エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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カオスはどこからきてどこへ去るのか
どれだけ深読みしてもいいし、スッパリわからんといってもいいんだと思う。
我ながらなんとも中途半端な書き出しである。
公開当時の宣伝文句に「カオス」がなんとかってあったと思う。確かにたっぷり2時間はカオスを浴び、鑑賞者としての軸をどこに置くべきかグルングルンと振り回された。
このカオスはなんなんだ?そもそもカオスに意味など求めてもいけないんだろうけど。
エヴリンにすこーし共感しながら観てた。まさにタイトルどおり、いつでもどこでもひっくるめて「諦めとイラつきとなんかわからん負の感情」がエヴリンと私の心の中に渦巻いてたからだと思う。エヴリンの心の中がカオスなんだよ。岩のシーンでちょい涙出ちゃった。わかってんのよ、「優しく」ってさ。それが大事ってことはわかってんの。でも出来ないから心がカオスなの。
カオスの表現方法を面白いと感じられるか、不快と感じるかってのもあるんだろうけど私は許容範囲。
黒いベーグル化に対抗するために
泣かせるなバカヤロウ!!!
なんでフツーのおばさんが国税局に税の申告に行ったら、マルチバースの世界を知ってしまい、意味が分からない超能力で巨大な悪に立ち向かう物語に涙するのか。
それがきっと平凡な人生を肯定する物語だからであろう。
前述のように意味がよく分からない話であるが、結局のところ壮大な母娘のケンカ話なのである。母・エヴリンの理想とかけはなれてしまった娘・ジョイ。思春期にグレて、大金をはたいて進学させた大学は中退し、おまけにレズビアンに「なってしまった」娘。そんな娘の「ガールフレンド」を父に単なる友達と紹介したことで関係はさらにこじれていく。エヴリンは娘に後悔する。そして夫に父に仕事に人生にも。もしも夫と結婚していなかったら、駆け落ちしても引き留めないほど忌み嫌われた父から生まれていなければ、破産寸前のコインランドリーなんて経営していなかったら、こんな平凡な人生でなければ私は幸福だったのではないか…。ありえたはずの人生と幸福を彼女は想像するのである。
それがきっと本作にマルチバースの世界が登場する意味なのだろう。誰しもがありえたかもしれない幸福な人生を想像するはずである。もしも今日、映画をみにいっていたら、この仕事を選んでいなければ、この人と結婚していなかったらと日常のささいな選択から、もしもハリウッドスターになっていたら、凄腕の料理人になっていたら、人類の指がソーセージである世界があったらと壮大なものまで。またグローバル化とSNS全盛時代であることも関係するだろう。私たちは容易に他者の人生と幸福のありようを可視化することができ、そこにありえたかもしれない人生の可能性を見出すのである。
そんなありえたかもしれない人生の可能性が可視化された世界で、改めて自らの平凡な人生を振り返れば虚無に陥ることは否めない。可能性はゼロではないのに、結局のところつまらなく平凡な人生なら無意味でありカオスに陥っても問題ない。そのような発想になってしまったのが精神が壊れるほどバースジャンプしたジョブ・トゥパキであり、彼女がつくった黒いベーグルはカオス化した世界なのである。その黒いベーグルで最も理想的な世界は、目玉をつけた石だけが存在する世界。つまり人類が生まれなかった世界なのである。そこには平凡な人生を後悔する発想がない。そもそも人間が生まれていないのだから。それは反出生主義の世界でもある。
だがエヴリンは抵抗する。例え自分の理想とする人生ではないとしてもそれを黒いベーグル化はしないのである。ではエヴリンがジョブ・トゥパキに抗うために何をするのか。それはジョブ・トゥパキ≒ジョイを娘だと認めることである。それはありきたりな答えかもしれない。けれど家族であることは幾多の可能性の中で偶然そうなった奇跡のようなものである。と同時に家族とはそうなったに違いない統計的必然とも呼べるに違いない。だからこそ今の家族を、娘を、そして人生を肯定しようとするのだ。本作のバトルアクションに殺傷が少ないのも、ジョブ・トゥパキがエヴリンを殺せる場面はたくさんあるのに殺さないのは、彼らのバトルが友敵に分かれて敵を打ちのめすのではなく他者の理解や肯定を目的にしているからといってよいだろう。そしてそれは夫の日和見主義な優しさとも違う。他者の理解や肯定のためには、傷つける可能性があるほど他者と関わらなければいけないのだ。
自らの人生を肯定することは、他者の人生を肯定することにもつながるはずだ。〈私〉が他者と家族になったり、関わることは幾多もあった可能性の中で実現された奇跡と捉えることができるし、名前も顔もしらない他者についてももしかしたら家族になったかもしれない存在、関わることになったかもしれない他者と捉えることができるはずだからだ。
現代はニヒリズムの闇が広がっている。自らの人生を他者や別の人生と比べ虚無化させ、他者に不寛容で抹消しようとする世界が。そんな黒いベーグル化に対抗するために。私たちには本作を肯定しようとするバースジャンプが必要なのである。
子育ては全身全霊!
上映館が少なくなってきたので急いで鑑賞。やはりこの映画は映画館で観てよかった!
・序盤の「せかせかした中国映画感」に、これはババ引いたかと思ったが、、、中盤からガンガン魅きこまれた!
・「貴方と会わない宇宙の方が成功して良かった。」の言葉にええッ!?そのまま終わらないよね。ホッ。
・夫の「一緒にコンランドリーと税金やりたい」にグッとくる。
・監査官との愛、、、。
・殴られて神経痛治って、倒れながら小さな声で「ありがとう、、。」には笑った。
・石だけの無音のシーン。超斬新!
・エンドロールで流れた『This is a Life』の歌詞。まさに。
・娘が泣きながら「この世界では良い時間は少ししかない。」と言えば、母は「じゃあ、その時間を大事にするわ。」 良いっ!!
なんと泣ける映画だったとは!
遊園地みたいにテンコ盛り&ハチャメチャなのに、しっかり全編通して背骨が通されていて作品として完成されていた。凄い手腕だ。
この作品を観るべき人、観なくてもよい人
先日の米アカデミー賞では、主要8部門中6部門受賞という快挙で、オスカーの歴史を塗り替えた本作品。
ノミネートされていることも、最有力候補になっていることも知っていたのですが、何故か観ようという気分になれなかった作品のひとつ。
しかし前評判通りの輝かしい結果を受けて、
「やっぱり観とくべき?」と
重い腰を上げたわけですが…
結果からいうと(あくまでも個人の主観としてですのでご容赦を)
う~ん、
よっぽどの映画好き以外の人は、
あえて観なくてもよいのでは?
と率直に思いました。
「カンフー」 × 「マルチバース」
確かに面白い組み合わせではある。
最近ハリウッドでは、
アジア系がじわじわきている気はします。
韓国映画「パラサイト~半地下の家族」とか「ミナリ」で韓国女優ユン・ヨジョンさんが受賞した記憶はまだ新しいし、「カンフー」とか「サムライ」とかそういうの基本好まれてるね。
そいういう映画界の潮流的なものでいえば、
受賞したのも頷けないこともない。
でもでも、
「半地下の家族」はまだ作品として面白かったし作品賞受賞も納得の映画だったと思うのですが、本作品のみなさんの評価はというと、割とはっきりと分かれているように思います。
一般人★★★ < 映画評論家★★★★
といったところで、
もちろん一般人のほうが圧倒的に多いので平均は3.5を割ることとなる。
で結局、
「これって観るべき映画なん?」
はい、
まとめますね。
【観るべき人】
毎年アカデミー賞受賞作品は、もれなく観ることにしている人
カンフーが好きな人、マルチバースな人
最先端のカオスを体験してみたい人
【観なくてもよい人】
上記以外の人
米アカデミー賞7部門受賞の今話題の作品
「カンフー」×「マルチバース」×「家族の物語」
最先端のカオス体験は、ハマる人にはハマるかも
何にも考えずに楽しみたい人にはおススメ♪
まだ観ようか迷っている方の少しでも参考になれば幸いです♪
黒人ばかりかまってちゃんじゃないYO!
まずはキー・ホイおめでとう。
ジャッキーの代役で、ジャッキーみたいな立ち回りで、キーがオスカー獲ったら、これまでのジャッキーの功績をどこで称えるのか、ともジャッキーブチギレ!とも密かにニヤニヤしていたが、本件においては、心が広いようで今のところ、そんな喜劇は起こっていない。
そんなこんなの、時代にドンピシャでオスカーを総ざらいした、
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」
・・・
本作の監督ダニエルズの前作「スイス・アーミー・マン」については、レビューにある通り、やってみれば「少しも奇抜でない」設定と「自分さえよければそれでいい」発奮(放屁)ストーリーが、オタク臭が充満した、(ある意味ものすごいパワー)映画で、連れの評価を尻目にこき下ろした。
で本作はというと、おんなじである。
ただし、オタク臭については、とても上手く誤魔化す、紛れることに成功している。
それが、アジア人俳優の映画という点。
アジア人俳優のこれまでの待遇と、MCUが全くうまくいっていないことを鼻で笑う「マルチユニバース」の舞台設定。アジア人もハリウッド「大作っぽい」設定の映画が作れるよ、ということを、猛烈にアピールしている。
ちょうどいい具合に、「パラサイト」「ミナリ」「ドライブ・マイ・カー」と時代の後押しもある。
とにかく、うまいやり方だ。そしてここぞ、というタイミング。映画は時代とともに、ということがよくわかる。
もっというと、この映画の最大のアピールポイントは
「黒人ばっかりかまってちゃんじゃなく、アジア人もかまってYO!(かまってあげてYO!」
ということである。
なかなか気づかないが、実は本作、黒人が全くといって出ていない。
・・・
こんな人生ではなかった。
親ガチャで外れを引いた。
そういえばちょっと前に観たような、シン・エヴァの親子喧嘩を丸丸パクって
青臭い説教臭さを「家族愛」と感動するのもかまわないが、This is the Lifeとか
I Love Youとか、声高にアピールされても、げっぷがでるほどで、そこはしらけてしまう。
他のユニバースからの力の拝借、バカをやればやるほど、力が得られる。
人からバカだと思われてもいいんだよ、「他のユニバース」=「選択していなかったが本来もち得た能力」と、オタク臭爆発の設定は健在だが、その説教臭い「家族愛」。
毒と毒と感じる人もいれば、中和とみるか、ごまかされているか、が各人の評価、ということだろう。
これが「アジア人俳優」の真の評価だと言わんばかりのメタ構造が相まって、コッテコテに。
バカバカしさのバリエーション、とにかくぶっこんでおけばよいだろう、というわけではなく、結構緻密な編集には頭が下がる。見せ方は前作に比べ、大幅に上手くなっている。
しかし本作、それ以上に、これ以上ないタイミングと条件で作られた映画ということで、作品の価値そのものよりも「目撃者」として、今この瞬間に観るべき映画であることは間違いない。
追記
余り語られていないラストについて
この世界の主人公は、家族含め、円満に幸せになり、全ユニバースで最も最低な存在ではなくなった。
他のユニバースから「ほかの最低の主人公」に力を貸した(拝借された)のか、
それとも、
夢落ちなのか(オール・アット・ワンス、なだけに)。
(ニヤニヤ)
マルチバースの虚無感との戦い
マルチバースは数多の可能性に想いを馳せる物語装置だ。だが、あらゆる可能性があるということは、不老不死が空しいみたいなことと似ていて、虚無へと通じる何かでもある。この作品は、そんなマルチバースの虚無との戦いが描かれ、最終的には、ぱっとしない自分の唯一の人生もまたかけがえのないものだという着地をする。
主人公は、コインランドリーの経営が火の車で、確定申告に悩んでいる。娘が同性愛者であることも彼女には受け入れにくいものとして悩みの種になっている。税務署でマルチバースのいざこざに巻き込まれて、別次元の自分と接続されてすごい力を発揮しながら、自分の人生の分岐点に想いを馳せる。自分にはこんな可能性もあったのだなと。対して、あらゆる次元を経験してしまった娘の方は、この世界がどうでもよくなり、消滅させようともくろむ。
哲学者の千葉雅也的に言うと、過剰な接続を「切断」することが幸福につながる、というような、そういうメッセージがここにはあると言える。一度しかない冴えない人生であっても、他のどの次元とも異なる唯一性を慈しむこと。幸福の秘訣はそれだと本作は描いている。
ミシェル・ヨー×キー・ホイ・クァンで感涙
本作のヒーローは、家族の問題やコインランドリーの赤字経営に頭を悩ます普通の中年女性であるのが画期的だ。そんな彼女が、全宇宙にカオス(混沌)をもたらす強大な悪を倒せる存在というのだから奇想天外な展開が待っている。しかも、生活に追われて疲れ果てていたその女性エヴリンを演じるのが、約30年前、ジャッキー・チェン主演の「ポリス・ストーリー3」(1993)で鮮烈なアクションを披露したミシェル・ヨーである。彼女が主演ということであれば期待が高まる人もいると思うが、マルチバースにカンフーアクションが掛け合わされる展開に、香港映画ファンならずとも歓喜しないわけにはいかない。
さらに、優しいだけで頼りにならないエヴリンの夫ウェイモンドを演じたのが、1980年代の大人気作「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984)や「グーニーズ」(1985)で、天才子役として一世を風靡したキー・ホイ・クァンである。この2人の共演というだけで胸アツになる世代、映画ファンは多いはず。長い間俳優業から離れて助監督やアクション指導をしていたクァンが、本作で復帰を遂げたことは非常に感慨深い。中年になった彼が息をのむカンフーアクションを決める姿に、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」でスクリーン内を飛び回っていた姿がオーバーラップし、それだけで目頭が熱くなる。
過度な期待をせずに見るのが正解だと思う、奇抜で独創的なアクション・エンターテインメント映画。
本作は、第95回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞(ミシェル・ヨー)など最多の10部門11ノミネートを果たしています。
そのため、見る際には期待値が上がると思いますが、個人的には、そこまで期待値を上げずに見るのが正解だと考えています。
というのも本作の監督・脚本は、あの奇想天外な「スイス・アーミー・マン」(2016年)を生み出した(ダニエル・シャイナートとダニエル・クワンの)コンビ「ダニエルズ」だからです。
ちなみに「スイス・アーミー・マン」はポール・ダノが死体(ダニエル・ラドクリフ)と共に旅をするという風変わりなサバイバル映画です。
そして、その「ダニエルズ」が湯浅政明監督作「マインド・ゲーム」や今敏監督作「パプリカ」などからインスパイアされ、カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせるという独特な世界を表現しています。
イメージとしては「マトリックス」が近いのかもしれません。
情報量はとても多いので、キチンと睡眠をとってから見るのがおススメです。
20年以上前にアメリカに移民した中華系の家族の物語ですが、主役のエヴリン(ミシェル・ヨー)がマルチバースを行き来することになり、様々な分岐点にいる自分を見つけます。
そして「もし、あの時、こっちの選択をしていれば、こうなっていた」というエヴリンが登場し続けるのですが、これがミシェル・ヨー本人が辿ってきた現実とリンクもするので、ミシェル・ヨーが、これ以上は考えられないくらいの「ハマり役」となっています。
また、様々な世界を見せ続けていく、カオスでありながらも視覚的に理解できる領域にまで整理した編集能力は秀でています。
では、本作で描かれた結論的なテーマは何なのかというと、これがかなり「普通」なものなので、「Don't think. Feelな映画」として捉えるのが多くの人にとって楽しめる見方だと思います。
カンフー、多元宇宙、家族の危機、名作パロディ、下ネタジョークまで全部盛りのメタメタでカオスな爆笑活劇!
あいにくオンライン試写での鑑賞だったが、自室でこれほど何度も大笑いした映画は久しぶり。映画館の大スクリーンならさぞかし盛り上がることだろう。
今年のアカデミー賞の最多ノミネートと、ミシェル・ヨー主演ということぐらいしか事前情報をチェックしていなかったので、いろんな設定をもりもりに盛り込んだ奇想天外なストーリーと、「変な行動をすると、別の宇宙にジャンプするパワーを得る」といういかれたルールにより繰り出されるおバカなシーンの数々に爆笑しつつ、こんなヘンテコ映画を一体誰が作った!?と考えながらの鑑賞だったが、「スイス・アーミー・マン」の監督コンビ“ダニエルズ”と聞いてなるほど納得。あのカルト的作品も、死体内の腐敗ガスが屁になってジェットスキーのように海を進むなどという馬鹿馬鹿しすぎるアイデアが最高だった。
ブルース・リーが映画の世界に持ち込んだカンフーに、ジャッキー・チェンが加えた笑いの風味と、「マトリックス」が重ねたメタバースなどのSF要素が、昨今のハリウッドにおける多様性尊重の波にもうまく乗り、この“エブ・エブ”に合流して結実したといったところか。
ただこれ、映倫の区分が「G」になっているけれど、家族やカップルで鑑賞するつもりなら要注意。アダルトグッズそのものや、それを模した物を使った下ネタジョークのアクションシーンもいくつかあり、下ネタに対する受容度やリアクションが大きく異なる同伴者と観ると、「あんなネタでこんなに笑うなんて…」と呆れられるリスクがあるからだ。気心の知れた仲間と行けるなら、きっと愉快な鑑賞体験になるだろう。
イマジネーションと映像力が大爆発している
これは凄い。イマジネーションが大爆発している。これまでも既成概念の枠組みを超えた秀作を手掛けてきたA24だが、ここにきてマルチバースを扱うなんて想像もしなかった。それも驚きの発想でいくつもの次元を股にかけ、あらゆる可能性の限界を取っ払っていく。言うなれば『マトリックス』と『ドクター・ストレンジ2』を掛け合わせ、さらに量子論と『2001年 宇宙の旅』を融合したかのような・・・いや、やめよう。こんな言葉の説明なんて全く役に立たない。要はビッグバン級の奇想天外な映像世界を物の見事にビジュアル化し、それでいて何が起こっているのかを観客がきちんと理解できる。これが本当に信じがたく、凄いのだ。怒涛の展開に翻弄されまくりのミシェル・ヨーと魅力全開のキー・ホイ・クワンをはじめキャスト陣も宝石のよう。こんな楽しく、笑えて、涙さえこみ上げる家族アクション、壮大な洪水のようなアイデンティティ・ドラマは初めてだ。
答えはいつも自分の中にある
2023年の作品 そしてあのA24が制作したもの。
A24らしいジャンルを超えた挑戦的な映画でありながら、家族やアイデンティティ、選択と可能性といった普遍的なテーマを扱っている。
これを表現するために「マルチバース」理論を使い、「マトリックス」や「クラウドアトラス」というモジュールをあからさまに利用している。
こうなれば自然に、SFとアクションとコメディ、ドラマの融合となる。
また逆に、
このタイトルに込められた意味はかなり奥深く、思慮するヒントになっている。
そして、
この物語は「ホリック」のように捉えることもできるように思う。
つまり、絶えず人の頭の中で起きている「おしゃべり」または「妄想」を映像化しているということだ。
そしてこの物語を通して、登場人物たちの頭の中のおしゃべりに、「答えを出した」のだろう。
そこにあったのはやはり、「現実は変わらない」という普遍的事実
同時に、その同じ世界にいながら、その世界に対する観方を変えることで、世界そのものが別世界のようになるという「真理」を伝えている。
しかし、
あまりにも派手な演出と異常なSF概念によって、この物語の根幹が何か忘れてしまう。
主人公エヴリンにとって、自分が選択した先にあった今の現実は、正しかったのか?
国税庁に搾り取られる税金
家族離散の危機
これらがエヴリンの肩に重くのしかかっている。
これがこの物語の根幹だ。
そして誰もが、いま、思い悩んでいることだ。
生き抜くために「戦う」こと。
これは、内在的にも教育的にも、誰もが思い込んでしていることで、そのモチーフがこの作品のアクションとなって描かれている。
「戦わなければ生き抜くことなどできない」ということだ。
エヴリンはマルチバースという概念を駆使して、今のこの苦境からなんとか脱出しなければならないと奮闘する。
「誰か」の力を借りることで、それが可能だと信じ込む。
今までの人生でしてきた選択とは別の選択の先にあるはずだった「現実」の力を利用しながら、眼の前の敵と対峙する。
やがて敵は絞られてくる。
それは未だに恐怖の税務官僚、味方だと思っていた夫、認知症の父、そして娘とその彼女
それらはすべてエヴリンの現実と重ね合わさる。
特に強敵なのが税務官僚
(頭のおしゃべりの中で)マルチバース世界に移動しながら、彼女と死闘を繰り返す。
ところが、あるマルチバースの中で、エヴリンと税務官僚とが非常に親しい関係である世界があった。
それは二人の関係がLGBTだった。
お互いがお互いを攻める世界ではなく、慰め合う世界だった。
その指がウインナーというおかしな世界において、二人の仲には争いがなかった。
エヴリンは、妄想の中で「答え」のようなものを見つけ出したのだ。
税金を払わなければならいという苦境に立たされていたが、税務官僚の彼女は、彼女の仕事としてそれをしているだけだった。
そこには争う想いも、誰かを傷つけたい想いも存在していない事に気づいた。
同時に起きたのが、取り立てに来た税務官僚に対し、夫が頭を下げ1週間延期してもらえたことが起きた。
クラウドアトラスのモジュールだ。
エヴリンは税務官僚の隣に腰掛け、少し話をした。
争うのではなく、お互い歩み寄る。
「汝らの敵を愛せよ」 イエスの言葉
敵とは、眼の前の人を敵とみなし戦う姿勢となることで、そのためその人も戦う姿勢を取ること。
それこそが、誰もが無意識でしている「自作自演」
エヴリンはこのことをきっかけに、娘との確執に迫る。
エヴリンにとって最大の問題が娘ジョイのことだった。
だから彼女がラスボスだったのだろう。
エヴリンはジョイを思い通りにしたかった。
それはそもそもエヴリンの親の教育であり、その先には同じような教育があった。
ジョイは自分らしく生きることができないことが悩みだった。
「全ては素粒子の再配列でしかない。この宇宙はありとあらゆる可能性の海 私たちは、どこにでもいる」
そして、
生物が存在しない星
「石」の自分を妄想するエヴリン
「私たちはみんな小さくて愚かだ」 悠久の流れの中で、人間の人生の儚さと愚かさを嘆く。
「もう手放して」というジョイに対し、「何があってもあなたを見捨てない」と答える。
それは、今後のジョイの生き方を尊重しつつ、愚かな行為に対しては介入するという母としての役割。
そして最後のシーンの国税庁
前と全く同じシチュエーションでありながら、全く違う世界を見ているエヴリン。
まさに、何であれ(なんでも)、どんなところでも(どこでも)、一瞬に(いっぺんに)、認識や観方を変えることができる。
これさえできれば、どんな状況でも立ち向かうことが可能になる。
マルチバースとは外の世界ではなく、この思考、心、感情の世界に存在する。
だから、すべてが「ありのままでいい」のだろう。
映像はシッチャカメッチャカで異常な世界だったが、あれこそ人の「頭の中のおしゃべり」であり、妄想だ。
それをモチーフに、自分自身のものの見方や捉え方を再発見することで、すべてが違って見えることを解いている。
なかなか素晴らしい作品だった。
「マルチな人生、悪くないかもと思わせてくれる映画」
Non deductible
マルチバースすぎてついていけない、、、
爆発的に面白い斬新な設定とそれを活かしきって最後まで走り切る緻密な脚本。 ドラクエみたいなジョブ変更を絶え間なく繰り返しながらバトルする様は素晴らしかった。
なんかおもしろかったです
すごく不思議な作品で、何で面白かったか説明しにくいけど面白かったです。
マルチバースが出てきまくり作品で、最初はストーリーについていけるかなって感じでしたが、そんな心配はなく楽しめました。
異世界に移動するため突飛もない事をする度に笑ってしまいました。
そんな感じで笑えるシーンはいっぱいでありながら、「あの時違う選択をしていたら今の自分はこんなのじゃなかったのに」って思う主人公のエヴリンに複雑な気持ちになったり。
でも娘を想う気持ちや夫婦愛にはジーンとくるし、持ってないものに目を向けるんじゃなくて、持っている幸せに目を向ける事の大切さを改めて思わされたりでした。
ウェイモンドが本当に優しい人で、「優しくなって」ってエヴリンに言うのが切ない。
商才はないけど、いつも人生を楽しくしようとしてるし優しいし、結局あんなダンナさんがサイコーだと思いました。
正直なんじゃこりゃでした
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