「違うけど同じという生と死を尊ぶアイヌの豊かな世界観」チロンヌプカムイ イオマンテ fuhgetsuさんの映画レビュー(感想・評価)
違うけど同じという生と死を尊ぶアイヌの豊かな世界観
明日が名古屋の最終上映、その前日の今日。
今池のシネマテークで、チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテを観てきました。
ドキュメンタリー映画なので、そのままがスクリーンに写し現れるわけですが、そうした場の共有を現実であるかのように受け取り、感想を述べることは違う気がしますが。
それを承知で、わたしなりに書いてみます。
アイヌの世界観は、これほどまでに豊かなのかと思い知らされる映像でした。
まだ、現地に行ったこともないけど、わたしなりにアイヌに興味を持ち、ちょっとかじっただけの知識でまったく理解はできてないけど。
久高や熊野で。
奥三河の山中で行う修験の祭りの中で。
郡上白鳥の六ノ里や、石徹白の中居神社でも。
アイヌに近いものを感じたり。
実際に何度かアイヌの方たちとも出会ってる。
そして、強烈に感じるものがある。
わたしとの大いなる違い。
それと同時に、まったく一緒ではないのに、同じものを感じるのだ。
それはこの映画でますます深まった。
違うのに、同じ。
これがとてと大切なことだと。
あるとき、歴史の中で歩んできた道の違いを知って尊重しあい、生まれくるところから互いに同じくするところで触れあえば魂も震える。
クマのイオマンテしか知らなかったけど、初めて知るキタキツネのイオマンテ。
わが子のように育てた動物を殺すのではない。
生と死をこれほどまでに豊かに祭り上げることができる人間という存在の意味。
現代的価値観ではけして何も語ることはできない。
これは知識で知っても何の意味もなさない世界だから、その時代、そのときその場所にいたとしても、部外者のわたしがどこまで理解できるかわからないけど、カメラはちょうどいい距離感でとらえてて、とても伝わってきた。
撮影された時は、ちょうどわたしが中学生の頃か。
その頃、まだこのような祭りが行われていたのだ。
35年前の映像に、当時のわたしと同い年くらいのエカシの孫が出てくる。
北村監督の秘蔵のドキュメンタリーが、やっと世に出たのが今の時代ということに、なんだか胸が熱くなる。
そして、その後どうなったか。
最後に、35年後の現在の映像が挿入され、映画として完成していた。
ナレーションと挿入歌の豊川容子がまた、映画をより深く、優しい響きで包んでくれた。
カムイと人間。
動物と人間。
それらはまったく違うけど、まったく同じなのだ、といつも教えてくれる。
そんなアイヌの、わたしが大好きな世界観。
いつかどこかでチャンスがあれば、ぜひ観てください。