エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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これがアカデミー作品賞なのか…
多元宇宙を扱った話はかなり好きです。
しかし、この映画は残念過ぎました。
あらすじとしては、何の特技もない主人公が別世界の男(主人公のいる世界ではこの男は夫)に全多元宇宙を救えと言われます。混乱しているうちに敵勢力に襲われ、逃げ回ったりしているうちに、別世界の自分の職業的な技を使って戦うことを覚えます。で、ラスボスは主人公と同じ力を持った自分の娘であることがわかりますが、最後は娘と和解し、元の世界へ戻るというものです。
歌手や小説家やシェフを夢見て、中年になった今もその夢を捨てきれないまま、コインランドリー店を営む主人公。
この設定は、とてもいいと思います。
別世界の自分は夢見た職業に就いているという虚しさも理解できます。
ですが、コインランドリー店主にもかかわらず歌手になるためのカラオケセットを店の経費に入れたり、成功している自分が別世界にいることを知って、夢を叶えられなかった原因は駆け落ちを止めなかった父親であるとして激しく責めたりと、主人公はかなりガッカリな性格で、共感出来るキャラクターではありません。
また、元世界では担当税務署員が、別世界では主人公の恋人という設定はかなり面白いものなのに、手指が全てソーセージであるとかいう設定で、そのソーセージを齧るとチーズが出てそれをお互いに舐め合うというのが愛情表現という世界であることを、執拗にしかも汚らしく繰り返すのも不快でしかありませんでした。手指がグニャグニャであるため足を使って物事を行わなければならないのは納得できますが、折角の恋人設定が霞むほど、このソーセージを強調する意味はなんだったのでしょうか?
更に別世界では、主人公はシェフ(といっても、ステーキハウスのパフォーマー)になっているのですが、その主人公のライバルが「レミーのおいしいレストラン」のネズミがアライグマになっただけの相手である点もガッカリでした。主人公がライバルを肩車して、捕らえられたアライグマを追いかけるもすぐ息切れするシーンは、海外の人には面白いパロディに感じるのでしょうか?大の男を肩車ね、そりゃ疲れるよねぇ…で、それが何?私が観ていた映画館では、笑い声の一つもありませんでしたね。
更に別世界では、主人公は無生物である石になっていましたが、最後には石に目がついて動き出してしまうという、そもそもの石の設定を全否定するような変化を遂げ、これも呆れて開いた口が塞がりませんでした。
一番最悪だったのが、下品なシーンがあったこと。別世界の力を使うには「有り得ない行動をとること」という設定はわからなくもないですが、敵はお尻に銅像を挿すことでそれを成そうとし、挿して飛び回るという大騒ぎシーンがそれなりの時間続いて、かなりゲンナリしました。この場面はどっかんどっかんウケるシーンなのかと思いますが、私が観ていた映画館では、このシーンも静まり返っていました。
それと、散歩していた犬のリードをぐるぐる回して犬を振り回し、ポーラみたいに扱って主人公を攻撃するシーンも辛かったです。ただの虐待にしか思えず、早くこのシーンが終わってくれないかとばかり願っていました。
そもそも、折角、母と娘の関係性、主人公自身の元世界での自己肯定という良いテーマを扱っているのに、そういった大事な部分の心理描写や掘り下げより、つまらないパロディや下品なシーンに多く時間を割く必要性はどこにあったんでしょうか?
お笑い系がやりたいなら、そちらに全振りすればいいのに、この中途半端感が粋なのですかね???
カンフーおばさんVSプロレスおばあさん、時々プロフェッサーおじい
潰れかけのコインランドリーを経営する平凡な女性エブリンは、ある日突然平行世界から来た別次元の夫ウェイモンドに“平行世界全体崩壊の危機、救えるのは君だけだ”と騒動に巻き込まれる、バースジャンプと呼ばれる平行世界の自分にアクセスしてさまざまな技能を習得できる技術を駆使して襲撃者に立ち向かう、果たして宇宙の運命は、、、
見始めはバースジャンプの仕組みが分かりにくいかと思ったけど案外すぐに慣れる、というかジャンプするためのキー(マトリクスでいうとログアウト時の電話を取る、みたいなやつ)がくだらなすぎて何か細かい設定とかどうでもよくなる
さて我らが主人公エブリンはユニバース全体に偏在する個体を持つ特異点のような存在(普通の人は数パターンの似通った人生を持つだけ)
の中でも最底辺の個体、夢想家で様々なことに挑戦しては挫折を繰り返す集中力のない人間
実は彼女の挫折こそが別のエブリンの成功に枝分かれしており、バースジャンプによって万能の力を引き出すことができる(集中力のなさ自体も映画と勘違いしていたものがラカクーニバースだったりとこれまで装置なしでも別のユニバースを白昼夢として見ていた可能性が仄めかされている)
対する全ユニバースを脅かすカオスの化身ジョブ・ドゥパキの正体は、エブリンの一人娘ジョイのアルファ体
アルファバースの母の人体実験で精神を壊されおちゃめな破壊者になってしまうどこぞの饒舌な傭兵のような存在(※キルズマーベルユニバースを参照)
ジョブも俺ちゃんと同様その騒々しい装いは無限のユニバースを知覚し、たった一人で永遠にも等しい時を生きる孤独を隠す鎧である
全ユニバース崩壊の鍵“ベーグル”もたったひとつの存在、自分を消し去るために作られたもの、もっと輝ける自分があった、と現在の自分を否定するエブリンと実に似た者親子だ
どんな人にでも愛すべき所はある、どんなに今が最悪でも楽観的になることは大きな武器、意地悪でいるよりも優しく出来ることの方が強い、
指がソーセージだったりケツにトロフィーぶっ刺したりくだらなさのオンパレードなのにストレートなメッセージが心を温める不思議な作品
マルチバース
どう見てもアナルプラグ....
嫌な予感しかない.....
割とガチムチ男が使うとは....
巨根ディルドも出てきましたが
あれは双頭ディルド方が
ヌンチャクっぽく使うのに良さそうかも....
でも愛よね
やっぱり愛よね
でも愛は怨みや憎しみにも
変わりやすいのよね...
愛は全宇宙を救う!!
ビックリする映画
国税庁に書類を提出に行くだけで、こんな世界にいきなりなるという設定には驚きました!
監査官が遅いかかってきて、エヴリンが殴りかかりで、そこから流れが変わりカンフーしているウェイモンドがジャッキーチェンに見えてしまうし、エヴリンが真矢さんになぜか思えてしまうぐらい七変化のうまさを感じてみえました
税金はしっかり申告して払いましょうみたいな映画かと思いきや娘が、男性のシンボルを武器にしたりと絶対に映倫GではありませんW
笑ってしまったのが、ラカクーニの代わりになって上に乗るくだりが何度かあって笑ってしまいました。
カンフーとかコメディーやマトリックスが入った内容とLGBTサイコパスが合わさった感じでした 手がソーセージになるのが、何の表現をしたかったのかがわかりませんでした?
解説付きでもわからないと思います。感動したと言う方には申し訳ないないのですか、感動より理解したいけど、無理矢理理解しなくちゃなならない映画だと感じました
また観たいかと言われればと言われるとお腹いっぱいです。
最後のオチが観にきた客が退室して数える程度にしかいなかったのもビックリでした
ありがとうございました!
アカデミー賞は「貧困と家族」から「混沌と家族」へ
「貧困と家族」を扱った作品がしばらく続いたアカデミー賞、今年は「混沌と家族」を扱った今作が受賞。
コロナ、戦争、世界の分断など。実生活でも混沌が身近な世の中ですね。
混沌の中でも隣の人に親切でいれる自分でありたいですね。
かしこ
忙しい展開で面白いが子供には不適切な表現がちょっと…
テンポの良い展開で楽しめるがアダルトグッヅのディルドゥブン回したり、モザイクかかってきたアナルプラグが入るやつとか、猿ぐつわされて責められたりちょっと子供に余り見せたくない内容が残念です。
渡辺直美さんを思い起こさせる娘の衣装や化粧が素敵です。
一瞬なのに多くのパターンが映るシーンは考えると凄く大変そうですが動画配信などされたらコマ送りで見てみたいです。俳優、世界観など良いと思います。
万人向けでは無いものの素晴らしい作品だとおもいます。
期待外れ
星マイナスにしたいくらい。なんでこれが騒がれてるの?
【1】登場人物が好きになれない
・まずジョイとベッキー、本当に付き合ってるの?ジョイだけ苦しんで悩んでてベッキーは突っ立って見てるだけな気がして…これカップルじゃなくて友達でも良かったのでは?
・エヴリンの夫がなぜか愛と寛容の象徴みたいになるのが謎すぎる。
コインランドリーの経営をエヴリンに任せきりでヘラヘラ客と談笑してて、お客さんの荷物に目ん玉貼って遊んで、離婚を切り出す勇気すらなく離婚証明書をつきつけてエヴリンに決定権を委ねようとする奴がなんで急にもてはやされるの?
・爺さんは爺さんで最後までエヴリンに何もかも任せきり。この映画の男どもは何故成長しないの?
・エヴリンが作中の1番のヴィランだと思った。ただの毒親でしかないのに「こう生きるしかなかった」可哀想な人として見せられるのがとても不愉快だった。
【2】全く笑えない下ネタ
デ◯ルドで戦うレズビアン、下ネタ大好きな中学生が考えたような陳腐ネタ。
ア◯ルプラグネタも何が面白いのかさっぱりわからなかった。ゲイだよwwwwレズビアンだよwwwwほら笑えwwwwておちょくられてるようで不快。
一瞬だけ映ったエヴリンのベッドシーンもいらねえ〜
【3】どこがマルチバース?
想像してたマルチバースと全然違った。鉄板焼きの店や中華衣装着た歌手、なんやかんやでアジアという括りにめちゃくちゃ縛られてるじゃん。これ主人公が白人だったらもっと色んなバースあったよね?
【4】衣装が泣ける程ダサい
映像の色彩センスにギリッギリ救われてるけどジョイの衣装が死ぬほどダサくて泣けた。生え際浮きまくりのウィッグと美容専門学生がやったような下手くそなメイク、顔と骨格に全く合ってないゴテゴテの服…スタイリストいなかったの?
ドヤ顔でジェレミースコットのアディダスコラボ着てる名シーンみたいな演出も痛々しい…何年前の服だよそれ…「アジア人だから原宿ガールぽくしてみましたー^_^」的なハリウッドお得意のアジアごっちゃ混ぜに呆れた。
【5】ゴミみたいなエンディング
後半もう期待はしてなかったけど案の定
家族賛美エンド。「あー、フィクションですら毒親に苦しまされた子供は親を許して面倒見なきゃいけないのか…」て思わされて怒りと悲しみで脳が疲れた。
指がソーセージのバースでエヴリンが作中一番幸せそうにしてたのにあのゴミ夫と仲良しヘテロエンド。結局ただのクィアベイティングかーい。
【6】良かった点
石のバース
色彩センス
くらいかな…
【7】全体的な感想
この映画がアカデミー賞受賞してて、
LGBTやクィアにオススメされてる意味もわからない。
どちらかと言うと、LGBTやクィア当事者の子供を持つ親、または毒親が見て気持ち良くなるオ◯ニー映画だなって思いました。
いや、これが80年代とか90年代の映画だったらまだわかるよ?でも今の時代にまだこの程度なの?
二度と見ません!😃
開眼
エブエブ、深層心理に語りかけるようである意味怖かった。
SFのような話で、大きな宇宙(マルチバース)の中では小事にこだわらず、大きな愛で生きよ、と言われているような。仏教的な教えにも通じるものを感じた。
この映画のカオティックな世界観に対する評価は、人によって1にもなれば5にもなるだろう。自分は他の映画と比較して相対的に4をつけた。好きな映画かと言われればそれほど好きではないが、あれだけ大きく展開したカオスをどのように収束させるのだろうと思ってみると、最終的に前述のような思考へと着地していくのが非常に興味深い。また、世代的にはグーニーズの子役が大人になってもちっとも変わっていないのが何気に嬉しかった。
最後に個人的な話で恐縮だが、娘役がどことなく離婚した妻との間にできた自分の娘に似ていて、ストーリーとも重なり胸が痛くなったのだが、別れた世界線と別れていない世界線、いくつもあるなかで、すべてがリアルなのかも知れないと思うと、どの世界線であろうが娘や家族に対する愛や思いやりを貫こうと思った。
人生初の「ムカついて」何度も帰ろうとした映画
アカデミー賞7部門受賞ってんで遅ればせながら見てきましたが、未だかつてこれほどイライラして途中席立って帰ろうと思ったこと一度もないです。マジでつまらねぇ…
リアリティSFアクション的な娯楽作品と思って見に行ったのですが、とんでもない。
やたらにカンヌが好きそうな感じで説教くさいし、もうとにかく死っっっぬほどテンポが悪い
別にカンヌ的なのは個人的に退屈なことが多いだけで、マジメにアート系とかなら全然楽しみようもあるのですが、表面がとにかく悪ノリに悪ノリ重ねて娯楽作品ぶってるくせに、その悪ノリジョークも最初の数個はくすりと出来るものの、とにかく本当に"悪"ノリ。しかもひたすら同じような悪ノリの繰り返し。
「これウチらの間じゃめっちゃ面白いんだよね!どうどう??」って、もうなんか最近のイタズラ炎上SNS動画見てるような気分で、つまらんどころか嫌悪感すら感じてくる始末
バースジャンプの「自分が絶対にやらない事をする」って、型を破れ的な事なんでしょうが、例えば急に瓦を殴って割る>カンフーをやっていた自分と接続、人前で旦那に熱いキス、歌い出す>俳優の自分と接続
とかそう言う意味あるやり方あったでしょ。失禁だ、リップ食うだ、アナルプラグだ、はーー何の意味もねー!アホくさい。しかも後半はそんな設定無視して好き放題
何もかも詰め込もうとして全てが相反して何もかも失敗すわこんなん
いや、メッセージ性的な部分も分かるんですよ。
ただ、例えばあなたが本当に人生に悩んでるときに親に相談したら、親はなんか良いこと言ってはくれるんですが、"下半身丸出しでベビーカー乗って鼻にクロレッツ挿し"ながら「◯◯ちゃんの好きなようにするのが一番!大事なのは覚悟!覚悟が足りない!」とか説教されてるような感じです
まともな感性した人間ならそんな親はっ倒して人生の縁切りますが
恐らく系統としてはパラサイトみたいに「コメディの中に、現代社会の光や闇が…」的な雰囲気を出したいし、多分アカデミー賞もそんな感じで評価されてるのかとは思いますが、
そこらの立ち飲み屋トークで出てきそうなあっっさいセリフ(単語だけ難解だったり無駄に遠回しなせいで余計イライラ)に、伏線もとっ散らかりのほっぽりぱなし。
到底パラサイト等と比較する映画ではないです。
この悪ノリSFに家族愛をぶっ込む構成、一番近いのはおそらく劇場版クレヨンしんちゃんなんですが、そんなステージにはとてもとても……
あとやっぱりそう言う構成は実写と食い合わせ悪いですよ。実写劇場版クレヨンしんちゃん!!とか想像したらわかりそうなもんですが
いやまぁ、移民の葛藤や、新しい価値観への恐れ、生活に追いやられて家族や生き方に心の余白が回らなくなってしまう事、そういった"日常"の息苦しさを、荒唐無稽なSFコメディアクションにブチ込む。意欲作ではあります。そこは評価したい…!
ただ、それがちゃんと評価になるのはその2つがちゃんと絡み合ったときです
「変な食材と変な食材合わせました!味も変です!!」
それはただの思いつきのマズい料理って言うんだよ……
「これとこれとこれ入れて、こんな組み合わせ今までないでしょ?!」ってアイディアだけでオスカー取れたら世話ありませんわ。その上で面白く調理するのが映画でしょうが
この映画設定でしっかりエンタメに昇華できる監督、脚本家は沢山いるだろうに……もったいない。これがアカデミー賞を取っては、今までしっかりと脚本書いてきた人たちが報われませんよ
あともう単純に長すぎ!!100分くらいにまとめるだけで5倍は評価変わるはず。唯一面白いカンフーシーンですらスロー多様で後半はダレダレですよ
色んな映画のオマージュも「いっぱいオマージュあるのになぁ〜w気づかないか〜w」みたいに訳知り顔してる人いますが、いやこれ、分かったとこで作品の話には全く寄与してないでしょ。入れたら評価上がるもんじゃないですよ。マジで無駄。むしろ不快レベル
さんざ罵倒してしまいましたが、そんな中でも役者陣はこんな無茶苦茶な役を演じきっていたので、ほんとはマイナスですが1点つけときます
特に娘、変なコスプレしてないとこの"一般人の葛藤、息苦しさ"の演技はとても良かったです。彼女の演技はちゃんと人間ドラマ映画で見たかったですね
ダマサレタ
何度も途中で鑑賞をやめたくなり辛かった.
何に腹を立てていたのかと考えたら,アカデミー賞候補だとか,マルチバース物だとかの好評価に騙されてしまった自分に対してでした.予告編を見てた限りでは,これはパスしようと考えていたのに・・・.映画.comで,みなさんのレビューを注意深く見ていればよかったのですが.
主人公はマルチバース間をジャンプできる能力を持っていて,特にこの世界の主人公はこれまでの人生の選択で一番不幸な選択を続けてきたために,大きなジャンプが可能であるとのことで話が展開していく.そのどん詰まりの人生を説明するために,冒頭でクリーニング店の半日程度が描かれているのだが,ただわちゃわちゃしているだけで,何をもって1番のどん詰まりなのか響いてこない.たとえ中国人移民の特殊性とか忖度しても,全く共感できない.しかも,税務監察官に会うまでが無駄に長すぎる.
アクションも衣装も俳優も良くなかった.ただ,ジェイミー・リー・カーチスの演技が救いであった.True Liesの時はスリムだったのに.
私個人的には,ハリウッドと中国資本には要注意という教訓になりました.
あきらめないで
この宇宙にある全ての可能性を体験し、
この世界の理り真理を全て理解し、
そして「無意味」だと悟ったとしても、
「優しくなって」
って言う。
あらゆる事を理解した果てに、
「無意味」と断ずることが出来るなら、
その逆も可能なはずだ。
「優しくなって」、
少しでも意味が見出せるのであれば。
始まりも終わりも分からない
この宇宙の中にいて、
一瞬でも、
愛したり、愛されたりがあるのなら、
そんな奇跡ってない。
十二分に意味はある。
複雑なメタバース構造とシンプルな物語と感銘
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい)
結論から言うと非常に面白く見ました。
この映画は一見複雑なメタバース構造をしていますが、内容は非常に普遍的でシンプルな物語だと思われました。
この映画は、ものすごく雑にまとめると、
<少し古い考えの母親 vs LGBTQの娘>
という2人の対立の映画だと思われます。
それだけだとイマイチだな、と正直、鑑賞途中は思われたのですが、さらに物語は進んで、それぞれ母と娘の1段深い話(母の方はもっと輝ける別の生き方あるいはそれをあきらめたからこそ古い考えに縛られている、娘の方は自分が理解されないこんな世界には”死(虚無)”(ベーグル)を)に進みます。
そしてこの映画の優れた点は、その母と娘の対立の解決策を、母の輝ける他の可能性未来にも、娘が理解されないこの世界を虚無に崩壊させることにも、≪どちらにも求めていない≫ところにあると思われました。
わたしは、この母の方でもない娘の方でもない解決策の提示に大変感銘を受けました。
もちろんこの映画の最後に描かれた解決策は混乱が伴い、一時的な安息でしかないのかもしれませんし、娘を虚無(ベーグル)の世界から取り戻すのに納得感が得られなかった人もいたかもしれません。
また、メタバースの複雑な装いの割には、映画の内容がシンプルでやや抽象に偏っているとの評価があるかもしれません。
これが様々な一般レビューでの両極端な評価につながっている理由と思われます。
ただ、私はこの映画で提示された解決策は深い人間理解から来ていると感じ、納得の質の映画と思われこの評価となりました。
非常に現在性ある優れた映画だと思われ面白く見ました。
多元宇宙全体に広げた風呂敷はタタミ一畳分の広さしかなかった
扱ってるテーマに普遍性を感じるので、アカデミー賞ノミネートは分からんではないけど、はっきり言って万人受けしないエッジが効きまくった作品です。
マルチバースという設定に違和感なく着いて来れるか?
割とモロだしの下ネタギャグを受け入れられるか?で評価がハッキリ別れるはず。
私は割と楽しめた方でしたが、正直2時間20分の上映時間は長過ぎて鑑賞後グッタリしてました…
2時間で充分描き切れる内容だと思うので、冗長なパートを削ってよりシャープにすれば星+1になったかな?
■良かったところ
・ふざけたコメディと荒唐無稽なアクションが大半を締める割には、移民・同性愛・熟年離婚・介護・貧困…etc現代社会が抱える問題から逃げずにきちんと解決しようとする姿勢が誠実に感じられた
・ジャッキーチェンの街角カンフーの流れを汲む、ランダムシチュエーションでの戦闘がアイデアいっぱいで楽しい
・中盤以降に現れる「岩しか存在しないユニバース」が破茶滅茶な展開の中での清涼剤のように作用して、動→静→動の振れ幅がとても良かった
・日本のサブカルチャーにもかなり目配せしてくれているのはとても嬉しい⭕️今敏の「千年女優」は言うに及ばず、靴の匂いを嗅がせるシーンはクレヨンしんちゃんの傑作「オトナ帝国」を彷彿とさせるシーンで思わずニヤリ
■イマイチな点
・主人公エヴリンがいるユニバースでの出来事は全て「自宅のランドリー」と「国税庁」の2箇所でしか行われてないので絵面が変わらず、バトルシーンがやや冗長に感じられてしまう
・敵と味方の構図がイマイチ分かりにくいので戦闘シーンでのカタルシスが物足りない。例えば監査官のおばちゃんとのバトル→別のユニバースではおばちゃんと愛しあっているシークエンス→また自分のユニバースでおばちゃんとバトル…と行ったり来たりするので感情の置き所に困ってしまう
・下ネタが露骨過ぎて、メチャメチャ好き嫌いが別れる。私は正直やり過ぎだと思った
◇脱構築されたマルチバース不思議世界
物語は、鏡を使った凝ったカメラワークから始まります。一転、雑然とした生活臭漂う室内、続いてよくあるオフィス風景、ジャッキーチェン風のカンフーアクション。前半の展開では、香港映画の勧善懲悪、予定調和的なエンタメ作品か、と油断して観てました。
やられました。前半の凡庸さはマルチバースに対する平凡な日常の姿というフェイクだったのです。但し「宇宙の夫」という合わせ鏡的な展開までは、よくある二重世界構造の手法です。
ここに、難しい年頃の娘、要介護の義父、税務署の女、それぞれがそれぞれのマルチバースを展開し始めます。それぞれの映像世界観はミュージック・ビデオのように煌びやかでテンポも抜群です。
中盤以降は加速度的に世界が切り替わり、辻褄を合わせようとしてしまう観る側の思考そのものを嘲笑うかのようです。
緩いテーマは家族。母→娘の相似形の時間の流れ、日常生活の常識の中にはまり込んでしまった母親にとっては、家庭から出て行こうとする娘の行動そのものが異次元に感じてしまう。一方で、自分自身にも駆け落ちした過去があり、そこには、若くて愛に溢れた夫の姿を見たりします。
この映画の世界観そのものが、今見ているスマホの世界に似ている気がして、ゾッとしてしまいました。カレンダーを見ようと開いたスマホの画面に現れたSNSにそのまんま繋がって画面をスクロールし始めたり、何かを調べようと立ち上げた検索画面に現れる広告から買物を始めてみたり。並列的にとめどなく広がる世界が無限に広がっている感覚の病理性。
そんなスマホ脳🧠の人間たちの人間関係とは、分裂症の集団みたいなもの。それぞれの断片的な関心事に基づいた関係が、無限に混沌を積み重ねたような空虚な社会を形成しているのかもしれません。
この馬鹿馬鹿しい世界観の映画を観ながら、ふと我に返る時のホラー。なかなか侮れない世界観でした。
これまでの人生で最も良かった映畫. これからの人生でも暫くそうだら...
これまでの人生で最も良かった映畫. これからの人生でも暫くそうだらう.
«The Matrix»3部作の10倍濃縮的なkung-fuとpsychedeliaの皮を被りつつ, 根は真っ直ぐな家庭劇.
やりたい放題の目まぐるしい戰鬭 (制作が樂しそう!) に興奮し, 王道の對話と和解に泣いた.
安易に解り合ふのではなく, 解り合はなくても今ここに居る意味を與へる試み.
粵語, 臺灣華語, 英語が飛び交ったり, 主人公の娘が同性愛者だったり (そこが物語の重要な點でもある) ethnic-sexual intersectional identityに取り組む意思を感じた.
カオスに惹き込まれた先の人生哲学!
第95回アカデミー賞作品賞受賞作。
IMAXレーザーで鑑賞(字幕)。
ミシェル・ヨーの衰え知らずのカンフーに惚れ惚れとさせられ、久々のスクリーン復帰となったキー・ホイ・クァンのキレキレのカンフー・アクションに目を見張り…
こうして書いているとカンフー映画みたいだけど、決してそれだけじゃない。カンフーは重要な要素ですが、色々あり過ぎてジャンルを一言で言い表せない作品でした。
マルチバースのカオスに引き込まれる2時間20分、とにかくぶっとんでる。あっちに行ったりこっちに来たり、様々な平行世界を行き来する映像がとても独創的でした。
普通のおっさんが実は最強だった、と云う内容の映画が最近多いですが、本作もその流れを汲んでいました。平凡なおばさんに全ユニバースの命運が託されてしまう…
だけど主人公はあくまでも普通のおばさん。別バースの自分の特技をダウンロードすることで特殊能力を会得していくと云う設定が大変ユニークで面白かったです。
別バースの自分の人生を体験することで覚える後悔や人生への漠然とした不安…。あの時こうしていれば、この道を歩いていれば、全く別の人生が開けていたのではないか?
誰しもが一度や二度、夢想してしまう事柄だと思います。私も何か物事が上手くいかなかったりすると、自分の人生に対する不満や後悔が溢れ出すことがしばしばあります。
可能性は無限大とは言うけれど…。何が起こるかは未知数だし、小さな決断は1日の内に何十回、否、何百回は行っているわけですが、それが果たして正解かは分からないし…
それら全てを引っ括めて無に帰そうとする者に対し、主人公が掴んだ答えに救われた気がしました。後悔ばかりで嫌になることもあるけれど、優しく、親切であろう…
上手くいかないことだらけの人生だけど、ずっと一緒にいたいし、もし別の人生があったとしても、またあなたと出会いたい。家族愛に溢れた母と娘の抱擁に感動させられました。
こんなにぶっとんだストーリーなのに、心に響く人生哲学を伴った着地を遂げるのかと、広げた風呂敷を上手く畳んだ脚本の見事さはまさにアメイジング。異次元の驚きでした。
[余談]
様々な作品の引用がすこぶる楽しい!
特に「2001年宇宙の旅」のオマージュに爆笑しました。
※修正(2023/03/13)
カオス
A24って事で一筋縄では終わらないとは思っちゃいたが…これほどとは。
やりたい事はなんとなーく分かりはするが、あまりにシンプルな主題だけに、ここまで入り組まなくてもとデコレーションの多さに胃もたれが酷い。
導入のエレベーターのクダリを結構すんなり受け止める主人公が謎だ。
器は同じで内容をアップデート出来るって設定は面白くはあるが情緒不安定な状態との共通点が多すぎるし、面倒なのは周囲の人々もアップデートしているとこだ。
どこの世界の誰が何の目的で、現在に憑依してきたのかまで考えが及ばない。
おそらくならば主人公の主観が反映されてはいるので、彼女が感じるストレスの具現化なのであろう。
結局のところ、子供が最大の心配事であり、厄介極まりない存在でありながらも、母性の発露なのか護りたいし、離れてほしくないのであろう。
ジレンマ、なのかな。
まぁ、物語はホントによく分からない。
1+1=2を「リンゴ」で説明されるわけではなく、「物理的法則における因果律を素数もしくは因数的な解釈を含めた場合の解」なんてチンプンカンプンな用法で説明されてるような気分なのである。
ただ
ミシェル・ヨーは流石であった。
演じ分けは勿論なのだが…アクションの癖まで使い分ける。彼女が功夫の構えをした時の威圧感ったら…胸が躍ってキュンとする。
また、素人同然の構えをちゃんとやってるのが驚異的だ。ああ、人殴った事がない人の構えだ、と、直感的に理解する。
そんなわけないのにっ!w
体得してるわけだから、体が勝手にやっちゃうのに、そこをしっかりコントロールしちゃえる能力の高さよ…素晴らしいです。
すでに達人。
そのまま、生きる伝説的な存在だ。
そんなミシェル・ヨーのアレやコレやが見られる本作。
彼女が主演でなかったならば…俺的には過去に類を見ない程の罵詈雑言で埋め尽くされたレビューになっていたかもしれない。
▪️追記
劇場では睡魔に完敗したのでNetflixで再戦。
やっぱりよく分からない。
ただ…マルチバース的な要素は可能性の具現化である事がなんとなく把握できた。
そして、クソみたいな日常はほんの些細なキッカケで変える事もできると。
作品を観ながら思ったのは「人類補完計画」のようなモノで…不完全で不寛容な人間だからこそ諍いが起こるみたいな事であり、娘の狂乱ぶりはまさにソレにあたる。親からしてみりゃ、いや、本人以外にしてみりゃその感情なり反応の論理的な起点が不可解でしかなく…何をもって共感するべきかの方針も方法も分からない。
ただ、それでも根底には愛情があるので断絶する事はなく、なんとなく修復していく。
破裂と修復を繰り返すわけだ。
親父が言う「優しさ」みたいな事は第三者の目線であり、希望的観測に過ぎない。
本人達は至って前向きに愛を叫びあっているのだ。
睡魔にフルボッコにされながらもしたためた初見のレビューは覆る事はなく、やっぱり主題はシンプルで、クッソ面倒くさい遠回りをしているような印象。
哲学的になりがちなメッセージをマルチバースに置き換えたのは新鮮ではあった。
本人に一貫性はあっても、その思考なり思想が理解できなければ分裂症にも思うわな。
むしろ、理解できると思う方が傲慢かもね。
人の立場と同じ数だけ異なる意見があると言う事で、それは家庭においても同じ事。同じ時間を長く過ごすから多少の類似点は出てくるものの、基本的には違う宇宙に住んでる人型の生物って事に変わりはない。
分かったような気になってただけ。
分かってると思い込みたいだけ。
全宇宙の崩壊ってのは大袈裟でもなんでもなく、何かを間違えば、または違う選択をすれば、その後の世界は変わっていくので、選択前の世界は破壊される。
それが日常なわけだ。
皆、それを繰り返して生きている。破壊された世界だから戻ってくる事はなく、故に後悔も落胆も諦めもする。
主人公が巻き込まれるのは特別な事ではなく、その日常の視点を捻っただけの世界なわけだ。
まぁ、くそ面倒くさい脚本だわ。
俳優陣はよくぞこんな世界観にダイブできたと感心する。
そして、2回観てもコレがアカデミー賞を総ナメにした事に疑問しか抱かない。ミシェル・ヨーを擁した中国マネーの成せるワザかと勘繰ってしまう。
バカげてる。
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