「原作ファン以外はお呼びでない映画」映画刀剣乱舞 黎明 りんさんの映画レビュー(感想・評価)
原作ファン以外はお呼びでない映画
刀剣男士達をいかにたくさん出演させて動かすか、に特化している映画だった。
原作ファンなら恐らく楽しめるだろうが、純粋な映画としての完成度でしか作品を楽しめない私のような原作未プレイ勢からすると、非常に中身のない退屈な映画だった。
まず、ストーリーが薄い。
せっかく複数ペアの群青劇、という魅力的な設定なのに、全く活かされていない。
各ペアの人間ドラマや因果関係が一切なく、『その人or刀でなければならなかった』理由が全く無かった。とりあえず人気のあるキャラクターを中心に選出したのだろうか?
唯一長谷部×ギャルはラストでネタばらしがあったが、それにしても薄すぎる。
敵の伊吹も、社会に対する怨讐は凄まじいはずなのに、ラストでJKのなんの説得力もないスピリチュアル発言で改心するのがチープすぎた。
機能不全家族という社会問題を扱うなら、問題の本質や当事者たちの背景にそれなりの理解を示しすべきだと思う。
彼らを最も苦しめているのは、本作のJKのような無知で無責任な正義感を振り回す、衣食住に恐らく苦労をしたことがない安全圏にいる人々なのに、そんな彼女の自分勝手な我儘がまかり通ってしまったのがとにかくおぞましかった。
とりあえず監督は一度ザ・ノンフィクションを観るか、大久保公園にいる未成年トー横キッズ達にインタビューでもしてみたらいいのではないか。そうすれば少なからず、彼らの心の闇があんなチープな説得で払われる程度のものではないと分かるだろう。
そしてそんなJKに同調する三日月も意味がわからない。刀なんだからもっと死生観シビアな時代の価値観を持っているのではないのか?それとも道具だから自分の意志は持たない、というイエスマン設定なのか?
ラストの博物館でJKと伊吹がすれ違うのもエグすぎた。JKは恐らく平日昼間に高校の課外学習で来ているのに対し、伊吹は福祉団体職員と思われる女性に連れられて来ている。ということは、伊吹はまともに高校にも通えず、正しく歴史の敗北者(=社会的弱者)として描写されている可能性が高い。恐らく『伊吹も苦しい思いをしたけどちゃんと日常に戻っているよ〜』という救いを描いたつもりだろうが、この対比表現は正直悪意があるとしか思えなかった。
JKが頑なに伊吹やその弟をかばう理由も分からなかった。戸惑いを見せるぐらいなら分かるが、友人を廃人にされており、かつ人類の存亡がかかっているのに、あんな堂々と庇われると逆に怖い。トロッコ問題でトロッコをぶっ壊せるほどの実力や解決策があるならまだしも、無力で非力なJKがなんで刀剣男士たちにあんなキレることができるのか…?仮に自分の選択がバッドエンドに繋がったとしても被害者面をするんだろうな…。
あとこれは言うだけ野暮な気がするが、歴史を改変するのが目的ならもっと他に効率的なやり方がある気がする。
未来から来ているのになんで時代と共に淘汰されたはずの鎧や刀をわざわざ使ってるの?
銃の方が武器として殺傷能力が高いのは分かっているはずだし、そもそもあんなドンパチやらなくても歴史の分岐点に関わる人の寝込みを襲うとか、毒ガスばら撒くとか、なんかこう、もっと他にあるだろ!と思ってしまう。
武力行使だけではなく精神をコントロールするとか、インセプションのように夢に干渉するとか、そういうの使わないなら未来から来たっていうSF設定の意味なくないか?
殺陣に関しても、正直そこまで感動はしなかった。『1.2.3!1.2.3!』というリズムに合わせて刀を振るってるようにしか見えず、『殺し合いをしている』といった臨場感が全く無かった。どちらかというと舞踊に近い印象だった。
ここらへんは歌舞伎を見てどう思うか、という問題と同じで、殺陣に対するある程度の知識がないと感動できないのだと思う。実写キングダムのような迫力のある戦闘シーンを求めると肩透かしを食らう。
刀剣男士も終始ただのコスプレ集団にしか見えなかったので、厚化粧やカラコンをすればヨシ!だけではなくもうちょっとCGなどを使って神秘的な雰囲気を出してほしかった。特撮ヒーロー系に耐性があれば違和感なく世界観に没入できたのだろうか?
…などなど、クレーマーの如く色々と書いてしまったが、恐らく監督は私のような原作未プレイ勢をそもそもターゲットとして想定していないと思われるので、つまり私が楽しめなかったのは監督の狙い通りなのだと思う。
この映画は原作が好きなファン向けの、いわゆるファンサービスであり、普段ゲームをプレイしたり課金をして支援しているファンへの制作者たちからの恩返しなのだ。だからこれでいいし、これが正解なのではないか。