ショーイング・アップのレビュー・感想・評価
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柔らかくもじっくり丹念に描かれゆく芸術家の心理と日常
ライカート監督が”芸術家”の心理と日常に迫った物語。気心知れたミシェル・ウィリアムズを主演に据え、オレゴンの美術大学に勤務しつつ、自らも個展開催に向けて作品作りを進める彫刻家の姿を柔らかな筆致で描いていく。現代を舞台にしてはいるものの、ストーリー展開のスピードやじっくりと内面に寄り添う感覚は前作「ファースト・カウ」とさほど変わらない。むしろそのリズムとテンポをあらかじめ知った上で臨んだほうが、ライカートの構築する世界に抗うことなく身を浸せるのかも。かく言う私は今回もこの監督の眼差しに心酔させられた。とりわけ主人公がホン・カウ演じる天才肌の芸術家に対して苛立ちと憧れという二律背反の感情を抱く様や、美大の日常、さらには芸術一家の宿命的な情景にも魅了されることこの上なかった。傷ついた鳩はまるで自らの内面を取り出し客観視したかのようなメタファー。その仕掛けも相まって終着地はとても清々しく心地よい。
芸術の街、ポートランドで芸術家として生きること
アメリカ、ポートランドで彫刻家をしているリジーは作品作りに集中できてない。隣人に給湯器を直すようしきりに催促しているのだが、まるで取り合ってくれないし、飼い猫が傷つけた鳩を獣医に連れていく羽目になるし、同じくアーティストの兄は家に引き篭もり状態だし。そんな芸術家の煩わしい日常が、一見、何の目的もないかのように綴られていく。
ところが、リジーがありきたりの集中力を投入して完成させた、指先で女性の苦悩と表情を表現した粘土彫刻は、個展のテーブルに何点か並べてみると、見事なアートとして仕上がっている。才人の物作りの工程というのは、えてしてこういうものかもしれない。
舞台になるポートランドは芸術の街として世界に知れ渡っていて、街にあちこちにペイントアートやギャラリーが点在している。だからアートが好きな人にとっては天国だろうが、そこで物を作る芸術家たちにとっては、意外に息苦しい場所かもしれないと感じた。まして、リジーの母親は彼女の母校であるオレゴン芸術工芸大学の美術管理者だし、兄が引き籠りになったのはどうやらクリエイティビティに限界を感じたから?みたいだし。
そんな芸術家たちの苦闘と自由に空が飛べる鳩とを対比させることで、作品のテーマがさりげなく明かされるケリー・ライカートの『ファースト・カウ』に続く最新作。日々の葛藤とそこから抜け出す瞬間の喜びは、誰もが共有できるに違いない。
猫が狭い隙間に入って体を丸める様な安心感
年頭に観た『ファースト・カウ』の素晴らしさに大きな衝撃を受けたケリー・ライカート作品はあれが監督の最新作ではありませんでした。という事で、昨年のカンヌに出品された最新作がこれです。
芸術大学で教えながら自らも創作を続ける造形作家の、個展を控えた日常を描く物語。家の修理をしてくれない大家に苛立ったり、人格に問題はあっても優れた芸術的才能を持つ人物に嫉妬を感じたりの日々の小さな漣が綴られます。特に大きな出来事は起きないのですが、台詞で説明しない独特の間(ま)に自分の心と体がスッポリはまる一体感が心地よいのです。猫が狭い隙間に入って体を丸める様な安心感とでも言うべきかな。『ファースト・カウ』とはまた異なるケリー・ライカートの名人芸でしょう。観終えて時間が経ってからの方が滋味が滲み出て来るる不思議な味わいです。 (2024/1/13 鑑賞)
友達あるあるをちりばめつつ、「回復」のあり方について語りかけてくる一作
気心が知れた知人だからこそ、雑にあしらわれていると感じた瞬間に、無性に心がささくれ立ってしまった経験は誰しもあるはず。ましてや自分の人生を大きく踏み出す直前であればなおさらでしょう。
本作の主人公、リジー(ミシェル・ウィリアムズ)とジョー(ホン・チャウ)という二人の芸術家の関係もまさにそんな感じです。それぞれの個展に向けて準備を進めていく中で生じる、様々なできごとに翻弄される二人(というか、主にリジー)の姿を、格別大きな事件も交えず落ち着いた筆致で描いているところは、いつものライカート監督作品だし、すっかりライカート作品の看板となっているミシェル・ウィリアムズの演技も心得たものです。
これまでのライカート監督の作品は、どこに行きつくのかわからない「漂泊の人々」を描いてきました。一方、本作のリジーは大学に所属し、個展の開催という、物語上の到着点も明確です。
本人はどうも周囲に対して疎外感を抱いているようですが、少なくとも立場上は、ちゃんと「居場所のある人」というわけで、少し今までのライカート作品の主人公とは毛色が異なっています。むしろ、どうもかつて芸術家を志して挫折しらたらしい、リジーの兄に、心が彷徨っている人々の姿を託しているようです。
序盤から目を引く傷ついた鳩と、中盤に登場する損傷した「あるもの」とが、回復しうるものと回復しえないもののわかりやすい対比となっているのですが、こうした明確な対比構図の提示もライカート作品では珍しいかもしれません。傷ついた「あるもの」が何で、どのような役割を帯びていくのか、ぜひとも注目してほしいところ!
プロダクション・ノートとか読みたくても、公式ホームページ自体が配給を手掛けたUNEXTの特集ページの一部なんですよね…。短くとも劇場公開して、パンプレットも販売してほしい!
ドナテッロのマグダラのマリア
流石、ボストン美術館の修士課程修了の監督だけある。
日頃の作品を作るストレスを、こう言った制作過程をオフビートな作業として見せたのだと感じた。
しかし、主人公には感情の起伏が少なく、隣の東洋系の芸術家も一方的に空気が読めなさ過ぎ。意図するものがあるのかもしれないが分からない。
中国系の人であれば、助けるよりも鳩は食べられるので、美味しそうと思うそうである。
それはともかく、彼女(作中の彫刻家)の作り出す作品に余り評価する所は無いのだが、その人形がドナテッロのマグダラのマリアの様に一瞬見えた。さて、それだけでこの映画まで評価するに至りけり。まぁ、多分、演出家も演者も鑑賞者も気付かないのかもしれないが、僕はそんな風に見えた。
不思議なのはそう思うと、芸術は良い物に見えてくる。どうしてなんだろうね。
トーベ・ヤンソンさんの彫刻家の娘でも読もう。
米国中西部オレゴンで美術学校に勤める塑像作家のリジー(ミシェル・ウ...
米国中西部オレゴンで美術学校に勤める塑像作家のリジー(ミシェル・ウィリアムズ)。
個展に向けて最後の追い込み中。
同じく現代アートの作家ジョー(ホン・チャウ)の家を間借りしているのだが、ある朝未明、飼い猫が鳩を弄んでいるのを玄関口で発見。
「死ぬなら別のところで死んで・・・」と窓から瀕死を鳩を放り出したところ、朝になって、ジョーがくだんの鳩を発見した。
手当したいが出かけなければいけないジョーに代わって、リジーが鳩の看病をする羽目になってしまう・・・
といったところからはじまる物語。
ポイントはふたつ。
ひとの生活に潤いを与えるのが芸術なのだが、その芸術作品を作り出す芸術家が、どうにもこうにも疲弊しており、余裕などないという矛盾。
もうひとつは、鳩のエピソードに秘められた、加害者としての米国人から来る後ろめたさ。
後ろめたさを払拭するように行動するがゆえに、さらに疲弊してしまうという悪循環が描かれ、心を病んだリジーの兄ビル(ジャド・ハーシュ)のエピソードなど、両親との確執など、もっとドラマティックになりそうな題材にもかかわらず、ドラマ性は薄い。
本作鑑賞前に、ライカートの旧作『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』を再鑑賞したのだけれど、ライカートは本質的には中編レベルの長さの監督のようで、本作では幾分間延びした印象が拭えず。
傷ついた鳩はいつしか回復し、リジーの個展初日に、幼い兄妹が籠から出してやるのだが、ケン・ローチだと絶対に壁かガラス窓のぶつかるよね、というところ。
これが、まぁ、そうならないあたりがライカートの良さなのだが、ある種の能天気さも感じられます。
そう、加害者としての後ろめたさと、どこかなんとかなるかも的な能天気さ。
本作でも、米国の本質がきっちり描かれていたんですね。
ケリー・ライカート作品としては外せない一本だと思います
去年観た『ファースト・カウ』が良かったので、ケリー・ライカート監督の作品を追っています。
ハリウッドのオーラを消したミシェル・ウィリアムズが凄く魅力的です。
クリエイターの悩みってどこか羨ましい気がするのが不思議。
決して派手な作品ではありませんが、ラストが印象的で後味が良いです。
【“インディーズ映画の至宝”ケリー・ライカート監督とミシェル・ウィリアムズが彫刻家の日々を淡々と描いた作品。】
ー 個人的な話で恐縮ですが、ケリー・ライカート監督作品とは、多分多くの人がそうである「オールド・ジョイ」と「ウェンディ&ルーシー」を見て嵌った口である。
特に大きなストーリー展開がある訳でもなく(「ウェンディ&ルーシー」は違うかな。)淡々と市井の人達の生き方を描いている点が特徴であると思う。-
■美術学校で講師を務めるリジー(ミシェル・ウィリアムズ)は、来週の個展に向けて大忙し。
思うように創作活動ができない彼女は、仕事を休み、地下のアトリエにこもって作業を始めてみる。
だが、大家のジョー(ホン・チャウ)から預かったハトの様子がおかしく、病院へ連れていくことになる。
◆感想
・まさにこの映画は粗筋通りに進む。そこには、リジーの苛立ちが感じられるがそれを大仰に表現する訳でもない。
・リジーの元恋人?である男の精神的に不安定な所も、深く掘り下げる事は無い。
<「A24の知られざる映画」で期間限定で上映された他作品でも同じコメントを書いたが、今作が期間限定で上映され、「ファースト・カウ」(観てねえや。)が劇場でキチンと上映された事が判る作品である。>
見殺しかけた鳩
曇った表情が晴れやかになることはない、身勝手な隣人の自己中心的な行動に困り果てながらも関係性は保たれて、皆が自分を生きながら順調に生活している中でそんな周りに振り回されながら猫や鳩にまで、チーズが多過ぎるとそんなチーズに群がる父親と兄、人が離れてしまいそうな仏頂面の主人公が小難しいだけ、何も気にせずに楽しく生きましょうって携わる人たちが言葉にはせずに伝えているようで。
何も起きないながら普通に仕事をして生活する姿を様々な人間関係から地味に描いた主人公に同情したりそうで無かったり、でも全体的に共感できる部分は大いにあったり無かったり、ケリー・ライカートが描いた主人公の中でも人物像が読めない、難しい役柄に思えるミシェル・ウィリアムズが冴えないながらに輝いている。
いい映画なんだろうなぁ。。
題材はすごく好きな映画だったけど、好き嫌い分かれるなぁと思いながら鑑賞。
どうも自分にはこのまったりしたテンポ感が合わず、1時間過ぎたくらいで途中退出。
感情移入もできず、俯瞰で見てみても退屈で。。
きっといい映画だろうに自分の感性がついてかなかった。。
残念(涙)
ケリー・ライカートにはジム・ジャームッシュの二番煎じにはなってほし...
ケリー・ライカートにはジム・ジャームッシュの二番煎じにはなってほしくない。
「もう飛べたんだ」の鳩はウェンディ&ルーシーの犬の様な存在になってほしかった。
動物出ると期待してまうねん。
激好きな作品
これは「ファースト・カウ」より後に撮られたケリー・ライカート監督の最新作。そして我がミューズ、ミシェル・ウィリアムズ💕と4度目のタッグ‼︎
ここに「フェイブルマンズ」のゴージャスなミシェルはいない。すっぴんで男っ気がない、痩せた足にゴムが伸びきった靴下🧦「ウェンディ&ルーシー」もそうだったけどインディーズのミシェルは別人だ。
てか、地味な佇まいのミシェルが愛おしくて仕方がない。
美術学校で教えるちょっぴり鬱な女性アーティストのままならない日常。修理される気配がない壊れたシャワー🚿
同業の大家さんをはじめ周りの人も魅力的でいい人なんだけどなあ。
病んで危ないと思っていたお兄さんより壊れていたのではとハッとするラストが秀逸。シャワー🚿も直してもらえそうだし新しい一歩が踏み出せそうな感じ。
自分とは全く違う世界の人も自分にもわかる悩みを抱えてるw
好きだな、コレ。
特別な事件が起きるわけでもないんだけど、この後どーやって展開するの??って気になっちゃうのは先日観た『ファースト・カウ』でも同じだった。
って、同じ監督か〜〜〜い!全然知らなかった😅
トッキントッキンに尖ってる作品の印象があたしの中では強かったA24の中でも‘静かなやつ’。『ファースト・カウ』までは静かに魅せる作品は割と苦手目かな?と思っていたけど、実は結構好きジャンルだって事に気付けて幸せ💜
アートの世界に生きる人たちの世界が垣間見えてとっても興味深い。まさに自分の日常とは全く相入れない世界と感覚。その世界の擬似体験ができるのも映画の醍醐味✨✨
お兄ちゃん、マジで命削って生命そのものをアートと捉えてて素敵。でもそれが妹には理解されない。お兄ちゃんが天才型ならリジーは努力型。(アーティストにもそんなんあるのかな?)それだからかリジーは認められたくて仕方ない『承認欲求の塊』。そして世の中上手くいかないのは全部自分以外が悪いせい。でもそんなイラ付く様あいまでクスっと笑ってしまう描き方をしていて身近に感じる。
ジョーの生き方が好き。
人生において力を入れるべきところと抜いてもいいところがちゃんとわかってる。リジーも早くそれがわかるよぉになったらいいね。
リッキーは悪くない
個展に向けて作品づくりに集中したい芸術家の女性と彼女に絡んでくる周辺人物の話。
鳩の面倒をみながらお湯の出ない部屋で作品を造り続ける主人公。
自己中で人間性が疑われる様な人達ばかりなのは芸術家達だからか日本人との感性の違いか良くわからないけれど、これがユーモラス?
そして彼女の作品をみても何を表現しているのか、何が良いのか自分にはわからない…まあはっきりとみせようともしていなかったけど。
そしてそして、この作品の面白さもわからなかった。
それにしても何故かこの作品だけ異様に混んでいたのだけれど???有名な方でも出ていたか、それともTVか何かで紹介でもされたんですかね?
しかめっつらの芸術家の中間地帯
2022年。ケリー・ライカート監督。オレゴンの芸術大学で事務をしながら創作に励む女性とその友人や家族の話。個展を前に創作に全エネルギーを注ぎたい主人公だが、同じく創作に励む大家かつ年下の友人に嫉妬交じりの微妙な感情を抱き、飼い猫のせいで傷ついた鳩の世話に追われ、ちょっとおかしな兄をはじめとする家族との関係に悩まされる。しかし、いずれも悪いばかりではなく、つながりのなかでいいことも悪いことも起こる。完全には分かり合えないけれども緩やかにつながる人々との起伏を含んだ日々。
創作一本で生活できるわけでもないが、事務もそれなりにこなして日常生活にも気をくばる主人公の位置は微妙だ。友人と比べて芸術一筋にのめりこめないコンプレックスと、それでもなんとかなっていることへの小さくない自負の間を揺れ動いている。どちらにも行けそうでどちらにも行けない中間地帯の描き方はすばらしい。
頻出するミシェル・ウィリアムスのしかめっつらがいい。中間地帯にいる人間の苛立ち、悲しみ、開き直り。これぞ人生ではないか。
静かで、淡々としてて、退屈で、つまらない👎️
A24の知られざる映画たち、にて観賞。
静かで、淡々としてて、退屈で、つまらない…
メッチャクチャ眠かった(笑)
睡魔と必死に戦う時間でした(笑)
何が言いたいのか分からなくて、最後の最後に、やっと分かったけど、
こんな内容、よく映画にしたな(笑)
配信でもキツイ(笑)
違う映画に時間を使った方がいい(苦笑)
あー、つまらんかった(苦笑)
採点は迷ったけど、35点ぐらい(これでも甘め)
「日々生きるということ」をごろっと丸ごと見せてくれる
本作でもっとも感心したのは、ミシェル・ウィリアムズの表情です。劇中、彼女のさりげない身振りや顔つきにずっと見惚れていました。
ここには、『ヴェノム』『グレイテスト・ショーマン』などで見知っている「いつもの」彼女はいません。日常の些事に振り回されて焦燥する「無名の彫刻家」の姿が、スクリーン上に息づいているのです。
それは彼女ひとりに限りません。映画『ザ・メニュー』の給仕長役で大立ち回りを演じてみせたホン・チャウにしても、『フェイブルマンズ』で変わり者の伯父さん役だったジャド・ハーシュにしても、本作ではそれぞれ「家主にして気紛れな現代美術家」「自由気ままに生きる元・陶芸家の父親」その人にしか見えない。アンドレ3000、アマンダ・プラマー、ジョン・マガロ…登場人物は全員「顔なじみの俳優が演じるキャラ」ではなく、まさに「この映画の生活空間に暮らす人たち」なのです。
ミシェル・ウィリアムズ扮する主人公は、地元オレゴン州で美大の事務員として働くかたわら、彫刻家として細々と芸術活動も続けています。個展を控えて作品制作に集中したいのに、苛立ちのタネとなる出来事が次々とふりかかって…。
終盤、個展の会場に主要人物たちが一堂に会し、見事な「オチ」がつきます。ラストは画面奥へと歩み去る主人公たちの背中に、劇中で重要な“役割”を果たしたハトの鳴き声が被ってかすかに聞こえます…。この一連の「語り口」の鮮やかさ!
繰り返しのようでいて決して同じではない毎日の営み。気がかりな心配事もちょっぴり好転したような、してないような…。そんな、ささやかな人生の「歩み」がこの後もずっと続くのだろうと思わせる見事なラストシーンでした。
この、言葉ではうまく伝えきれない雰囲気、時の流れ。あえて似たテイストの映画を挙げるなら、どこか寓話的な香り漂うジャームッシュ監督の『パターソン』よりも、震災地の人々が暮らす様を淡々と追った『ラジオ下神白』『空に聞く』など小森はるか監督作品の方が近い感じがします。
でもやっぱり、コレは唯一無二な“ライカート・ワールド”ですね。感傷も教訓も諦念も込めず、ただ「日々生きるということ」をごろっと丸ごと見せてくれる。他の監督が決して選択しないような“切り取り方”で、彼女の作品ならではの「空気感」を醸し出しているのです。
以上、オンライン参加の監督によるティーチイン付き試写会にて鑑賞。
最後に注意事項。本作鑑賞にあたり、直前の食事は控えるか量少なめに。また前日の睡眠は十分にとったうえで臨みましょう(笑)
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