さかなのこのレビュー・感想・評価
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さかなだけになにかとアラ(粗)が目立つ作品。
さかなクンの物語と聞いて誰もが思い浮かべるのは、子供の個性を尊重した教育の重要性というテーマだろう。横並びの画一化を目指す今の日本の学校教育では天才は育たないと言われる。周りの空気を読んで自分を殺し、なるべく目立たないように生きるのが美徳とされる日本ではさかなクンのような子は周りから浮いてしまい、最悪いじめのターゲットにされやすい。
彼の実際の母親はおおらかで理解のある方であり、本編のセリフにあるように勉強が人並みにできなくとも好きなことに没頭させてやりたいという教育方針が実を結び、今のさかなクンの成功に繋がっている点は子育ての参考にはなるだろう。
ただ、本作はさかなクンの自伝的作品ながら、主人公をあえて女性に改変した意味がわからない。はたして女性にすることで何らかの別のテーマが見いだせたとは思えない。
高校時代に主人公だけが学ランを着ており、ジェンダーに関する問題提起かと思いきや、ただ主人公は変わり者であるということを表現しているだけに過ぎなかったりと、もはや人気女優を主役に添えて客引きしたかっただけなのかなとさえ感じてしまう。
また、本作の登場人物たちはすべてが記号的であり、紋切り型のセリフ回しや芝居のレベルも子役たちを筆頭に結構見ていてきつかった。
そして肝心の母親でさえも子供に理解ある母親という記号でしかない点も致命的。それなりに子供への理解ある態度やセリフを発するのだが、どれも心に響かない。
流石に小学校低学年の子供が見ず知らずの大人の家に遊びに行きたいと言って、子供の意思を尊重して許してしまう流れは無理がありすぎる。
あと、学生時代の不良たちとのエピソードや、不倫居候母娘との同居生活にかなり時間が割かれていたが、さかなクンの物語では必須のものだろうか?原作未読なので原作にあるのなら仕方ないが、やはり親子の物語をメインにもっと短くまとめたほうがよかったのではないか。
脚本演出にも粗が目立った。何より主人公が作品冒頭でハコフグスーツを着て出かける際、こちらを振り返って「行ってきます」と言うシーンを見て早くも作品に対して嫌な予感がした。この「行ってきます」は主人公が同居する自分の家族に向けた言葉ではなく、特に何の意味もないイメージシーンだと分かったからだ。これは昔の日本映画によくある典型的ダメ演出。
脚本的にも自分のナイフに魚の臭いを付けたくないから不良のナイフを使うというのはおかしい。普段から自分のナイフで魚をさばいているはずだし。また、居候親子が水槽がなくなるのに気づかず眠り続けていたり、主人公の絵はバンクシーじゃあるまいし、あんな人だかりはできないだろうとか、とにかく冒頭から粗ばかりが目について全く本作には乗れなかった。
極めつけは総長の「あいつなにかの主人公みたいだな」というセリフ。これを聞いた時には絶望的な寒気に襲われた。
最近鑑賞した「こちらあみ子」が凄い傑作で、どうしても本作と比べてしまい、評価は厳しくならざるをえない。
正直言ってマナーCMだけでよかった。久々に途中退席したくなるほど鑑賞中苦痛を味わった作品。
追記
鑑賞時にはまったく気づかなかったけど、本編主人公は男性の設定で、あくまでもそれを女優さんが演じていたと後から気づいた。でも子ども時代はどう見ても女の子にしか見えない。水着も女の子の水着だし。そもそも、それに気づいたところでやはり本作への評価は変わらないけど。
あまちゃん‼️❓リバース‼️❓
あまちゃんの有村架純や橋本愛はテレビで観れるが、能年玲奈は映画でしか見れないので、皆勤賞の覚悟。
これは何か、さかなクンが空虚なのか、映画の脚本が単に最低なのか、よくわからない。
二時間半がとても苦痛、トホホ。
ほぼ、くだらないコントを見せられる苦渋の時間。
なんか、さかなクンがいつも胡散臭く感じてたけど、正解か?
どちらかと言えば、もう中学生の方が好感度が高い。
のん、能年玲奈、が好きなら、是非。
じぇじぇじぇとぎょぎょぎょのコラボ
好きというのは強いですねー魚を極める人生。そこまで夢中になれること自体が立派な才能です。
舞台挨拶つきでしたが、のんちゃんかわいかったーさかなクンはさかなクンだったー笑。
ミー坊をさかなクンたらしめた母の愛
魚類に関する知識と特異なキャラで人気のさかなクンの生い立ちを描いた本作。さかなクンの自叙伝が原作のようですが、さかなクン役に女性ののんさんを起用したことで、本気でさかなクンを描こうとしていないのではないかと、あまり期待せずに鑑賞。ところが、意外にもなかなかおもしろかったです。
ストーリーは、幼少期から魚に夢中で、周囲からやや浮いた存在だったミー坊が、母の理解と友達との交流に支えられ、「好き」を貫いていくというもの。ほのぼのとしたシーンの連続で、これといった起伏もないのですが、自然とミー坊に寄り添って観てしまいます。とはいえ、ストーリー的にはまったり感が強く、おもしろみに欠けるのは否めません。
ミー坊は、世間で「普通」と言われる枠に収まる子ではなく、変わり者で相手の気持ちや雰囲気を察することのできない、発達障害が疑われる子として描かれます。しかし、その無邪気な人柄、魚をこよなく愛する純真さ、それがもたらす深い知識などから、周囲の人たちを自然と笑顔にする愛されキャラとしても描かれています。
初めはミー坊をからかったりバカにしたりしていた、幼なじみや級友やヤンキーたちが、いつしかミー坊の魅力にひかれ、大人になっても友達として大切にしているのがわかるシーンは、思わず目頭が熱くなりました。ミー坊が多くの人を笑顔にし、一方でその人たちに支えられていたことがわかる、いいシーンでした。
そんなミー坊がまっすぐに成長できたのは、間違いなく母親のおかげです。絶対的な愛でミー坊を支え、周囲の心配の声にも毅然とした態度で応じる姿に、子育ての神髄を見た気がしました。さかなクンが「好き」を貫く原点は、ここにあったのだと思います。
主演はのんさんで、天然な感じがよかったです。終わってみれば、性別にこだわらず、ミー坊という個性を大切に描くという点では、よいキャスティングだったと思います。脇を固めるのは、柳楽優弥くん、磯村勇斗くん、岡山天音くん、宇野翔平さん、井川遥さんらで、それぞれの演技が涙を誘います。思わず何度も目が潤んでしまいました。さかなクン本人も出演していましたが、やや微妙な存在で、実在モデルがいるのか気になるところです。
好きなことを好きなままでいる
子どもの頃好きだったことをそのまま好きで居続けるには本人の熱意ももちろんあるけど周囲の理解も大きい。私にそのままでいいよと言える度量はないな。
そんな深さもありつつ、クスッと笑う軽さもあり、とても満足。そしてカブトガニの散歩がシュール。ヒヨや総長、モミーと味のあるキャラクターたちにのんのジェンダーレスなみー坊が自然過ぎて、そういえばさかなクン本人も性別超越してるなと思ったり。
不審者・さかなクンがみー坊の好奇心を育てて、さらにみー坊がミツコちゃんやほかの魚好きの子どもたちの好奇心を延ばしていく。最後の道端に立つみー坊は在りし日のギョギョおじさんでした。
やっぱり沖田監督が好き
さかなクンさんの自伝が原作のようですが
この映画はミー坊と関わった人たちの話
大好きな魚の事にまっしぐらなミー坊に
みんな何かしら心を動かされる。
泣かせようという感じのシーンじゃ全くないところで
なんか涙が出た。
さかなクンそして原作へのリスペクトが薄くて残念。
最初に申し上げますが、酷評しますのでバランスが取れる様に先にこの作品の良いところを。
主演の、のんさんの演技がピュアで大画面映えもし、終始大変美しかったです。
特に水中遊泳する様は幻想的で・・・作中何度かありましたがこれらのシーンは映画の白眉といえます。
以下おまちかね(笑)酷評箇所です。
原作者のさかなクンに対してのリスペクトが皆無と感じました。
なんじゃこれ変質者扱いって!
ちょっと色モノとして嘲笑してるんじゃないかってくらいの配役と脚本上の扱いです。さかなクンはもしかしたら原作者として責任を感じ出演を快諾したかも知れませんが、所属事務所など近い人間だったら監督に対して激怒案件ですよ?
エンドロールのテロップも普通、友情出演とか特別出演とか補足で書くでしょ?もしかして上映前にもめましたか?
リスペクトがないのは脚本自体にも表れていて、特に「メディアに露出するきっかけ」と、「個性的なサカナくんの絵が評価され周知されるわけ」が、さかなクン自身の頑張りで作り上げた人的繋がりではなく、「偶然の旧知のコネメイン」となっていた点です。
しかも旧知のコネストーリーの脚本への加え方が雑で適当で整合性がとれておらず・・・こんなのあり得ないだろ、ってばかりでした。
特にワインの品質の事前確認があるくらいの高級レストランで見つけて声かけて、いきなり相席はない(笑)。
一期一会が原作本のサブタイトルに入っていて、わたしも大好きな言葉のひとつですが、この作品を作る監督は、たぶんこの言葉を正しく理解してないと思います。
上記を含めて、さかなクンとの出会いにそれが感じられないからです。
では。
ジャーナリズムとは何か
「あれは人じゃない。さかなのこだよっ!」
急に何。びっくりするわ。なんだったんだあのババアは……。
というわけで、なんかシネコンで上映とかしてるし。メディアで宣伝とかもしてるし。変にしおらしくなってたらどうしよう。と少し不安もありましたが、沖田修一は通常営業。何食わぬ顔でふざけて、脱線して、カオス。
今回のテーマは「子供や素人は野放しでどこまで演技できるか」といった感じでしょうか。子役達がいつも以上にフルスイング。さかなクンのフリースタイルも凄まじい爆発力でした。
いやぁ流石です。ほんと面白いし上手い。
こんだけ宣伝して、沖田修一作品初体験の人とかもいるだろうに。大丈夫なんでしょうか。さかなクンと子役のアドリブシーンとか。もう事故的かつ感動的です。
今回印象に残ってるのは、モモコ子供時代の増田美桜さん。まるで子役とは思えない妖艶な演技でした。地方のスナックのママみたい。昭和の色香。
好きなことに純粋であれ、みたいなテーマも映画としての体裁上大事なんだと思いますが、まぁ個人的には面白ければ「男とか女とか」と同様にどうでもいいです。豊原功補の念入りなホワイトニングを確認しに、もう一度見に行かないと。
不良コントも、終始ふざけてたな。バタフライナイフ指導とか、スタッフロールまでふざけてた。最後一緒に走ってた、1人だけでかい女の子も気になった。
オリジナルよりも純度が高いさかなクン
「のん」が演じる「さかなクン」はオリジナルよりも純度に高い。天真爛漫で妖精のようないたずら心を合わせ持った表情が、僕の心を捕らえて離さない。ギョギョおじさんの方が偽物っぽく見えてしまうから不思議。
『この世界の片隅に』では、すずさんの存在を観客に信じ込ませる演技だったが、『さかなのこ』を見た観客は、のんが演じたさかなクンが本当のさかなクンだと思うはずだ。
井川遥の着物姿にドキッとしてしまった。個人的には嬉しいが、ちょっとやりすぎかな。このシーン以外では、ミー坊を温かく見守るお母さんの気持ちが伝わってくる熱演で、これからお母さん役が増えそう。
総長、狂犬ヒヨ、籾山の古き良き不良たちとのエピソードは、ヤンキーたちをも魅了してしまうミー坊の存在をコメディタッチで描いていて、ほほえましい。
監督・主演の『Ribbon』は、今一歩だったが、『さかなのこ』は、代表作になるのは間違いない。間もなく公開の『天間荘の三姉妹』が待ち遠しい。
楽しかったけどね…
冒頭に、男でも女でも、どっちでも良い的なテロップがあり…。
確かに、どっちでも良いのだけど、「ミー坊」って、やっぱり男の子?
そこを中途半端にしたおかげで、余計な描写があったような…。そのシーンは要らなかったのでは?
まあ、楽しかったけどね…。
エンディングロールの説明が不十分…。
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★ 9/3 21:12修正。減点幅を他の映画と同程度になるように修正)
今年261本目(合計537本目/今月(2022年9月度)4本目)。
元ネタ(さかなクンのこと)は名前程度はしっていますが深くは知らず、という程度で見にいきました。実際には男女入れ替わっているのですね。
最初に「主人公に男女も関係がない」みたいなメッセージが出るので、軽い意味での男女同権思想のようなものは感じました。
ストーリーとしては結構やさしめで、小さいころ(小学生のころ)から現在まで、魚にこだわる主人公が、限られた進路の中でどうやって自分の知識を生かしていくのか…というお話です。
テアトル系列さんの映画の中では比較的見やすい映画ではないか、と思います(時間戻し処理や妙な脱線がないので)。
このため、映画としては結構単調な印象はどうしても否めず(特に映画のストーリーにひねりがなく、淡々と進んで最後は主人公が「一応の夢をかなえて」めでたしめでたし、になるだけ)、ここは賛否両論あるんじゃないかな…というところです。
もっとも、東京テアトル系列さんの映画は「はい、泳げません」のように基本的に点数の高い映画が多いので、迷ったらおすすめ、というところです。
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(減点0.7/エンディングロールの説明不足)
・ エンディングロールで、「公道上でのバイクではヘルメットを着用しましょう」と出ます。これは、ストーリーの中でいわゆる「高校生の非行行為」が描かれているからです(もっともこの描写も極めて軽め)。
一方で、この映画はタイトル通り「魚」を描く映画です。そのため、映画の序盤~中盤まで、魚釣りの話や、魚を釣っている人の描写等も結構でます。
魚釣りというと多少は危険(中には危険な魚もいるので)なものの、基本的には「大衆文化」として楽しむ方も多いですが、実は無制限ではなく「漁業法」を頂点とする各種法律の縛りをうけ、各都道府県ではこれをうけて条例を作っているところもおおいです(釣りを管轄するのは農林水産省)。
漁業法やその関連法のいうところは、一般の釣りの範囲では、「このサイズ以下の魚をとってはいけません」「この季節にはこの魚をつってはいけません」「この魚(天然記念物やそれに準じるような、希少となっているもの)は釣ってはいけません」といったものです(逆に漁船を出して漁業をする方にはもっと厳しい細かい指示があります)。
※ ほか、道路交通法の関係で「橋の上で釣りをするな」というものもありますし、「(日本のどこでも)埠頭で釣りをしてはいけない」という条約(日本も加盟。ソーラス条約)さえかかってきます(これは、船舶の安全確保を目的とする趣旨の条約。埠頭には船舶が来ることが想定されるから、そこで釣りをするな、ということ)。
ただこれらの法に加え、各都道府県(性質上、海に面する県のみ)で条例でさらに縛り(「このエサはダメ」「この釣り方はダメ」)がかかっていることが多く(概して、東北~北海道は特に厳しい)、それらを全て一般文化となっている釣りの方に説明するのは限界があるので、釣りが想定される場所では「絶対に守ってほしいもの」を主にのせて「マナーを守って適度に釣りをしましょう(=余りたくさんとらないようにしましょう)」という程度にすぎません(漁船を使わない、一般大衆のいわゆる時間つぶし程度の釣りでは、よほど極端なことをやらない限りいきなり警察が来て検挙されるというのは聞いたことがない)。
釣りは今はコロナ事情もあってやや控えめな印象もありますが、何でもかんでも好き勝手釣ってよいわけではないので、この点の説明は欲しかったです。
少なくとも、いわゆる「ノーヘルメット運転」(映画では、不良高校生などが出るような映画ではよく出ます)に関してはちゃんと出るのに、「釣りは法律・条例をよくまもって適度に楽しみましょう」というのが出ないのは、行政法規の説明不足であり、なんだかなぁ、というところです(かつ、詳しいことまで把握しようと思うと、農林水産省のサイトを読み込まないといけないという、結構面倒なのが「釣り」という文化なのです)。
※ かつ、上記にも書いたように「橋の上で釣りをしてはいけない」は国土交通省の取り締まりであったり、「釣り」ひとつとっても行政の縦割りが見える(連携しようという気がさらさらない)といったところです。
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自己肯定感が高まる、やさしい世界。
ストーリーの本筋はさかなクンの半生に近しいものなのだろうけど今回の映画のために多くの脚色がされているストーリーであったため、良い意味で裏切りがあり楽しむことができた。
のん演じるミー坊は、自分の好きを貫く強さ、純粋さがあるが、それが培われたのは、母を中心とした周りの環境が大きいと感じた。劇中、ミー坊のことを否定する人は誰ひとりいない。
普段、社会で生きているだけで、自己肯定感が低くなってしまうような世の中だが、この作品を観ているだけで自己肯定感が高まっていくとともに、自分の好きを勇気をもってもっと尊重していこう思わせてくれた。
ちょっとした小ネタのセンスが高く。何度も笑いが起きていた。特にヤンキーとミー坊の絡みシーンは小ネタの鮮度も演出も上質なものだった。
純粋って最強だ。
純粋って最強だ。
ミー坊の純粋さは、まわりを自然と笑顔にする力を持っている。
この映画は楽しいだけでなく、色々と考えさせられる深さもある映画でした。
普通ってなに?人と違うといけないの?こどもの個性を大切にした母親がとても素敵だと思いました。
純粋な主人公を自然に演じたのんさんをはじめ、個性的な面々を演じたキャスト皆さん良かったです。
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