エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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これだからプロのレビューは当てにならん
アカデミー賞候補?ゴールデングローブ賞受賞?
やっぱ評論家のレビューは当てにならんわ
だから素人レビューをしっかり読み、そっちの方が信憑性があると思い映画を選ぶようになったんだった。
久々にやられたわ。
ミシェルヨーとキーホイクァンに罪はない
絶望に効く薬は?
コメディ、下ネタ、名作のオマージュ、すがすがしいほどカオスだけど、メッセージは意外とシンプルだと感じた。
絶望に効く薬(っていう漫画あったよね)は、優しさをもって相手を受け入れること…。
「ずっと君を見ていた」「世界の最後にこの世界の君に出会えてよかった」、とさらりと告げるアルファ世界のウェイモンドの台詞がじわじわ胸を締め付けます。
アルファ世界のジョイは、無理矢理バースジャンプを体験させて虚無を味合わせた母親を憎んでもいるし、また、他の世界の母親が救ってくれるのではと期待もしている。何をどう行動しても人生に意味はないという虚無感からベーグル(ブラックホール)へ母親を道連れにしようとする。結局、愛憎の混じった究極の反抗期。
「人生の意味」については、意味を考えること自体が無意味だと私は思う。人は「意味という概念を持たない」他の動物と同じく、「どうにかして生きる」目的で生きているだけだと思う。人生は「目的」を見つけ、それをこなしていく連続した営みでしかない。
永遠の時間と命を与えられたらきっと人間は考える肉体と化し、しまいにはそれにも飽きて無となるんじゃなだろうか。あの考える岩というのはすごく抽象的だけども、けっこう平凡でもある。
宇宙に比べたら税金なんてたかが数字で、人間は他人(先人)の決めたルールに雁字搦めになってくだらない時間を過ごしているかもしれないけど、結局生きている以上、対処していくしかない。
そしてどの世界にいても、気持ちを向けてくれた相手に心を開かなければ閉じているのと同じ…。人間は岩と違い、一人では幸せを感じられない生き物。ジョイは本当は幸せに満たされたいからこそ、家族の存在に苦しんでいたんでしょうね。
レミーのおいしいレストランから、2001年宇宙の旅まで、似ているけどちょっと違うパロディ世界や、お尻の穴に優秀賞のトロフィーを突っ込ませるなど(そんなものくそくらえって?)、下ネタもぶっこんで大いに笑わせるけど、移民問題やLGBTQも絡めて、みんな短い人生なんだから認め合って楽しく生きようよ、という暖かな愛に満たされた映画でした。
それにしてもマルチバースはマーベルしかり最近のSFで流行っているけど、このエブエブで一つの集大成なのではと思うね。肉体が行き交うのではなく、精神が行き交うという新しい描き方。
肩車アクションはRRRを彷彿とさせたけど、制作時期的にかぶらないからまさか違うよね。子供の当時インディやグーニーズに夢中になった世代(グーニーズ2の企画は頓挫したらしい)、ヒサビサのキー・ホイ・クァンには感無量でした。
笑って泣きながら人生観を噛み締めた
MCU作品などですっかりお馴染みとなったマルチバースを、現代のアメリカの下町で再現したアイディアが秀逸である。どうということはない家族再生のドラマなのだが、それを全宇宙的なスケールで描いた所が痛快である。
監督、脚本は「スイス・アーミー・マン」のダニエル・シャイナートとダニエル・クワイ。通称ダニエルズ。前作「スイス・アーミー・マン」もかなりシュールでナンセンスな作品だったが、今回も二人の独特のぶっ飛んだ感性が至る所で炸裂しており、かなりクセの強い作品になっている。
何と言っても目を見張るのが、凝りに凝ったポップでファッショナブルな映像の数々である。両ダニエルは元々MV畑の出身ということで映像に対するこだわりは相当に強い。そのこだわりが映画全体から感じられた。
例えば、エヴリンが別の宇宙の彼女に乗っ取られる瞬間を描く”ジャンプ”の描写は、観ているこちらも画面の中に引きずり込まれそうな興奮が味わえた。さしずめアトラクションゲームを体感しているようなワクワク感を覚える。
あるいは、マルチバースのエヴリンはカンフー映画のスターだったり、歌手だったり、シェフだったり、様々な人生を歩んでいる。当然それぞれに悩みや葛藤、喜び、家族がいるのだが、映画は彼女たちの人生もフラッシュバックで万華鏡のように見せていく。まるで1本の映画の中にいくつもの映画が混ざっているような多彩なトーンの取り合わせに眩暈を覚えるほどだった。
中にはアニメや人形のエヴリンまで登場してきて、一体どうやって収集を付けるのかと思いきや、クライマックスにかけてこれらは見事に一つの結末に向かって収束していく。この計算されつくされた演出にも唸らされた。
また、本作はSF映画であると同時にカンフー映画でもある。「マトリックス」シリーズよろしく、カンフースターの時のエヴリンが見せる超人的なアクションシーンもケレンに満ちていて面白く観れた。ユーモアとファンタジックな要素が加味されることで一味違うものとなっている。
ただ、一部のギャグで下ネタが出てくるのでそこは注意が必要かもしれない。前作でもその傾向は強かったので、このあたりはダニエルズ監督の作家性の一つなのだろう。好き嫌いが分かれる所かもしれない
一方、物語はSFとして捉えると細かな点で色々と突っ込み処が目立ち、個人的には余り感心しなかった。
そもそも”ジャンプ”するためには両耳に取り付ける装置が必要なのだが、これが一体誰がどのように持ってきた物なのかよくわからない。百歩譲って意識や能力が脳や肉体に宿るという理屈は分かるとしても、この装置のような有機物をどうやって現実世界に持ち運ぶことが出来たのだろうか?また、”ジャンプ”するためには変なことをしなければならないという法則があるのだが、これも成功と失敗の判定が今一つよくわからず、何かしらの一貫した基準が欲しい所である。
おそらくだが、敢えてこのあたりの設定を緩くしてナンセンス・コメディとしての面白さを狙っているのだろう。しかし、これがエヴリンの脳内妄想だけの世界だったら”何でもあり”として許容できるのだが、マルチバースというSF設定を持ってきたせいで、そこの割り切りがどうしても自分には難しかった。
物語はクライマックス以降、意外なほどウェット感を増していく。笑いながら観ていると思わず足元を掬われ、これには良い意味で予想を裏切られた。本作が他のコメディ作品と違う所はここだろう。何だかんだと言って、最終的に王道な家族のドラマへ持って行くあたり、実にしたたかである。
また、エヴリンが他の人生を知り、今の自分を顧みる終盤にはホロリとさせられた。成功や失敗、人生は人それぞれであるが、それでも生きることの尊さは変わらないのだな…と。たとえそれが石ころの人生でも幸福の価値は平等なのかもしれないと、観終わって何だか勇気が貰えたような気がした。
キャスト陣ではミシェル・ヨーやキー・ホイ・クァンといった懐かしい面々を久しぶりに見れて嬉しくなった。夫々にアクションシーンにも果敢に挑戦しており、シリアスとユーモアを織り交ぜながら好演している。
エブエブ
ガチで大号泣したんだけど、エブ泣き
前半は絵面が汚かったりカッコいいアクションだったり下品な映画かなって思ってたんだけど
後半はもう号泣した。映画で号泣したの初めてかもしれない。
奇想天外な世界観を期待したが・・・
チラシにもあるように、本年度アカデミー賞の最多ノミネートにして大本命ということで観に行きました。内容的に事前に知っていたのは、この世には別の宇宙が存在していて、主人公のエヴリンが別の宇宙に飛んでカンフーの達人になり、全宇宙を危機から救うというものでした。筒井康隆などがしばしば描いたパラレルワールド物の一種であり、別の宇宙や世界が存在するという設定は、言葉を選ばずに言えばありふれたSFという印象でした。ただ、「マルチバース(並行宇宙)」という初めて聞く言葉とともに紹介されていたりして、如何にも新しい概念を発明したかのような宣伝の仕方であり、かつまたアカデミー賞の最多ノミネートという外部の評価も相まって、一体どんな奇想天外なる物語が展開されるのか期待して観に行った訳ですが、果たして結果は・・・
エヴリン一家は、中国からアメリカに移住して洗濯屋とコインランドリーを経営していたものの、税務署からはカラオケ機器を経費に入れたと言って脱税を指摘され、サンダルをコインランドリーに入れる客の相手をし、家の中でも車椅子生活の頑固な父親の世話をしなければならないと、日々の暮らしに追われており、洗濯屋の経営危機と家庭崩壊の危機にある。そんなエヴリンが、夫に憑依した別宇宙の人間から、宇宙を救って欲しいと依頼を受ける。最初は意味が分からなかったエヴリンも、ラスボスが娘であることを知り、立ち向かうこととする。そして娘と対峙したエヴリンは、最終的に事態を収め、全宇宙の危機と家庭崩壊の危機を救うというお話。
戦いの過程で、いろんな宇宙にワープするエヴリン。そのテンポが非常に早く、ストーリーもどんどん進展するのは評価出来るものの、事前に期待していた奇想天外なる物語だったかというと、全くそんなことはありませんでした。また、ストーリー的にも平凡な生活を送る人がひょんなことからスーパーマン的な活躍をするという流れで、これまたありふれたもの。正直アカデミー賞にノミネートされたのがイマイチ理解出来ない作品でした。
そんな訳で、評価は★2としたいと思います。
そして母になる?
アカデミー賞では少なくとも、主演女優賞、脚本賞、衣裳デザイン賞は獲得してほしい一作
すでに『ドクター・ストレンジ』シリーズで「マルチバース」を扱ったんで、基本設定としては二番煎じととらえられかねないところ、本作はさらに香港アクションを混ぜ込んだ上に、ショットどころかフレーム単位で操作されている視覚的美術的演出により、「マルチバース」なるものの得体の知れなさを表現した作品としては、突出した存在感を見せつけました。
もちろんダニエルズ(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート両監督)の先端的すぎる映像センス(と少々下品なユーモア)が本作の大きな特徴には違いありませんが、日常に疲れた女性からカンフーマスターまで、目まぐるしく役どころを変えつつ余裕すら感じさせるミシェル・ヨーこそが本作を唯一無二なものとしていることを、観た人は誰でも納得するでしょう。
単に香港アクションの第一人者である彼女のキレのあるアクションが堪能できる、というだけでなく、図らずも『カンフースタントマン 龍虎武師』が示した、苦境に喘ぐ香港アクションが、このような形でスクリーンにその存在感を見せつけたことにも胸が熱くなります。
G指定でありながらなかなか際どいユーモアが含まれているため、万人におすすめできるか、といえば少し躊躇はあるものの、本作がアカデミー賞のノミネート作品として異色ではあっても、それに値する優れた作品であることは疑いようがありません。
アカデミー賞では、少なくとも主演女優賞、脚本賞、衣裳デザイン賞は必ず獲得して欲しいし、もし作品賞と監督賞を受賞したら、アカデミー賞史上に残る快挙となるでしょう。発表が今から楽しみです!
映画界はマルチバースから離れよ
多元宇宙論(マルチバース)
19世紀のアメリカの哲学者
ウィリアムズ・ジェームズが提唱した
今人類が存在する地球のある宇宙と
同じものが複数に存在しうるという
理論物理学…と言うとわけからん
けれどそこはどーでもよくて
寓話・創作においては昔から
言われている
「選択されなかった方の世界」
「並行世界(パラレルワールド)」
といったところ
MCUではスパイダーマンや
Dr.ストレンジなどで
最近取り上げられることが
増えてきた概念
この概念を
平凡なアメリカで暮らす
アジア人家族の日常にあてこみ
奇想天外な展開を目論んだ今作
どうだったか
…うーん
まぁ話の内容は一発でわかったし
アメリカでも大ヒット
したそうですが正直プロットで
感じたよりは面白く感じませんでした
ノれなかった
ギャグっぽい表現とか
滑ってた印象です
日本人はこういうセカイ系
(と言っていいのかわからんが)
に目が肥えてるからかなぁ
アカデミー賞!?オスカー!?
とんでもないと思います
知らんけど
アメリカで暮らす中華移民系の
オンボロクリーニング屋で
うだつのあがらない旦那
ウェイモンド
介護がかかる父親ゴンゴン
反抗期の娘ジョイと暮らす
中年女性エヴリン
納税控除にかかる書類を
整理中にウェイモンドは
「見てほしい書類(離婚届)」
があるというのも後回し
娘のジョイが
「ガールフレンド」の
ベッキーを紹介しに来ますが
同性カップルを常識外と
とりあわないでいると
ジョイは家を飛び出して
いきました
反抗期の娘にかける言葉も
「太った?」などデリカシー
もなくつまらない日々
その後税務署へ父も連れて
控除の申請に行くと
エレベーターの中で突然
ウェイモンドが豹変
君が世界を救ってくれ!と
ヘッドセットを付けられて
何やらスキャニングを
かけられエレベーターが
開いて面接の反対側に
倉庫があるからそっちへ行け
面接中にこの動作をしろと
メモ書きを渡されます
とウェイモンドに促されます
そしてエレベーターが開くと
ウェイモンドはまた元通り
エヴリンは当然???
となりながらも
結局画面上はエヴリンは
面接に向かったのですが
控除申請したカラオケの
用途をおっかない面接官
ディアドラに詰めらている間
そのメモを見ると
靴を左右逆に履くとか
よくわからない事が
書いてあります
その通りにすると
意識が突然飛んでいき
面接とは反対側にあった
倉庫の中にいる自分と意識が
半々になります
(書いてて意味わからん)
そこで豹変ウェイモンドが
世界を君が救うんだと
まくし立ててきますが
エヴリンは当然意味が分からない
もうわけわかんないんで
先に説明しておくと
人生において選択しなかった
ほうに別の世界(バース)が
複数広がっていてウェイモンドは
別のバースから同じ身体に
移ってきたわけです
これを「バースジャンプ」と
言うのかな?
それをやるには特定の
奇怪な動作がいわゆる
「任意コード実行」
になっているわけです
バースジャンプをすると
その他のバースで身に着けた
スキルを使うことが出来る
のですがむやみにやると
体に負担がかかるようです
エヴリンは凶暴化した
ディアドラに殺されかけますが
ギリギリでバースジャンプ
「ウェイモンドと結ばれず
カンフーの師匠に出会い
達人になって映画スターに
なったエヴリン」のバースから
カンフーのスキルを体得し
危機を切り抜けます
そういった概念がなんで突然
出てきたのかというとどうも
それを開発したのは別のバース
(アルファバース)のエヴリンで
すでに死んでいるそうですが
共同開発?していた
アルファバースのウェイモンドは
意思を引き継いで
全てのバースの消滅を目論む
「ジョブ・トゥパキ」なる存在を
倒してくれと託されます
ウェイモンドはいくつもの
エヴリンにジョブを倒せる
素質を探っていってようやく
見つけ出したのがこの映画の
冒頭からいるエヴリンだった
ようです
ジョブ・トゥパキとは何者か?
というと早々に姿は見せており
それはジョイでした
恐らく同性パートナーを認めて
もらえず世界が無くなって
しまえばいいといった絶望感
から巡り巡って訪れたバース
によってジョイは身体を
ジョブに乗っ取られて
しまったようです
ジョブはバースを自由に飛び回れ
自分を倒す可能性のあるエヴリンを
始末して回っているようです
まあとにかく観賞中は
理解が追い付かない間に
フル〇ン男が出てきたり
ゲロ吐いたり画面が下品か滑ってる
感じなので見てて辛くなってきます
現バースではボケボケだったのに
アルファバースでは電動車椅子に
乗って冷酷なハキハキ爺さんに
なったりといった面白そうな
シーンがなんか今一歩映えない
コメディなのかシリアスなのか
見方がわからない感じ
ただでさえわけわからん世界観
使ってね
マルチバースに関しても
今いる自分以外になったシーン
出ては来るんですが端折りすぎで
全然移入できないんですよね
そのスキルが使えるとかなら
日本なら
「魔法少女が変身して
その能力使いこなせる」
で完了じゃないですか
向こうの人々はここまで
めんどくさい概念
持ち込まないといかんの?
とか考えちゃいました
終盤エヴリンがジョブを
バースを飛び越えて追いかけ
「生物が誕生できなかった地球
でただの石になってる」
二人が文字で会話する
シーンとかシュール以外の
何物でもなかった
設定にとらわれすぎて
根本的な映画としての面白さが
欠けているのかな
やっぱりね
マルチバース自体が
禁じ手なんだと思う
スパイダーマンのも
いまだに解せない
ハッキリ言って作り手の
都合でしかない
例えば
閉じ込められちゃった!とか
ドラえもんが言っても
通り抜けフープ使えよとか
よくツッコまれますが
ドラえもんがそうしないのは
劇場版はのび太が主導で打開していく
という大前提があるからでしょう
そういうルール作りが
マルチバースがないんです
面白くなるわけがない
こういう映画を手放しに絶賛する
評論家やレビュワーは信用に
値しないと思う
A24って新進気鋭の若手にチャンスを
与えるようなインディペンデント系の
イメージがあったけど
こないだの「ミナリ」といい
見掛け倒しの作品が多い気がする
賞狙いのこれ見よがしの
アジア人キャストとかさ
あざといくせに見掛け倒し
だからアカデミー賞とか
嫌いなんですわ
金払って映画観るのと
なんら関係ない
追記
ぼろくそ書きましたが
アジア人女優として初の
ミシェル・ヨー
子役時代を経て
俳優としてカムバックしての
キー・ホイ・クァン
アカデミー受賞おめでとうございます
正直微妙
ごちゃ混ぜながらもバランス最高のアクションコメディ
某マルチバースとは一線を画す。監督の映画愛、そして家族愛とカンフーの物語。コメディタッチの中にも、どこかで見覚えのある複数の演出は映画史に残る名作シーンを思い出させる。
内容的には、マルチバースだけあって脚本は緻密。しかし過去の分岐は描くも、時間的概念をあまり入れずに描いている。しかも、その別世界へ行き来する方法が本作の中心演出の部分で、笑い声が漏れるほどの盛り上がり。制作陣が楽しんで皆で作り上げたんだろうなと想像出来るほどだ。
現実世界では、個人はもちろん、家族となれば尚のこと関係は複雑。多くの人々が紆余曲折をもって歩むのが人生。『あの時、こうすれば良かった』誰しもが思う事であるけど、一番大切なことは今の現実を大切にして頑張る事『あなたもヒーローなんだよ』そんなメッセージを多くの人に届いたに違いない。
字幕、英語と中国語?
無茶苦茶
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