エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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ハチャメチャだけど結構好き!
こんだけ複雑な設定でハチャメチャやってるのに最後は感動という(笑)
僕は結構好きでした!
アメリカに移住した中国人の家族を主人公に、母親がある日突然マルチバースという別次元に巻き込まれて戦いに挑む話。
アクションシーンは完全にジャッキー・チェンを意識してましたが、これが実に再現性が高いです!
長棒を使ったりコミカルな動きがジャッキーそのもので、凄くテンションが上がりました!
また、マルチバースという今マーベル映画でも取り入れられてるテーマがクレヨンしんちゃんレベルにハチャメチャに描かれながら、実にドラマ性が強くて夫婦や家族のいざこざや愛情が描かれてて感動しました。
映像の演出面では、
マルチバースを飛び回る場面ではパプリカの要素、主人公のミシェル・ヨーと旦那のとある平行世界での出来事ではウォン・カーウァイ映画の映像演出がされてて、映画ファンにとってはニヤリとしてしまう場面もあって面白いです。
ジャッキー・チェンの要素にクレヨンしんちゃんみたいなハチャメチャな内容で、最後は家族ドラマに着地するという(笑)
でもバビロンで感じたごった煮の違和感を全然感じないし最後まで楽しめました。
好き嫌いは分かれると思いますが自分は大好きです!
奇想天外も・マルチバースも・エキサイティングも・おバカも・深いテーマと普遍的な感動も、全て一つ
組合賞など前哨戦の圧勝から見ても、まず本作のオスカー受賞はほぼ間違いない。大本命。
にも関わらず、日本では酷評の嵐。訳が分からない、理解不能、最低最悪、駄作…。
結構楽しみにしてたので何かちょっとガッカリもしたけど、いざ見てみたら、いや普通に面白れー!じゃん。
話や設定だって訳が分からないって事はなく、しっかり分かる。これの何処が訳が分からないの…??
昨今のハリウッド映画の何でもかんでものマルチバースが飽きたから…? マルチバースって言い換えればパラレル・ワールド。日本だったら『ドラえもん』などアニメや漫画でよくある。お馴染みじゃん。
ハリウッドと中国の仲良しこよしがムカつくから…? 本作のアジア人キャストは80年~90年代映画ファンには堪らない。ハリウッドとは縁の無いと思っていた彼らが今こうしてハリウッドを席巻して嬉しい限り!
またまた人種やLGBTなどへのポリコレにうんざりだから…? それらも全く意味ナシの設定ではなく、ちゃんと話や展開上に織り成す。ディズニーの“ポリコレ・ワールド”とは訳が違う。
まあ確かに好き嫌いは分かれるタイプの作品。好きな人はハマり、ダメな人にはとことん何もかもダメ。
だって、スタジオはA24で、監督は異色の作品を発表し続けるコンビ。万人受けする作品じゃないのは見る前から分かる。後は自分がハマれるか、否かだけ。
勿論好みはあるが、ハマれないからと言って最低最悪の駄作ではない。皆大好き『鬼滅の刃』や『SLAM DUNK』が性に合わない人だっている。それら王道が良くて本作のようなブッ飛んだ作品がダメなんて事は絶対にない。
映画のイマジネーションは、それこそマルチバースのように無限大。
だから私はその無限のイマジネーションに唸った。
ブッ飛んでて、奇想天外クレイジーで、メチャクチャヘンテコ。
その中に、ユーモアやエキサイティングさ。おバカやお下品も。
果たしてどう着地するのかと思ったら、まさかまさかの深いテーマや感動的な家族のドラマを魅せてくれる。
見る前は、マルチバース×カンフーのSFアクション・コメディがよくオスカーにノミネートされたなぁ…と思ったが、見て納得。奇想天外に見せて深みのある、本作の本質はここにあり。
とは言え、アカデミー賞も変わったもんだ。一昔前だったら一部門もノミネートすらされていなかっただろう。でも、変わる事はいい事だ。いつまで経っても変わらず、本作のような作品が認められなかったら、アカデミー賞なんてやる意味も必要もない。それこそ日本バカデミーレベル。
もう一度言う。私は面白かった!
話そのものも面白い。
破産寸前のコインランドリーを営む平凡な中年女性。
父は惚け、夫は不甲斐なく、娘は反抗期。国税庁の職員も容赦ない。
もう人生どん底。これが私の人生なの…? 私の人生ってこうなる運命だったの…?
そんな彼女の前に“現れた”のは、マルチバースから来た夫。全宇宙の危機を救う為に力を貸して欲しい。君は“選ばれし者”だ。
しかも全宇宙を支配しようとしているのは、マルチバースの娘で…。
…って、よくもまあこんなへんちくりんな話を思い付いたもんだ。こんなの思い付く人は、天才かバカか。
おそらく監督のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートの通称“ダニエルズ”はその両面を併せ持っている。
天才じゃなきゃこんな作品をまとめる事は出来ない。
バカじゃなきゃこんな発想は生まれない。
劇中でも言ってたじゃないか。バカをすればパワーが増すと。
某アニメソングにもあるじゃないか。♪︎頭空っぽの方が夢詰め込める
本作のインスピレーションの一つが、斬新な日本のアニメーションからというのも何だか嬉しい。
なるほど確かにジャパニメーションを彷彿させる要素も。
バカをしてマルチバースの自分とリンク。“ジャンプする”。
あっちはバカはしないけど、もうこれ、まんま『攻殻機動隊』じゃん!
『攻殻機動隊』と言えばあの革命的ハリウッドSFアクションにも影響与えたよね。本作は所々、その作品を思わせる。
別世界とリンク、別世界の脅威、レジスタンス(みたいな仲間たち)、選ばれし者、己の運命…。カンフーや移動指揮車内なんてあの工作船。
そう、『マトリックス』!
本作は新世代の『マトリックス』だったのかも…?
その他映画ネタ(『2001年宇宙の旅』『レミーのおいしいレストラン』)や細かな伏線も鮮やかに繋ぐ。
だけどやっぱり、このブッ飛んだアイデア!
昨今のマルチバース…つまりはMCUに於いてはヒーローやヴィランのコラボで扱われているけど、本作では“別宇宙の自分”という本来の設定を踏襲しているのがいい。
様々なマルチバースでは…、カンフーマスターの自分がいる。映画スターの自分がいる。料理人の自分がいる。
指がソーセージの世界や生物発生の起点が無く“石”の世界もある。
もし、自分だったら?…と、想像膨らませてみるのも楽しみの一つ。
そんな別世界の自分とリンクして…何だか昔、『ドラえもん』見てた時のワクワク感。
幾つものマルチバースや自分が目まぐるしく交錯して展開。
何だかここも分かりづらいと叩かれてるけど、いやそこが面白い所なんじゃないの!
別宇宙の自分がジャンプ。能力が備わり、性格も変わる。
特にそれがユニークだったのは、夫のウェイモンド。“この宇宙”では冴えないのに、“別宇宙”がジャンプしたらキリッと切り替わる。キレッキレのカンフーと、あのウィンクにはやられたね。
登場人物はそんなに多くはない。でも各々が一人数役こなしているようなもんだから、ある意味アンサンブル劇!
ヒューマンドラマの実力派女優としてのミシェル・ヨーとアクション女優としてのミシェル・ヨー、両方を一つの作品で見れるのが嬉しい。
他にもコン・リーやチャン・ツィイーもいる。でも、ミシェル・ヨーなのだ!
監督コンビは彼女ありきで脚本を書き、断られたらどうしようと思っていたという。ヨーは、ハリウッド作品では単なる背景や空気でしかないアジア人中年女性を主役にしてくれた事が嬉しくて堪らなかったという。
望み、望まれたケミストリー。
娘(マルチバースではヴィラン)役ステファニー・スーの容姿に関して叩いている輩もいる。美少女の方が良かったなどと。この役、美少女アイドルだったら合わなかっただろう。あの母親や世の中に対してのうんざり感、マルチバースでのふてぶてしさが絶品だった。もし日本だったらまたバカの一つ覚えみたいに橋本環奈みたいな美少女をキャスティングするんだろうなぁ。
ジェイミー・リー・カーティス姐さんも宿敵ブギーマンみたいなしつこさと異形で襲い掛かってくる。ちゃんとユーモアも交えて。
父役ジェームズ・ホンは御年94歳、キャリア70年以上の大ベテラン! 惚けた父だが、その存在や設定にも中国問題の一つ、家父長制を提起させる。
キャストで最大の話題が、キー・ホイ・クァン。
近年稀に見るカムバック。彼の経歴についてはもう充分知られているので、わざわざ語る事もないだろう。
ユーモラスで、哀愁あって、人間味あって、アクションも披露して、美味し過ぎる役所。
また、キー・ホイ・クァンという役者自体が本作(=マルチバース)を表していた。
80年代は子役として活躍し、役者の道を一旦諦め裏方へ…。
もし、あの時役者を続けていたら…? もし、あの時映画界を去っていたら…?
全く別の人生を送っていたかもしれない。ジャッキー・チェンが夫を演じ、クァンはそれを観客として見ていたかもしれない。
裏方でもいいから、映画の世界にしがみつき留まっていたから…。
彼はこうして帰ってきた。素晴らし過ぎるカムバックで。
『インディ・ジョーンズ』の子役、昔のジャッキー・チェン映画にも出ていたアクション女優…。リアルタイムで見ていた人には感慨深いだろう。
これは同窓会ですか!
マルチバースの危機を救う…なんて聞くと壮大なSFと感じるが、本作は各々個人に行き着く。
もし、あの時ああしていたら、ああだったかもしれない。
もし、その時そうしていたら、そうだったかもしれない。
もし、この時こうしていたら、こうだったかもしれない。
人生はほんの些細な決断や選択で無数に枝分かれしていく。
あの時ああ選択していたら、この時こう決断していたら…。
結果は変わっていたかもしれないなんて、誰だっていつも思う。良くも悪くも。
もし、今冴えない人生だからって、決断ミスだったのだろうか…?
もし、今何不自由ない人生だからって、心底幸せなのだろうか…?
今の人生。こうだったかもしれない人生。あり得たかもしれない人生。
それら無限のマルチバースの中から、今の自分がいる。
選ばれし自分などではなく、それが自分なのだ。
存在を成し、意味を成し、今ここの自分に行き着く。
無数の自分は、一つ。
その時、今の自分と周りに、何が見えてくるか。何が大切か。
向き合う事。受け入れる事。理解する事。愛する事。
優しいだけが取り柄の夫、反抗期の娘、惚けた父だって、破産寸前のコインランドリーだって、どん底人生だって。
温もり感じ、愛おしくなってくる。捨てたもんじゃない。
突飛な奇想天外映画である。
エキサイティングな映画である。
究極のおバカ映画である。
そして、普遍的なメッセージに溢れた珠玉の映画である。
追記その1
本作の話や設定を訳が分からない、理解不能という意見に対してもう一つ。
多くの人が『アバター』を平凡な話だと言う。平凡だったら平凡で退屈だと言い(『アバター』は映像世界に没頭出来るよう敢えてキャメロンの優しい配慮で話はシンプルにしているのだ)、そのくせ少し複雑になると訳が分からない、理解不能と言い出す。何だかなぁ…。どうしろっちゅーねん。
追記その2
本作の略したタイトルが、如何にも配給会社の流行りワードにしようとしている魂胆が見え見えで好かん。何でもかんでも略せばいいってもんじゃない!
最高だった
イメージの洪水
やれる技術全部盛り込みました!!!
エブエブに感じるイライラ感の正体⁉︎とは
終映後、カンフーの女王ミシェル・ヨーとインディの子役キー・ホイ・クァンの演技力に惜しみない賛辞とリスペクトに満たされつつも得体の知れぬ不快感が内に残り、その違和感が一体なんなのだろう?と映画館を出たあとずっ〜と考えていた。
昨日、ダニエル・クワン監督のVOGUE JAPANのインタビューを読み腑に落ちた!
この映画の企画段階で監督自身がADHD(注意欠如・多動性障害)である事に衝撃的に思い至り、受診したクリニックでそう診断されたとのこと。
そして彼はこの映画に爆進した!
エブエブの目まぐるしく変わる素早い展開に私自身の年齢からくる反射神経の衰えなのかと不安を覚えたが、不快なイライラを禁じ得なかったのがADHDの人に接した時のあの感じを終始浴びせられていたせいなのかもしれないと思い至った訳ですが、ひょっとしたら自分自身もADHDみたいな特性を持ち合わせてるのかも🙄💦なんて、ま、まさかネ・・・(゚o゚;;
観る価値のあるセンセーショナルな作品だと思います
ミシェル・ヨー、キレッキレでした!
持たざる者だからこそ
「マルチバースのことはわからない」
ドクターストレンジが言っていた名台詞です。
だから私もこの映画のマルチバースもあまり考えないように観ました。
しかし、よくよく考えると、エブリンが結婚しなかった世界では娘も出来ないし…。
いやいや待てよ、でも生命が存在しない世界でも娘はいるし…。
このマルチバースはエブリンのマルチバースであって…
ドクターストレンジ、やっぱりあなたは正しい。
マルチバースのことは深く考えないようにするのが一番。
さて、本作のエブリンはマルチバースの幾多の中でも、最も何も持っていないエブリンである。だからこそ、その可能性は無限大なのだろう、カンフー、歌手、看板廻し等の様々な能力を得て活躍する様はまるで「ミシェル・ヨーのマルチバース」と言っても過言でないかも知れないですね。
そして強くなったエブリンは人々へ癒しを施していき、大きな愛情を注ぎ、最後には家族の愛で満たされていき
、家族にも自らにも癒しを施し、大団円を迎える。
それにしても魔宮の伝説のあのショーティーがこんなに成長してなのね。って当たり前か。でも久々の再会はとても良い再会でした。
それにしてもこんなに驚きの下ネタ満載でアカデミー賞が取れたらそれはそれで素晴らしいことのような気がします。
初めにあの形のトロフィーが出てきた時は思わず吹き出しました。
全くストーリーについて行けないマルチバース系の洋画。 本年度ベスト級。
出だしから目まぐるしい展開に全くついて行けず。
主役のエブリンが戦っているだけで、一体誰を倒せばこの話が終わるのか?
アクションシーンに終わりがない感じで、いつまで戦っているのか?
全く終わりが見えず(笑)
中盤からストーリーは無視してアクションシーンだけを楽しんで観終わりました(笑)
ぶっちゃけ最近観た映画の中でも楽しめず感は高め。
高評価が多いけど、自分には苦痛で我慢して観てた感じ(汗)
途中でエンドロールっぽいのが流れて終わった感に安堵したけど、それで終わりではありませんでした(爆)
ラストの達成感も無く満足度は低め。
本作のチケットは対面で購入。
自分は正式タイトルで申し出たんだけど、劇場の方は「○時のエブエブですね~」って、あっさりしてました( ´∀`)
『支離滅裂』です…!
「マルチバース」という想像力の意味
考えるな感じろ!
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画って本年度のアカデミーの作品賞のノミネートされています。なんか踏み絵感が有ります。否定したら東洋を認めないのか・・・
さらに主人公の娘がLGBTQ+ 否定したら性的マイノリティーを認めないのか・・・
アカデミーの会員さんは葛藤したな。多分。
あとね今の視点で過去の創作物を論評するのはどうかと思うんですが・・・多分今は映画界にとって端境期。
意図は無くても差別的な映画って有ります。
例えば「十二人の怒れる男」(1957) 陪審員全員が白人男性。リメイクの「12人の怒れる男 評決の行方」では黒人が二人入ってます。
今だったらヒスパニックや東洋人も入れないとダメでしょ。タイトルで仕方ないけど女性も入れなきゃダメだよね。
皆様、厳しいレビューが多いですけど・・・
【東洋人】の【おばちゃん】が主人公の【アクション映画】って事で許して下さい。
今までそんな映画はない!ないと思う!ないんじゃないかな?まっちょっと覚悟はしておけ。
あとね、映画に対しては何を言っても良いんです。でも反対意見の人を攻撃するのは宜しく無いと思います。
例えば「R R R」は観た人の95%が面白いと言う。「バビロン」では50%くらい。本作では10%かな。
私の体感ですけどね。どっちも有りです。
さてと本作について語りましょうか。
アメリカ在住のエブリン(ミシェル・ヨー)はコインランドリーの経営者です。旦那のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)とは倦怠期。娘のジョイ(ステファニー・スー)大学を中退して彼女とぞっこん。(同性愛者)
国税局に呼び出され質問を受けます。
エレベーター内で旦那にレクチャーされます。用具室を思え・・・と
旦那は別次元の旦那。
ここからマルチバースのあれやこれやが始まるんですが・・・
ごめーん。理解出来ん!なにしろ私の頭のスペックは低いからね。ファミコンかゲームウォッチくらい。ソフトはPS4。超無理ゲー。
頑張れよ!私の前頭前野‼️
どうやら変な事をするとマルチバースの自分の能力を手に入れる事が出来るらしい。
上映開始30分、私の席の前のおっちゃんギブアップ。
帰りました。わかるよ。わかる。
そのマルチバースって言うのが、森だったり監獄だったり鉄板焼きだったり頭にアライグマラスカルだったり、指がソーセージだったり、木にぶら下がる人形だったり、etc…etc…
わからん。わからーん。
あっでもね石ちゃんは可愛かった。石ちゃんは。言ってたよね。
まいうーー
そっちじゃねえわ‼️
失礼しました。なんかねアクションシーンの間にマルチバースが挟まるとテンションが落ちるんですよ。フラッシュバックの過去シーンもね。
そこは絶体絶命からの起死回生の乾坤一擲とか観たいんです。
無駄に四字熟語を入れるな‼️
閑話休題、石ちゃんは「2001年宇宙の旅」(1968)ですか?2001年になれば宇宙に行けちゃうんですね。はっ!
めっちゃ過去だわ‼️
あとねエンドロールで気づいたんをですが、国税局の嫌味おばちゃんはジェイミー・リー・カーティスだったんですね。
じゃあお前。叫べ‼️そんなキャラだろ‼️
本作の監督はめっちゃ日本のアニメが好きらしいです。好印象。「マインド・ゲーム」(2004) パプリカ(2006) もののけ姫(1997) にインスパアされたと語ってますが・・・
どこがだよ‼️
まあ私みたいに、物好き姫の方は観ても良いかも。言っときますが責任は取りませんからね。
最後にポメラニアン虐待はゆるせーん‼️
お付き合い頂きありがとうございました。
残念だった。
前情報や予告から、
これは人生を変える映画になるかもしれない
などと大袈裟なことを考えながら見に行った
結果、人生は変わりそうに無い
母と娘の確執が本筋となっていて
母が娘のガールフレンドを父に紹介できなかった
ことが布石となって話が進むのだが、
なにぶんマルチバースの説明が長い。
おたのしみとして
まるでレミーの美味しいレストランのシェフや
ウォンカーウァイの世界観のカップルを挟んでいるのだが長すぎる。
本当に眠くなるレベルで長い。
し、本筋どうでも良くなっちゃうよ、
もっとそこを見せてよって思ったし、
それ以外の要素がたんまり入れられると
まるでエンタメが無ければこの話が映画として成立しないみたいじゃんか。
ガッツリ母娘の話で90分で良かったよ。
もう始まって序盤のアクションシーンで、
観たかったの"これじゃない感"に苛まれてましたよ。
おそらくギャグのセンスやらも合わなくて、
何となく笑うというより、失笑に近かった。
たださ、娘の気持ちは嫌というほど理解出来るし、
その辺の諸々やられちゃうと涙出ちゃうんだけどさ。
しかも今回それを(やり過ぎだとしても)マルチバース
という形で、うまく見せたわけだし凄くはあるのよね。
娘は、自分が母親の理想になれなかったことを気にしていて、母親の別の人生を考える。そんで、今起きてる事はすべて無意味だなんて言い出しちゃう。岩になったりしちゃう。(このシーン、良かった)
その結果、母親の「あなたを選ぶ」という言葉を引き出す。
なんかここでさ、エンタメ盛り盛りのパラドックスを見てきた君らはそれで納得でいいかもしれないけどさ、現実はどうなの?って思ったりしちゃった。
パラドックスもマルチバースもない現実世界で、本当に母親はその事に気付けるの?そういう答えを出してくれるの?パラレルワールドを選ばない保証はあるの?無いから映画が見せてくれたの?気づかないから映画が教えてくれるの?
と、取り止めのない私的なことを考えてしまいましたよ。。
そんでもって、私はもっと痛い気持ちとして表現出来るんじゃないかと思ったし、こんなモンじゃない、と思った。もっと、もっとだよ。こんな痛みじゃない。
まあ肩の力抜いて観よう!
人生初、途中退席
感覚を押し付けてくる
この映画が面白いかどうかと言う前に、私はこの映画が結局好きになれないまま、ラストを迎えることになった。
アクションもジョークも家族ドラマもSF要素も、全てにおいて、作り手が自らの「オモシロ」を押し付けてくる感じが堪らなく嫌だった。
「どうです?ぶっ飛んでるでしょ?」
「トガッてるでしょ?」
「こんなの観たことないでしょ?」
「でも、最後は泣けちゃったりして?」
いや、作品の印象とか楽しみ方はこっちが決めるからさ。
世代としては、あのキー・ホイ・クァンの姿が見られるのは感慨深いってのはある。
そもそも多元宇宙ってモノがもてはやされるのは良いけど、物語を進める上で「何でもアリ」の四次元ポケットとして利用されるのは、観ている側としては勘弁して頂きたい。
その特性や、出来ることと出来ないことが具体的に説明されないまま「実は、こんな使い方もできる!」「こんな平行世界もある!」が羅列されても、「はぁ。あ、そーなんですか。じゃ、さっきまでの私のドキドキとかはあんまり意味なかったですね。」「さっきのも避ける方法があったかも、ですね。」
…はあぁ。
こんな感じで、物語にノるのがバカバカしくなってくる。
駅のホームで待ってて、乗るはずの列車の中では何やら楽しそうに大騒ぎしてるのは窓越しに見えるけど、私を列車に乗せてからやって欲しいな、って感じ。
「アカデミー賞作品賞候補!」って謳い文句が先行して走っちゃってる一方で、過去の作品賞受賞作とは明らかに異質だし、一時期のアフリカ系アメリカ人や同性愛をテーマにした作品が作品賞の常連だった時代から、明らかに今はアジア系に「アカデミー賞的なブーム」がシフトしてきている印象。
それは市場の変化も含めれば必然なのかも知れないけど、少なくとも我々が劇場で観る限りにおいて、アカデミー賞ウンヌンは作品の本質とは関係ないのに、そういう前評判がこの作品をもっとフラットに楽しませてくれない要素にはなってるかも。
もしそうなら、それは観客にも作品にとっても不幸な話だなぁ…と。
真の武術とは暴力を止める事。愛の物語です。
大のカンフー好きですが、予告の時点でSFを期待してたので寧ろ思ってたよりアクションみれて良かったと思いました。
前半は何層にも重なったマトリックスみたいな話だと思いながら見ていました。
それが段々とエヴァみたいな話だなと思えてきた。
当方エヴァは1番最初の映画化1作目までしか観ていません…
毎日バタバタで地獄の様な日々に追われてるが、別の世界線ではいろんな可能性があった。
現実問題、誰かが作りだした価値観"正しさ"により、
人種も老いも若きも男も女も全ての人々が揉めに揉めまくっている。
悪意ある誰かの作り出したシステム"ベーグル"
皆が皆、本当にあなたが憎くて嫌な態度を取っているだろうか?
価値観は後から後から、その時の勝者の都合に合う様に塗り替えられ植え付けられるもので、見る角度が違えば善意も悪意に見えるもの。
本当はそんな事で揉める筈ないのに現在は壊滅的なとこまで来てると思います。SNSなどの壁によってね。
フィジカルの暴力も言葉の暴力もマウントを取るとかいうが、歴史はどんなに間違った事であっても勝った人の言う事が正義になります。それは人間が勝手に作ったルールであり、本来なら勝ち負けではない。
相手を押さえつけて勝ち取った勝利では平和は来ない。
それは独裁者が取って代わるだけで結局は何も変わらないのです。メキシコのギャングみたいに…
ファシズムで勝利しても人の心は変えられない。
人の心を変えられるものは愛と許しのみ。
不幸な境遇を人のせいにする事ではない。相手じゃない、自分の弱さに打ち勝つ事こそが本当の勝利なのだ。理解や多様性はここがスタート地点。
これは武術の真理でもある。
手を出さずに丸く収まるならそれを1番最初にする。
手を出すのはやむを得ない最後の行動。
人間は全て距離感、関係性。声のトーンや表情が見えないと相手が何を思っているかの本質は見えてこない。
皆が今隣にいる人にやさしくなれれば自然に争い事はなくなります。
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