「皺を誇れるように生きる」逆転のトライアングル のむさんさんの映画レビュー(感想・評価)
皺を誇れるように生きる
この作品の原題は『triangle of sadness』、直訳すると『悲しみの三角形』である。パンフレットの監督インタビューによると、この言葉は美容業界で使われる用語で、端的にいうと「眉間の皺」ということだそうだ。眉間の皺は悩み事の多さをほのめかすもので、ボトックスで15分ほどで「治せる」ものらしい。メインキャラクターのカール(ハリス・ディキンソン)が男性ファッションモデルのオーディションを受けるシーンから物語が始まる。控室でのインタビューにて、ハイブランドのモデルは不愛想に相手を見下すような表情、カジュアルブランドは穏やかな笑顔であることが語られ、カールが目まぐるしく表情を変えさせられるシーンが滑稽であった。そしてオーディション本番にて、カールは先ほどのハイブランドの表情をするのだが、審査員からは上記の「悲しみ三角形」を指摘される。私はどちらも同じ不愛想な顔に見えたが、相手によっては、苦労しているモデル、つまり自身のブランドにはふさわしくない顔と見なされるということだ。悩むことでできた皺を受け入れられる世界を作っていきたい。
ここから読み取れることは「悩むこと、つまり思考することをやめれば、行きつく先は破滅だ。」ということではないか。悩みのない生活を送っている人などいない。悩みがないように見える豪華客船のセレブたちは「悩みがない」のではなく「思考して生きていない」だけである。ロシア富豪夫人のいう「優雅な暮らし」はそのまま「後先のことを考えない暮らし」と言い換えることができよう。相手の立場を考えず、優雅な暮らしを強要した結果、食材は傷み映画史上類を見ない惨劇へとつながる。そしてもう1人、武器商人夫人も、自身が作っているはずの手榴弾をまじまじと見つめてしまう。彼女は自分が作っている武器が現実でどのように使われているのか、考えたことがなかったのだろうか。彼らはセレブだから酷い目にあったのではない。自分のことしか考えておらず、他者への想像力がないからこそ、結果的に自己を破滅に導いてしまうのだ。カールもまた、冒頭から中身のない人物として描かれる。しかし、ある意味ただ素直なだけのようにも見える。恋人のヤヤ(チャールビ・ディーン)と険悪になった帰り道、運転手に言われた「愛しているなら戦いな」という言葉を素直に受け入れてヤヤと口論になってしまう。無人島においてもアビゲイル(ドリー・デ・レオン)と関係を持つのも、状況を素直に受け入れているだけのようにも見える。彼もまた「何も考えていない人物」の一人である。
そんなぼんやりイケメンのカールと対照的に、ヤヤはしたたかに現実を生きている。自分が生きるファッション業界の現実を見極め、最終的な目標を定め、他者と関わって生きている。時にカールを利用することで、時にアビゲイルに共感することで、過酷な世界を生き抜いている。だからこそ最後の場面で、アビゲイルの本心を見抜けたのだろう。しかし気づけたとて、提示できることが「私が雇ってあげる」だけなのは悲しい。そして彼女のゴールもまた、トロフィーワイフというただの「飾り」であることが、この作品のなんとも言えない苦みを引き立てている。
カールのヤヤに対する思いは真実であろう。ラスト、彼が傷だらけになりながら、つまり自分の持っている美という武器を捨て去ってまで藪の中をかけていったのは、ヤヤを救うためだったように思う。表面を取り繕うだけでなく、自分の本当に大切なもののために、他者を認め、常に思考して生きていきたいと思う。