劇場公開日 2023年3月3日

  • 予告編を見る

「答えはいつも自分の中にある」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 答えはいつも自分の中にある

2025年10月14日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

2023年の作品 そしてあのA24が制作したもの。
A24らしいジャンルを超えた挑戦的な映画でありながら、家族やアイデンティティ、選択と可能性といった普遍的なテーマを扱っている。
これを表現するために「マルチバース」理論を使い、「マトリックス」や「クラウドアトラス」というモジュールをあからさまに利用している。
こうなれば自然に、SFとアクションとコメディ、ドラマの融合となる。
また逆に、
このタイトルに込められた意味はかなり奥深く、思慮するヒントになっている。
そして、
この物語は「ホリック」のように捉えることもできるように思う。
つまり、絶えず人の頭の中で起きている「おしゃべり」または「妄想」を映像化しているということだ。
そしてこの物語を通して、登場人物たちの頭の中のおしゃべりに、「答えを出した」のだろう。
そこにあったのはやはり、「現実は変わらない」という普遍的事実
同時に、その同じ世界にいながら、その世界に対する観方を変えることで、世界そのものが別世界のようになるという「真理」を伝えている。
しかし、
あまりにも派手な演出と異常なSF概念によって、この物語の根幹が何か忘れてしまう。
主人公エヴリンにとって、自分が選択した先にあった今の現実は、正しかったのか?
国税庁に搾り取られる税金
家族離散の危機
これらがエヴリンの肩に重くのしかかっている。
これがこの物語の根幹だ。
そして誰もが、いま、思い悩んでいることだ。
生き抜くために「戦う」こと。
これは、内在的にも教育的にも、誰もが思い込んでしていることで、そのモチーフがこの作品のアクションとなって描かれている。
「戦わなければ生き抜くことなどできない」ということだ。
エヴリンはマルチバースという概念を駆使して、今のこの苦境からなんとか脱出しなければならないと奮闘する。
「誰か」の力を借りることで、それが可能だと信じ込む。
今までの人生でしてきた選択とは別の選択の先にあるはずだった「現実」の力を利用しながら、眼の前の敵と対峙する。
やがて敵は絞られてくる。
それは未だに恐怖の税務官僚、味方だと思っていた夫、認知症の父、そして娘とその彼女
それらはすべてエヴリンの現実と重ね合わさる。
特に強敵なのが税務官僚
(頭のおしゃべりの中で)マルチバース世界に移動しながら、彼女と死闘を繰り返す。
ところが、あるマルチバースの中で、エヴリンと税務官僚とが非常に親しい関係である世界があった。
それは二人の関係がLGBTだった。
お互いがお互いを攻める世界ではなく、慰め合う世界だった。
その指がウインナーというおかしな世界において、二人の仲には争いがなかった。
エヴリンは、妄想の中で「答え」のようなものを見つけ出したのだ。
税金を払わなければならいという苦境に立たされていたが、税務官僚の彼女は、彼女の仕事としてそれをしているだけだった。
そこには争う想いも、誰かを傷つけたい想いも存在していない事に気づいた。
同時に起きたのが、取り立てに来た税務官僚に対し、夫が頭を下げ1週間延期してもらえたことが起きた。
クラウドアトラスのモジュールだ。
エヴリンは税務官僚の隣に腰掛け、少し話をした。
争うのではなく、お互い歩み寄る。
「汝らの敵を愛せよ」 イエスの言葉
敵とは、眼の前の人を敵とみなし戦う姿勢となることで、そのためその人も戦う姿勢を取ること。
それこそが、誰もが無意識でしている「自作自演」
エヴリンはこのことをきっかけに、娘との確執に迫る。
エヴリンにとって最大の問題が娘ジョイのことだった。
だから彼女がラスボスだったのだろう。
エヴリンはジョイを思い通りにしたかった。
それはそもそもエヴリンの親の教育であり、その先には同じような教育があった。
ジョイは自分らしく生きることができないことが悩みだった。
「全ては素粒子の再配列でしかない。この宇宙はありとあらゆる可能性の海 私たちは、どこにでもいる」
そして、
生物が存在しない星
「石」の自分を妄想するエヴリン
「私たちはみんな小さくて愚かだ」 悠久の流れの中で、人間の人生の儚さと愚かさを嘆く。
「もう手放して」というジョイに対し、「何があってもあなたを見捨てない」と答える。
それは、今後のジョイの生き方を尊重しつつ、愚かな行為に対しては介入するという母としての役割。
そして最後のシーンの国税庁
前と全く同じシチュエーションでありながら、全く違う世界を見ているエヴリン。
まさに、何であれ(なんでも)、どんなところでも(どこでも)、一瞬に(いっぺんに)、認識や観方を変えることができる。
これさえできれば、どんな状況でも立ち向かうことが可能になる。
マルチバースとは外の世界ではなく、この思考、心、感情の世界に存在する。
だから、すべてが「ありのままでいい」のだろう。
映像はシッチャカメッチャカで異常な世界だったが、あれこそ人の「頭の中のおしゃべり」であり、妄想だ。
それをモチーフに、自分自身のものの見方や捉え方を再発見することで、すべてが違って見えることを解いている。
なかなか素晴らしい作品だった。

R41
PR U-NEXTで本編を観る