エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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乱痴気騒ぎの末、落下する2つの石に涙ぐむ映画
マーシャル・アーツ、マルチバースを扱ったファンタジーコメディだけど、主題は家族内の葛藤。何もかもが思い通りには行かない。諦観だけど、相手を認め受け入れるのに必要な達観でもある。夫婦も、母娘も、父娘も、相手を受け入れ尊重できなければ幸せになれない。
2021年9月、主演女優は決まっていなかった。それがキーポイントだ♥
『海辺の映画館―キネマの玉手箱』見たいなロマン、ノスタルジー、イデオロギーがもう少しあっても良かったような気がする。但し、イデオロギーの面では、我々日本人が見ても、アメリカの事や、華僑の事が分からない。だから、100%この映画のイデオロギーが理解出来ない。『キネマの玉手箱』を中国の方が見てもピンとこないのと同じだと思う。だから、この映画にも我々日本人の知らない華僑の方々のアイデンティティが描かれているのだと思った。
しかし、ミッシェル・ヨーさんを使ったからには、ジャッキー・チェンの存在を無視してもらいたくなかった。
村上春樹先生の『1Q84』なんかもリスペクト視点じゃないかなぁ。だから、もう少し文学的であっても良かったし、最後も上手くまとめ過ぎのような気がする。そう、映画で言えば、
『スローターハウス5』なんかもリスペクトしているね。
公式には2021年9月にはミッシェル・ヨーさんが主演女優やると決まっていなかった様だ。それが決まり、一気にアカデミー女優♥エクセレントだね。
日本の映画も韓国、中華をみならえかもね。作品の良し悪しは別にして、そのうち良い作品が現れるかもしれない。
それでもあなたと居たい
カンフーと多元宇宙、移民家族の苦々しい人生、夫婦や親と子の複雑な愛憎。こんな題材を包んで映画を作ろうというガッツに拍手。それぞれの要素をただ並べたのではなく、上手く混ざり合っているところが面白い。多元宇宙と夫婦愛・親子愛を混ぜこぜにしたセリフなんて誰にでも書けるものじゃない。
脚本を書いて、絵コンテを並べても理解出来ないスタッフは沢山居ただろう。おそらく編集段階では絶望的な映画に思えたのではないだろうか。
観客が飽きて置いてけぼりを喰らう一歩手前で引き込まれる展開を見せ、名作パロディやクスリと笑わせる小ネタを程よく散りばめ、ベーグル(笑)から娘を引き戻すシーンへ登り詰める盛り上げは見事。3流学生映画になりそうでならなかったのが面白い。控えめで穏やかなハッピーエンドも心地良い。
どうにも低評価を付ける人が多いが、ここで心底違和感を感じるような人は、エヴリンの人生や親子の愛憎に何も共感出来なかった人なのだろうか。何がお気に召さなかったのか。
冗長、安っぽさと紙一重の勝負に果敢に挑み、見事な仕上げでアカデミー作品賞、監督賞、編集賞、脚本賞、主演女優賞も納得。単体では寒々しい細切れのシーンをまとめた編集はすごい。言うまでもなくミシェル・ヨーの演技力と美貌が全てを底上げしている。彼女でなければ大コケしたかも。
今の世界線も捨てたものじゃない
良かった
ネットフリックスで配信開始されたので視聴
学生の時あの馬鹿な行いをしていなかったら…初めて就職したあの会社で働き続けていたら…あの時付き合っていたあの人に別れを切り出していなかったら…今の伴侶と子供に恵まれていたら…部下がキャリアに悩んでいたあの時もう少し一緒に頑張ろうと応えていたら…
思い出せるだけでもこれまでの自分の人生の中で、自分の人生や人の人生を変えていたかもしれない選択肢や岐路がいくつもあった
あの時あーしていたら、この時こーしていたら…もしかしたら今よりも良い人生が、今より良い世界があったのではないか?
誰でもこんな風に人生を振り返ることはあるのかも
SNSの投稿から想像させられる華やかな人の生活、Youtubeの動画から想像させられる社会に縛られない刺激的な人の生き方
情報化が進み小さなスマホの画面で得られるたった一枚の写真、たった十数分の動画はより一層自分の人生のifを掻き立てる
もしかしたらマルチバースは存在していてより豊かでより幸せでより素敵な自分でいられる世界線も存在しているのかも
時にこんなもはや取り返すことが出来ないものへのどうにもならない後悔、虚しさ、焦り、不安、諦めに押し潰されそうになる
エブエブは、でもお前が今生きている今の世界線にも僅かかもしれないけど大切にして優しくして愛して一緒に歩を進める大きな価値のあるものが傍にあるよね?それに気付いてるよね?だったらそれをまずは大事にしてみたら?それがこれからお前が生み出すいくつもの新たな世界線の中でより理想に近い世界線を歩んでいくことに繋がるんじゃないの?って教えてくれてる気がする
作りと表現方法から賛否ある作品の様子
私は好きな映画です
頭の中がぐちゃぐちゃ。
皇家戦士のミッシェル・キングはカッコよかった
1987年の香港映画で皇家戦士という真田広之とミッシェル・キング(ミッシェル・ヨー)
のアクション映画があった。それを見た時のミッシェル・キングのカッコよさは今も忘れない。やっぱり美貌とカンフーを兼ね備えた女優は少なくグリーンディスティニーでチャンツィーとの美女功夫対決は最高だった。
そういった理由もあってこのエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスは
結構期待していた。
まあ、ミッシェル・ヨーのアクションはあまり見れなかった訳だけど、
彼女も流石に歳をとった訳だし。。
面白いといえば面白いが、前半のコメディに対して
後半のひとりよがりの家族愛は相当微妙。
このままコメディで通してくれればよかった思うのだけど。
この世界に生きてきたエブリンは結局違う世界を選んだってことだよね。
だってエブリンが本来生きてきた世界ではエレベーター前でバトルして終わったはず。
であれば今頃?警察でなんらかの対応をしている訳だったし、
そうならなかったとう事はそれは無しの世界を選んだ訳だし。
どの世界にもエブリンは居て、というか居る世界を選んでいる訳だけど、
その世界のエブリンをこの世界のエブリンが乗っ取るわけで、その世界のエブリンは
どうなったのかなと。一体になっちゃったのか?その辺なんかずるいかな。
また、ジョイはこの世界ではただの不良娘程度だったけど、マルチバースで
繋がったジョイは大量殺人をした訳だし、それがなかったかのようにエブリンが
受け入れるのは親としてどうなのか?
マルチバースはタイムスリップではないので同じ軸の別の時間に戻る訳ではないので
ジョイがやったことは全て過去の事実としてどの世界のも残るはず。
その全ての犯罪がなかった世界にやってきて一番いい形で生活するのはおかしいと思う。
また、娘であっても大量殺人を繰り返したジョイを娘だからというだけで、
受け入れるというのは難しいと思う。実際問題自分の子供が大量殺人やってたら
間違いなく警察に突き出すでしょ?それがせめてもの親の勤めだと思うし。
そして何より無限にある選択肢の中で最良のチョイスを現状でするとは思えない。
なのでどうかな?と思う。無限にあるんだよ、、、それが現状のベースであって、
収入が高いとか夫がオシャレとか、様々なより良いマルチバースを選ぶはず。
まあ既に選んでいる訳だけど。
それを全部まともて今ある生活に本当の愛を見つけよう!的にまとめるのは強引。
そうしたところが気にならなければ、なぜ功夫?と思いながらも
そこそこ面白いのかもしれない。
ループに眠る
コインランドリー、チャイナタウン。夫婦の断絶、綾子の断絶、移民の世代問題、背景は面白く魅力的で引き込まれたが、マルチバース、どっち?そっち?マルチバース、どっち?そっち?て見てるうちに、うとうとしてしまい、最後あら、ハッピーエンドとなった。夫のマルチバース往来はなんか面白くもあり、てもこんなに何度もバースしなくてもよいかなあ、、
斬新さは分かるが……
この映画の予告編を見た時に「これは自分には合わなそうだ…」と思ったのが第一印象で、アカデミー賞でも話題になっていたので迷ったのだが、結局ツタヤDVDレンタルで鑑賞🎥
確かに、斬新な映像であることは分かり、他の人に作れない唯一無二の映画であることはわかったが、いかんせん「わっかりにくい」ことこの上ない。
インパクトある瞬間も多々あるのだが、もう少し「物語がスッと入って来るような映画にできなかったのか?」と思う。
PART1「EVERYTHING(なんでも)」では、忙しい女性エヴリンがクリーニング屋をやっていて娘がレズで夫は離婚したがっている模様…という件から「ジョブ・トゥパキなる宇宙の悪人(?)をやっつける流れ」になっていく。
エヴリンが力を出すには「突飛な行動が燃料になる」というあたりから???
ソーセージの指はユニークだし、その流れで「2001年」の風景で類人猿もソーセージ指というのは笑える😄
PART2「EVERYWHERE(どこでも)」では、「目のシール?」や「岩エヴリン」が可愛い😊w
しかし、メタバースで頭の中が混沌としてくる😅
PART3「ALL AT ONCE(いっぺんに)」で収束するものの、観終わって「撮影も編集も大変だったろうな~」とは思うが、わけがわからない映画だったし、2時間19分は長かった(^^;
斬新さは認めるが、映画を観て「おいてけぼりをくらう」のは、やはり楽しくはないもの…😅💦💦💦
83点 マルチバース!賛否両論ありの作品
ごちゃごちゃのカオス
流行りのマルチバースを持ってきて、あの世界線の私、この世界線の私、そしてその家族。
母と娘、妻と夫、妻と父親による家族の物語ではあるものの、娘はガールフレンドを連れておりこれも今時のテーマか?
事前情報ゼロで変にカンフーアクションを期待して観てしまった私は「あれ?」となってしまった。
観ていて惹き込まれるほどじゃなくお芝居と言う感じ。
共感出来るキャラクターも居なかったし、シーンが変わっても同じ顔の人物たちが大挙してゾロゾロ出て来て、ちょっとしたアクションを繰り返す。正直映像的な処理がショボければB級作品と言う人が多いんじゃなかろうか?
ミシェール・ヨーが主演女優賞とかもろたらしいけど、自分の中では“これで賞なのか?”と言う気持ちが出てきた。
万人受けする作品だけが良いわけじゃないが、自分が思うに万人受けしそうにないこの作品が評価を受けている理由がわからない。
この作品は普遍的な家族の心の内側を過剰に広げて見せている。この家族の感覚や繋がりが感動を呼ぶのだろうか?
しかしながら共感出来ないと「だからどうした?」的になりがちで、コメディにしても下ネタだし笑えなかった。
後、娘が渡辺直美+神田うのっぽくて、各シーンで衣装を替えて出てくる度に「コスプレっぽいな」と余計にショボさを感じてしまった。
もう一回は観てみようとは思うが自身の評価はそんなに上がらない気がする
ひねりは1回までで頼む
クセが強ーいぃ、、
なんならあらすじだけ聞く方が感動的かも知れないテスト↓
駆け落ちで渡米し、小さな店の経営や日々の暮らしに追われていつしか家族と心の距離ができていた中国人女性が、家族を取り戻すためあり得たかも知れない別の人生の力を借りて、世界の存亡にかかわる闘いに身を投じる。
…なんだけど。
ここから想像するようなエモさとかドラマチックさというのはあんまりストレートに入ってこなくて、代わりに過度なビジュアルとか、めまぐるしい編集による情報量とか、割としょうもない直球の下ネタとかがバカスカ入ってくるという。
観てる途中で「スイス・アーミーマン」の監督だったことを思い出し、ものすごい得心が行った。
うっすら昨今のアメコミヒーロー映画をイジってるのかなあという気もした。
それ以上に、劇中でも繰り返される「無意味でしょうもないことを全力でやると謎のパワーが溜まる」という子供っぽい悪戯心の発露なのかも知れないけど。
とにかくミニシアターでやってる低予算映画ってノリで、これでアカデミー行ったという現実自体、まるでこの劇中で起こる展開のようだ。
こっちの予想を外してくる終わり方含めて、人によっては不快な映画と感じる向きも仕方ないだろなぁと思う。
国内では「エブエブ」という略称を使って売り出そうとしてたのもなんか納得。どう宣伝していいか、何が売りかって説明がむずかしいもん。
授賞式は感動的だったし、意味もわかるんだけど、それでもなおこれがアカデミー…というシュールさは残る。関係者もここまで大事になるとは思ってなかったんじゃないか説も残る。
トリッキーな時間操作がしつこいとは思ったけど、カンフー場面はふつうに楽しかったし、小ネタもちょこちょことは笑えた。
退屈ではないけど、確実に万人受けしないのと、頭のすみっこで晩ごはんのメニューを考える程度には余裕があった。よく言えばクール、悪く言えば斜に構えてる。
やっぱり王道のネタ(家族の話)をトリッキーな方法(マルチバース)で表現する、あるいは目新しい題材をベーシックな手法で描く、どちらにせよひねるのは1回までで、それを超えるともはや一般向けではなくなる、ということを痛感させられた。
この映画は実写版少年バトル漫画です
世の中に少年バトル漫画は数あれど、毎回色んな敵が現れて、やっつけると更なる強敵が現れる。毎回敵にボコボコにされ、毎回絶対絶命である。敵にやられて仲間はボロボロ、世界中の誰もがもうダメだと思ったその時、主人公はただ1人「まだだ!」と言って立ち上がる。めちゃ熱い展開な訳だが、どうして主人公は立ち上がれるのか。なぜ1人諦めないのか。私は少年バトル漫画のテーマはニヒリズムとの闘いだと考えている。その意味でこのテーマをほぼバトルのみで表現し切った、鬼滅の無限列車編は素晴らしいのだが、それは置いといて、突き詰めて考えると虚無(ニヒリズム)に理屈で太刀打ちできるわけがないのだ。世の中全てに価値が無いというなら、闘う価値も理由もない。それならどうして主人公は立ち上がれるのか。
前置きが長くなったが、本作ではマルチバースの中であらゆる可能性のおばちゃん(エヴリン)が無数に登場する。そして何かみんなキラキラしている。主人公のおばちゃんはその中で1番しょうもない人なのだが、つまりあらゆる選択肢の中から1番しょーもない選択をしてきた人間なのだ。これだけでもかなりの絶望なのだが、実は夢みてきたあらゆる選択肢の先にある未来、マルチバース全てが自分の世界と同じ、しょーーもない無価値な世界だと知ることになる。これは虚無る。虚無らざるおえない。では、どうやっておばちゃんは虚無と闘うのか。これは個人的な考えなのだが少年バトル漫画の主人公も本作のエヴリンも、果てはニーチェの永遠回帰まで、虚無に立ち向かう方法は一つ「根性」なのだ。結局根性論かーいと言われそうだが、人間全部ダメになって何も無くなった時、最後の最後は意地が残るのではないだろうか。この映画の脚本の優れているところはとことん理詰めで物語を組み立てて最後に理屈抜きの熱い展開で解決しているところ。さらに母と娘の関係が主人公本意にならない深みを作品に与えている。
SF+コメディ+カンフー+ファミリー=???
簡単に言うと、
詰め込みすぎ
ということになるのかな?
マルチバースの存在が認定されていく動機が弱いよね。結局あの家族内のことのみだから。B級好きな俺からみても、やや苦しい感じが。
ミシェルヨーにコメディやお下劣をさせようという意図はわかるけどね。意外性はあるかもしれないけどそれがうまくハマるとは限らない。
序盤は「うわー、ついに★2以下の作品見ちゃったかなあ」と思ったけどね。中盤畳み掛けるようなマルチバースの連続が少しおかしかったから★3でもいいかあ、と思って。
でもこれがアカデミー賞候補っていうのは、、、、どうかな?色々しがらみがあるんだろうけど、もっと純粋に作品の出来で判断してほしいよなあ。
あまり有名な俳優を使わないって言うのはB級テイストで好きだけどね。
とりあえず寝ないで鑑賞できたけど、気分的には「★2.5」かなあ
お下劣も混ぜつつの壮大な人生賛歌
おそろしく大きい単位のことをミニマムな家族という単位に収束して力技でまとめあげた。こんなんよく思いつくなあ!
万物の存在には果たして意味があるのだろうか?互いに干渉し合うことで起きる事象を思えばあるとも言える。
でも多元世界で常にハイスピードに流れ続ける時間の中では、そんなことも些細な塵芥。何度も何度も繰り返される選択と愚かな過ちや後悔を経て、輪廻からの解脱という最終形態に救いを求めるのもそりゃそうだってなる。
しかし視点を変えてなんの意味も持たないような存在で、短い時間しか共に居られないからこそ大切にしたいと天から地へ降りてくる。
愚かで取るに足らないからこそ愛おしい。
在る事を赦してくれる、これ仏の目線ではなかろうか。
アナ雪にも通じる、ありのーままのー♪存在を愛する、ひいては己の選択、己の人生も愛することに通じる。
驚きの角度からの人生賛歌だ。
何故オスカーを獲ったのかが分からない
ミシェル・ヨー演じるコインランドリーの店主がマルチバースの戦いに身を投じるというのがおおまかなあらすじですが、正直なところ何故この作品がアカデミー賞を受賞したのかまるで分かりません。
同監督のスイス・アーミー・マンは面白かったのですが、この作品はあまりにつまらなさすぎて途中で観るのをやめてしまいました。
マルチバースとカンフーを題材にしたものだとジェット・リーのザ・ワンが思い浮かびますが、あちらのほうが余程見応えがあります。
マルチバース間をジャンプする際に変な行動を取るというのがトリガーになっていますが、狙いすぎてて笑えないし、何を伝えたいのかも理解出来ませんでした。
ミシェル・ヨーとジェイミー・リー・カーティスの演技は確かに素晴らしく、グーニーズ以来久しぶりに見たキー・ホイ・クァンも良かったです。
役者の存在感が光っていただけに残念でした。
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