「およげたいやきくん」EO イーオー かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
およげたいやきくん
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その昔、「およげたいやきくん」という歌が流行って、それを初めて聞いたときの物悲しさを思い出した。
人間にとってのロバは、使役するか、(頻度は低いが)ペットにするか、食肉にするか。その3つしかない。
ロバのロバ生は、自ら進んで選べるものではなく、遭遇する人間次第で決められてしまう。サーカスでは使役、相棒のカサンドラに愛される幸せな生活だったが、別の、「人」の手でその生活を奪われる。
人にされるがままのEOが、カサンドラのところに戻るべく、自らの意志で旅に出る、広い世界に出ていく。
だが、行く先々でも、会う人次第で境遇が変わり、最後に託された人の選択は「食肉」。
たいやきくんは、自分の意志で広い海に出ていくが、結局人に食われる。
しょせんたいやき、たいやきとはそもそも食われるために存在する。
ロバも、ロバである限り食われるもの。
どうあがこうと結局持たされた役割の通りになっていく(当然に!)、という摂理が哀しい。
EOが、つぶらな瞳が可愛いおとなしいロバさんなので、なおさら哀愁がつのります。
イエジー・スコリモフスキ監督が意図したことかどうか分かりませんが。
EOが放浪する中で、様々な「人が生き物を殺める」バリエーションが出てくるが、虐待目的でしているもの以外は簡単に善悪に区別はできない。ニンゲンも生きているからには害になるものは排除が必要だし、食料にするためにそうする必要もある。生産農家は家畜の命をいただくのが生業だ。どれなら許せてどれが許せないか、当事者でなく、切実でもない人たちが線引きすべきではないと思う。
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