逆転のトライアングルのレビュー・感想・評価
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お下劣上等、最後までキレッキレの風刺劇
冒頭のH&Mとバレンシアガ(などの高級ブランド)のモデルの佇まいの違いと、飲食店での支払いに見る性別での偏見の話で、個人的につかみはOK。
ヤヤとカールのあの喧嘩は、男女の会話のすれ違い方としてものすごくリアリティがある。それに、カールの側に勘定書を置くウエイターに始まる、男性が支払うのが当たり前という空気、モデルの性別による報酬額の違いなど、何故かあまり騒がれない男性差別の話やそのことを本音で話す時のジレンマをいじって見せたのが面白い。
ファッションショーで誇示される意識高い系キーワードの羅列も絶妙なバランスで安っぽく、皮肉が効いていた。
この後、船が遭難して人々のヒエラルキーが逆転するというところまでは前宣伝で分かっていたが、この遭難までが結構長い。船上での濃いメンツのふるまいが、尺を十分取って皮肉たっぷりに描かれる。遭難後が物語の唯一のメインというわけではなく、船内での人間描写にも同じ程度の比重が置かれているように思えた。
妻と愛人を引き連れたオリガルヒ、上品そうないで立ちで大量殺戮兵器の商売話を平然とする武器商人、アプリ用コードで当てた一人旅の成金。仕事中のクルーを上から目線のお節介で泳がせようとする鼻持ちならないご婦人。
そんな彼らを乗せた豪華客船の船長は、何故か酒浸りで船室に引きこもっている。
見ているこちらのフラストレーションがいい加減高まったところで、少しずつ船内に異音が響き始め、みんな斜めになる。そして、地獄のキャプテンズ・ディナーの始まり始まり……
いやね、鑑賞前に本作のサイトを見た時、画面全体に散らばってるこのキラキラしたのって何だろうな、とは思ったんですよ。で、何となく、汚ネタかなと思って覚悟はしてた。
あのシーンは、傾斜する回転台の上に作ったセットで、13日間かけて撮影したそうだ。セットの上にずっといたスタッフも船酔い状態。「出物」については役者の口にチューブを付けたりCG処理したり、といった方法を取ったそうだが、聞きたくない情報をひとつ。ベラ(テーブルに向かって最初にえずいていたオリガルヒの奥さん)役のズニー・メレスのはリアルだそうです。
”無人島”に漂着してからは、火おこしや漁の技術を持った清掃スタッフのアビゲイルが覇権を握る。食料と引き換えにカールを侍らせたりしてなかなかの女王ぶりだ。生きるために重要なものが変化すれば、力関係も変わる。
ラストは、ヤヤの台詞が効いている。エレベーターの発見をアビゲイルと友人同士のように喜んだヤヤだが、結局、彼女はアビゲイルを「支配される側」だとナチュラルに、悪気なく思っているのだ。
結末に想像の余地を与えてくれる疾走エンドがいい。まあ、アビゲイルはやったでしょうね。
意識高い系の薄っぺらさや富める人々の無自覚な傲慢さを切りまくる本作だが、ヤヤとカールの冒頭の喧嘩はオストルンド監督自身の体験が元になっていたりする。ちょっと自虐も入っていて、批判対象を笑い飛ばせど上から目線で糾弾する雰囲気がないのがこの監督の賢明なところだ。監督はインタビューでこう言っている。「誰もがこの世にいる限り、無実でいられないとも思う。僕はこういう映画を作りながら、僕自身を批判している。なぜなら僕もこの世界の一員だから」
本作が遺作になったチャールビ・ディーン。お腹にうっすら手術の傷跡があるが包み隠さず堂々とビキニを着こなしていて美しかった。
権力が自然発生する過程
権力についての鋭い洞察を見せてくれる作品だった。豪華客船が沈没して無人島と思しき場所で漂流生活をすることになった連中の権力構造が逆転する。サバイバルスキルを持ったトイレ掃除の女性が権力者となり、資本主義社会では権力者だった連中がひざまずくことになり、性的な搾取も行われる。
人は誰しも権力に溺れるといえば簡単に聞こえるのだけど、あの状況では彼女に付き従うのが生存戦略として最も正しいことは確か。人は結局のところ、一人でサバイバルできない存在なので、あのように寄りあいながら生きるしかなく、そうすると権力のヒエラルキーはどうしても発生してしまう。
リューベン・オストルンドは人間の生態観察の達人だ。しかも現代の人間の奇妙な矛盾を突くのが上手い。「フレンチアルプスで起きたこと」のきまずい人間ドラマも『ザ・スクエア』の現代アートをめぐる滑稽な状況も、どうにも人間社会が複雑化しすぎておかしくなっている様をあぶりだすのが抜群にうまい作家だ。一体全体、我々は何をしているんだろうみたいな気持ちになるんだけど、このおかしな状況に慣れてしまっている僕らは相当に狂っているんだろうな。
社会の実験劇場、あるいは思考のテーマパーク
147分の作品なのに全く長さを感じない。いざこの乗り物に乗車したなら息つく暇もないほど翻弄され、これまで考えもしなかった境地へ連れていかれる。その意味で、オストルンドの手がける作品のことを思考のテーマパークとでも呼びたいほどだ。冒頭のレストランでカップルが交わすダイアローグほど間に挟まりたくないものはないし、階級社会を凝縮させたあの豪華客船にだって絶対に乗りたくない。嫌だ嫌だ、と部屋に引きこもるハレルソン船長のことが本当によく理解できる。しかしそんな連中の勘違いの生態や悪趣味を皮肉り、最高のディナータイムをご用意したかと思えば、さらに価値観の軸をちょっと変えるだけで革命のごとき逆転現象が起きるのだから痛快である。現代社会にはびこる不条理や居心地の悪い状況を俎上に乗せ、さながら実験劇場のようにじっくり観察、吟味するこのひととき。終映後は見慣れた世の中がガラリと違って見えるから不思議なものだ。
人が本性を露わにしていく姿を見るのは楽しい。
人が本性を露わにしていく姿を見るのは楽しい。
見た目がすべてでこの世の中で数少ない"女尊男卑"が罷り通るモデル業界に身を置く、モデルカップルの相手に対する差別意識。
豪華クルーズ船内で展開するブルジョワによる労働者差別。
状況の変化を受けて反撃に出る清掃員の恐ろしいほどの冷徹さ。
これまでも、『フレンチ・アルプスで起きたこと』や『ザ・スクエア 思いやりの聖域』で同じテーマを設定し、人々の本音を炙り出すことで問題提起してきたリューベン・オストルンド監督だが、最新作ではドス黒い笑いの量を増やすことで作品にエンタメ性を付加。ある事件をきっかけにした階級、性別、立場の逆転という既視感がある世界を豪華にアップデートしている。
登場人物は皆んなどこか病んでいるが、唯一まともなのは終始飲んだくれているウディ・ハレルソン演じる船長なのではないだろうか。そこにも、オストルンド独特の逆転の発想が生きているような気がする。
格差社会を過激に風刺。事前情報がないほど楽しめる
いやはや、圧巻の2時間27分。スウェーデンのリューベン・オストルンド監督の過去作「フレンチアルプスで起きたこと」や「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を観て面白かったと感じた人なら、もう事前情報も予告編もチェックしないまま「逆転のトライアングル」を映画館で観た方がより満足度が高いはず。この作品に限らないが、あらすじの半分から3分の2ぐらいまで前もって教えてしまうのは常々疑問に思っている。本作の3章構成はおおむね起・承・転に合致するが、「転」の筋まで知らされると、それだけ驚きが半減してしまう。
ともあれ、オストルンド監督は、どの作品でも登場人物の当惑や居心地の悪さを観客に体感させるのが実に巧い。富裕層がひどい目にあったりするのを見ると、気の毒だなと思いながらもどこか「いい気味」と思ってしまう自分に気づき、それで自己嫌悪してまた居心地が悪くなるような。
ちなみに原題は「Triangle of Sadness」で、直訳すると「悲しみの三角」になるが、美容用語で「眉間にできる皺」を指すのだとか。男性モデルのオーディションのシーンで眉間と口元がどうのこうのというやり取りがあるし、主人公カップルのカールとヤヤ、それに第3章でからんでくるもう一人を加えた三角関係にもかかっていると解釈できる。もちろん、富と美と力に翻弄される人間の悲哀を描く三幕構成を示唆してもいるだろう。
最後に悲しいトリビアをひとつ。モデルのヤヤ役のチャールビ・ディーン(彼女自身もモデル出身)は以前交通事故の怪我で脾臓を摘出していて、腹部を露出している場面ではその手術痕を確認できる。脾臓がないと感染症のリスクが高まるそうで、昨年8月、細菌性敗血症により32歳で亡くなり、「逆転のトライアングル」が遺作になってしまった。本作のパルムドール受賞にも間違いなく貢献し、映画界での将来が大いに期待されていたのに、残念でならない。
島以降はちょっと不満
全編に込められた皮肉めいた描写は好きだった。人物像のディフォルメも程よく一定のリアリティを保っていた。
ただ、島に行ってからの展開で大きく点数を落とした。序盤からカールのキャラクターをかなりしっかり目に描いていて、リューベン・オストルンドの持ち味が出ていたが、島に行ってから特にそのキャラクターがストーリーに帰結せず「こういうウザい奴いるよね」程度のものにしかならないと感じた。
また、この展開にするならヨットの段階でアビゲイルをもう少し掘り下げておいても良かった気がする。最もインパクトもあり力の入ったシーンであったゲロまみれの阿鼻叫喚も、特にこれといった回収がされず別の原因で島に行くことになるので、だったらあれはただのコントだったのかと思わされた。
1と2と3を別の映画だと思えば良いのだが、一本の映画として見ると何のためのアレだったんだと思う部分がちょっと多かった。
おもしろかった
フレンチアルプスやスクエアより好き、ツッコミどころが少ない。けどやっぱりまだあるんだな、私がこの監督と相容れないのか。
登場人物がデフォルメされてるのは分かりやすいからOK、コメディだし。でも船長については何を言いたかったの?アル中の船長に何かみんなが知ってる寓意があるのか?でなくて、こんなだらしない船長だから船がこんなことになったんですよ、だとするとそんなヤツそもそも船長になれないから変な話。
あとこれは完全に好みの問題だけど船長とオリガルヒのイデオロギー口論、長かったー。全然面白くないし頭に入ってこない。まあこれは腹抱えて笑う人もいるだろうから、そしてこの監督はそのタイプなんだろうから仕方ないですね。
ラストもちょーっと陳腐でしたね。それまでの話の展開がうまいし、人物の描き方が面白いから、まあ良いかと思えました。長々話を続けてオチはあっさりダジャレだったりする落語のような映画だねと思えば目くじら立てるほどのことはない。
感想メモ
面白かった!
原題はTriangle of sadness 眉間のシワのこと、モデルオーディションの時に言及されていたし、船が沈没後のカップルとアビゲイルの関係性を表したタイトルで良い、邦題も船が沈没後の権力構造の逆転を表していて良い
3章仕立てで、1章目はカールとヤヤのカップルの話
レストランでどちらが金を払うかという話とモデル界での女尊男卑の話とが合わさってかなり激しいやり取りになっている
隠さず話して、っていう割に言いたい事言ったら不機嫌になる感じとかリアルで見ててハラハラする
2章目は豪華客船での出来事
リッチで厄介な客、クソ売り、帆が汚れているという客、帆は付いていないのに、船員を海で泳がせるロシア人
上裸でタバコ吸ってたら船から降ろされた船員、ある意味幸運だったな
ディナーのシーンはゲロ注意、直視できない
自分の会社が作った手榴弾で爆発させられるセレブ、皮肉なもんだ
共産主義、資本主義の話は3章にも通ずるテーマになっている
お待ちかねの3章は船が沈没後たどり着いた島での生活
セレブ達は何もできない、魚を獲ったり、火を起こしたりできる清掃員の女が権力を握る
若くてイケメンのカールにセックスの代わりに食糧を与える
最後アビゲイルがどういう行動をするのか!気になる終わり方で余韻があり良い
ヤヤが島から帰ったら雇ってあげるよー、とナチュラルに階級を感じさせる発言をしていて不安、不穏
最後カールが全力疾走していたのも意味深
入れると出すの繰り返し
第一部は
“行き過ぎたルッキズム”“食べ残しよりもインスタ映え”“奢る奢られ論争”と、昨今のSNSでホットになった話題を扱ってました。メインキャストも若者でしたし、after internetがテーマなんですかね。
第二部は
資本家と労働者の対比が強烈で、これはタイタニックのパロディですか?さすがに三等客室は無さそうでしたが、前時代的な価値観を持つ成金がメインキャストでした。いやー、彼らをここまで醜く化石の様に描くのはなんだか清々しいですね。酔っ払い(アルコール)やブランド品も今となってはなんだか古臭いものですしね。しかも、乗客である武器屋(戦争屋)が売った手榴弾で乗っていた船が沈むというおまけ付き。ブラックすぎるでしょ。資本主義vs社会主義論争が出てきたあたりも、資本主義黄金時代と崩壊した社会主義の両者を皮肉っているのでしょうか?
第三部は
まさに狩猟採集時代でした。第一部・第二部でイキってたモデルも資本家もその価値はだだ下がり。無人島でサバイブできる人間がトップに立つというとてもシンプルな権力構造でした。男も女も関係なく、権力を持つと若い人とセックスできるのも普遍的なんですかね。セックスってそれくらい支配的なもの。それに権力者はいつの時代も邪魔者を殺したいもの。
良く考えてみたら人間は、食べる、排泄する、セックスする、出産するなど、入れると出すの繰り返しで生きているんですよね。これは客船の嘔吐のシーンで思ったんですけどね。そんな本質を忘れちゃって、お金や美貌、セックスに振り回される愛すべきお馬鹿な人間。
さすがリューベン・オストルンド監督だけあって、想像以上にパンチが効きまくってました。でも、人間に対する愛はほんのりと感じました。本作を鑑賞した弊害は、ずっと船旅をしてみたかったのにしたくなくなったことですかね。
多彩な登場人物だが・・
パート1:カール&ヤヤ(26分)、パート2:ヨット(1時間)、パート3:島(1時間)の3部構成。冒頭から上半身裸の男性モデルが多数登場、オーディションの様なシーンは気色悪い、何なのだろうと半信半疑。ファッションモデルのカールとヤヤ、相思相愛のカップルかと思ったらレストランの支払いをめぐって一悶着の怪訝なカップル、次は豪華客船の旅、大富豪や船のスタッフたちが繰り広げる皮肉たっぷりのブラックコメディが見せ場なのだろう、続いて船が海賊に襲われ爆破、近くの島に漂着した、カールとヤヤ、富豪とスタッフなど8人のサバイバル篇、中でも掃除婦のアビゲイルが魚を捕まえたり火をおこしたりするなどのスキルを発揮し皆を采配することに、船の中とは異なるヒエラルキーの逆転ということかな。
てっきり無人島かと思ったら、ヤヤが崖にエレベータを発見、なんとリゾート・アイランドだったの?、支配を続けたいアビゲイルがヤヤを襲おうとしたり、森の中を走り回るカールのシーンでThe END、恐らく助かったのだろうが良くわからない終わり方でした。
カンヌでパルムドール受賞など評価は高い映画らしいが、個人的には登場人物に興味が持てず無駄に長いだけの俗っぽい群像劇でした。
滑稽な人々
「バルタザールどこへ行く」をリスペクトしてるね。
・フローレンスダイヤモンドが28000€!!
・生牡蠣はやはり銚子の岩牡蠣だね。スリル満点で美味い。
・社会主義の難点は最終的に他人の金を使い果たす事。
間抜けでシュールなブラックユーモア。
しっかりした脚本だと思うが、使われるユーモアのネタが古すぎるしありきたり。
「二年間の休暇」と言うよりは「蝿の王」ですかね。
追記
色々な国をディスりまくるが、スウェーデンの映画だそうで、ロシアの件で一番冷静でいてもらいたかったお国。
因みに、兵器大国と言っても過言で無い。
キリスト教に於けるロバはジーザスへのアプローチ。それを食するとはかなりタブーなのか?
眉間のシワ
原題「Triangle of Sadness」は眉間のシワのこと。苦労すると眉間にシワが寄った人相になる的なことらしい。邦題は「逆転のトライアングル」で、映画の中で起きる出来事を想起させるようなタイトルになっているが、リューベン・オストルンド監督が本当に描きたかったことはむしろ「苦労が人を変える」ということにあるんじゃないかと思う。
でも「眉間のシワ」っていう邦題じゃあ、いくらパルムドールでも売れないよな。「眉間のシワ」て。
簡単に書くとこれで終わっちゃうので、なんで私が「苦労が人を変える」というテーマにたどり着いたのかをつらつら書くことにしよう。
着目したのはチャールビ・ディーン演じるモデルのヤヤ。彼女のラストシーン、掃除のおばちゃん・アビゲイルに対して「あなたには感謝してる」「あなたの為にしてあげられることを考えていた」というセリフ、登場した時のヤヤからは考えられないセリフであった。
ヤヤは無自覚に傲慢なモデルとして登場する。同じくモデルの彼氏・カールとの食事ではスマホに夢中で、「私がご馳走するわ」と言ったことも忘れ、仕方なく会計したカールの苦言には逆ギレ。
相手を慮る態度とはほど遠く、グルテンを摂らないのにパスタを注文し、インスタ用の写真を撮る。当然食べない。生まれついての自己中みたいなキャラクター、それがヤヤだったのだ。
船が遭難して、ヤヤの価値であった美しさなど何の意味もなくなる。不器用で力もなく、役立たず。グルテンの塊みたいなクラッカーを、カールが身を売って分け与えてくれることに縋り、生きていくことがやっとの状態はヤヤにとってショックな状況だろう。
他人のことなどどうでも良かった自分が、他人の情に頼って何とか生きている。そのことが、彼女を大きく変化させたのが、上に書いたラストシーンに集約されるのだ。
食べ物を入手することも出来ず、力仕事も向いていないヤヤだが、アビゲイルのリュックを借りて島内を探検するうち、遭難したと思っていたこの島がリゾートであったことが判明する。
後をつけてきたアビゲイルも同様に事実を知るが、そんな折にヤヤはアビゲイルに感謝するのだ。
この状況から脱出出来たら、多分みんな遭難する前の生活に戻るのだろう。ヤヤはモデルに復帰し、アビゲイルはまた低賃金でキツい仕事に就かなくてはならなくなる。
それ以前に、やりたい放題の女王だったアビゲイルは他のメンバーに仕返しされてもおかしくない。
いっそ、原始的でも頂点に君臨出来る今の状態を続けたい、とアビゲイルが考えてもおかしくない状況だし、現にリゾートへの入り口を見つけたヤヤに襲いかかりそうなシーンでもあった。
ヤヤがそんなアビゲイルに気づいていたのかは分からない。アビゲイルが自分の後を追ってきていたことさえ気づいていなかったかもしれない。
それなのにヤヤは今まで支えてくれたアビゲイルに、何か、恩返しになることをしたいと考えていたのだ。
自分に出来ることは、ほんの些細なことしか無いかもしれないけれど、それでもアビゲイルの苦労を軽減できるのなら…。
そんな風にヤヤが考えることになるなんて、最初に想像できただろうか。
アビゲイルは遭難前に苦労してきて、遭難というまた違った苦境に立たされ、能力が開花したことで傲慢さをさらけ出すようになった。
これもある意味「苦労が人を変えた」という変化なんだろう。
それに対してヤヤは遭難という苦労の中で、他人の有り難さや自分の無力さを痛感し、生きていくというシンプルな目的の為に、沢山の他人の力を借りていることを自覚した。苦労の中でも明るさを失わない人、自分に出来るベストを尽くそうとする人、自分が苦しい時にも他人の面倒をみられる人。
いつもの生活の中では気づけなかった諸々に、ヤヤは気づき、等身大の自分と向き合い、他人を思いやる気持ちまで獲得したのだ。
アビゲイルの「苦労が人を変えた」があまり良い方向に進んでいるとは言い難かったのに対し、ヤヤの変化は間違いなく良い変化だと言えるだろう。
監督はあえて誰か一人に焦点を当てないことで、映画の中で語られることを大袈裟に表現しない方法をとったのだと思う。
ヤヤの良い変化だけを切り取ると、なんだか胡散臭い説教映画になってしまうし、なんなら人間の愚かさを皮肉った部分の方が多いし、面白い。
しょーもない人間たちの群像に、キラッと光る微かな希望。そんな風味の映画だった。
色んな意味で"醜い"映画
チャールビ・ディーンの遺作
わかる人には面白いが、万人受けではない
根底にあるのは権力のピラミッド構造と、その権力要素の変遷。
第一部はスノッブなヨーロッパ貴族社会、第二部は下品な成金、第三部は労働に支えられた共産主義。
それらを風刺画風に描いた作品。
だからゲラゲラ笑うのではなく元ネタに思いをはせてクスっと笑う作品。
最後のシーンが意味不明だとの意見があるが、
・脳梗塞の彼女は言葉が通じない/情報が伝達できないから現状を仲間には伝えられない。
共産圏や圧政圏での情報統制のアナロジーだから、ブランド物の行商人との邂逅は仲間には伝わらなかったろう。
・続くシーン、エレベーターを見つけたヤヤをアビゲイルは殺そうとするが、そのシーンは描かれない。
しかし社会主義や共産主義における施政者は、自ら権力を手放すことはなかった。
当然、アビゲイルもそうするだろう。
・最後にカールが走っているシーン、なぜ彼は走っているのか、が謎になるわけだが、そもそも閉鎖空間でアビゲイルとヤヤがどちらも相手を生き延びるためのチームとして見ている状況ではどちらも相手を殺すことは無い。だからカールは二人を送り出している。
閉鎖空間ではなかったと知って初めて、アビゲイルとヤヤの間の殺意が現実味を帯びて来る。
が、行商人のシーンがアナロジーとして挿入されたのなら、その情報は最後まで仲間たちには伝わらなかったはず。
としたら、おそらくアビゲイルがヤヤの死を事故による墜落死として伝え、その現場に走っている。
監督はそのあたりは好きなように解釈できるようにと説明を放り投げているけど、そういう「好きに理解してちょ」的な描き方は好きじゃないな。カンヌはそういう方が受けが良いけど。
面白かった。
観たかったけど劇場で観られなかった映画。
配信で観られるようになったので少しずつ観る。
内容知らずに観たので、一体この話はどこに行くのか??と思いながら。あらすじに結構内容書いてあったけど、ちゃんと読んでなかったから、かえって面白く観られた。
最初のヤヤとカールのやり取りから面白かった。船でのお祭り(?)シーンからの島に漂流、そういう話だったのか〜からの、最後までずっと面白かった。
話が進むにつれて、ヤヤが段々好きになる。カールも悪い奴じゃないんだよなぁとか、島でなんとなく男たちが仲良くなったりするところとか、最後アビゲイルとヤヤの山登りシーンのシスターフッド的な美しさとか、それもまたひっくり返るのか?!な展開とか、コロコロと変わる面白さ。
ヤヤ役の人がすでに亡くなっていると知って悲しい。
フレンチアルプスで起きたこと、の監督だった。というのをあとから知って納得。
終始吹きすさぶブラックユーモアの雨あられ
むしろ海外ドラマ向き!
CSで録画視聴。
やっと2023年の注目作品を観る事ができた。
しかし、ありきたりなストーリーだし、もの足りなさを感じた。
時間も長すぎる。観て退屈さを感じる。
海外ドラマ向きの作品か。
ブレイク中のハリス・ディキンソンを観るだけの作品。
豪華客船の旅を否定するような皮肉
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