聖地には蜘蛛が巣を張るのレビュー・感想・評価
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(原題) Holy Spider
怖いし興味深い社会派作品で、宗教と理解できない価値観!実際に起こった娼婦連続殺人事件をベースに、事件の根底にある男女差別や宗教観から来る人々の社会通念などイラン社会の闇に焦点を当てた社会派サスペンスでした。
面白い処も有れば,あまり気持ちは良くない難癖付けて娼婦を…。
理由は如何(ドウ)あれ,女性(この作品の中では娼婦に値する)は生きる為に自分の身体を張って生活するという事自体はそうするしか無い!という考え方の人と…。
親しい身内的?(宗教的な団体?)な人達からすれば、そう言う女性は殺される事自体が当たり前だ!と主張する人も居るという,一寸道徳的に反した考え方の中で,常識的にどっちが正しいのかを分からなくさせられる話で…。
私的には殺害する事自体が、決して正しい事なんぞある訳が無い‼︎と思う私の意見を主張したい話である…。
映画を通してイランというイスラム社会を知る
もちろん映画のストーリーは残忍であり得ない殺人鬼の話しだが、その男の犯罪の背景にあるアッラーの神を信奉する敬虔なイスラム教徒の心情や、イスラム社会の大衆心理がより恐ろしい。
街に溢れる娼婦を容認しながらも、その娼婦たちを神を冒涜する不浄なゴミの如く糾弾する社会って何⁇
日本人はソープ嬢を不浄な輩として連続殺人するような倫理観はない。豊臣秀吉や徳川の時代から吉原、柳原、福原と明治期も存在し、形を変えて現代にはソープが立派に商売を許されている。
しかも、この映画の時代が2000年代だという事に、驚き、やはりこうも宗教観、価値観の違うイスラム社会とは、もっともっと「対話」を重ねるしかお互いにあゆみ寄れないだろうなぁと思う。戦争よりももっと沢山の対話の必要を深く考えさせられた映画だった。
スパイダー・キラーと道徳警察
聖地があるイランの街にて娼婦をターゲットとした連続殺人が発生。事件を追うジャーナリストと、犯人を取り巻く異常な環境を描いた作品。
序盤からエグい描写満載。
少々不安定な様子はあれど、昼の顔は信心深く家族想いの良き父だが…。
この聖地に於いて娼婦は汚れと、夜には恐ろしき第二の人格が顔を出し…。
必ずしも、我々日本人の感覚がグローバルスタンダードでは無いことはわかるが、それにしても恐ろしき2000年代初頭のイランよ。。
信仰心も行き過ぎればやっぱり。
彼らが信じる神とは一体何なのだろう?
勿論、娼婦という職が褒められたものではないとは思うが…冒頭にもあるように、彼女らは彼女らで家族を養うために仕方なく、といった側面もあるようだし…やはりそういった人を助ける環境を整えることが大切ですね。簡単な事ではないけど。
殺人描写も恐ろしいが、より恐ろしいのは寧ろ犯人が捕まったあとか。16人亡くなってる事件の法廷であんな軽々しく笑うかねぇ…。
それだけ、悪だと思われて無いんですね。
そしてそして最も恐ろしいクライマックス。どうしてこうなってしまうのか。。
我々が簡単には感情移入できない厳しい環境と、行き過ぎた信仰心、世界共通では無い道徳の難しさに戦慄を覚えた作品だった。
イスラムの聖地が舞台だからこそのストーリー
設定はよくある連続殺人鬼とそれを追う記者を描いたもの。
が、この映画の面白いところは殺人鬼自身は自分のしていることは正義(街の浄化)と信じている。そして日本ではあり得ないと思うが一部の人々から英雄視されるというところ。イスラムの聖地が舞台だからこそのストーリーです。
倫理観と倫理観の戦い
イスラムの聖地マシュハドでの娼婦連続殺人事件を描いたクライムサスペンス。事件を追う女性記者と犯人の男のそれぞれの視点でドラマは進む。
事件の背景には、現代の西欧中心の倫理観とは大きく異なる価値観が横たわっていて戦慄する。
事件は穢らわしい職業の女性は徹底的に排除すべきという、女性蔑視職業蔑視のヘイトクライムなのだが、犯人の男だけでなくその妻子や少なくない街の人々が肯定的に捉えている描写に驚く。
娼婦をターゲットにしたシリアルキラーものは数あれど、犯人がここまで英雄視される作品は観たことない。
藤子F不二雄先生のSF短編で我々の世界とは全く異なる倫理観の世界に紛れ込み価値観を揺さぶられる作品が幾つかあるが、この作品を見ている最中同じような思いに囚われていた。
空から撮った映像とタイトルが重なる
衝撃的な内容なうえに、見終わった後に難題を突きつけられる作品。物語の早い段階で犯人を映し出し、その鮮烈な犯行シーンをありありと見せつけられる。
ジャーナリスト・ラヒミを物語に入れることで、イランの女性蔑視、男尊女卑に関することも浮き彫りに。
娼婦を悪、生きる価値がないとみなして、一掃しようと勝手に使命を持つサイード。
サイードが捕まった後も、無罪だと声を上げる信者や家族(普通におかしいだろ!?)。
宗教の恐ろしさを痛感させられる。
そして、娼婦を生み出す社会にも問題があるし、それを放置する警察や政治もめちゃくちゃだ。
ラストは2度にわたりサプライズが用意されているが……
息子が取材に淡々と応じて、反抗シーンを説明するところも恐怖だった。第二のサイードにならないでほしいと願いたいが、いずれ第二のサイードが誕生するのだろう。
なかなかよく出来たストーリーだった。
後味の悪いサイコ人間ドラマ
2000年代初頭。イランの聖地マシュハドが舞台の娼婦連続殺人鬼を追い詰める女性ジャーナリストのラヒミの命がけの活躍と女性問題を真面目に描いたサイコサスペンスです。
前半から中盤は殺人鬼とジャーナリストと警察の捜査劇。後半は裁判劇として正義とは、神とは、を強く問いかけます。
大衆の支持が加害者に向き被害者への非難が集中する社会情勢が宗教的な問題もあり理解しにくかったです。
ラストのサイードの息子がインタビューに答えるシーンは衝撃的。誰にでもお勧めできる娯楽作品ではないですが、
いつも見るハリウッド系サイコスリラーとは違う後味の悪いサスペンス劇を見たい方はご覧ください。
タランチュラ男 vs 女郎蜘蛛
クモは巣を張って待ち構えるタイプとタランチュラのように巣を作らないで動き回って獲物を捕らえるタイプに大きく分類されます。
題名から女郎蜘蛛の話だと思ってました。
原題は Holy Spider 。
この映画の題材となった実際の事件で、聖地で商売をする街娼を聖地浄化を理由に次々に殺害にする犯人をマスコミがヒーロー視してスパイダーと呼んだことがはじまり。巣を張るのではなく、みずから獲物を探しにバイクで出掛ける。イラン第2の都市マシュハド。シーア派の聖地が舞台。
イランの映画は「英雄の証明」、「白い牛のバラッド」、「ホテルニュームーン」しか観てない。
これらの映画では裁判と処刑がうんとスピーディ。宗教が絡んでか?三権分立がちゃんとしていない感じ。
「ボーダー 二つの世界」の監督の作品。この監督はイラン出身だとこの作品で知りました。北欧の人とばかり思っていました。
新聞社をセクハラで不本意なかたちで解雇された女性ジャーナリストが真相を追ううちに自らをオトリにしてしまう展開はもちろん期待もしていましたが、あのおデブ姉さんの死んでからのアシストがなかったら完全にクモの糸でグルグル巻きにされてましたね。犯人は手首が治るのをなぜ待てなかったのかと言ったら野暮ですけど。
ハラスメントに苦しむ女性ジャーナリストが街娼に肩入れする気持ちはひしひしと伝わって来ました。イスラムは女性差別が色濃く残る世界。
個人的に、あんなきれいな若い嫁さんがいて、小さい可愛い子供も三人もいるのに、夜な夜な出かける初老のジジイは何考えてんだ???でしたけど。
しかも自宅。
繰り返される絞殺シーンもなかなかリアルでエグかった。
このオジサンはネクロフィリアのケもありそう。繰り返すうちに絞殺自体に恍惚感を覚えてしまったのではないか。従軍体験もきっかけだった可能性も大。イスラム世界は死後6時間以内の死姦は許されるらしい。よくわかんないけど😵🌀
傑作でした。
日本で生まれ生きている限りまるで想像出来ない概念、常識、、。
それが良いか悪いかはわからないけれど、それも事実かな。
ワイには何にもできないけれど、映画を観てそういう事実を知り考える。
イランについての事はぼんやり(というかほぼ)としか知らないので
知ればさらに深く観れたのかなと思いました。
ボーダー二つの世界もパンチがありましたが、今作はさらにパンチを食らいました。
殺人犯であり、決して英雄ではない。
夜な夜な街で客を取る娼婦たちを殺害して街を浄化しているという犯人。娼婦たちは生きていくために家族のために仕方なくやっているんだろうに。娼婦だけが悪い?買う男たちは悪くないのか?浄化するなら客の男も浄化するべきではないのか?
逮捕された後の街の反応にも驚きである。息子は学校でいじめられるどころか、英雄の息子として称賛され、買い物に行けば、ただで物をくれたりと、街中が応援体勢。犯人の奥さんまで、娼婦を悪く言い、夫を正当化する。
最後の父親の行為を再現する息子、娼婦の役を妹にやらせる。母親も止めないんだ!異様な国た。
イランの聖地マシュハド。 イスラム教の聖地であるが、夜になると街中...
イランの聖地マシュハド。
イスラム教の聖地であるが、夜になると街中には娼婦が溢れている。
そのマシュハドでは娼婦をターゲットにした連続殺人事件が続いており、都度、新聞社には死体遺棄現場の告知が犯人から届けられていた。
警察の捜査は進まない中、女性ジャーナリスト・ラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ )は危険を顧みずに、単身、事件を追うことにした・・・
といったところからはじまる物語ですが、いわゆる犯人捜し・意外な犯人のミステリではなく、巻頭早々に犯人は明らかになります。
エンタテインメント性からはかなり遠い作品といえます。
興味深いのはイスラム社会、イランの生々しい現実。
冒頭殺される娼婦の出勤準備の様子から、これまでのイラン映画とは全然異なることがわかります。
薄暗い部屋で、上半身裸で濃いルージュを引き、ヒジャブ代わりの派手なスカーフを被り、身支度を整える女性。
傍らには幼い子ども。
マシュハドの中心街も煌煌とというにはほど遠い街角に娼婦たちがたむろしている。
そして、殺人・・・
殺害の様子も生々しい。
女性ジャーナリスト・ラヒミに対する扱いも甚だしく、独身女性が単身でホテルに泊まることは忌避されているようで、難癖をつけて宿泊を拒否。
(最終的にはジャーナリストとわかり、部屋は確保できるのですが)
また、取材に応じた警察幹部も女性蔑視は明らかで、なにかにつけて性的な行為に及ぼうとしたり、と兎に角ひどい。
この生々しい現実は後半、おぞましさに変貌します。
犯人が最後に殺すベテラン娼婦とのやり取りはすさまじく、これまでならばヒジャブによる絞殺に至るのだが、体格差からそうはいかず、激昂した犯人は素手で何度も何度も殴ります。
このシーン、ほんとにすさまじい(一瞬ですが、日本の今村昌平監督作品を思い出しました)。
この惨劇が、アパートの自宅の一室で行われていることが、さらに気分を陰鬱にさせます。
で、最終的には、ラヒミが自らを囮にして犯人は逮捕されるのですが、そのあとはおぞましさが浮かび上がってきます。
犯人は、イスラム法を実現しただけと反省に色はなく、市民の多くも犯人に共感を寄せる。
十代の息子も、犯人の父親を尊敬し、最後には父親から聞いた殺害の様子を、さも誇らしげにテレビカメラの前で披露する・・・
『ボーダー 二つの世界』では、生々しいファンタジーの世界を描いたアリ・アッバシ監督。
今回は生々しくおぞましい現実社会を描きました。
監督自身がイランのテヘラン出身ということで、これまで描かれなかったイランの現実社会を描いたのでしょうが、海の向こうの世界、他所のハナシというように傍観しているだけでいられないところも感じました。
どうも、身の周りの社会も少しずつおぞましさが表れつつあるような感じがして仕方がないのです。
戦慄のラスト
「ボーダー」は生理的に合わなかったのですが、今作は痺れる内容でした。さりげなく挿入される9.11のニュース映像は単に時代を示唆するためだけではないのでしょう。憎しみの連鎖が止まらぬ社会に対してのメッセージのように感じました。
社会にはびこる哀しき現実
「お前何様だよ!」怒りの感情がコントロール不能になった
街を浄化するだと?
娼婦16人を殺害、イランで実際に起きた事件に着想を得た作品だがドキュメンタリー映画と思う程の恐ろしさがあった
実際は犯人を支持し英雄視する市民は一部だったそうだが
だいたい買った男達は何なのさっ!
こっちの浄化はどうする?
不平等で不公平な現実に怒りと切なさが止まらなかった
被害者にも家族がおり、それぞれの事情と悲しみと真実を少しでも訴えたかった監督の気持ちが伝わってきた
犯人の妻も同じ女性である被害者達を罵倒し軽視する…同性であっても環境や境遇で格差が生じてしまうのは哀しき現実なのだ
事件を追う女性記者を演じたザーラ・アミール・エブラヒミ
危険を顧みず犯人に近づく後半は異様な緊張感に体が震えた程、迫真の演技でした!
カンヌで女優賞を獲得したのも納得!
犯人の息子がゲームを楽しむかの様に幼い妹を
モデルに父の手口を再現する
それを止めもしない母親…あまりにも衝撃的で哀れな結末に嘆きの溜息しか出なかった
人権意識の低さはと他人事ではない
イランを舞台にしているが、これは日本にもあてはまる。男女差別が濃厚な上に、不甲斐ない自分を認めることが出来ず社会的な弱者を攻撃する。狭量な見識と不寛容、自分にとって都合良く神を利用する反知性主義。人を思いやる感受性の欠落した人は至る所、すぐ隣りにも居る。それは自分かもしれないのだ。先ずは個人であり、自分の足下を見詰め、常に内省を心掛ける。この作品は社会と個人の在り方を問い、差別の根源を社会だではなく、自分に問う啓蒙作品でもある。1人の人間に立ち返り、自らを鑑みて鑑賞すべき映画である。決して他人事ではない。知らず知らずのうちに自分にもこびり付いたものが見つかるはずだ。無関心、無自覚な自らを内省しつつも、糾弾するためのヒントを辛くも与えてくれる佳作である。
神のためにやった。俺の手はきれいだ。
イランの宗教都市を舞台にしたクライムサスペンス。
「蜘蛛」と呼ばれる立ちんぼ娼婦を次々と殺していく殺人鬼。
肝心なことは、ここはイスラムの世界であること。価値観がイスラムの基準であること。それを、あんたたちはおかしいと断罪していいのか?彼らに他の慈悲深い宗教観を押し付けていいのか?あれが、彼らの倫理観なのだ。あれが、彼らの正義なのだ。
そして、自らの犯罪を神の啓示のように誇らしげに振る舞う犯人。彼を裁くのは法か?それとも、神か?・・・ずっとその行く末を見守っている自分がいる。結末を見届けた時に気づいたのは、そこにあるのであろう、神の見えざる手の存在だった。イスラムの闇は深いよ。
イランで発生した娼婦連続殺人事件が映し出す欺瞞
「イランを舞台にしたサスペンス」という、なかなかお目に掛かることのない希少なカテゴリーの映画ということで、物珍しさから観に行きました。
内容的には、2000年から2001年にかけて実際にイランの宗教都市・マシュハドで起こった16人もの娼婦連続殺人事件をベースにして創られたもので、本作の主人公の一人である殺人犯サイードは、実在の殺人犯であるサイード・ハナイをモデルにしており、名前も一緒。もう一人の主人公で、殺人事件を取材し犯人逮捕に貢献した女性ジャーナリストであるラヒミは、本作が創作したキャラクターですが、実際の殺人事件を取材したドキュメンタリーで本物のサイードにインタビューを行った女性(サイードは、この女性インタビュアーに、「次はお前が標的になったかも知れない」と仄めかしていたそうです)や、事件を埋没させないよう奮闘したジャーナリストたちを集約した存在だったようです。
サスペンスと言っても、サイードが犯人であることは早々に分かるというか、犯行の様子が最初から映し出されるので、刑事コロンボの倒叙法よろしく、観客には分かっている犯人をラヒミが突き止める過程を描いた作品でした(コロンボのような陽気さはかけらもありませんが)。ただこうしたサスペンス的な要素もさることながら、本作のメインテーマはイランにおける歪なミソジニー(女性蔑視とか女性嫌悪)でした。一般に報じられているように、イスラム諸国の中には女性の権利が大幅に制限された国があり、タリバンが政権を握るアフガニスタンなどはその最右翼で、女性は大学どころか中学にすら行かせない政策を採っているようです。
一方本作の舞台となったイランにおいては、「実際のところイランでは、女性たちは男性に比べても進学率も高く、高学歴であったり、様々な職業で重要な地位に就いている場合も少なくない(本作のパンフレットから引用)」そうです。ただ、「一般的に、離婚の権利や親権の問題、相続など男性に比べて不利な立場に置かれているのも事実(パンフレットから引用)」だそうで、女性の置かれた立場は相対的に低いようです。さらに、「イスラーム体制のイデオロギーにおいては女性の貞節と良き母親という役割が強調され、預言者ムハンマドの娘であり、イマーム・アリーの妻であったファーテメ(ファーティマ)が理想とすべき女性像とみなされる(パンフレットから引用)」という土壌もあるようです。
本作の主人公である女性ジャーナリストのラヒミは、「高学歴で様々な職業で重要な地位に就いている女性」の代表格である一方、殺人犯サイードの妻であるファテメは、名前が示すとおり「イスラーム体制で理想の女性像」とされるファーテメの化身として描かれています。
実際ラヒミは、娼婦殺人という、解釈によっては宗教的に擁護される事件を調べていく過程で、上司だけでなく、警察官からすらもセクハラを受けています。一方のファテメは、夫の行った殺人が明るみに出た後も、夫の行動を支持し、彼を擁護する立場を貫きます。
ミソジニーというのは、一般に男性から女性に対する蔑視とか嫌悪感情を指しますが、女性自身が女性に対しても持ちうるものだと言うところが難しいところのようで、これはイランとかイスラム社会に限った話ではないと思われます。
また、実際の娼婦殺人事件においても本作中においても、犯人のサイードは宗教的な使命のために娼婦を殺したと主張する訳ですが、実際に殺された16人中13人とサイードは、性交渉を持ったとのことです。本作では、殺した後の娼婦の身体にキスをするサイードが描かれており、要はイスラム教の教義だけが殺人の理由ではなかったのではないかと考えられます。
イスラム教というと、日本ではなんとなく怖いイメージが先行しますが、結局イスラムが怖いものであるというイメージを与えている一因となっているミソジニーとか男尊女卑というのは、宗教と密接に関連はあるものの、それだけで語れるものではないようにも思えました。我が日本においても、夫婦別姓制度が、選択的という条件を付けていながらも、G7参加国で唯一認められていません。普段は自由主義陣営の一員を自認しているのに、そのメンタリティーは、程度の差こそあれどちらかというとイランやアフガンに近いようにすら思えます。
話を本作に戻すと、特にサイードの犯罪に関しては、宗教行為を偽装したレイプ殺人と捉えることが可能ということです。ところが事件当時イランにおいて、彼を擁護するイスラム教徒が一定数いたことも事実であり、この辺りが大量殺人という事の重大さに反比例して、実に滑稽なイラン社会の在り方を表していたように思えます。
以上、娼婦に対する連続殺人事件を扱った映画でしたが、単なるサスペンス映画の領域を遥かに超え、イラン社会、そして実は世界中に蔓延るミソジニーを告発する作品だったとも言えます。こうしたテーマ性から、当初計画したイランでの撮影は、イラン当局から許可が出ず、ヨルダンのアンマンで撮影を行ったようですが、馴染みの薄い中東の街の風景を観ることも出来、非常に興味深い映画でした。
全112件中、41~60件目を表示