EO イーオーのレビュー・感想・評価
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Visually Stimulating HeadTrip
EO is the story of a donkey through time and space. It's a whimsical adventure tale. But what really stands about the film is its high artistry in traversing dimensions. If you enjoy Gaspar Noe's films and the final half hour of Kubrick's 2001 then, here you have a film that aspires to tap in that realm at the bare minimum. The now 87-year-old director Skolimowski has one hell of a stylish mind.
イーオーよどこへ行く?
ポーランドの巨匠とはいえ、重厚なものもあれば、常識で推し量れない怪作や奇作も多いスコリモフスキ監督。「EO」もつぶらな瞳をしたロバがサーカスから離れてトボトボとさまよい歩くというなんとも動物ファンタジー的な趣きだが、可愛らしい仕草も数多くあれば、それとは一転して人間が巻き起こす騒動や悪事を見つめたり、ギョッとする暗視スコープ風の映像や、はてにはEO自身がロボ化してしまったかのようなシュールな描写までてんこ盛り。いちいち頭いっぱいに「?」を抱えこんではキリがない。あらかじめスコリモフスキ作品であることを認識した上で、全ての「?」を柔軟に受け入れ、人間の生態をちょっと離れたところから観察するこの”ひととき”を味わいたい。なお、ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』からの影響は一目瞭然。その昔、この映画の鑑賞時に涙を流したというだけあり、スコリモフスキにとって本作が念願の企画だったことが窺える。
流離うロバがそのつぶらな瞳に映し出すものとは?
サーカス団が閉鎖されたために居場所をなくしたロバのEOが、馬小屋、農場、木が伐採され続けていく森、サッカー場、病院、伯爵婦人が住む豪邸、ダム、そして、屠殺場と転々としていく。
サーカス団が閉鎖されたのは動物愛護団体の抗議が原因だが、そのために外の世界に蔓延る人間社会のさらなる矛盾とエゴをEOは目の当たりにしていくという設定は、予測の範囲内だが、物言わぬ動物のロードムービーはスリルに満ちていて最後まで目が離せない。動物好きは時々目を背けたくなる場面があるが、勿論、動物たちの安全は担保された上で撮影されているのでご心配なく。
EOが迷い込んだ森ではハンターたちがレーザー照射で動物たちを狙っている。サッカー場に迷い込んだEOがPKを妨害したことから負けチームにボコボコにされる(そのものスバリは映さない)、やがて、屠殺場に連れて行かれる。生々しくも痛々しい場面に次々と遭遇していくEOが、その都度、つぶらな瞳に恐怖と憂いを湛えているように見えるのは、監督のイエジー・スコリモフスキが仕掛けた演出的な秘策なのか、それとも、そもそもロバは感性が豊かなのか、そこに本作の魅力が凝縮されている。
『EO』は『帰れない山』と共に昨年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を分け合った。2作品は偶然同時期に日本で公開され、一方では「ザ・スーパーマリオブラザース ザ・ムービー』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL3』が拡大公開されヒットしている。両分野はまるで異なるし、客層も違うだろうが、個人的な意見を言わせていただければ、どっちも間違いなく面白く、全く別方向へいい案配に振れている。これだけは伝えたいと思う。
凡百の会話劇より雄弁な、ロバの瞳に映る世界
タイトルにもなっている主人公のロバの名前「イーオー」(ポーランド語の原題はIO)は、ロバの鳴き声に由来する。ちなみに「くまのプーさん」に登場するロバのぬいぐるみのキャラクター「イーヨー」も、英国でのロバの鳴き声の表記"eeyore"にちなんだもの。偶然の一致かもしれないし、イエジー・スコリモフスキ監督がイーヨーを意識したのかも。
もっとも、スコリモフスキ監督が公言しているように、ロバの視点を通じて人間の暴力性や愚かしさを描き出す基本姿勢は、1966年のロベール・ブレッソン脚本・監督作「バルタザールどこへ行く」にインスパイアされた。ブレッソンの映画はドストエフスキーの長編小説「白痴」に着想を得ており、一方で“バルタザール”は新約聖書の東方の三賢人(または三博士)の一人の名前。ロバに「聖なる愚者」が重ねられているなら、「EO イーオー」のストーリーから2018年のイタリア映画「幸福なラザロ」などを想起するのも当然だろうか。
ロバのイーオーはもちろん台詞を発しないし、内面を代弁するナレーションもない。イーオーに話しかける人のモノローグや、イーオーが行く先々で出会う人々の会話はあるが、体感で本編尺の半分以上は台詞に頼らずイーオーの大きくつぶらな瞳から見える世界を綴っている。撮影監督ミハウ・ディメクの詩情豊かな映像は実に雄弁で、繊細なサウンドデザインも相まって、台詞のないシークエンスにも引き込まれ続けて飽きることがない。観客の想像を促す余白とはよく使われる言葉だが、本作の余白も豊穣で多くを考えさせる力に満ちている。
動物愛護派や自然エネルギーに対するシニカルな言及も含まれる。常識や社会通念にとらわれず、純粋な眼差しで世の中と自らの生を見つめなおすことの大切さを説かれているようでもある。
動物を起用する映画はズルしてると思い続けてきたけど
私がロバになったみたいだった。
あの、みてる間ほんとに頭空っぽだった、わたしがほんとにロバになったみたいなかんじ。
ありが歩いてたら、鼻息でとばしてみよーとか、なんか嫌な人だなーとかそんな感じ。
感想は?と聞かれたらロバになったみたい。人間のすることはよくわからない。
なんか人間に作られた世界で生きるのって凄くたいへんだし、私もロバ側の気持ち凄く分かる。
森で必死に生きてるだけなのに撃たれたり、どこに行けばいいんだろーという。
もう、ロバが普通にロバらしく生きる場所ってどこにもないや、って感じ。
トンネルの中でコウモリに出会ったとき、トンネルじゃなくて洞窟だったのになぁ、あぁ住む場所ないなぁ、って凄く不安になった。
私とロバを凄く重ねちゃって、終始モヤモヤする感じ。
面白くはないかな。
ロバとして生きたいのにロバとして生きられないってすごく悲しいなぁ。
EOがかわいいのなんの
髭面が多いよね。気持ち悪い。
ロバはイタリアでは食用らしいよ。結構美味しいらしい。まぁ、日本でも桜肉ってあるからね。
で、何を言いたいのか?
よくわからないなぁ。
ロバだから、バルタザールは直ぐに予想出来るが。
いまさら、ロバを使うまでもなく、人間のエゴなんてわかるだろうが。
サッカーの勝ち負けで騒ぐ人間のエゴ?
余りスポーツで騒ぐのが好きでないので、そんなふうに見えるが。それで良いのかね。
まぁ、「ロバは愛らしいかわいい動物だから」って逆差別やステレオタイプに感じるけどね。
イーオーがコモドドラゴンだったら良いのか?つう事さ。
狼を代表するように、西洋のお話は捕食者が悪者になる。ヘビとかね。そもそも、牛は食べる為に存在するんじやないの?
さて
女性の思いは尊重したいが、唯一疑問なのは髭面に文句を付けないことかなあ(ジョークだよ)
難民問題を象徴しているようにはみえないし。
フランス映画かぶれな演出家ダネ。多分。
ロバの放浪物語
サーカスにいたロバEOが荷物運びで動物虐待とされ保護施設らしき馬小屋に収容後、農場や狼のいる森や町を放浪、街のサッカーに絡んで負けたチームから暴行を受け動物病院、毛皮工場、司教に救われたりしたものの延々と放浪を続け、最後は屠殺場ヘ向かう牛の列に紛れてThe END。兎に角、暗い画面が多く見づらいし事件はおきるものの断片的でドラマという程の盛り上がりもない退屈なロバの放浪映画。
どうして多くの賞をとったのか不思議に思い調べてみたらスコリモフスキ監督はロベール・ブレッソン監督・脚本による1966年のフランス・スウェーデン合作映画「バルタザールどこへ行く」に触発されたという、バルタザールと言うのはロバの名前で、本作同様のロバの話で様々な人間に出会い、受ける不条理を描いており、ロベール・ブレッソン監督はドストエフスキーの「白痴」のエピソードから着想を得たと語っているから、見方によっては奥が深い映画なのでしょう。
ただ、凡人の伯父さんにはEOが可愛いなといった位の印象、飼い主のもとに戻るハッピーエンドを期待していただけに残念な思いだけが残りました・・。
鬼才の考えることはよくわからん
センス
サーカスにいたロバが愛護団体に連れられて、その先での扱いが特段よくなるわけでもなく、檻が広くなった程度。一頭のロバとして生を管理されるだけで、名前で呼ばれていたサーカスの頃の方が、人間と暮らす世界においてはよっぽど健全だと思う。白馬はロールスロイスを洗うかのように丁寧に洗い、ロバは10年乗った中古車くらいの扱い。
人間が持つ動物に対する価値観、損益で見ている部分、白馬と人間は映えるので撮るがロバとは撮らない。ここでの愛護のきっかけが「動物にも尊厳がある」という人間の価値観を加えた上で「動物にも尊厳がある!同意なきサーカスなど虐待だ」というところなのだろう。
動物に同意を求めることなどできるはずもなく、人と動物が同じ屋根の下に暮らすこと自体が異常でもある。
「暮らしを共にする」という目的であれば、互いの利益が「食べていくために」となるので、自然の摂理としては異常でもなんでもない。「金を儲ける」となれば虐待に近いのかもしれないが。
全編が「ロバの目線」であり、すごいセンス。人間性とは何か。そんなことを問われている気が…なんてしない。ただただ「人間は利己的で愚かだ」というのをロバが語っている。自然界よりルール無用だから、人間にはルールが必要なんだろーなとも。
このロバは人間社会に触れすぎたため、最後のシーンは、ロバが人間だった。
ただじっと人間の愚かな行動を見据えている
ロバは知能が高く、相手を見て態度を変えるらしい。好きな相手にはなつくが、嫌いな相手からの指示は無視するらしい。そういえばこの作品でも、しばしば気に入らないのか暴走するシーンがあった。好きな相手でないと餌も食べないシーンもあった。
最初のサーカス団の女の子の飼い主が好きだったのだろうな。そこから放浪の旅に出るわけだが、その後は誰に対しても心を許さなかったように見える。
ロバの目から見た人間たちの軽薄さ、あざとさ。まるですべてを悟っているかのようなイーオーの目が優しくて切なかった。人間たちにいいように扱われ、自分の主張などこれっぽちも充たされないのに、彼は厳然と人間と相対している。その姿をイエジー・スコリモフスキ監督は、とても優しいまなざしで描いている。
馬のようにわななくこともなく、ただじっと人間の愚かな行動を見据えているイーオーの姿に、完全に魅入ってしまった。
そして、最後には自然と共生していく姿が心に強く残った。
映像と音楽
World according to ロバ
いななき(ギャヒィぃぃいいん!みたいな結構大きい声)はあげるが物言わず、大きくもなく小さくもなく荷物を黙々と運ぶロバのEOが見えてるものを見る映画。
OEのロバ生は基本的に他者に決定されて、それに対してただ生きている様を見る。ランダムに運命を左右されるが、ロバでも生きてくのは易くは無い。
令和の『子猫物語』
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