別れる決心のレビュー・感想・評価
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八百屋お七
別れる決心
Decision to Leave
病気の母を抱える、中国人の若い娘。
母に頼まれて彼女を殺したことによって、国を追われる身となる。
不法移民船に乗って、韓国へ潜り込む。
船は摘発されるが、移民管理官の温情によって見逃され、入国資格を得る。
女はこの入国管理官の妻となるが、夫は所有欲が強く、彼女を暴力によって支配した。
耐え兼ねた女は、ついに彼を殺し、事故を偽装する。
男の死を担当することになった警部が、彼女と出会うところから物語はスタートする。
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母を失い、国を追われ、暴力によって支配される哀れな若い女。
警部はこの女を気にかけ、そして恋心を抱くようになる。
男の死は事故ということでいったん片がつく。
だが警部は、女が殺人を犯した証拠に気付いてしまう。
けれども女を愛する警部は、証拠を隠滅し、女を助けようとする。
男の死は事故として処理されたため、2人はもう出会うことはなくなる。
それでも女は、警部と会いたいがために、異動となった彼の管轄区域にまで越してきて事件を起こす。
(さながら、江戸時代に大火を起こしてまで恋人に会おうとした「八百屋お七」である)
2人が会うために、殺人事件を起こすしかない。
けれども容疑者と担当警部という立場上、2人が結ばれることは社会的に許されない…
男とのつながりを一生のものとするため、女は、決して見つからない方法で自殺する。
男が自分を永遠に探し続けるように。
男にとっての「未解決事件」になるために…
・・・
このようなストーリーを成立させるため、物語には「主人公と妻との不仲」や「仕事に取り憑かれた主人公が、未解決事件があるたびに不眠となる」と言った設定が盛り込まれています。
主人公の妻は、夫が事件に取り憑かれて自分を蔑ろにしていることから満たされず、夫婦仲は疎遠になっていきます。夫の側も、世話焼きな妻を面倒に思っています。
愛する女が事件(仕事)の容疑者となることは、ワーカーホリックな男にとって、男女仲継続のための解決策となってしまうのです。
それゆえに女は事件を起こし続けざるをせず、一方で、立場上2人は決して結ばれてはならない、というジレンマが発生します。
正直、そもそも男が女を気にかけてしまうことに始まり、あまりにプライベートで2人が密会しすぎている点は現実性を欠いています。
一方で、「不遇な女」の話は真実なのか?彼女は殺しに快感を覚えるサイコパスなのではないか?という疑念から物語はつねに緊張感をはらんで進行します。
最終的に、物語は『ゴーン・ガール』のような後味の悪さ・居心地の悪さというよりも、純愛の方向へとむかいますが、男は女を欲している一方、女のほうは「男を愛している」というより、「自分が丁寧に扱われること。求められ、大切にされるということ」に価値を置いているという印象です。
「八百屋お七」のように、「恋人と出会うため罪を犯す」というような物語の類型が、世界に点在しているのかは分かりませんが、2人の接点が「殺人事件」だけとなってしまい、捜査資料となる音声ファイルを通じまるでラブレターを送り合うように交信する関係にはフェティッシュさすら覚えます。
※正確には、女が事件を起こしたのは男と会うためだけでなく、2人の関係をバラそうとしている人間から男を守るためでもあったことが明かされ、純愛味が増します。
主人公が捜査を行う際に、犯行の様子をまるで現場にいたかのように再現していく映像には面白いものがありました。
映画の盛り上がりどころや起承転結がわかりにくい点は評価しづらいです。しかしフェティッシュな恋愛の形と、説得力を持たせるための人物設定、事件のトリックなど、豊富な作り込みが見られる映画でした。
映像も質の高いものでした。(2月21日)
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【追記】劇中、マーラーの交響曲第5番から「アダージョ」が使用されています。この曲は、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』において使用されたことでも有名です。
『別れる決心』の後半には、ヒロインが海に向かって手を伸ばすシーンがありますが、これは『ベニスに死す』に登場した少年タージォと同じポーズです。
タージォは、芸術家にとって憧れであり理想でもある「永遠の美」を象徴する存在ですが、『ベニスに死す』の主人公である音楽家はついぞこの「永遠の美」を手に入れることなく、夕日を背にするタージォを眺めながら命を落とします。
『別れる決心』のヒロインがタージォと同じポーズをするのは、彼女もまた「永遠の存在」「永遠に手に入ることのない存在」であるということを示唆するものなのです。
映画のラストシーンまで見るとわかることですが、すでに映画の途中でヒントが与えられているのですね。(3月1日)
すごく惹かれたのだ
胸が締め付けられる映画だった…
ここより永遠に
パク・チャヌクのカメラは、
人物の顔の、
頬の筋肉の少しの緊張、
鼻の穴の動き、
口角の上げ下げもミリ単位、
痙攣レベルまで表現として捉えていきます。
口から発したセリフは、
真実なのか嘘なのか、
半分が嘘なのか、
解釈する人(観客)の、
生まれ、育ち、体験、思考によって、
意味は黒にも白にも変わります。
※各シーン、
全カットにアイデア、意味があります。
その操作技術は緻密で繊細ですが、
野蛮さ大胆さは、鬼というか悪魔というか、、、やはり解釈によって変わります。
あわれみ、クムジャさん、オールドボーイを、思い出しました。
この悪魔感に神が絡んできたのが、
渇き、でした。
居酒屋でよく話したものです。
ポン・ジュノがサリエリなら、
パク・チャヌクはモーツァルト。
今回なら
モーツァルトとマーラーか。
ポン・ジュノがマイケル・コルレオーネなら、
パク・チャヌクは、
ビトー・コルレオーネ。
ポン・ジュノがクラッシュなら、
パク・チャヌクはスッポン。
ポン・ジュノがケンシロウなら、
パク・チャヌクは、ラオウ。
(イ・チャンドンはトキ、ナ・ホンジンはアミバ、、、居酒屋でのつまらない会話です。)
※ズラウスキへのオマージュらしい青いドレスの女等『渇き』の感想で書いたのでここでは割愛します。
崩壊、プサンに死す、
地上より永遠に
ソレが分かりにくい
へジュンがソレに惹かれる描写はストレートなのに対して、ソレのヘジュンへの想いがちょっと分かりにくいです。
殺人と話が絡んでいるので、影のある殺人犯とごく普通のひとり女性を描くのは難しいと思います。2人の旦那とのやりとり(関係)については、また別の人格が見えてくるので、そこが分かりにくい原因ではないかと思います。
あと、殺人については、もう少し謎めいていてもよかったかなと思います。
氷の微笑のような謎な女なのか愛に生きる女なのか、どっちかに振ってもよかった気もします。どちらも中途半端な感じがありました。
惚れてまうやろー!!
純愛女とフィルム・ノワール男
韓国映画の骨太な展開力は言わずもがな、繊細な演出にうっとりする。ヘジュン刑事とソレが取調室で高級な寿司を食べるシーンが印象的だった。寿司を食べ終えた二人が夫婦のごとき阿吽の呼吸で机の上を片付けるシーン。ほんの些細な描写だが、これから起こる破滅的な不倫劇をコミカルかつクリティカルに予示している。携帯や腕時計やApple Watchといったデバイスの運用も見事なものだった。
錯綜に錯綜を重ねながら破滅へと転がり落ちていく脚本、首の皮一枚でギリギリ意味が繋がり合う物語構成はいかにもパク・チャヌクらしい。しかし彼は『親切なクムジャさん』『オールドボーイ』のような、どんでん返しのカタルシスで強引に魅せるやり方からは既に脱しており、丁寧かつ丹念に疑惑と憂鬱の楼閣を築き上げていく。そしてそれは出口を見出せないままエンドロールへと暗転する。そういう意味では韓国映画らしくない韓国映画だった。
全体的にシリアスな色調ではあるものの、不意に挿入されるザクロやスッポン等の小道具が張りつめすぎたサスペンスにほんの少しの抜け感を与えていた。
探偵や警察といった「謎解き役」的職業に従事するハードボイルド・ガイが謎多きファム・ファタールに翻弄されるという構図は、40〜50年代ハリウッドのフィルム・ノワールを彷彿とさせる(というか直接的な参照項だろう)。ただ、本作の場合、ファム・ファタールは最後までハードボイルド・ガイの所有物にならない。
言ってしまえばフィルム・ノワールというのは男のマッチョな欲望を満たすための、メチャクチャ出来のいいAVみたいなものだ。素性の知れない美女に振り回されることでまずマゾヒズムが刺激される。そしてそれが女に対するミソジニー的苛立ちに変転する寸前で、美女の謎が暴かれる。武装解除された美女はなす術もなく自らの心も体も主人公に捧げる。そして最後は主人公が女のために重傷を負ったり命を落としたりする。エロスを突っ切ってタナトスまでをも満たす贅沢っぷり。アメリカ人俳優としては背が低く、見目もそこまで優れているとはいえないハンフリー・ボガードがフィルム・ノワールの代表的名優となり得たのも、まさにそのルックス的な敷居の低さ(=自己投影の容易さ)が理由の一つだといえそうだ。ゆえに受け手は作品のマッチョ的快楽に心から没入できる。
ヘジュンもまたこうしたフィルム・ノワールに内在する「男の欲望」を強く抱く人物だ。しかしその欲望は終ぞ完全に実現されない。仏閣でのデートのあたりまではほとんど完璧なフィルム・ノワールの作法を踏襲していた物語だったが、以降は気まずい肩透かし、掛け違えが次々に起きていく。
たとえばソレの2番目の夫。こいつは本来ヘジュンがどうにか片付けるべきだった人物だ。「寝取られ」という屈辱を面と向かって味わわされたのだから、ソレは全力でこいつを叩きのめしてやる必要があった。しかしそうするより先に2番目の夫は何者かによって惨殺され、晴らされぬ屈辱だけが中空に漂い続ける。ますます謎を深めていくソレに対するヘジュンのミソジニー的苛立ちは、妻やちんちくりんの女刑事への無視や無関心として露呈する。
あるいは深夜の山上でヘジュンがソレと共に彼女の母親の遺灰を撒くシーン。山上、男、女という構成はソレが1番目の夫を禿山の頂上から突き落とした冒頭シーンを思い起こさせる。ソレに背を向けて遺灰を撒くヘジュンも、もちろんそのことを知っている。知った上で彼女に背を向けている。ソレが次第に近づいてくることを悟りながら、ヘジュンは一瞬覚悟したような表情を見せる。そこには「女のために死ぬ」という彼のタナトス的欲望が映し出されている。しかしここでも彼の欲望は満たされない。ソレはヘジュンを優しく抱きしめ、2人は熱い接吻を交わす。
ラストシーンでは、ソレが生き埋めにされた砂浜の上を、ヘジュンがその名を叫びながら彷徨する。ソレがなぜ彼のもとを去ってしまったのか、という点にはさまざまな議論がありそうだが、私はヘジュンが徹頭徹尾フィルム・ノワール的な思考体系から抜け出せなかったことが原因にあると思う。
ソレは最初からヘジュンのことが好きだった。それだけだった。そこに勝手に疑惑を持ちかけ、勝手にファム・ファタールの幻影を見てとったのはヘジュンだ。ソレもそのことはよくわかっていて、だからこそ彼の関心を引くべく謎めいた女を演出し続ける必要に駆られた(「あなたの未解決事件になりたい」というセリフが好例だ)のではないか。しかしヘジュンは気がつかない。フィルム・ノワールの文法に従って相手を都合よく幻想化するばかりで、彼女それ自体を見ようとしない。だから彼女を失った。
これは純愛女とフィルム・ノワール男の滑稽で悲痛なすれ違い劇なのだと私は思う。
後半作るの飽きた?
これぐらいは描いて欲しい
「ありがちな話だな」と思って観てたの。刑事が容疑者に惚れるっていう。
それで刑事が容疑者を見逃す決断をするのがすごいね。
「いやー、そうきたか」と思って観てたら、そこから更にもう一つ事件を起こす。ここは、本当に凄い。
『あなたに会うにはこうするしか』って「八百屋お七かよ」って感じなんだけど。
この二人、寝ないんだよね。
刑事は奥さんとは寝てるんだけど、容疑者とは寝ないの。だから奥さん出てくんだな。
本当に愛し合ってるってたち悪いでしょ。
『同じ刑事の管轄で、前の亭主と今の亭主が死ぬ。それを聞いたら「なんてすごい偶然なんだ」と言うでしょう』に『私なら、なんて可哀想な女だと言う』はメチャクチャ良かった。
ハッピーエンドで終わらせられる話ではないから、ラストはまあ納得。
でも、そこをひっくり返して、なんとなくハッピーエンドかなというところにもっていく技が観たかったよ。
霧のように掴めない話
分かりにく、、
男の願望としての「崩れて・壊れる」
これまでパク作品とちょっと違いました
日本人じゃないが為に,面白味を感じ取れた気がしたぁ〜( ͡° ͜ʖ ͡°)
悲しい女性の物語
悲しい女性の物語。
堅物なエリート警官と夫殺害の嫌疑を掛けられた異国の未亡人。2人の出逢いと別れを警官の心情を交え描く。
彼女の立場、その美貌と行動により疑念の先に導かれ残されたものを巡る心の葛藤がとても切なくやり切れない想いをのせ描いていく。
そして決別を告げるシーンの言葉の重みがラストでその深さを思い知らされる。とても心の中に残るシーンでした。
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