「これがアカデミー作品賞なのか…」エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 落ち穂さんの映画レビュー(感想・評価)
これがアカデミー作品賞なのか…
多元宇宙を扱った話はかなり好きです。
しかし、この映画は残念過ぎました。
あらすじとしては、何の特技もない主人公が別世界の男(主人公のいる世界ではこの男は夫)に全多元宇宙を救えと言われます。混乱しているうちに敵勢力に襲われ、逃げ回ったりしているうちに、別世界の自分の職業的な技を使って戦うことを覚えます。で、ラスボスは主人公と同じ力を持った自分の娘であることがわかりますが、最後は娘と和解し、元の世界へ戻るというものです。
歌手や小説家やシェフを夢見て、中年になった今もその夢を捨てきれないまま、コインランドリー店を営む主人公。
この設定は、とてもいいと思います。
別世界の自分は夢見た職業に就いているという虚しさも理解できます。
ですが、コインランドリー店主にもかかわらず歌手になるためのカラオケセットを店の経費に入れたり、成功している自分が別世界にいることを知って、夢を叶えられなかった原因は駆け落ちを止めなかった父親であるとして激しく責めたりと、主人公はかなりガッカリな性格で、共感出来るキャラクターではありません。
また、元世界では担当税務署員が、別世界では主人公の恋人という設定はかなり面白いものなのに、手指が全てソーセージであるとかいう設定で、そのソーセージを齧るとチーズが出てそれをお互いに舐め合うというのが愛情表現という世界であることを、執拗にしかも汚らしく繰り返すのも不快でしかありませんでした。手指がグニャグニャであるため足を使って物事を行わなければならないのは納得できますが、折角の恋人設定が霞むほど、このソーセージを強調する意味はなんだったのでしょうか?
更に別世界では、主人公はシェフ(といっても、ステーキハウスのパフォーマー)になっているのですが、その主人公のライバルが「レミーのおいしいレストラン」のネズミがアライグマになっただけの相手である点もガッカリでした。主人公がライバルを肩車して、捕らえられたアライグマを追いかけるもすぐ息切れするシーンは、海外の人には面白いパロディに感じるのでしょうか?大の男を肩車ね、そりゃ疲れるよねぇ…で、それが何?私が観ていた映画館では、笑い声の一つもありませんでしたね。
更に別世界では、主人公は無生物である石になっていましたが、最後には石に目がついて動き出してしまうという、そもそもの石の設定を全否定するような変化を遂げ、これも呆れて開いた口が塞がりませんでした。
一番最悪だったのが、下品なシーンがあったこと。別世界の力を使うには「有り得ない行動をとること」という設定はわからなくもないですが、敵はお尻に銅像を挿すことでそれを成そうとし、挿して飛び回るという大騒ぎシーンがそれなりの時間続いて、かなりゲンナリしました。この場面はどっかんどっかんウケるシーンなのかと思いますが、私が観ていた映画館では、このシーンも静まり返っていました。
それと、散歩していた犬のリードをぐるぐる回して犬を振り回し、ポーラみたいに扱って主人公を攻撃するシーンも辛かったです。ただの虐待にしか思えず、早くこのシーンが終わってくれないかとばかり願っていました。
そもそも、折角、母と娘の関係性、主人公自身の元世界での自己肯定という良いテーマを扱っているのに、そういった大事な部分の心理描写や掘り下げより、つまらないパロディや下品なシーンに多く時間を割く必要性はどこにあったんでしょうか?
お笑い系がやりたいなら、そちらに全振りすればいいのに、この中途半端感が粋なのですかね???
なるほど!仰る通りです。モナリザは頬杖ついてた方がよかったとか言ってるようなものですね。
制作側は、そもそもパロディを軸足としていて、シリアスというスパイスをその隙間にほんのちょっと覗かせたかったのかもしれません。それが逆に品位ある主張、話の余韻になるという見方をすると、勝手にテーマをシリアスに捉えた私が恥ずかしいっっ!
とはいえ、モンティ・パイソンやジョニー・イングリッシュが面白いと思えない私にはまさに鬼門の映画でした。
失礼します
貴レビューのテーマ解釈はご賛同致します
確かに、折角テーマ性が崇高なのに、なんであんな要素をぶち込んで、掻き回してしまったのだろうと、私も最初は残念に思いました
でも、段々色々な評論がネット上で読み説かれる程に、あの設定の必要性がもしかしたら大事だったのではと思えるようになったのです
テーマ通りにシリアスさを全面に押し出した場合、制作陣は自分達の信条に裏打ちされたストーリーを構築出来なかったと思います 映画は所詮制作陣のモノです 我々観客はその作品に好みを評価することが出来ても、表現や演出に対しての指摘は出来ません それは絵画作品の人物のポーズにケチ付けている事と同等だからです
生理的に受け付けないユーモアは、モンティ・パイソンのそれを評価している制作陣にとって大事なオマージュなのです