「重要な題材と思われながら、この映画に対する私的5点の疑問」ロストケア komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
重要な題材と思われながら、この映画に対する私的5点の疑問
(完全ネタバレですので鑑賞後に必ずお読み下さい)
この映画『ロストケア』は、現在の日本にとって大変重要な題材を扱っています。
それだけでも鑑賞の必要があると個人的にも思われています。
しかし映画を見ていて、私的には5点の疑問をこの作品には感じました。
まず1点目の疑問は、これは予告を見た完全なこちらの思い込みでしかなかったのですが、てっきり2016年に起こった知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」での45人殺傷事件(19人殺害、26人に重軽傷/相模原障害者施設殺傷事件)の植松聖 死刑囚を題材にした映画だと思って見始めてしまったところです。
もちろんこの映画の原作の葉真中顕さんによる「ロスト・ケア」は(鑑賞後に知ったのですが)2013年に出版されていて、2016年の「津久井やまゆり園」での事件(相模原障害者施設殺傷事件)より前に書かれています。
つまりこの映画は「津久井やまゆり園」での事件とは関係がないのですが、原作未読で関係がある映画だと勘違いして見始めた私のような観客も少なくないと思われます。
なので、例えば予告で”この映画は相模原障害者施設殺傷事件より以前に発表された予言的物語”など、実際の事件とは違う物語だとの事前周知は必要だったと思われます。
これは広報戦略から意図的な現実事件との混同を狙ったのかもしれませんが、1観客としては映画の前半での実際の事件の題材とは違うとの頭の中の訂正で、映画への集中を削がれたとは思われました。
(なぜなら、生まれた時からの知的障害者と、若い時の多くは健常で後に痴呆を含めた高齢者になってから必要とされる介護者とでは、周りとの人間的な関係性も微妙に違っていると思われるからです。)
2点目の疑問は、検事の大友秀美(長澤まさみさん)が斯波宗典(松山ケンイチさん)の殺人を捜査して暴いて行く場面です。
もちろん検事がドラマ「HERO」のように補充捜査の意味で刑事事件を捜査するというのはなくはないのかもしれません。
しかしこの映画『ロストケア』は、リアリティをもって介護の問題に切り込んでいる映画だと思われます。
であれば、刑事捜査の方も現実に匹敵するリアリティラインで描く必要があったと思われました。
斯波宗典が42人の殺人を犯していたのであれば、警察での捜査が主体になり、検事の取り調べはあくまでその警察の捜査が正当か起訴出来るかの判断になると思われます。
テレビドラマ的な、検事である大友秀美が主体になっている殺人事件の捜査の描写は、私的には小さくない違和感が残りました。
3点目の疑問は、介護施設で斯波宗典が殺害した41人はそれぞれで多様な人々であったはずなのに、そこが描かれていないと思われた点です。
斯波宗典は(おそらく脳梗塞などでの半身麻痺などが合いまった)父の斯波正作(柄本明さん)に対する介護の経験、行政などの助けのない中での疲弊と絶望から、父を殺害します。
斯波宗典は、父を殺害することによって、自分自身も父も「救われた」とその時に確信します。
しかしだからと言って、斯波宗典が殺害した彼の父以外の41人やその家族も、斯波宗典や彼の父と全く同じである(殺害によって逆に「救われる」)とは(経済的な状況も含めて)実際は限らないと思われるのです。
事実、家族の生活や父の介護で疲弊しているように見えた梅田美絵(戸田菜穂さん)は、法廷で斯波宗典に対して、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫びます。
この映画は、41人の家族の様々に違う人生や感情や内面を描き、それを斯波宗典にぶつけた上でなお、斯波宗典の主張はそれを乗り越えることが出来たのか描く必要があったと思われます。
41人の被害者家族の内で殺害後の心情が映画の中盤辺りで描かれるのは、斯波宗典の殺害動機にとって都合の良い(と私には思われた)、羽村洋子(坂井真紀さん)の「私、救われたんです」との心情だけでした。
この映画の弱点は、斯波宗典とはまた様々違うだろう被害者家族の中で、斯波宗典とは違う考え心情の人々を出しても耐え得る構成になっていなかったところだと思われます。
なので、「人殺し、お父ちゃんを返せ!」と叫ぶ梅田美絵を最終盤でしか心情を(叫びという1言でしか)語らせられなかったのだと思われます。
この映画は、「人殺し」と叫ぶ梅田美絵の心情を映画の中盤で斯波宗典にぶつけ、それでも斯波宗典の意志は揺らがなかったのか描く必要があったと思われました。
4点目の疑問は、母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と言っていた羽村洋子が、映画のラスト辺りで春山登(やすさん(ずん))に「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の話をするところです。
しかしこれはおかしな話だと思われました。
母を斯波宗典に殺害されて「私、救われたんです」と語った羽村洋子は、家族との関わりで「迷惑の掛け合い」がどれだけ過酷な事かを既に深い底まで経験で分かっていると思われるからです。
この映画『ロストケア』は、羽村洋子が(斯波宗典と同様の)介護を通して家族での「迷惑の掛け合い」がいかに残酷かに到達し得たのに、そこを「迷惑を掛け合っていい」との趣旨の言葉で最後に適当にごまかしてしまったと私には思われました。
羽村洋子のラストは、春山登から「迷惑を掛けるかもしれません」と言われたら、その過酷さを分かった上でそれでも一緒にいたいと、無言で春山登の手を握るといった表現の方が良かったのではと思われました。
5点目の疑問は、この映画というよりこの国の社会保障政策についてです。
映画『護られなかった者たちへ』でも思われたのですが、今回でも生活保護に対するこの国の冷淡さが描かれています。
そしてそれぞれの映画を見た観客は、なんて冷淡で悪の行政なのだ!と日本の行政を攻めて終わる構図になっていると思われます。
しかし本当はそれだけが要因ではないのです。
日本の国は今、世界一の超少子高齢化社会です。
にもかかわらず(例えば消費税などの税や保険料などを含めた)国民負担率は驚くべきことにOECD諸国の中ではかなり低いのです。(2020年で36か国中22位の国民負担率)
つまり、生活保護に回せるお金を増やすには、消費税や所得税や法人税・社会保険料などの国民負担を上げる必要があるのです。
加えて、超少子高齢化による生産年齢人口が減少している逆ピラミッドを早急に是正して、高齢者の介護を含めた社会福祉を支えるには、手遅れになっている少子化対策を超えて、(納税などでの)高齢者の支え手である生産年齢人口を増やすために、移民の大幅解禁が必要になります。
なぜ生活保護などについて行政が冷淡かというと、国民が消費税などの増税や社会保険料の引き上げ、あるいは大幅な移民解禁に反対しているのが大きな背景としてあるのです。
国民の負担や移民の必要性から目を逸らし自らの負担の必要性を棚に上げたまま、一方で行政を都合良く叩くのも間違っていると思われます。
以上の5点から、この映画『ロストケア』は大切な題材を描きながら、傑作には届かない作品になっているなと、個人的には僭越ながら思われました。
しかしながら、それでも介護における現在の日本の過酷な状況は是正される必要があり、私達はこの問題から目を逸らしてはいけないと、一方では強く思わさせる映画でもあると思われました。
また、主人公の斯波宗典 役の松山ケンイチさんと主人公の父の斯波正作 役の柄本明さんの2人の場面は圧巻の2人の演技だと、掛け値なしに思われました。
松山ケンイチさん、柄本明さんの2人の演技を見るだけでも十分価値のある映画だと思われました。