劇場公開日 2022年11月11日

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「鬼は本当はどちら側に?」あちらにいる鬼 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0鬼は本当はどちら側に?

2023年7月4日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
「あなたは、私への情熱なんてもうないんでしょ。どうすれば終わりにすることができるか分からないでいるんでしょ。」
「情熱をなくしたのは、そっちの方じゃないのか。」
「そうかも知れない。」

お互いに小説家という、芸術家として、何よりも(文学的な)美や真理を第一として追い求めるということでは、必ずしも社会の既成概念には束縛されない長内と白木の二人のことですから、情念の赴くままにお互いがお互いに関係性を求めるというのも、察するに難くはないと思います。評論子にも。
自分にも講演会出演の仕事があると偽って白木が出向いた京都のホテルの長内の部屋での「抱きに来た」「待っていたわ」という会話が、何よりも雄弁にそういう背景を物語るのだろうと思います。

そういう関係性の二人だからこそ、なおのこと常に「あちら」の側に、追い求めている自分の欲求を阻害する鬼はいるものだと考えたのでしょうし、市井の生活をしている評論子らも、人はそう考えがちということなのでしょう。

その醜さに気づいた長内は出家を決心し、また自身の醜さにも気づき始めていた白木は、そう言う長内を引き留めもせずに「そういう方法もあるね」と受け止めたのだと、受け止めました。
そして、そういう受け止めをしてみると(無責任に長内を引き留めずに)「そういう方法もあるねと言ってくれたあなたは、私たちの付き合いのなかで、今いちばん誠実なのかも知れない」と返した長内の心情も、素直に理解ができるように思います。評論子は。

結局、本作の邦題の意図(意味)は、そんなところにあったのでしょうか。

また、本作は、寺島しのぶ、広末涼子のお二人の女優さんの演技が出色の一本でもあったと思います。
前掲の映画ことばの会話シーンの際の長内の鬼のような険しい表情、自宅で来客(白木の原稿を扱う編集者?の二人)か、白木と関係のあった初子の非業の死を話題にしたときに(来客からは見えない)キッチンに向かっていた笙子の、やはり鬼のように険しい表情は、評論子は、きっと永く忘れないだろうと思います。
加えて、長内(寂光)から、今ここにいるあなたは笙子の何の使者なんだろうと問われたときの白木の、やはり鬼のような険しい表情も。

地元有志による上映会で取り上げる作品ということで鑑賞した一本になります。本作は。

予備知識もなく、そんな偶然?で鑑賞することになった一本ではありましたけれども、佳作であったと思います。評論子は。

talkie
humさんのコメント
2024年5月11日

返信ありがとうございます。
ところで名前のlが抜けてすみません。いろいろミニクイ😭今日このごろ。レビューは、私も過去のものに追いつけないままです😅

hum
talkieさんのコメント
2024年5月11日

Humさん、コメントありがとうございました。もちろん観終わってはいるのですが…。レビューが(超)遅筆の私は皆様に多大なご不便をおかけしています(謝)。
別れなければならないなら、こういう別れ方ができれば素敵だと私は思いました(素敵という表現が良いのかどうか分かりませんけれども)。近日中にはアップしたいと思いますので、一読してもらえると嬉しいです。

talkie
humさんのコメント
2024年5月10日

takieさん、いつも共感ありがとうございます。
愛する人に…のレビューがないようでしたのでこちらに。
なかなか胸にくるものがありました。母として、子として。

こちらは広末さんが、後々リアルな報道をされ、この作品を何度か思い出してしまいました😅

hum
talkieさんのコメント
2023年7月6日

そういう関係でだけお付き合いができる女性がもしいるとすれば、男性として「こんな嬉しいことはない」(笑)のかも知れませんが、それはそれで寂しいのかなぁと思ったりもします。
本作の長内と白木の心中は、どうだったのでしょうかね。
琥珀糖さん、コメントありがとうございました。
いつも、作品選びにレビューを参考にさせてもらっています。
この機会に、このことにもお礼申し上げます。

talkie
琥珀糖さんのコメント
2023年7月5日

共感ありがとうございました。

笙子と長内そして白木
それぞれが見せた鬼のように険しい表情・・・
そうですね。特に長内と白木は小説家として
「内に鬼を棲まわせている」
・・・そう思います。同感です。

琥珀糖