「ヘイトは巡るよどこまでも・・・そして、いつまでも。」聖地には蜘蛛が巣を張る やまちょうさんの映画レビュー(感想・評価)
ヘイトは巡るよどこまでも・・・そして、いつまでも。
今から20年くらい前に中東イラン、そのイスラム教の聖地のある都市で実際起こった娼婦連続殺人事件がベースになっているとのこと。
現代ではどういう状況かは不明ですが、映画冒頭、余所者の独身女性の一人での宿泊ってだけで、いきなり正式な予約者を門前払いする様なホテルの受付けの対応に、いったい、いつの時代よ?・・・驚きました。
あからさまに異端視し、はなから女性として見下し、厄介ごとに巻き込まれてたくない、安易に許して問題になり職を失いたくない、というホテルマンの弱い心が透けて見える演出です。
イスラム教云々は別にして社会のベースにたぶん慢性的な貧困と苦悩があり、その積もり積もった行き場のない不平不満が「政府の巧みなヘイトコントロール」により、社会的弱者、特に貧困層の女性に向けられて持続、循環させらているように感じました。悪いなりに回せばいい、変に動いて既得権益の構造は壊したく無いという政府上層部の意思です。
無惨に殺人鬼に殺されていく娼婦たちはことごとく貧困層ではあるが、違法な売春行為と極度の薬物常習者であるとう点で、犯人はその行為を「街の浄化、神の意思」として正当化してます。
殺人鬼は脚本上かなり早い段階で顔バレし後はオープンリーチ状況なので、犯人探しを推理する楽しみは皆無でしたね。
政府が取り締まらないなら俺がやる体な犯人の身勝手な思想は最初から破綻していて吐き気を催すレベルです。
が、これも全くの建前で、実際は退役軍人であるとしても社会的に評価されず、底辺の肉体労働で毎日ギリギリで家族を養わなければならない不平不満、苦悩、恨みつらみの矛先が彼女達にむけられたに過ぎません。
彼女らを惨殺するということで快楽を貪って、自身の精神的な傷を癒やしたつもりになっていた、ということでしょう。
犯人だけでなく、イスラム教の教義を身勝手に自分の利になるよう都合よく解釈する人間が多数出演し、ジャーナリストの綺麗な女性の勇気ある行動が自然と浮き上がる構造になっておりましたが、映画全体のヘイト感が強すぎて、しかも共感出来るのがそのジャーナリストと相棒の男性二人だけなので、ヘイトに溺れてしまいなんだかあまり気持ちが入り込めませんでした。
読後感も悪いし、あと100年は続きそうなヘイトの連鎖、継承を思うと疲労感、徒労感でいっぱいです。
では。