「今更ですが、個人的には頂けない作品でした。」逆転のトライアングル komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
今更ですが、個人的には頂けない作品でした。
(完全ネタバレですので、必ず鑑賞後にお闇下さい)
カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した作品でもあり、今更、私のような者がレビューもないのですが、書いておいた方が良いと思ってしまい書いてみます。
率直に言うと個人的には頂けない作品でした。
この映画を超絶雑にまとめると、
【LGBTQなど、言ってる方が差別的で、そんな人たちにゲロとクソの汚物を!】
だと思われました。
主人公のカール(ハリス・ディキンソンさん)は男性ファッションモデルですが、男性モデルは女性モデルの1/3のギャラであり、ゲイに狙われる存在だと映画の冒頭で示されます。
つまり今、一般的に女性差別やLGBTQ差別に反対など言われていますが、主人公カールがいるファッションの世界では、逆に差別されているのは男性でありLGBTQ側が加害者であると、暗に今一般的に言われている”差別反対”の方を皮肉っています。
そして映画の第1章で主人公のカールは、彼が付き合っている彼女であるヤヤ(チャールビ・ディーンさん)に対して、レストランでの支払いについて自分より収入の多い彼女のヤヤが昨日このレストランの支払いをすると言ったと、口論を始めます。
この場面で1観客としての私はかなり不快感を持ちました。
その理由は、言った言わないや食事代を払う払わないや男女の問題など以前に、主人公カールが【相手に対する思いやりの全くない】理屈を押し通す人物であったからです。
【相手に対する思いやりの全くない】人物に対して付き合うのは時間の無駄だと思われるので、彼女のヤヤの方からさっさと別れを切り出して、この2人は別れた方が良いと思って見ていると、なんと主張を折らない主人公カールの元にヤヤは戻って行きます。
観客の私は、なるほどこのバカップルには付き合いきれないな、との感想を早くも第1章で感じることになります。
しかし、これはそう思わせる「逆の」意図ある表現なのかなと(なにせ邦題が『逆転の…』なので)思い直して見ることになります。
ところが、第2章では、豪華客船の船の中の話になるのですが、嵐で乗客が船酔いしディナーの席で船に酔った乗客がゲロを吐き続ける、そして船のトイレからクソが逆流する描写が最後に続きます。
そして、クソ(肥料)で儲けたロシア人の資本主義者のディミトリ(ズラッコ・ブリッチさん)と、ずっと酒に酔って部屋から出てこなかった社会主義者の船長(ウッディ・ハレルソンさん)が、嵐の中で、特に船長は自分の仕事を放棄したまま、2人が泥酔して口論を続ける場面が描写されます。
この第2章で描かれているのは、雑にまとめれば
【資本主義はクソであり、豪華客船に来ている金持ちにゲロとクソと浴びせかける!】
との話です。
私はここでさすがに呆れ果てて苦笑するしかありませんでした。
その後、海賊に豪華客船は爆破され、主人公のカールや彼女のヤヤ達など生き残った数名はある岸に流され、そこから彼らの無人島生活が始まります。
映画の第3章のこの無人島生活で、豪華客船のトイレ清掃係だったアジア人のアビゲイル(ドリー・デ・レオンさん)が、魚を獲る才覚などで、自分は(豪華客船、あるいは普通の社会の時とは違い)この無人島ではリーダーなのだと皆に誇示して高圧的に認めさせ、周りもアビゲイルが獲った魚などの食事欲しさに彼女に従います。
このアジア人のアビゲイルの振る舞いも、【相手に対する思いやりの全くない】人物として私に伝わり不快にさせます。
アジア人アビゲイルはその後、無人島でリーダーとして振る舞い、主人公カールがアビゲイルのリュックからスナック菓子を盗んだことをきっかけに、終盤にはアビゲイル自身の性欲を満たすためにカールを毎晩のように救助船の室内に誘って己の性欲を満たします。
ところでこの映画は、皆が無人島だと思っていた場所は、実は開発されたリゾート地であったと、ヤヤとアビゲイルが自分達がいた場所から遠く離れた海岸にエレベーターを発見することで気がつくシーンでラストを迎えます。
そしてアジア人アビゲイルは、エレベーターから元の世界に戻ったら自分はまたトイレ清掃係のような生活に逆戻りだと恐れて、リゾート地であることを隠すために口封じでヤヤを殺害しようとする場面でこの映画は終わるのです。
ところで、ではこのアジア人アビゲイルは、彼女が<<アジア人だったから>>豪華客船のトイレ清掃係だったのでしょうか?
私にはまったくそういう風には感じられませんでした。
アビゲイルが豪華客船のトイレ清掃係だったり【相手に対する思いやりの全くない】人物であったのは、(アビゲイルがアジア人なのが理由ではなく)彼女の【個人の要因】が
大部分であると私には強く思われました。
私はこの無人島の場面を見ながら、アジア人アビゲイルに、かつての日本での連合赤軍によるあさま山荘事件の永田洋子死刑囚(死刑執行前に拘置所で病死)の姿を見ていました。
永田洋子死刑囚もまた【相手に対する思いやりの全くない】人物として私には伝わっています。
しかしその要因はやはり【その人自身の問題】として(社会に対してでなく)彼女自身に問いかける必要があったと思われます。
私は、【相手に対する思いやりの全くない】(主人公カールやアジア人アビゲイルなどの)自身の正当化のためにこの映画が作られているように感じました。
女性差別もLGBTQ差別も厳然と存在し、それへの対処は言うまでもなく必要です。
しかしそれと【相手に対する思いやりの全くない】彼ら(あなた)自身の問題とは別の話なのです。
この映画は、豪華客船に乗るような身分でアジア人に対する潜在的な差別意識を持っている欧米の人達が、”アジア人であるアビゲイルが差別されていて可哀そう”とラストで思ってしまい、その自身の潜在的な差別意識を悟られないためにこの映画を評価してしまっているのではないかと私には感じられました。
しかし、アジア人でもあり金持ちでも全くない私から言わせてもらえれば、<アジア人を舐めてもらっては困る!>とこの映画を見て思われました。
【相手に対する思いやりの全くない】主人公カールや無人島で反動的にふるまっていたアジア人アビゲイルの問題は、大部分は(カテゴライズされた男性モデルやアジア人に対する差別が要因なのでなく)【その人自身から出た本質が要因なのだ】と、厳しく指摘しておきたいと思われました。
以上のような理由から、私ははっきりとこの映画は「NOだ」と、残念ながら思われました。
今回の評価はそれが理由になります。