「スタイリッシュな映像のせいで、殺伐とした暴力世界がクールな仮構世界のようにも映ってしまいドラマ性を薄めてしまいました。」グッバイ・クルエル・ワールド 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
スタイリッシュな映像のせいで、殺伐とした暴力世界がクールな仮構世界のようにも映ってしまいドラマ性を薄めてしまいました。
カタギの世界に戻ったのに、過去に縛られている元ヤクザの安西幹也(西島秀俊)。弱みを握られ、ヤクザの手先となっていた刑事の蜂谷一夫(大森南朋)。主人公の2人だけでなく、彼らの周りには強盗団のボス格であり、県知事の元秘書で左翼崩れの浜田(三浦友和)、ヤクザ組織「杉山興行」の手先となって強盗団の正体を突き詰めようとするラブホテルの従業員矢野大輝(宮沢氷魚)とそのラブホテルによく出入りしていた風俗嬢坂口美流(元は強盗団の一味、玉城ティナ)ら、命知らずの男女たちが、行き場を失ってうごめいていました。
クルーエル・ワールド(無慈悲な世界)にさよならしたくても、できない連中ばかりが登場するのです。
ヤクザの資金洗浄現場が、全員が互いに素性を明かさない謎の強盗団によって襲撃を受けて、1億円に使い大金の奪取に成功します。その後資金を奪われたヤクザ組織「杉山興行」のトップの杉山(奥田瑛二)は、子飼いの刑事の蜂谷を呼びつけて、犯人探しが始まります。捜査能力の優れた蜂谷によって、強盗団一味の素性が少しずつ判明し、メンバーたちは次第にヤクザに追われるようになっていきます。それぞれの日常が一変していくのでした。
バイオレンスに徹した流血シーンの描写は過激そのものです。誰もが容赦なく暴力をふるい、ひりひりとした痛みがスクリーンから伝わってきました。ただ、スタイリッシュな映像のせいで、殺伐とした暴力世界がクールな仮構世界のようにも映ってしまうのです。バイオレンスを描く大森立嗣監督の映像センスがいいとは思います。ただ問題は、本作がもし浮き彫りにしたかったテーマが「現代の日本の生きづらさ」であるとしたら、掘り下げ方が弱いと思います。それは『すばらしき世界』や『ヤクザと家族 The Family』と比較すれば、主人公の追い込まれ具合が中途半端で、前途した2作品ほどに「生きづらさ」を感じさせません。むしろ資金を強奪して、ウハウハになっているはずなのにです。
元ヤクザの安西にしても、刑事の峰村にしてもメインのキャラクターは、全員が組織や社会に切り捨てられ、行き場所も居場所も失った人たちです。
組の為に全てを注ぎ、最後は厄介者となった安西と、手柄の為にヤクザと繋がりを持ち、警察に居場所が無くなった蜂谷は、最初から通じるものがあったのかもしれません。お互いを利用し出し抜くのではなく、支え合って生きていくことへの憧れを感じます。
安西と峰村という立場が真逆な関係であっても、「生きづらい日本」という共通の目線を通じて、最後に意気投合するという設定にしたかったのであれば、もう少しふたりの距離感を軸にして描くべきでした。
さらに本作には影の主役が存在します。
それは元秘書の浜田です。本作の冒頭、裏金の強奪場面で、ずっと浜田がブツブツ言っている日本への愚痴は、実は本作のテーマに通じる部分ですので、聞き逃さないで下さい。あのブツブツは大森監督ご自身が全共闘世代の生き残りで、作品を通じてホンネをぶつけているのかもしれません。浜田は監督の分身的存在なのでしょう。三浦友和演じる浜田のグダグダした感じは最高です。
洋の東西を問わず、様々なバイオレンス映画がごった煮のようになった印象の本作。サム・ペキンパー、クエンティン・タランティーノ、北野武、石井隆etc。元ヤクザの葛藤は東映の往侠映画風でしょうか。その作品群が独自の映像感覚を通し、暴力に及ぶ人間の愚かさ、悲しみ、怒りを描いたように、少々小ぶりとはいえ、本作も一筋縄ではいかない映画になっています。
それにしてもホンモノの石油スタンドに放火したシーンは、実際にその場所を借りて、リアルに炎を上げて撮影したそうです。現場に居合わせた宮沢氷魚もこれにはビックリ。この現場では炎の熱さだったり、血糊の感触だったり、肌で感じるものがとても多くてそういう意味でも、強烈にインパクトが残る作品になったそうです。