「夫は妻に嘘をいう。妻はいつも知っていた。」あちらにいる鬼 humさんの映画レビュー(感想・評価)
夫は妻に嘘をいう。妻はいつも知っていた。
夫・白木の死に際でさえ、妻・笙子は愛人・みはるを呼び会わせる。
すでに出家した身のみはるの声に反応して手を握りかえす白木。
目の前でそれを見る笙子は今までそうしてきたように冷静で取り乱したりしない。
最後とわかってる時間に二人で白木の片足ずつをさすり、片手ずつをにぎる。
そんなことができる笙子こそまるで仏様の境地だと思うが、夫が亡くなった後に病院の屋上でひとりたばこをふかし、しゃがみこみ慟哭のなみだにむせぶシーンがある。
これが彼女の複雑な思いがいちばんさらけ出されたところだと思う。
奔放な夫の傍らで最後まで周囲に貫き通した寛容でしとやかな妻の姿。
それは笙子のプライドの保ち方であり、おそらく二人のこどもたちに見せ続けたかった母としての深い愛情だったのではないか。
白木は自身の我儘さを理解しつつ妻のプライドの高さでそれをクリアできることを知っていたと思う。そして嘘や言い訳の数々を並べる間にも知らぬふりをしてくれる妻を自分への愛の深さと解釈し悪気もなく、妻への愛しさは無くすこともないまま、次々と不倫を重ねた。
経験を作品に昇華させていくような芸術家気質がさせる技?かもしれないが、自分にあてはめればやっぱり私はどの立場も共感はできないが、そんな人は居ると思うのだ。
みはるが出家する意を白木に告げ、
「生きたまま殺した」のは「あなた」だと言ったが、ごもっとも。しかも妻に加え2人目のことですよと黒子になって後ろから追加して言いたいくらいである。
そしてその点、みはるも白木と変わらない。同罪だ。
2人目の子の臨月が来ようと気にせずの逢瀬、すべて察してひとりで越えていく笙子。
これはとっくの前から笙子を精神的に出家させてしまってるのと同義だろう。
しかし、だ。
仏の妻もまた夫を裏切る行為を仕掛ける。
これは意外だった。
この時の、いうなれば見せかけの不倫。
笙子か夫と共にかかわりのある身近な人を相手に選んでいる点に背徳感の高さを感じる。つまり、このあたりは笙子も心のバランスをとるためのぎりぎりの境地にきていたのではと思う。なので未遂だろうが、なかろうが関係ない。
笙子は自分が仕掛けた点に最大の意味を持たせ、白木の妻として存在するために自分の内側で解決するだけ、それで十分だったのだとおもう。
みはるの出家にあたり、剃毛の式の日に白木に行くべきだとすすめた笙子。
区切りをその目で確かめ、その心で味わいなさいという意味だったのかもとおもったのはこのシーン。
ビジネスホテルなどには泊まっていない白木が酒に浸る夜の畳の部屋。
みさきが会いにくる。緊張感が走る。
去り際に白木にそっと抱きしめられながら、確かにあった過去の愛と、抑えている白木の今の愛をみさきは受け取りにきたのだろう。
白木にとってはそれまでとは違う線がはっきりひかれたみはるとの距離を実感した一瞬だっただろう。
笙子は多分そこまでのシナリオを計算していたのではないか。
揺れながら自分のプライドと2人の子を自分のやり方で守りきった母と父の愛人という女二人。
父という呆れる程愛にストレートな生き方の男。
大人になって俯瞰で眺める当時は5歳だった作者が
今はもうここにいない、
あちら側にいる魂の濃さ沸る生き様だった鬼たちの姿を、昭和という時代背景にのせ、ある種の羨ましさに母への最大の敬意と感謝を込めて描きたかったのだろう。
とは言え、暮らしのなかに見え隠れしていただろう事。母に守られようとも、こどもながらに不安を感じることがあったはず。それに対して潔くめそめそしたままではなく表現しきる強さに変えたたのはさすがだと思う。
そう…
父と愛人は、いちばん凛々しかった私の母の手のひらで転がされていたのよ。
と作者にささやかれた気がした作品でした。
コメントありがとうございます。今回この作品の映写を頼まれて映写室からお客様の様子を見ての感想を書きました。会場アンケートにもハッキリした感想を書いてる方が いらっしゃらなかったので、人それぞれで各々が複雑な気持ちになる作品だと思いました。