドラマだった。
都会育ちと山育ちという対照的な2人という設定、かけがえのない友情というテーマ、これは自分の青春時代と重ね合わせることができた。生活環境が違うからこそ引かれ合いお互いの足りないところを補い合ったり、若い時に芽生えた友情を年が経ってからより深めていったりした友人が自分にもいたことを思い出した。
「何者にもなれない」というピエトロ、「やりたいことをやればいい。人生は挑戦だ」というブルーノ。ブルーノのように自由奔放に生きたいと思いながら結局実践できず、結果としていろいろなことに手を出してしまいどれも中途半端な状態になっている、自分はどちらかというとピエトロ型だ。最終的にはピエトロが生き残っているので、ピエトロの人生の方がよかったように思えるが、どちらの人生が正解ということはない。あくまで人生の美学という観点も添えなくてならない。
鳥葬というものがあると知ったのは『ボヘミアン・ラブソディ』という映画を観た時である。フレディ・マーキュリーという人は、両親がインド系でゾロアスター教徒であるが、そのゾロアスター教というのが今日では珍しい鳥葬を行うらしく、映画のラストでフレディが亡くなった時にそのことに触れていた。実際にフレディの葬送は火葬だったようだが、遺体を放置して鳥がついばむなど自然に任せるという方法があるというのは衝撃的だった。
「山の民として生きる」ことを決意したブルーノの死は、生きることの根源的な意味を問うている。
映像がとにかく美しい
アルプスやヒマラヤの美しい山々、村、遠景近景ともとても美しい。
これを見るだけでも十分。
ピエトロのお父ちゃんはいいお父ちゃんだよ。
お父ちゃんの「2人の」息子の波乱な人生は最後、悲しい結末を迎えますけど、2人の友情は確かにあった。
映画の人生、自分の人生
久々にイタリア映画を見た気がしますが、あまりイタリア映画らしくない(?)重厚で重く深みのある人生の物語でした。
感想が書き難い作品でしたが、何かを書いて残しておきたいとも思える作品だったので、無理矢理ふり絞り書きました(苦笑)
特に今を生きる現代人(都会人)にとっては、馴染みのない思考(世界観)を扱っているので、分からない人には全く理解不能な物語なのかも知れませんが、しかしちょっとでも現在社会に疑問を抱いていたり、田舎生活(大自然との接触が身近にある)の経験あったり、趣味で大自然と触れ合う機会のある人であれば、なんとなく物語の趣旨は掴めると思います。
物語の舞台はタイトル通り“山”ですが、それに捕らわれ過ぎると物語の本質が見え難くなりそうな作品だとも思います。それだけ見事に山の風景が描かれていましたが、ただそれに目を奪われると美しい映画だったという印象しか残らない可能性もあります。
本作は一見『冬の旅』や『イントゥ・ザ・ワイルド』の様な、現在社会に適応出来ない種類の人間の自分の生きる場所探しの作品群だとも思うのだけれど、本作の場合はこの2作の主人公ほど頑なでも他者との接触を拒むわけでもなく、最終的にそうならざる得なかったという感じで、一般的な家族愛も友情も描かれていました。だからこそ決して特殊ではなく、本来そういう種類の人間も少なからずいるのだろうと思える作品でした。
なので、本作は決して自然賛美(美しく崇高で純粋)や都会批判(醜く卑俗で不純)の様な自然と都会の対比ではなく、それぞれの環境依存によるある種の適応障害が描かれていた様に思います。
私の様にあまりにも都会で長く生き続け歳を重ねれば重ねるほど、この様な舞台設定の作品は別世界の出来事過ぎるのだけど、全く正反対の見方をすれば本作の“山の民”でも“都会の民”でも、対局ではあるがそこでしか生活できないという共通点も見つけることが出来ます。
ひょっとしたら、こんな見方で本作を見る人はいないのかも知れませんが(レビューでもあまり見かけない)、当然都会でも孤独や飢えで死ぬことはありますので、本作では山で生まれ山で死んだある男の人生が描かれていましたが、映画で描かれている他者の人生と、それを見る私の人生をどう結び付けるかで映画の見え方は全く違ってくるのでしょうね。
そういった事を、考えさせられた映画でした。
帰れないのは誰で、どの山に帰れないのか。タイトルの意味を考えるだけでも相当考え込んでしまいました。奥の深い哲学的な要素のにじむお話です。
ポスターの絵から何か特別な雰囲気を感じました。
山が舞台の作品は好きな方なので鑑賞することに。
原作が有名な本らしいのですが未読です。
(…というか、存在を全く知りませんでした ・-・)
少年二人が山で出会い、共に生活し、そして別れ。
二人の絆と友情の物語かと思わせる導入部。
※それは的外れでは無かったのですが、
実はもっとずっと内容の濃い話と分かるのは
鑑賞した後のお話でした。うーむ…。
主人公の一人はピエトロ。都会で育った少年。
もう一人の名はプルーノ。羊飼いの少年。
少年期の二人の出会いから青年期へと、
取りまく環境が変化する中でも、二人の関係は続く。
そのように見えていたのだが
ピエトロは自由に他の山や世界を尋ねて歩き
ブルーノは自分の生まれ育った山を離れない。
ブルーノに女性のパートナーができた。
経理や事務を任せ、牛を増やして順調そうだ。
ピエトロはネパールの小学校で子供を教える。
同じ考えの仲間と一緒に働いているようだ。
ある時、イタリアの山戻ったピエトロが
ブルーノを尋ねてこう話す。
” 君は世界の真ん中のとても高い山にいる”
” その高い山の周りには、8つの高い山がある”
” 君は真ん中の山にしか行けないが
僕は周りの山全てに行くことができる”
” 君と僕の、どちらがすごいと思う?”
この辺りから、二人の山に対する哲学的な思考が
滲み出るような展開に変わった気がします。
◇
イタリアの山(モンテローザ)が舞台で始まり
ピエトロはあくまでもその山にこだわり続け
ブルーノはネパールの山に定着します。
この二人の生き方は、似ているようで実は大きく異なる。
年月の経過とともに、その差異が大きくなっていく様と
二人の山に対する考え方の違いの行く末を
最後まで見届ける作品。 そんな感じでした。
作中で出てくる "須弥山"
これは仏教世界の中心に存在する山、という事らしいのですが
山の民 とか
山岳信仰 とか
仏教そのもの とか
もっと色々な概念を理解した上でないと
この作品の本質が見えてこないのかな というのが
鑑賞後の正直な感想です。
観てすぐに内容を理解できる作品では無かったです。
原作を読んでいた方が良いのかも。。
◇あれこれ
モンテ・ローザ (薔薇の山?)
イタリアとスイスの国境の山。 ふむふむ。
アルプス山脈で二番目に高い山(連峰)らしいです。
最も高い地点で4,634mとか。富士山より高い…。
二人が暮らしたところはもっと下だとしても
冬を越すのは簡単では無さそうです。 ぶるぶる。
ヤク
ピエトロが辿り着いたどこかの国(ネパール?)で出てくる
"ヤク" という動物。
ヒマラヤの高山地帯で飼われている動物で、以前観た
「ブータン 山の教室」という作品にも登場していたのを
思い出しました。懐かしい。
※主演のペム・ザムちゃん、元気にしてるのかな。
◇最後に
ブルーノが口にしていた死者の弔い方=「鳥葬」。
ピエトロは「自分なら嫌だ」と言っていました。
厳冬期に行方知れずになったブルーノを探す場面で
数話のカラスが一カ所に群がるシーンがあるのですが
これって、そういう事なのでしょうか。。
そうだとしたら、ブルーノは望んだ通りになったと
そういうことなのでしょうか。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
とにかく山に行ってみたくなる映像、そして一度限りの人生をどう生きるかの選択。
自分の天職は?って訊かれて、「山の民」って答えていたブルーノ。生きる力もあって優位に思えたのだけど、、、、、、、、。
「田舎のネズミと町のネズミ」って童話があったのを思い出した。二人の青年が一人の父親を共有し、自分の行き方を自分で選んだ物語。
環境に適応する人、環境を変える人。自分の運命に従順な人、自分探しの旅に出る人。どちらが正解かはわからないけど、観てる人はみんな自分はどっちタイプなんだろうって思ったんじゃないかなあ。
雪が覆い隠してしまう時間と孤立。「山の焚き火」(日本公開1986 年)を思い出した。
ピエトロ、(ドレッシングを思い出すけど)イケメンでしたね!!
山男にゃ惚れるなよ
様々な解釈ができそうな好作品。
親とも学校とも街とも自分の家族とすら関係を保てず唯一の居場所が山小屋,というブルーノは最後にひとりで空へ還り「俺たちの家(Casa nostra)」は瓦礫に戻る。そんなブルーノと時に対立しながらも見捨てなかったピエトロに彼が遺したのは前へ進む勇気ではなかったか?
蛇足ながら,アルプスとヒマラヤの雄大な山岳風景を、できればワイド・スクリーンで観たかった。
何カッコ付けている。髭をそれ!
演出家のミスだと思うが、同じ顔なので
どちらがどちらなのか分からない。
もし、意図して髭をそらずに演じさせたとすれば『男の友情』なんだろうね。しかし『狙った意図は、ドえらく外している』としか言いようがない。
『男の友情と登山』なんて、アナクロ過ぎる。散々語られてきた話で、男の友情が美談を産むって事だ。
山の民は孤独を愛して、自然を尊び、都会を嫌う。
ゲッ!そんな仙人みたいな奴はいない。
この話と似たような話が、日本のドラマにあった。『北○国か○』そう、あの黒○五○とそっくり。
ロケ地は3050mとか言っているが森林限界を超えていない。つまり、1800mがイタリアアルプスの森林限界なので、日本で言えば、奥多摩見たいな所。ゆるキャンに毛が生えた程度。
ヒマラヤ!?
さすが、元植民地支配者階級の考える内容だ。彼らから見れば、アジア全域は、野蛮な東の領域。鳥に食わせるなんて、野蛮な文化のあった所。だから、現地妻(?)もインドヨーロッパ系の自分達に似た者。
兎も角、元支配者階層の男性は、こう言ったモラトリアムな親離れしないバカ男の話を、好き好んでよく描く。
孤独を味わいたくば、山なんかに行く必要は無い。都会で引きこもれば孤独なんて、いくらでも満喫出来る。
美しい自然?インドネシアのサンゴ礁の比ではない。僕ならそっちに散骨してもらいたい。
追記
氷河のクラックをなめてはいけない。子供や他人の子供を連れて、気軽に行ける様な所ではない。話をそこに留めておくのかと思った。
鳥葬
夏休みに北イタリアのモンテ・ローザ山麓の村を母親と訪れたピエトロ少年。
おじさんに引き取られ、牛の放牧を手伝うブルーノ少年と出会う。普段は都会のトリノで暮らすピエトロと学校に通っていないブルーノ。山麓の村とトリノでは言葉の違いもあるようです。
有名なイタリアの小説が原作。
山での暮らしに憧れていたピエトロの父親が仕事を終えてトリノから合流すると、二人を連れて山登りに向かったが、ピエトロは高山病にかかり、氷河のクレバスを飛び越えることができない。体力に勝るブルーノに引け目に感じてしまうピエトロ。父親もブルーノを誉め讃えるので、ほんとの息子は立つ瀬がない。思春期になり父親に反発するピエトロ。とくに目標のないままピエトロは大学に進学。一方、ブルーノは村を離れ、石工職人の道へ。ピエトロが大学生になったころ偶然ある店でブルーノをみかける。互いにすぐに認識できたが、一言も言葉をかわすことなく、その場は別れる。ピエトロの父親の死を契機に村で再会した二人。ピエトロの父親はブルーノにひとつの夢を託していた。
自分の代わりに父親と交流していたかつての親友と父親の願いをかなえる作業はピエトロにとって、父親の弔いと関係修復の意味があったと思われました。
その後、ピエトロは二人の秘密基地を離れ、ヒマラヤへの旅に出る。
どっしりと大地に根を張ったブルーノの生き方に意地を張って、自分のアイデンティティーを探していたように思えました。
そして、ブルーノのとった選択。
取り返せない時間と大切だけれども、帰れない場所はピエトロを永遠に苦しめたでしょう。
ブルーグラスバンドの夫婦の悲運をテーマにしたオリジナル脚本のオーバー・ザ・ブルースカイ(2013年)を撮ったベルギー人夫妻の映画でした。だいぶ前にDVD購入して観ていましたが、すっかり忘れていました。残酷な運命とシンボライズされた鳥が出てきた映画だったと思います。このご夫婦はたぶんネイティブアメリカンへの憧れを持っていらっしゃるようです。
残酷な運命と印象に残る大自然の映像はかなりニガい余韻にしばらく浸らせてくれました。結構堪えます。
(原題) Le otto montagne
大阪遠征中2本目!都会育ちのピエトロと山しか知らない野生児ブルーノ。少年期の出会いからを描く今作、祈るような気持ちで最後までスクリーンを見つめてしまいました。
人生に疲れてる方に見てほしい作品
北イタリアのモンテローザ山麓を主な舞台にした親子と男同士の友情、家庭、美しい自然風景と共に描いた
ドキュメンタリー調の人生ドラマです。
全編ロケ撮影と思われる山岳風景は全て素晴らしく、ネパール含め世界各地の心象風景も見応えはありました。
私小説原作の映像化らしく隅々まで監督のこだわりが感じられて出演者達の演技とは思えないリアルな姿に現実の人間を感じました。
過去に親子関係や家庭環境に因縁がある人は心に何かを感じる作品になってると思います。エンタメ感は皆無で淡々した心象風景が続くので
睡魔に負ける人もいてもおかしくないかも。人生に疲れ落ち着いて物思いにふける時間を持ちたい方に強くお勧めします。
静かで淡々としてて小難しくて眠くなる
開始そうそう眠くなる眠くなる(笑)
静かで淡々としてます。
さらに小難しいからタチが悪い(笑)
落ちてくるマブタと必死に戦い、最初30分すぎたぐらいから、どうにか面白くなっていくんだけど、
その後も、静かで淡々としてて小難しい映画です(笑)
時間も147分と長いんだから、本当タチが悪い(笑)
山や荒野を歩くので、ゲーム『デス・ストランディング』みたいな画が出てきます。
60点ぐらい。
2回目はムリ(笑)
男の友情と山。
長い人生、友情のかたちも変わるもの。都会のやさぐれ感が無いある意味あこがれの生き方。雄大な山の風景は人生を絡めて描くのに絶好のシチュエーションかも。大事件は全くなく淡々とした語り口。まあ生きて行く事自体が大事件か。山一筋の人生、まわりはどうあれロマンなり。
全64件中、21~40件目を表示