「1966年、昭和も40年代に入ったころのこと。 人気女流作家の長内...」あちらにいる鬼 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1966年、昭和も40年代に入ったころのこと。 人気女流作家の長内...
1966年、昭和も40年代に入ったころのこと。
人気女流作家の長内みはる(寺島しのぶ)は、地方講先で少し年若い作家・白木篤郎(豊川悦司)と知り合う。
すぐに男女の関係になったふたりだったが、白木は女にだらしない性格で、これまで幾人の女性と男女の仲になり、相手を自殺に追い込むこともあったが、本人には、それはそれでしかたがないこと、といった風情。
白木には妻も子どももあるのだが・・・
さて、一方、白木の妻・笙子(広末涼子)もそんな夫の行状は知り尽くしているが、かといってことを荒げるわけでもない。
どうしようもない白木を挟んで、奇妙な三角関係ができるのだが・・・
といった物語で、荒井晴彦が得意とするダメダメ男を中心とした男女の別れるも離れるもできない物語で、とにかく白木のダメっぷりが常軌を逸している。
常軌を逸している(常識の範囲に収まらない)描写は、白木がはじめて長内の自宅を訪れるシーンで描かれており、長内の内縁の夫がいない隙に上がり、応接間の椅子で諾も得ず靴下を脱ぐところに描かれている。
このあたり、荒井晴彦の脚本に書かれているのだろうが、ダメっぷりの行動として、秀逸である。
さらに、演じる豊川悦司も、もうダメ男ぶりが板についてきたようで、あぁ、ダメ男ぉ、とため息が出てしまいます。
それに惹かれる長内も、いわば肉食艶食系なので、ふたりの与太話は馬鹿らしくなってしまいます。
寺島しのぶも7,結構、グズグズ煮崩れた豆腐みたいな役も多いしね。
とはいえ、これが馬鹿らしくアホらしくみえることが男女関係を描く上では重要なのでよろしいんですが・・・
さすがにふたりの描写が続くと辟易です。
で、この映画の見どころは、そんなふたりではなく、白木の妻・笙子。
そんなダメダメ夫の行状はすべて知りつつも、どうにもこうにもこの男でないとダメ、という感じ出ています。
うまく分析できないのですが、白木のことをかわいいと思っているのか、かわいそうとおもっているのか、才能を利用しようと思っているのか、よくわからないところが面白い。
そんな白木の妻からみれば、長内も戦友、仲間、同じ穴のなんとか、とみているのかもしれず、それ故に、嫉妬の炎を燃やすシーンが興味深いです。
(白木から長内が出家すると聞かされた場面、白木の臨終直前に長内が彼に声をかけて手を握り返された後の場面など)
白木の妻がいるお陰で映画に奥行きが出ました。
だって、いないと『愛の流刑地』になっちゃいますものねぇ。