アルピニストのレビュー・感想・評価
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生きるを謳歌すること
マークの笑顔がなんともいえないぐらい最高。
自分の道を見つけて歩いている人、
自分のやりたい事を追求している人、
自分の全人格を余すことなく発露している人、
そういう人だからこその、爽快で純粋な心の底から自然と湧き出る笑顔だった。
人生は長さではない。
二五歳。とても幸せな人生に見えた。
✳︎物凄く景色が綺麗。
山と星空、テントを開けると山間に朝陽、谷の景色、、。素晴らしい。
*足が縮むようなシーンが続く。少しの引っかかりに自分の体重を預ける、、、。
*マークの母が素晴らしい。このお母さんの子供でマークは幸せだっただろう。
*人間関係のしがらみや仕事のこと、老後の心配など、今悩んでいることがとても小さなしょうもないことに思えてきた。心配ばかりして人生を謳歌しなくてどうする?マークのような笑顔ができるようになろう。
すごい。
すごい、只々すごい、その一言に尽きる。
技術もその生き方も。
これを観た感想を、それ以外の言葉で表すのが難しい。語彙力が乏しくて。
短い人生だったかもしれないが、彼にとって満足な人生だっただろうと想像出来る。
どう生きるか、問いかけられた気がした。
自分の人生を歩む尊さを感じる映画
素人からすれば断崖絶壁にしか見えない岩壁を、命綱なしで単独で登る世界があるらしい。ロッククライミングなどのいわゆるスポーツとも違う、冒険家に近い世界のようだ。時にはタイムを競うこともあるようだが、そこが大きなウェイトを占めているわけでもなさそうである。
この作品は、そんな世界で一目を置かれる若者、マーク・アンドレ・ルクレールのドキュメンタリー映画だ。同行した撮影者による撮影、ドローンカメラ、ヘルメットに装着したカメラによる撮影などで映し出されるのは、ある意味では狂気な世界だ。人気映画シリーズである『ミッション・インポッシブル』でトム・クルーズ演じるイーサン・ハントが高層ビルを登っていくシーンがある。そのシーンを見たことがある人も多いだろう。マークが登っているのは、ビルではなく、垂直にそびえる自然の岩壁や氷壁なのだ。イーサンがつけていたような最新鋭のマジックグローブもなければ、無線でサポートする仲間もいない。多くの人は「登る」という選択肢しか思いつかない対象を登っていくのだ。
作品の前半部分では、彼の人となりに迫っていく。本人、知人へのインタビューを通じてあぶりだされるのは、悪意のない人であることだ。やや変わり者であるがゆえに、親しい友人にはなりずらい部分もあるかも知れない。しかし、若者らしい遊び方を経験しつつも、人生における自分の情熱を傾けられる対象に絞り込んでいく過程は、多くの若者に観て欲しいシーンである。人の目を気にすることなく、自分の心の声に従い進んでいく姿がとても印象的だった。
マーク本人に劣らずに素晴らしいのは、マークの彼女である。彼をそのまま受け止めて、彼も彼女をそのまま受け入れる。メイクなどしなくてもその可愛らしさ・純粋さがこれでもかと伝わってくる。自然に囲まれて生きるている二人の人生は、間違いなく輝いていた。
終盤では哀しい結末が描かれる。特に母親のスピーチは胸を打つ。悲しくないわけがない。それでも、彼なりに生きた生涯を包み込む愛があふれいた。人生は尊い。そう思わせてくれる作品だった。
雄大な山々は美しく怖い
自分はハイキング程度だけど登山系が好き。
本作のマークはロッククライミングだけでなく、難攻不落の岩・氷・雪の複合登攀をする凄い人。
作中には世界を代表するような登山家、アルピニストが出演しマークの偉業を讃えつつ物語は進行していくが…
ご本人も常に安全を意識しているが、死と隣り合わせの極限に自らを置いて自然と自分を感じると。分からないでもないが、究極のクライム、それはあまりにもリスクが高すぎませんかね…
シンプルな生き方
ただひとりで登りたいだけ
純粋に
意味なんて無いのかも
そこに山があるからなのでしょう
彼のことを周りはいろいろ言ったりするでしょうが本人とは何も関係のないこと
やっている事を周りが知らなければ何も言われなのだから
称賛を受けたいわけじゃない
登っている時は頭がスッキリすると彼は言う
きっと地上にいる時の方がはるかに彼には負担が多く辛かったのでしょう
この映画に出てくるあらゆる登山家達の言葉は彼には何の意味もなく、ただただ私達見ている側へ分かりやすく補足しているのでしょう
もしくはドキュメンタリーの基本の構成なのかも
でも彼だけを感じたい、見ていたい
見るというよりも想像する方がしっくりくるかも
『イントゥ・ザ・ワイルド』の彼も何かに突き動かされて荒野へ行った
マークも同様に山へ
誰にも気を使わずソロで
そして全てがフリー
相手は絶対的な大自然、従うしかない
ほんの少し優しい顔を見せてくれた時にだけ登ることができる
そこに山があるから登る
シンプルだけど幼い
彼はずっと幼いままだったのでしょうね
社会が複雑になり過ぎたのかも
彼の親は不運なのだろうか
親不孝な子ではあるが彼の生き方を認めていた親はきっと覚悟していただろう
自分たちよりも先に逝くと
愛する者が幸せな人生をおくれたならそれでいいのかも
駆け足で走り抜けだ人生に見えた風景は
とてもシンプルで素晴らしいものだったのだと私は思う
登山?生と死の挑戦…いや、ゲームか…
2023
68本目
命知らずのデスゲームに平常心で挑んでいる青年。
登山で歩いて稜線歩いて気持ち〜と思っているような感覚で命綱無しで挑む様は私としては異常に見えてしまう。そんな彼だからこそ、人々を魅了したのだろう。
最後、残念だったがクライマー達にとっては忘れられない一人だろう。
そんな名声などマーク本人は求めてないのだろうが…
❇️この男、銭湯やサウナに行く感覚で岩山を登る男!褒めてます
アルピニスト
🇦🇷アルゼンチンのパタゴニアのトーレエガー
(エルチャルテン村)
フリーソロという携帯も持たずスポンサーもつけず記録もおざなりに数々の高難度ルートに気の向くまま挑んでいく登山家!その名は『マーク アンドレ ルクエール』!
一人の男に焦点を当てたドキュメンタリー作品。
◉85B点。
❇️銭湯やサウナに行く感覚で岩山を登る男!
★彡この男、本当に凄かった。全く辛そうな顔をせず、岩肌や氷の状態を見極めコツコツと上を目指す!娯楽の為、楽しんで登るバカな主人公マークです。褒めてます😅
🟡見所5!
1️⃣なんなんだコイツは⁉︎
★彡本当飾り気のない、地位や名声など関係なさそうな登山オタク😅
★彡まるで銭湯に入り帰る様な感覚で登山して帰る様がヤバい人です。🥾
2️⃣命綱やロープ無し、そして素手、携帯も無し!
★彡なんか次元が違う生き物の様です😅
3️⃣単独で滝が凍った氷をロープなして登っていく!
★彡この人アホだな?褒めてます😅
4️⃣彼にとっては登山は麻薬の様です。😅
★彡ドラッグに塗れた日から脱出した主人公は己だけの力で更なる山に没頭していく!
5️⃣ピッケルやアイゼンで叩く音が心地よい♪
★彡コツコツと岩山を刻む足音を踏み締めるたびに😅
究極の生
こんなにも生への探究心がシンプルで、心揺さぶれる映画は数少ない。。。ドキュメンタリーならではである…
最後に亡くなった事は残念だけど、この人らしいなぁと少し納得してしまう部分もある。この人は山以外で亡くなるべきではないかな…
命綱なしで、山登りをしている時も亡くなっ後も何か考えさせてくれる映画だった。
R.I.P
人生の一本
とても良かった。
これほどまでに刺激的な映画は観た事がない。
自分自身、登山もクライミングも全くやる気はないのだけど、
ドキュメンタリーで登山家を見るのはとても好き。
やはりそれは、無謀に思える山という夢や目標に
挑む姿に憧れ感動するのだと思う。
SNSはもちろん
地位や名声やお金のためから解き放たれて、
ただただ自分のために生きる人、
そう言う人こそ気高く、ヒーローと言えるとボクは思う
刹那的に生きてる人の言葉はどれも重く、
ズシンと響く台詞もたくさんあった。
山を登らない僕には登る人の気持ちは一生分からないと
思うけど、
それでも山に挑む姿は、
変哲のない僕の人生の小さな挑戦をする時に
勇気付けてくれるだろうし、
前に進み続けろ登り続けろと背中を押してくれる事と
思います。
人生の一本。また何度か見直すと思います。
自己肯定感上がります
シンプルに幸せとは何かを突きつけられました。日本社会のことしか分からないですが、今は社会に適合することのハードルがどんどん上がってきています。だから、適応障害や鬱などのメンタル疾患が増えてきているのだと思います。いや、ADHDの人でなくとも普通こんなマルチタスクこなせないですよ。
本作を鑑賞していて、初心に戻れたというか、競争や他人との比較やエゴや、なんだかいつも疲弊している自分が馬鹿らしくなりました。そんな私を勇気づける様な神々しい山々と山を登るマークを映したカメラ。
マークはお母様の理解があったからこそ、自分を肯定して生きることができました。自分を肯定することに、人間の幸せの本質があるのではないでしょうか?誰でもスマホが欲しいわけじゃないし、誰でもお金が欲しいわけじゃない。誰もが山に登りたいわけじゃないし、誰もが冒険したいわけじゃない。私は私になりたいんだ。
人生をマニュアル化するのではなく、ユニークな人生を歩みたい。私だったら、2年位ずつ環境を変えたいな。
「世界にひとつだけの花」を聴くよりも、100倍説得力がありました。自己肯定感が上がります。
【不世出の天才クライマー、マーク・アンドレ・ルクレールの信じ難き数々のフリーソロによる登頂シーンを写した画期的なドキュメンタリー作品。】
■携帯も持たず、登頂結果をSNSで発信することもなく、たった1人で驚くべき登頂を次々と成功させていた無名のカナダ人青年、マーク・アンドレ・ルクレールに魅せられたピーター・モーティマー、ニック・ローゼン監督が、彼の挑戦に密着。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・「フリーソロ」で観たアレックス・オノルドも作中で言っているが、マーク・アンドレ・ルクレールの登頂スタイルは、”ちょっと、山に登って来る・・。”と言った感じで、”スタンレー・ヘッドウォール”や、”ロブソン山のエンペラー・フェイス”をフリーソロやダブルアックスを駆使したミックスクライミングで、易々と登っている。
・そこには、山への恐怖は感じられず、彼自身が楽しそうに、ガールフレンドのブレットとフリーソロを楽しむ姿が映し出されている。
・彼のフリーソロシーンの姿も”どうやって撮影したのか!”と言う位、至近距離で撮影されている。
■白眉のシーン
・冬のパタゴニアのトーレ・エガー登頂シーン。
一度は頂上直下で吹雪に会い、下山するが、再挑戦する姿。
マーク・アンドレ・ルクレールは子供時代にADHDと診断されたとあるが、確かに自由人だし、取材陣の前から突然姿を消したりするが、スピリットは純で、強靭なる人である事が良く分かる。
そして、何より彼の言葉には悲壮感はなく、極限状態の中で生を謳歌している事が伝わって来るのである。
<私は、登山とは頂上に登る事が全てではなく、無事に愛する人や、家族の所に戻ってこそ完結すると思っている。(10年前まで、登山をしていたので・・。)
故に、マーク・アンドレ・ルクレールのアラスカでの雪崩遭難死は悲しい。
だが、彼の追悼式に集まった、多くのアルピニストたちの姿や、母親のスピーチを聞くと、彼の死は悲しい事だが、多くのルートを開拓し名を残したのだから、有意義な人生ではなかったか・・、と思った作品である。>
生命との天秤に掛けるもの
生命を危険に晒すのは、得られるものが、そのリスクと釣り合うから。イヤ、それ以上のものであるから。登山モノは、書籍含めて好きな方だと思うんです。映画・ドキュメンタリーも、地元で上映されるものは殆ど見てるはずです。先週は「神々の山嶺」を見ました。それでも分からないんです。何故、山に登るのか。言葉では、言い表せる気もするんですが、根本的なところで肚落ちしていない自分がいます。
単独登攀を目指すものの半分は、山で命を落とす。
そりゃそうでしょうよ。見るからに無茶ですもん。カメラがとらえる山々の映像は荘厳の一言です。美しい。ですが、そこに辿り着くまでの道のりは、人間を拒絶する自然そのもの。屹立する石と氷の壁。うねる波が凍りつき垂直に切り立った塊り。尖った頂。崩れそうな雪塊は、強風で奇妙なカタチに変形し稜線を作る。無茶ですよ。そんな場所を歩き、登るだなんて。
誰も登ったことの無い山。誰も成功していないルート。自分だけが経験する何か。それが血を沸かすのか。
それとも、単なるリスク・ドランカー?いや、違うよね。彼の計画は、常に生還を前提にしてる。
山頂にある静寂を求めているのか?それも違う。であれば、素手で登る必要はないから。
結局、答えが分からない。その、分からないもののために、命を危険に晒す人たちの事を分かりたい。だけなのかも知れねーなー、なんて事を想いながら。
興奮した笑顔を見せてくれた、マーク・アンドレ・ルクレールのご冥福を祈りつつ。
良かった。
とっても。
目的がすり替わってしまうこの世の中で
ロープなし、下見なし、電子機器無しでフリーソロ。
とんでもないクライマー、マーク・アンドレ・ルクレール。
フリークライミングなのに下見なしって、本当にとてつもない…。
映画【フリーソロ】で極限のクライミングを見せてくれたアレックス・オノルドが霞んでみえてしまうぐらい。
驚いたのは、この映画でも出演しているオノルドが、スポーツとしてフリーソロをやっているが、ルクレールは違うと発言したこと。彼の考えは今作のルクレールに近いと思っていたから、結構驚いた。
オノルドはロープで下見し、ルートを練り、安全な登り方を何度も反芻して頭にたたき込む。
相反してルクレールのほうは、事前に天候や地形図を観てはいるが、初めての山(ルート)での経験や体験そのものを楽しんでいる。
精神構造が違うんですね。
しかも、オノルドよりも危険なことをしているのに、ルクレールなら落ちない、という謎の安心感を与える。
「フリーソロ」よりも、格段に落ち着いて見ていられた。
きっと、ルクレールの精神のあり方が画面を通して伝わってきたのだと思う。禅の修行のように、登る前のことは忘れ、登った後のことは考えない。一つ一つ、本当にその瞬間を心穏やかに噛みしめている。
そのスタイルは、初めて人類が未開の地へ赴くときのように、一つ一つに驚きと喜びがこもっていると同時に、野生動物のようにひどく自然体でもある。
鳥がなぜ飛べるのかを鳥自身が考えないように、ルクレールも自分が登れること自体を疑問に思わない。
だから、危険なことをしてるのはわかるけど、自分は危険なことを楽しんでいるわけではない、と彼は答えたのだろう。
ーークライミングをすると、人生がシンプルになる。
ーー達成したこと自体が人生を変えるわけじゃない。そこに到達するまでの旅が心に残る。
いい言葉。
私も登山をしますが、美しい風景を見ると共有したくてヤマップやインスタについ、あげてしまう。
目的がすり替わってしまうこの世の中で、自分の好きなことを体験と経験としてだけ個人のうちに留めておける人間が、果たして今いるのだろうか。
登山興味あるなしに関わらず、彼のことを、もっともっと人に知ってもらいたい。
少なくとも、私は忘れないし忘れたくない。そう思わせる、魅力に溢れた青年でした。
ある意味1番人間らしい人だ
作中で彼が何かを達成した後には世の中の表面的なことがどうでもよくなるって台詞がすごく共感できた。
彼みたいな超越した人でも、僕らと同じようにストレスを感じ、それがなくなる感覚に意識を向けていることが、嬉しかった。
とてもいいドキュメンタリー映画😊
ラストが・・
山岳映画はよく観に行きます。
普段見られない映像を観ることが出来る所が好きですね。
(毎度思うのですが、登山中の映像を撮るカメラマン達も凄いですよね)
今回も圧巻の映像が観られるのですが、ラストが呆気ないと言うか、やはり登山は危険と隣り合わせなんだなと実感しました。
そういえば、フリーソロに出演していた。アレックス・オノルドが出ていましたね。
彼が存命しているのを確認出来たような気がして、安心しました。
優れたドキュメンタリー映画というだけでなく、メッセージ性も強力
こんな凄い映画があったなんて・・・。
上映期間中に、映画館で観れて良かった。
ミニシアターで他の映画を観に行った時、ちょうど1人の映画好きそうな素敵な紳士とすれ違い、彼が入った映画が『アルピニスト』でした。「おお、こんな映画も上映されていたんだ」と気づき、ノーマークだったのですが、これが良いキッカケになって、観ようかなと思い始めました。
「断崖絶壁に命綱なしで挑む若き天才アルピニスト、マーク・アンドレ・ルクレールに密着したドキュメンタリー(映画の説明より抜粋)」私は登山やクライミングには余り興味が無く、登山が趣味の人と仕事で少し触れあった記憶がある程度。しかし、自分の知らない世界だからこそ、あえて観てみようと決めて、チケットを買って観に行きました。クライミングに興味が無かった自分なのに、不思議と凄く楽しめて、その世界に引き込まれていき、一瞬たりとも退屈することなく、最後まで堪能できました。映像も美しく素晴らしいけれど、音楽面でもすさまじくレベルが高く、とんでもなくクオリティの高い映像作品です。
何故、彼は難易度の高い山々に挑むのか。しかも、たった一人で。今ではすっかり普及したSNSなども彼は余り興味が無いようで、自分の知名度を上げるとか、名声を得るとか、そんな事にもまるで興味は無いようです。他人からの評価なんて、どうでも良くて、彼は自分が心から好きな事に純粋に挑んでいるのです。映画が進んでいけばいくほど、彼の人間的な魅力に惹き付けられていく自分を感じました。そして、多くの共感をも感じ、人生のヒントも得ました。私がこの映画に関して語り出すと、キリが無いほどに、とんでもなく長くなってしまうでしょう。それくらい、多くの学びがありました。私のように登山に興味が無かった人も含めて、世界中の多くの人達にオススメしたくなります。素晴らしい映画でした。今年私が映画館で観た映画は7月に入ってようやく百本を超えたところですが、今年の私の好きな映画として、ベスト上位は間違い無しです。特に私のようにメッセージ性を何よりも重要視している映画ファンの方であれば、是非とも観てほしい映画ですね。これぞ私が観たかった映画。文句無しの最高評価です。
とても短いが幸せな人生だったと思います
もう時効だと思うので、書きますが、若いころ、「絶対に一人で登攀してはならない」と登山案内書に当時書かれていたジャンダルムという北アルプスにあるドーム型の岩稜に、一人でとりつき、絶壁の真ん中あたりで、ルートを見失って立ち往生した経験があります。当時はヘルメットもザイルも装備しておらず、縦走用の大きなリュックを背負っていたこともあり、「あーおれ死ぬな」という恐怖を生まれてはじめて感じたのですが、同時に感じたのは、矛盾するようですが、「生きている」という強烈な幸福感でした。
私の経験など、この映画の主人公の経験に比べれば、月とスッポンですが、私にはこの映画の主人公が、何故命綱をつけずに岩稜を登るのか、スポンサー契約を結んだ企業側のあいそ笑いの撮影に嫌気がさして、あえて行方不明状態にして寸暇を惜しんで山歩きを楽しんだのか、何故有名になることに無関心なのかが、よくわかる気がします。社会的には失格者かもしれませんが、彼は自分の人生を自分の生きたいように生き、束縛から解放された自由な状態で、自分の人生を全うしたのだと思います。
短いが幸せな人生に、乾杯。そして合掌。
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