「ラストシーンの“人は何に向かって走る?”」逆転のトライアングル シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンの“人は何に向かって走る?”
「フレンチアルプスで起きたこと」で大好きになった、リューベン・オストルンド監督作品ですが、本作も個人的に好みの作品になっていました。
作風は、過去作と同様に現在社会に対して超風刺の利いた作品でしたが、アカデミー賞狙いなのか表現がかなり過激でベタで分かり易く欧米的笑いも多かったような気がします。しかし、分かり易い(錯覚)の上に底の見え難さ(深さ?)もありました。ラストの解釈も「フレンチ~」の様に観客に委ねる形で終わっていましたしね。
まず表層的なテーマから話すと、いつも通りではあるけど人間社会の階層・階級・序列・ヒエラルキーに対する皮肉と悲哀と、能力・美醜・貧富・人種・性差・職業・思想・価値観の対立と容認。といった、納得は出来ないが人間の資質的に現状では解決不能なため不本意ながら受け入れることに対する叫びというか原題の“悲しみのトライアングル”(眉間の三角皴)の映画です。
しかし本作では、人間はあらゆる関係性の中にヒエラルキー(上下)は存在している様に感じているが、実はそれは全くの間違いであり(思い込みでもあり)、もっと正確に言うなら人間関係の中で発生する上下の関係は、本来TPOによってある時は上であったり、ある時は中間であったり、ある時は下であったりと、状況が変わればいつでも頂点が逆転するトライアングルであるという事を、分かり易く教えてくれる作品でした。
但し、それだけを言いたい映画でもなくて、前日に『小さき麦の花』という作品を観たのですが、作風としては全く対極にある作品の様にも見えますが、作り手の奥にある本来のメッセージはかなり近い様にも感じられました。
あちらは、最底辺の人間の姿をミレーの絵画のごとく神々しく描かれていましたが、全く逆の方法論の「ソドムとゴモラ」を縮図的に描かれているのでしょうね。
それが美醜では優位、その他では劣位(または中間)の男性モデル視点で描かれているのが凄くキャッチーで面白い。
一章ではモデル業界という(小さな)世界でのヒエラルキーを見せ、二章では豪華客船での世界の縮図を見せ、三章では逆転価値観の世界を見せ、ラストは主人公が画面の左から右に向かって走るカットで終わり、何に向かって走っているのかは観客の想像に委ねるという構図は見事です。