「久しぶりに魅惑的な邦題と映画ポスター。内容は、さしずめイラン版『フレンジー』?」聖地には蜘蛛が巣を張る もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
久しぶりに魅惑的な邦題と映画ポスター。内容は、さしずめイラン版『フレンジー』?
①サイードが被害者の娼婦たちを絞殺するシーンはヒッチコックの『フレンジー』に共通する匂いを感じる。もしかして監督さん勉強した?
②需要が有れば供給がある。これは人間社会、どの時代でもどの国でも変わることのない経済システムである。
女を買う男がいるから春を売る女がいる。(もちろん男を買う女もいるし春を売る男もいるわけですが少数者なので、ここはひとまず置いておいて)
それなのに大概貶められたり責められたり罰せられたりするのは女性側ということには前から不公平・不条理だと思っていた。
③イスラム教にある男尊女卑的思想も問題だとは思うが、こういう思想は決してイランだけの話ではなく、インドにもあるし、アメリカもレディファーストと言いながら男社会である。
日本も奈良時代くらいまでは何とか男女均等の考えが残っていたのに、仏教が入り儒教が入り(それでも江戸時代までは大奥という裏にまわった歪んだ形ながら女性が権力を握っていたし、女も春を売っていたが男も春を売るのは当たり前だった)。吉原の花魁も実体は超高級娼婦ながらも江戸時代中期までは一般人も手の届かない存在だったし。
明治に入りキリスト教が入ってきたこともあり、日本も男尊女卑の男社会になってしまった。
④体を売る者が社会を汚しているから排除して浄化すべきであるのであれば、体を買う者も社会を汚していることに変わりはなく、同じ様に浄化すべきだと私は思う。
と、ここまでは私の個人的考えであります。
⑤この問題を更にややこしくしているのは、こういう春を売っている女性に対する同性からの嫌悪・差別である。
売春を好きでやっている人は多い筈がなく、大なり小なり理由はあるだろうに。
男には自分にも脛に傷ある覚えがあるからか寛容な者もいるが、女性の中には眉をひそめるくらいなら良いが、口を極めて罵る人もいる。
こういう人達は『ロストケア』風に言うと「安全圏」にいる人なんだろうねぇ。
それから考えると、ヒロインのラヒミは安全圏には居るけれども、安全圏に安住せずに外に出ようとする女性だと云える。
⑥サイードが殺害方法に絞殺・扼殺を用いるというのも、サディズム+マチスモという病理を感じさせる(女が男を道具を使わずに自分の力だけで絞め殺すなんていうのは火事場の馬鹿力が出た時くらいだろうし連続殺人には向かない)。※脱線しますが、私は腕が結構太いせいか、一度会社でヌートバーのペッパーミルの真似をしたら首を締めてるみたい、と揶揄された😢) 死淫するのか、と思わせるシーンもあったし、サイードが病理的に精神障害(何でもPTSDに結びつけるのは単略的だけど)を患っているのは間違いないとは思う。
良き夫、良き父親と思われた人間がおぞましい殺人鬼だった話はフィクション・ノンフィクションに限らずよくある話だから驚く程ではないし。
⑦それより、サイードが殺しを続けられたのも、この映画が提起する問題で深刻なのは、社会的・文化的に正義・正しいと思い込めば人間はほぼ何でもやってしまうということ。
本作ではイランの社会的・文化的背景が土台ではあるが(「サイード無罪」のシュプレヒコールを裁判所の外で群衆、父親の犯罪を悪気もなくそっくり再現する子供の姿を延々と映すやりきれないラスト)、これは決してイラン一国にとどまる問題ではないと思う。
⑧日本でも、信仰がらみではオウム真理教(私はとても宗教とは思えないので)の地下鉄サリン事件があったし、信仰絡みでなくても神奈川県の
⑨それと、蜘蛛はそのグロテスクな外見から忌み嫌われているけれども益虫(正確には蜘蛛は虫ではないけれども)なんだよね。家の中の害虫を捕ってくれるから。子供の時、おじいちゃんやおばあちゃんから家の中の蜘蛛を殺してはいけないよ、と教えられた…